1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
戦中に獄死ししたマルクス主義哲学者が見て 考えた、"ニッポンの風俗"とは? |
戦前の古典的名著を引っ張り出してきて、「スポーツ」をテーマにするのはいささか乱暴かもしれないけれど、今、スポーツを語るに、マルクス主義哲学者の戸坂潤の『思想と風俗』こそ相応しい、と思ってしまったのだ。
戸坂潤は、戦前に活躍した闘う哲学者だ。
〈確固たる「科学的精神」をもって、科学、技術、政治、イデオロギー、文芸、風俗その他の社会現象全般を批判する評論活動(クリティシズム)を精力的に展開、これはファシズムの野蛮・非合理主義との闘いにほかならなかった。(中略)昭和20年8月9日、長野刑務所で死去した〉
(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)
戸坂は『思想と風俗』で、風俗とは衣服のようなものだと説く。文明人が裸で歩かないのだから、〈衣服は社会的リアリティーを持ってゐる〉と。
で、彼のスポーツ分析がすこぶる面白い。スポーツは、〈宗教的自己昂揚よりも、もっと阿片的だ〉というのだ。
するとどうなるか。学生を多く獲得したい私立大学はこぞってそれを利用する。
〈財団による営業諸大学は、スポーツのこの社会的アヘン性と、それに対する世間の渇望とを利用して、スポーツ場をステージやショーヰンドーになぞらへ、スポーツマンをマネキンに仕立てる。良い教授を雇ふよりも一人のマネキンを雇ふ方が資本はかかるかも知れないが、結局、その方が利益になるのだ〉
つまり、教授陣(教育内容)ではなく、スポーツ(アヘン性と知名度)で大学を有名にする。高校野球も当然、この図式の中にある。一方、政府(官僚)は、このアヘン性を「体育」として道徳の中に位置づけんとする。
目が肥えてきた野球ファンからしてみれば、体育としての野球も、学生野球も、もはや物足りない。それを戸坂は哲学者だけに、こんな風にコムズカシク語る。
〈スポーツが資本主義的発達を遂げて、もはや「学生スポーツ」とか「体育」とかいふ不徹底なブルジョア・スポーツ形態に局限され得なくなると、スポーツの文部省的観念は破産する〉
スポーツは政府の所有物ではないし、学校の宣伝素材でもない。ましてや一企業の所有物でもないだろう。
震災と絡めた過剰な甲子園報道や、一連のプロ野球開幕延期問題と、それに対する文科省の横やりを見るにつけ、戦前の戸坂潤の指摘は、いまもって有効だなあ、とひとり頷いてしまうのである。
ジャンル | 評論 |
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時代 ・ 舞台 | 戦前の日本 |
読後に一言 | 戦前と戦後、思うほど、かわっていないなあ。 |
効用 | 何よりも"風俗"から思想を読み解くという作業が面白い。脳のスポーツとして読みたい。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 風俗乃至習俗といふものは、本当は社会の本質の一所産であり一結論に過ぎぬにも拘らず、それが社会の本質的な構造の夫々の段階や部分に、いつも衣服のやうに纏はつて随伴してゐる現象のことなのである。 |
類書 | 明治・大正期の世相を論評『明治大正史 世相篇』(東洋文庫105) 明治庶民生活史『明治東京逸聞史1、2(全2巻)』(東洋文庫135、142) |
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