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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 599

『墨子』 (薮内清訳注)

2010/07/08
アイコン画像    中国の謎の思想家&技術屋集団「墨子」の
トンデモ思想を平易な日本語で訳した決定版。

 〈もし天下が兼(ひろ)く相愛し、他人を自分と同じく愛すれば、不幸なものはなくなる〉

 どこぞの政治家のキャッチフレーズのようではあるが、こちらは「兼愛」。中国紀元前5世紀頃に活躍した"墨子"の思想である。小説『墨攻』(酒見賢一/新潮文庫)や同名漫画(森秀樹/小学館文庫)で日本人にも知られるようになった、あの墨子である。

 この「兼愛」、しかし生やさしいものではない。なにせ戦国時代に生きた思想家集団にもかかわらず「非攻」を説く。例えば、1人を殺したら重大な犯罪なのに、戦争で100人殺せばヒーローになるのはおかしい、と真っ向から戦争を否定する。さらに無駄遣いの排除(衣服の贅沢、音楽や芸術などに興じることもダメ)を徹底せよという。ますますどこぞのマニフェストのようである。

 ここまではまだいい。全71篇のうち、50篇より先が驚愕の内容で、戦争技術を事細かに説明し始めるのである。その内容は、一言でいえば「専守防衛」。城攻めの敵にどう立ち向かうか。そのための号令のかけ方に始まり、〈命令に従わないものは斬る〉と「兼愛」はどこにいったのかと思わせる厳罰でのぞむ。その一方で、「鬼神」(死者の霊)をも愛しなさい、とトンデモないことをいう。

 ジャパンナレッジの『日本大百科全書(ニッポニカ)』にいわく、「墨は姓というのが古くからの説。しかし正しくは墨刑(額に入れ墨をする刑罰)のことで、彼の労役を尚(とうと)ぶ学風があたかも賤役に従事する刑徒・奴隷のようなのを誹(そし)って当時の儒家や上層貴族がつけた綽名(あだな)。下層庶民を代表する彼はむしろこれを誇りとして自学派の称とした」というから、これはもう変わり者集団である。中国=儒教と考えている身にとっては、墨子は?だらけ。中国人から見ても不思議な存在だったようで、この集団は歴史から忽然と姿を消す。

 だがその論理の構築方法は明晰だ。例えば、議論する場合、〈三つの基準が必要である〉といい、〈本(もと)づけること、原(たづ)ねること、用いること〉をあげる。過去の名君の事蹟(歴史)を根拠とし、見聞きした事実から明らかにし、法の運用が人々の利にかなっているかを確かめよ、というのだ。なるほど、オペレーションを無視した議論は、空論に終わる。墨子=リアリストである。

 〈書を読もうとするのは、書を読むことではない〉

 こんな箴言にも、リアリストならではの皮肉が込められているように思えるのだが、どうだろうか。

本を読む

『墨子』 (薮内清訳注)
今週のカルテ
ジャンル思想書
時代 ・ 舞台紀元前5世紀の中国
読後に一言「愛」とは何だろう。
効用中国系の歴史小説好きはもちろんのこと、「考える」ことに関心のある人には刺激となる。
印象深い一節

名言
他人の身体を自分の身体のようにみるならば、誰も他人を傷害することはしない。
類書道家の思想書『列士(全2巻)』(東洋文庫533、534)
墨子思想も分析する『古代中国研究』(東洋文庫493)
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