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  11. 応神天皇陵

応神天皇陵

ジャパンナレッジで閲覧できる『応神天皇陵』の日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

日本国語大辞典
おうじんてんのう‐りょう[オウジンテンワウ‥] 【応神天皇陵】

解説・用例

大阪府羽曳野(はびきの)市誉田(こんだ)にある応神天皇の陵。古市古墳群に属する前方後円墳。全長四一五メートル。封土量は一四三万三九六〇立方メートルで、容積では日本最大の古墳といわれる。濠を巡らし、周辺に数基の陪塚(ばいちょう)がある。きぬがさ、家形、水鳥などの形象埴輪が出土している。五世紀初めの築成と推定。誉田山古墳。誉田御廟山古墳。誉田陵。恵我藻伏岡陵(えがのもふしのおかのみささぎ)。

発音

オージンテンノーリョー

〓[ノ]




世界大百科事典
応神陵
おうじんりょう

応神天皇を葬ったという恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)に同定されている前方後円墳。ただし《日本書紀》には記載を欠く。大阪府羽曳野市誉田(こんだ)の台地上にほぼ北面して築かれ,三段築成で,両側のくびれ部に造り出しを有する。全長415m,後円部径267m,前方部幅330m,後円部高36m,前方部高35m,墳丘の体積約150万m3をはかる。仁徳陵に次いで,日本第2の大型古墳である。墳丘および中堤には,窖窯(あながま)で焼成された埴輪がめぐる。応神天皇の没年を《日本書紀》に基づいて西暦400年前後とみた場合,埴輪の示す陵の築造年代は没年より四半世紀ほど新しい。この点から,応神天皇の陵墓とみなすことには慎重論もある。あえて誉田山古墳と別称するのは,この理由による。陵の周辺には,アリ山(アリ山古墳),丸山,珠金塚,盾塚などの陪冢群があり,一部は発掘調査されている。東の中堤に接する二ッ塚古墳は,応神陵築造以前にさかのぼる。
[川西 宏幸]

[索引語]
恵我藻伏崗陵 誉田山古墳
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検索コンテンツ
1. 応神天皇陵
日本大百科全書
恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)。誉田陵(こんだりょう)ともいう。大阪府羽曳野(はびきの)市誉田にある前方後円墳、誉田山古墳が応神陵に比定されている ...
2. おうじんてんのう‐りょう[オウジンテンワウ‥]【応神天皇陵】
日本国語大辞典
大阪府羽曳野(はびきの)市誉田(こんだ)にある応神天皇の陵。古市古墳群に属する前方後円墳。全長四一五メートル。封土量は一四三万三九六〇立方メートルで、容積では日 ...
3. ありやまこふん【アリ山古墳】大阪府:藤井寺市/野中村地図
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4. いちのやまこふん【市野山古墳】大阪府:藤井寺市/国府村地図
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5. えが【会賀】大阪府:藤井寺市
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6. えがのもふしのおかのみささぎ【恵我藻伏岡陵】 : 応神天皇
国史大辞典
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7. おうじんてんのう【応神天皇】画像
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8. 大阪(府)画像
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9. 感身学正記 1 西大寺叡尊の自伝 245ページ
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あっ た。近藤孝敏「近木荘の歴史と在地の動向」参照。=誉田社 誉田八幡宮。現羽曳野市誉田。応神天皇陵に治定される誉田山陵(誉田御廟山古 墳。前方後円墳)の後円部 ...
10. こんだごびょうやまこふん【誉田御廟山古墳】大阪府:羽曳野市/誉田村地図
日本歴史地名大系
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11. 誉田八幡宮
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12. こんだ‐はちまんぐう【誉田八幡宮】
日本国語大辞典
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13. こんだはちまんぐう【誉田八幡宮】大阪府:羽曳野市/誉田村地図
日本歴史地名大系
[現]羽曳野市誉田三丁目 誉田御廟山古墳(誉田山陵、応神天皇陵に治定)の後円部南方に境内がある。祭神は誉田別命(応神天皇)。旧府社。永享年間(一四二九―四一)に ...
14. こんだむら【誉田村】大阪府:羽曳野市地図
日本歴史地名大系
丁目・翠鳥園・古市一丁目・誉田など 現羽曳野市の北東端にある。村域北部には誉田御廟山古墳(応神天皇陵に治定)とその陪塚といわれる墓山古墳(国指定史跡)などがあり ...
15. 誉田山古墳
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この古墳の被葬者研究は今後にまたれる。なお、古墳の立地条件を地理学的に検討した年代試案(日下雅義著『「応神天皇陵」近傍の地形環境』)も発表されている。森 浩一 ...
16. 続日本紀 2 199ページ
東洋文庫
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17. 竹内街道
世界大百科事典
みち)の面影をよく残している。《日本書紀》の壬申の乱の記述中にもみえる丹比道は,金岡神社と応神天皇陵後円部を結ぶ直線古道である。近世の竹内街道では,丹比道の東半 ...
18. たなべのはくそん【田辺伯孫】
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田辺史伯孫は古市郡の書首加竜に嫁していた娘が出産したので、聟の家に行って祝賀し、月夜に帰途につき、誉田陵(応神天皇陵)のもとで赤い駿馬に乗った人に出逢った。伯孫 ...
19. たなべの-はくそん【田辺伯孫】
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20. ちゅうきこふん【中期古墳】
国史大辞典
陵古墳(現仁徳天皇陵、墳丘長四八六メートル)、大阪府羽曳野市の誉田(こんだ)御廟山古墳(現応神天皇陵、墳丘長約四一五メートル)や岡山市の造山(つくりやま)古墳( ...
21. つどうしろやまこふん【津堂城山古墳】大阪府:藤井寺市/津堂村地図
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[現]藤井寺市津堂 古市古墳群中最も北に位置し、群中では羽曳野市の誉田御廟山古墳(応神天皇陵に治定)に次ぐ規模をもつ。前方後円墳。国指定史跡。南東面し、墳丘の全 ...
22. どうみょうじ【道明寺】大阪府:藤井寺市/道明寺村地図
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23. どうみょうじむら【道明寺村】大阪府:藤井寺市地図
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24. なかつひめのみこと【仲姫命】
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25. なかつやまこふん【仲津山古墳】大阪府:藤井寺市/沢田村地図
日本歴史地名大系
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26. なかつやまのみささぎ【仲津山陵】 : 仲姫命
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皇后仲姫命は、『日本書紀』『延喜式』などに崩御、陵所などの記載がなく、陵墓の伝説もない。当陵は、応神天皇陵から適当な距離にある巨大古墳を活用して、応神天皇皇后霊 ...
27. 日本書紀 186ページ
日本古典文学全集
延喜八年(九〇八)の玖珂郡戸籍にみえる。田辺史伯孫が娘婿書首加竜の家へ出産祝い訪問の帰途、応神天皇陵で赤い駿馬に逢う。それを所望して自分の馬と交換するが、 ...
28. のなかこふん【野中古墳】大阪府:藤井寺市/野中村地図
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[現]藤井寺市野中三丁目 羽曳野市墓山古墳(応神天皇陵陪冢に治定)の北に近接する。昭和三九年(一九六四)発掘調査が行われた。一辺二八メートル、高さ四メートル、二 ...
29. 土師氏
世界大百科事典
考慮すると,埴輪作りに適したハニのある場所の近くに土師氏が居住し,大王墓が設けられたと考えられる。応神天皇陵古墳を盟主とする古市古墳群が羽曳野丘陵の近傍に所在す ...
30. はびきの【羽曳野】
日本国語大辞典
大阪府中東部の地名。大阪市の住宅衛星都市として発展。イチジク、ブドウなどの果樹栽培が盛ん。応神天皇陵をはじめ前方後円墳の集まった古市古墳群がある。西琳寺、野中寺 ...
31. はびきのし【羽曳野市】
国史大辞典
大阪府の南東部、羽曳野丘陵北辺の台地上に位置する市。市域は歴史遺産に富み、誉田(こんだ)御廟山古墳(応神天皇陵)・大塚山古墳などの巨大古墳を含む古市(ふるいち) ...
32. はびきのし【羽曳野市】大阪府地図
日本歴史地名大系
超える巨大古墳が築造される。堺市の大仙古墳(仁徳天皇陵に治定)と並び著名な誉田御廟山古墳(応神天皇陵に治定)は、市域北西部から藤井寺市にかけて分布する古市古墳群 ...
33. ふじのもりこふん【藤の森古墳】大阪府:藤井寺市/野中村地図
日本歴史地名大系
[現]藤井寺市野中一丁目 羽曳野市の誉田御廟山古墳(応神天皇陵に治定)の西側、大乗川によって形成された谷を隔てた標高約二五メートルの台地上にあった円墳。大阪府水 ...
34. ふるいちこふんぐん【古市古墳群】大阪府:羽曳野市地図
日本歴史地名大系
円墳二五基以上で構成される。群のほぼ中央に位置する、墳丘全長四一五メートルの誉田御廟山古墳(応神天皇陵に治定)は群中最大のものである。群の北半には津堂城山古墳・ ...
35. 邪馬臺国論考 3 65ページ
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陵丘の長さは、二百七十間に及び三重の周浬を有している。次は河内国南河内郡古市村大字誉田なる応神天皇陵で、陵丘の長さ二百二十五間、二重の周浬を有し、第三位は和泉国 ...
36. やまとがわ【大和川】
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37. 和漢三才図会 13 205ページ
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万代八幡宮(百舌鳥神社) 百舌鳥野(堺市百舌鳥赤畑町)にある。俗に万代の字を書くQ 御廟山があり、応神天皇陵というが未詳。応神陵は河州誉田にある。 石津神社( ...
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[現]天王寺区茶臼山町 四天王寺南西、天王寺公園のなかにある比高約八メートルほどの小丘。茶磨山(摂陽群談)・茶磑山(摂津名所図会大成)とも書く。東面して三段築成された前方後円墳とみられ、西側から南側にかけてめぐる河底かわぞこ池は周濠の遺構と推定されている。全長約二〇〇メートルで
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