JKボイス お客様の声知識の泉へ
ジャパンナレッジを実際にご利用いただいているユーザーの方々に、その魅力や活用法をお聞きしました。
先端を行くナレッジピープルによる数々のジャパンナレッジ活用術の中に、あなたの知識探索生活をさらに豊かにするヒントが隠されているかも知れません。法人のお客さまの導入事例としても、興味深いエピソードが盛りだくさんです。
2002年09月

JKボイス-私はこう使っています:ジャパンナレッジ 資料評価のプロが語る「百科事典使いこなし術」

井上 真琴さん
(いのうえまこと)
同志社大学 総合情報センター 学術情報課 資料収集係長
 同志社大学の図書館で資料収集にあたる井上氏は、情報探索と資料評価のプロフェッショナル。氏の選択眼は業界のなかでもつとに有名だ。日々、膨大な情報の波を乗りこなす井上氏に、知識検索の要件を聞いた。

有益な情報源としてのJapanKnowledge

「わからんことがあれば、恥ずかしがらずまず百科事典をひけ」

 大学入学直後、教授が発した言葉が印象的でした。「あんなものは応接間のインテリア程度のもんやないか」と考える生意気な若造であった私は、カツを入れられた気がしました。斯界(しかい)の権威による凝縮された解説は、知識を得る際の確実な早道です。なかでも小学館『日本大百科全書』はカラー図版の充実や参考文献の掲載で、同志社大学の図書館でも非常に利用の多い百科事典です。だからJapanKnowledgeが開始されたときは、たいへん嬉しく思いました。

 データベースに図版や写真がないのは少々失望しましたが、事・辞典類のシームレスな検索、相互参照や見出し語にない事柄も検索でき、参考文献も表示、セレクトURLや現在流通している関連図書の書誌情報までリンク。迷わず導入を決めました。

 ところで、百科事典の効果的な使い方は、いまだに利用者に身についているとは言いがたいのが現状です。利用者の探索行動を観察すると、いきなり「あいうえお順」の見出し巻で探している人がいかに多いことか。本来、百科事典はまず索引巻から検索し、関連事項や見出し語になっていない記述も参照し、体系づけて調査していくのが常道なのに、これができていないのです。

 JapanKnowledgeを見たとき、こうした利用者の不得手な側面を容易に改善してくれるツールになると思いました。リンクを辿っていくことで相互参照、見出し語にない事柄は全文検索で参照、ネット上の有効なURLの表示といった具合に、印刷体の場合にはある程度訓練しないとできなかった、あるいは無理だったことが、容易に可能になるのですから。

 それからウェブ上で提供されることで、データの追加・更新が頻繁になされることも助かります。現在のように情報や知識の新陳代謝が激しい時代には、それに対応できる情報源が不可欠です。耐用年数や賞味期限の切れた情報では困りますからね。おまけに携帯電話やPDAといった機器の発達でいつでもどこでも参照できる。いまや私たちは、仏様ではなく情報と「同行二人」する、編み笠を被った「知識社会のお遍路さん」になれるのです。

情報の探し方 ~「サーチャー」ではなく「チェイサー」に~

 しかし、どんなに便利なツールが現れようと情報の探索と収集は簡単ではありません。JapanKnowledgeと契約すれば、知識・情報の宝庫に往還できる「通行手形」が得られると思っても、それは空手形というものです。なぜなら、求める情報がいつもデータベースやネット上にそのまま転がっているとは限らないからです。その場合、情報や知識の特性、知識間の関係性に注目し、その隙間を独自の着想や工夫で埋めながら、みずから蓄積した体験や経験を駆使して探索に当たらなくてはなりません。

 実例を挙げましょう。沖縄を旅行するのに、夜の風俗が好きな私は怪しげな歓楽街に関する情報を探していました。さまざまなソースに当たりましたが、インターネット普及以前のことで容易に見つけ出すことができません。視点を変えて写真資料を探索していたところ、荒木経惟『沖縄烈情』という写真集の存在を知りました。ご存知のとおり、天才アラーキーは、美的な感覚というよりは私的な物語が塗りこめられたような独自の視点で写真を撮る方です。直感的に探している情報との接点を感じました。アラーキーなら歓楽街のネオンや電柱の住所表示を平気で写し込んでいるはずだ、と。はたして、その本を紐解くと「××町遊楽街」の看板や求める住所表示を読み取ることができたのです。

 このように、与えられた情報からだけでなく、自分の知識と経験をフル稼働させて、あらゆる着想・方法を駆使して情報を探す。そのために大事なのは、常に好奇心をもち、アンテナを張り巡らせ、対象へと肉薄していく方法と着想を磨くことです。

 世の中には、エンドユーザーが必要とする情報を効率よくデータベースから取り出すことができる技術者として「サーチャー」と呼ばれる人たちがいます。しかし、情報は与えられたデータベースの器の中だけに存在するのではありません。このため、現前にある情報・知識群に対して、経験や知識の蓄積で培った「個人的な索引体系」を付加しながら、一歩踏み込んで"向こう側"に到達する力が求められます。表現はともかく、私自身は単なるサーチャーではなく、まず知識・情報を追跡する「チェイサー」でありたいと常々感じています。

 そして慧眼なサーチャーはとっくの昔にそのことに気づいているのです。サーチャーの友人が言っていた言葉が甦ります。「井上さん、ほんまに重要な情報ってデータベースにはないわ。知ってそうな人に電話で訊いてる時間のほうが長いねん(笑)」

知識の体系化・索引化=「ナレッジマネジメント」

 日々努力して、知識・情報の世界を遊泳できるようになっても、それだけでは知的ディレッタント・情報グルメになってしまう危険性があります。このことから逃れるために、私たちはどのような努力をしなければならないのでしょうか?

 それは、自分にしかできない独自のナレッジマネジメントを構築することです。つまり、(1)知識・情報の発見→(2)評価と選択→(3)頭の引き出しへの格納と効率的な取り出し(関係づけられた個人的な索引体系)を可能にする仕組みを構築することといえるでしょう。これは長い年月をかけて築いていく性格のもので、一朝一夕には無理です。やはり多くの情報・知識を試行錯誤したうえで取り込んでいく過程を経なければなりません。

 人は、蟹が己の甲羅に似せて穴を掘るように、自分の身の丈に合わせてしか知識や情報を理解できません。その成長段階に合わせて、百科事典などの知識データベースの往還を繰り返し、辛抱して形づくるしかないのです。

 やがて、知識・情報の量がある臨界点を超えると、突然片々たる情報が意識のなかで知識の星座を結ぶ瞬間が現れます。上野千鶴子さん流に言うと、スポーンと頭の天井がぬけるような感じで「わかった!」という瞬間に遭遇するということです。

 絵画や骨董など秀逸なコレクションを形成するには、コレクターの才覚と能力が求めらます。知識のコレクションも同じことです。それには、『世界大百科事典』を編集した林達夫さんのように、常に精神のカジュアル性を保ち、いくつになっても心にうぶ毛をはやしつづけること、わが師、考古学者・森浩一の言うように「身体で覚えた知識しか本物ではない」という心構えをもつことが重要です。

 最後に、阿部謹也さんの恩師・上原專禄の言葉を噛み締めたいと思います。「『解る』ということは、それによって自分が変わることでしょう」。知識は、今の自分を乗り越えていく力となって、はじめて真の知識となるのです。