1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
森羅万象の謎に挑み続けた知の巨人・南方熊楠とは? その代表的論文や自伝を掲載する。 |
〈……行いは至って正しく、四十歳まで女と語りしことも少しく、その歳に始めて妻を娶り、時々統計学の参考のためにやらかすが、それすらかかさず日記帳にギリシア字で茶臼とか居茶臼とか倒澆蝋燭(さかさまろうそく)とか本膳とかやりようまでも明記せり。司馬君実(しば・くんじつ、北宋の学者)は閨門中の語までも人に聞かされないものはないと言ったそうだが、小生はそのまだ上で、回向院の大相撲同前、取り組みまでも人に聞かされないものはないと心得おる〉
少々長い引用ではあるが、この何びととも異なるスタンスこそ、南方熊楠その人であった。
しかもこれ、知人から略歴を求められたことに対する返書の一部。解説によれば〈長さ二十五尺の巻紙に毛筆ですこぶるの細字六万字にもおよぶ長文の「履歴書」を書き送った〉のだという。で、その履歴書風信書の中で、自分は研究のために夜の営みの記録を残している、と胸を張るのだから、常人の理解できる範囲にない。
もとより、その経歴すら常識外だ。大学予備門を中退し(つまりエリートの道を捨て)、19歳で渡米。そこでなんと曲馬団に加わってついには英国にたどり着き、『ネイチャー』などの世界的権威のある雑誌に論文を投稿し続ける(『ネイチャー』掲載本数は50本!)。33歳で帰国すると、郷里の紀伊に居を構え、菌類、藻、民俗学、宗教、性……とありとあらゆるものを研究した。しかも公機関からの誘いを断り、一生を市井に生きた。
例えば、この『南方熊楠文集』全2巻の目次をピックアップしてみよう。「幽霊に足なしということ」「睡中の人を起こす法」「四神と十二獣について」「屍愛について」……と、巨人南方の正体は、掴み所がないのである。
東洋文庫には、10年にわたって発表した論文『十二支考(全3巻)』も入っているが、その一番目の「虎」をみてみる。そこに挙げられている本は、『淵鑑類函』『水滸伝』『錫蘭(セイロン)俗伝』『坐禅三昧法門経』……など古今東西ジャンル横断で、なんと162冊! この知識。深掘りの仕方。水平への広がり方。読者はたちまち南方という曼荼羅世界に放り込まれ、油断していると溺れてしまう。
だが溺れるところまでいかねば、先へは進めないのかもしれぬ。……と考えるならば、『南方熊楠文集』は、私たちにとっての「知のぶつかり稽古」相手だ。何度もはね返されて初めて、見えてくるものもある。
ジャンル | 民俗学/博物学 |
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時代 ・ 舞台 | 時代を超越した森羅万象。 |
読後に一言 | 博覧強記とは彼のためにある言葉。 |
効用 | インターネットに浮遊する情報に疲れたときに。これぞ「教養」という確たる手触りが得られる。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 小生はそのころ日本人がわずかに清国に勝ちしのみで、概して洋人より劣等視せらるるを遺憾に思い、議論文章に動作に、しばしば洋人と闘って打ち勝てり。 |
類書 | 江戸中期の民俗学者の記録『菅江真澄遊覧記(全5巻)』(東洋文庫54、68、82、99、119) 南方の博物誌『十二支考(全3巻)』(東洋文庫215、225、238) |
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