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日本歴史地名大系

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安満岳
やすまんだけ

平戸島の北西部にある山嶺。同島で最も高い山で、標高五一四・三メートル。山頂に白山権現(現白山神社)があり、その下に西禅さいぜん(現坊方町)があったが、明治初年に廃された。山内には五輪塔が六基分(うち安山岩質凝灰岩製五基・花崗岩製一基)、宝篋印塔(安山岩質凝灰岩製)が九基分あり、南北朝期後半から室町前期に若狭国など畿内近国で製作されたと考えられるものを含み、日本海ルートによるこれら石塔の回漕とそれを担う海民の存在が想定されている。また室町後期とされる佐賀型石塔もみられるほか、白山権現の神殿裏手にはいわゆる薩摩塔が一基あり、九州の石塔文化の浸透もみられる。

一五五八年(永禄元年)平戸に滞在していたイエズス会のヴィレラ神父は生月いきつき(現生月町)たく島・獅子しし飯良いいら春日かすがなどで説教を行い、改宗を進めていくに伴って、各地の寺社から仏像を集めさせ、うずたかく積上げては大きな篝火として焼却することを繰返した。平戸の仏僧のなかでも志々伎しじき山と安満岳の僧院の上長らは、「仏様に加えられたかくもひどい辱めを黙認できない、まして一人の異国人による侮辱を」と激怒して平戸の殿(松浦隆信)に訴え、懲罰に処さなければ、殿自身が危険にさらされ、家臣の間にも反乱が起きるだろうと迫ったので、隆信はやむなくヴィレラを説諭して平戸を退去させている(フロイス「日本史」)。安満岳Iasimandaqueの仏僧は一五六三年当時も平戸領内の僧侶の首領で、つねにキリシタンの敵であり、異教徒の殿らと深い姻戚関係にあるため、重い罪を犯しても、それに相当する罰を加えたり、復讐したりすることができなかったという。こうした状態をキリシタンのドン・アントニオ(籠手田安経)は遺憾に思っていたが、この僧は寺院の地所を増やすためアントニオにその所持する土地を分けるように要求してきたので、これを拒否するとその名誉をひどく傷つけられたとしてその土地に放火させ、またアントニオの家臣であるキリシタンの数軒の家を焼却するよう命じている。これを聞いた陣中のアントニオは隆信に訴え、もし殿が僧を処罰しないのならば、みずからが戦場を離れて懲罰を加えるであろうと迫った。隆信は迷いながらも、その申立どおりに、一五六四年領内から僧を追放し、召還される望みを断つために僧の収入および所領を人々に配分した(同書、一五六四年一〇月三日「フロイス書簡」イエズス会士日本通信)。一五七一年(元亀二年)以前、平戸の僧院のなかでも安満岳は収入が多く、僧は約一〇〇人おり、建築後約一〇〇年という堂宇は腐朽するどころか、香気高い材木のためほとんど新築のようであるという。同院の所領とする村も多いが、僧らは信徒に説教せず黙想をさせるばかりで、みずからは富裕に暮し、キリシタンの増加を疎ましく思ったかれらはヴィレラを殺害しようとしたが、領主により追放されたという(同年一〇月六日「ヴィレラ書簡」イエズス会士日本通信)

慶長国絵図に「安満岳」とある。寛政七年(一七九五)の新義真言宗本末帳によれば平戸安満岳は無本寺で、末寺は平戸の観音院・神能しんのう寺、弥勒寺・神宮寺(現田平町)の四ヵ寺、門徒は弥勒寺門徒として寿福じゆふく(現江迎町)西福さいふく(現松浦市)浄漸じようぜん(現佐世保市)など一四ヵ寺、神宮寺門徒として地福じふく(現松浦市)長栄ちようえい(現佐世保市)など一〇ヵ寺、浄漸寺門徒として四ヵ寺が記される。文化一〇年(一八一三)一月、中野なかの村などを測量した伊能忠敬は西禅寺領二〇〇石と記している(伊能忠敬測量日記)。平戸の潜伏キリシタンは安満岳の山上をひそかに拝場とし、拝殿の裏に祠を安置していた。生月島では「お山様」と称していた。中腹に生息する平戸のシカは県指定天然記念物。

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1. やすまんだけ【安満岳】長崎県:平戸市/主師村
日本歴史地名大系
月六日「ヴィレラ書簡」イエズス会士日本通信)。慶長国絵図に「安満岳」とある。寛政七年(一七九五)の新義真言宗本末帳によれば平戸安満岳は無本寺で、末寺は平戸の観音 ...
2. あいのうら【相浦】長崎県:佐世保市/相神浦村
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朝鮮王朝と交易していた。永正五年(一五〇八)松浦弘定が「下松浦宇野御厨庄、相神浦」の大浦分のうち田地五反を安満岳白山宮(現平戸市)に寄進しており(同年六月一一日 ...
3. いちぶむら【一部村】長崎県:北松浦郡/生月町
日本歴史地名大系
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4. いんざんじあと【印山寺跡】長崎県:平戸市/平戸村
日本歴史地名大系
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5. かがみがわ【鏡川】長崎県:平戸市/平戸村
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6. 甲子夜話 2 74ページ
東洋文庫
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7. 甲子夜話 2 89ページ
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9. さいこうじ【西光寺】長崎県:佐世保市/柚木村
日本歴史地名大系
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10. ししむら【獅子村】長崎県:平戸市
日本歴史地名大系
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11. しじき【志々岐】長崎県:平戸市
日本歴史地名大系
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12. しじきじんじゃ【志々伎神社】長崎県:平戸市/野子村
日本歴史地名大系
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日本歴史地名大系
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14. しゅうしむら【主師村】長崎県:平戸市
日本歴史地名大系
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15. じょうぜんじ【浄漸寺】長崎県:佐世保市/早岐村
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16. とうぜんじ【東漸寺】長崎県:佐世保市/中里村
日本歴史地名大系
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日本歴史地名大系
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18. なかのやきこようせきぐん【中野焼古窯跡群】長崎県:平戸市/中野村
日本歴史地名大系
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19. 日本史 5 キリシタン伝来のころ 46ページ
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コスメの子        V191,196-197ヤスマダキYasumandaqui平戸 の安満岳の住持  1 211,II 300-301,335-336柳原 ...
20. 日本史 1 キリシタン伝来のころ 211ページ
東洋文庫
からの偶像をよせ集めて、これを一山に積み重ねて、それを焼いた。平戸に住んでいた僧侶たち、殊に安満嶽及び志々岐山という二つの寺の住持はこれを知って、偶像に対するこ ...
21. はくさんひめじんじゃ【白山比売神社】長崎県:平戸市/主師村
日本歴史地名大系
[現]平戸市主師町 安満岳の山頂に鎮座。古くは白山妙理大権現と称した。旧村社。祭神は伊弉諾命・伊弉冉命。養老二年(七一八)加賀白山宮(現石川県鶴来町の白山比 ...
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日本歴史地名大系
ス会士日本通信)。また島内の獅子・飯良・春日で説教を始めた神父らが仏像を焼却したため、平戸の安満岳と志々岐山の僧院長らがこれに怒り、隆信に働きかけ、このためヴィ ...
23. ひらどし【平戸市】長崎県
日本歴史地名大系
西海国立公園のうち。平戸島のおもな山嶺は北部から小富士山(二一六・九メートル)・垣ノ岳(三二八メートル)・安満岳(五一四・三メートル)・鷺ノ岳(二〇七メートル) ...
24. ひらどしま【平戸島】長崎県:総論
日本歴史地名大系
・白岩岳(二七二・九メートル)・浜岳(二三四・九メートル)などがある。安満岳・志々岐山・白岳は霊山として信仰される。安満岳からは神曾根川が流れ、慈眼岳・有僧都岳 ...
25. へごのはらむら【辺護原村】長崎県:平戸市
日本歴史地名大系
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26. 南方熊楠文集 1 239ページ
東洋文庫
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日本歴史地名大系
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「安満岳」の情報だけではなく、「安満岳」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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「安満岳」は長崎世界遺産に関連のある記事です。
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