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爆発したっ!何か(一郎@ひろしまタイムライン)
ものすごい光 地響き、家が揺れて 電気の傘やガラスがふきとんで(やすこ@ひろしまタイムライン)
あれは廣島か?
家、学校、父ちゃん母ちゃん(シュン@ひろしまタイムライン)
2020年8月6日。広島に原爆が落ちて75回目の朝。我がツイッターのタイムラインに流れてきた、#ひろしまタイムライン。つぶやきの主をたどると、13歳中学1年生のシュンくん、26歳主婦のやすこさん、32歳新聞記者の一郎さんによるものだった。
3人のTwitterはこの春からスタートしている。NHK広島の企画で、実在の人物の日記をもとにしたつぶやきだという。もし75年前にSNSがあったら、ということで1945年という1年間を広島の人たちが実際にどのように過ごしたかをTwitterで伝えるというものだ(くわしくはこちら→1945ひろしまタイムライン)。誰かのリツイートがなければ、こんな試みがあったってこと自体、わからないところだった。
つぶやきは11人の市民たちがチームに分かれて作成。シュンくんは中高生を中心に、やすこさんは女性3人で、新聞記者の一郎さんは元アナウンサーや編集者がメンバーとなっている。それぞれのキャラクターにあわせたチーム編成なのだ。
3人のTwitterを遡って読んでいく。1945年春、やすこさんは夫の出征後、お腹の中に新しい命を授かる。シュン君は名門中学に入学、敵の言葉がわかるようにと学校では英語を学んでいる。一郎さんは仕事を終え、同僚とたった一軒しかないビヤホールで竹筒に入ったビールを飲んでいたりする。
夏になると3人の生活は少しずつ変化していく。シュンくんはさつまいもを作らされる。飛行機の燃料のためだという。やすこさんは郊外にある夫の実家に引っ越し、大家族の食卓を任される。記者の一郎さんは6月29日の隣の岡山の大空襲に取材に行き、大量の死傷者を目の当たりにする。
ツイートは単純に日記の翻訳にならないよう、念入りなフィールドワークに基づいている。例えばシュンくんの食料配給については、実際、20キロの米袋を背中にかついで歩いてみたり。やすこさんの献立のツイートでは大根飯を再現してみたり。記者の一郎さんはほかの二人と比べてツイート数が多い。その日の新聞の内容が記事のスクショとともに掲載されている。やすこさんのツイートには20代の女性っぽく絵文字が添えられている。
原爆投下8時15分。3人はそれぞれ爆心地を逃れていた。シュンくんは疎開先の村から何キロも歩いて両親のいる市内へ向かう。市内からあふれる焼けただれた人の波をかきわけながら。父母はけがは負っていたが無事だった。一郎さんは新聞社での夜勤明け、中心地から離れた自宅に帰っていたが、居ても立っても居られず、市内へと向かう。必死で駆けずり回って取材をし、原爆のすさまじさを記事にしようとしたが、新聞社の本社ビルは全焼。郊外の夫の実家の病院に身を寄せていたやすこさん。市内から運ばれてくるおびただしい数のけが人の看病に当たる。
さて8月6日以降も3人のツイートは続いている。3人とも発熱している。そしてかなりのショックを受けている。でもあきらめることなく、自分の感じたこと、そして日常を記録しつづけている。明日は8月15日。終戦記念日だ。きっと3人のつぶやきもターニングポイントを迎えることになると思う。
終戦から75年。1945年生まれが後期高齢者になる今年は確かに「特別な夏」だ。75年前の思いを現在につなぐ、11人の挑戦を今後も見守っていきたい。