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国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典

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国史大辞典
六条天皇
ろくじょうてんのう
一一六四 - 七六
一一六五―六八在位。二条天皇の子で、母は伊岐致遠の女。諱は順仁。長寛二年(一一六四)十一月十四日に生まれる。永万元年(一一六五)六月二十五日親王宣下をうけその日に受禅、七月二十七日即位。父二条天皇が病弱であったための即位であったが、国務は祖父の後白河上皇がみた。三年後に五歳で退位。元服以前に太上天皇を称した初例である。安元二年(一一七六)七月十七日に十三歳で死去。
(井上 満郎)

清閑寺陵(せいかんじのみささぎ)

 京都市東山区清閑寺歌ノ中山町にあり、高倉天皇陵と同一陵墓地内の同陵背後の山腹に位置する。安元二年(一一七六)七月二十二日六条天皇を奉葬した。『山槐記』養和元年(一一八一)正月十四日条の高倉天皇奉葬の記事に「今夜渡〓御邦綱卿清閑寺小堂〓、抑是六条院御墓所堂」とあり、当陵に高倉天皇を合葬したと考えられるが、以後の記録には「高倉院法華堂」の名しかないので、高倉院法華堂はのちに別個に設けられたとも思われる。江戸幕府の元禄・享保の諸陵調書は、清閑寺境内に高倉天皇陵所はあるが、六条天皇陵所は不明とする。幕末の修陵にあたり、当所を考定して修補を行い、明治二十八年(一八九五)十月勅使参向して起工奉告祭を行なって、陵内の再修理を行い、翌年竣工した。直径約七メートルの円丘を中央に、間口一二メートル、奥行一〇メートル余の南南西に面する方形に土塀をめぐらし、南面中央に唐門を設けている。
[参考文献]
『六条天皇清閑寺陵・高倉天皇後清閑寺陵之図』(宮内庁書陵部所蔵『陵墓地形図』一二八〔M五四〕)、上野竹次郎『山陵』下、宮内庁編『明治天皇紀』八・九
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
六条天皇
ろくじょうてんのう
[1164―1176]

平安後期の天皇(在位1165~68)。名は順仁(のぶひと)。二条(にじょう)天皇の第二皇子、母は伊岐(いき)氏の娘。父二条から1165年(永万1)2歳のときに譲られて即位。在位中は後白河(ごしらかわ)上皇が院政を行っていた。後白河は、病床にあった平清盛(きよもり)が死んだときに天皇支持派の勢力が策動することを恐れ、68年(仁安3)六条の位を奪い、自分の皇子憲仁(のりひと)親王(高倉(たかくら)天皇)を即位させ、六条を太上(だいじょう)天皇とした。安元(あんげん)2年7月17日死去。墓は京都市東山区清閑寺歌(せいかんじうた)ノ中山(なかやま)町の後清閑寺陵。
[川島茂裕]



日本人名大辞典
六条天皇
ろくじょうてんのう
1164−1176
平安時代後期,第79代天皇。在位1165-68。
長寛2年11月14日生まれ。二条天皇の皇子。母は伊岐致遠(いきの-むねとお)の娘。父の病気で2歳で即位。後白河上皇が院政をおこない,平清盛が太政大臣となる。仁安(にんあん)3年5歳で高倉天皇に譲位。元服以前に太上天皇を称したのは初めて。安元2年7月17日死去。13歳。墓所は清閑寺陵(せいかんじのみささぎ)(京都市東山区)。諱(いみな)は順仁(のぶひと)。
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1. 順仁親王・六条天皇・六条上皇
日本史年表
二条天皇 譲位, 順仁親王(六条天皇) 受禅(百練抄)。 1165年〈永万元(6・5) 乙酉〉 7・27 六条天皇 即位(山槐記)。 1168年〈仁安3 戊子〉 ...
2. 六条天皇
日本大百科全書
平安後期の天皇(在位1165~68)。名は順仁(のぶひと)。二条(にじょう)天皇の第二皇子、母は伊岐(いき)氏の娘。父二条から1165年(永万1)2歳のときに譲 ...
3. ろくじょう‐てんのう[ロクデウテンワウ]【六条天皇】
日本国語大辞典
第七九代天皇。名は順仁(のぶひと)。二条天皇の第二皇子。母は伊岐致遠の女。永万元年(一一六五)に即位し、在位四年にして高倉天皇に譲位した。在位中は祖父後白河上皇 ...
4. ろくじょうてんのう【六条天皇】
国史大辞典
にあり、高倉天皇陵と同一陵墓地内の同陵背後の山腹に位置する。安元二年(一一七六)七月二十二日六条天皇を奉葬した。『山槐記』養和元年(一一八一)正月十四日条の高倉 ...
5. 六條天皇(ろくじょうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 26ページ ...
6. ろくじょうてんのう【六条天皇】
日本人名大辞典
1164−1176 平安時代後期,第79代天皇。在位1165-68。長寛2年11月14日生まれ。二条天皇の皇子。母は伊岐致遠(いきの-むねとお)の娘。父の病気で ...
7. いきの-むねとおの-むすめ【伊岐致遠女】
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?−? 平安時代後期,六条天皇の母。父は伊岐善盛(よしもり)ともいわれる。二条天皇につかえ,長寛2年(1164)順仁(のぶひと)親王(のちの六条天皇)を生む。 ...
8. いくいなのしょう【生夷庄】徳島県:勝浦郡/勝浦町
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道恵に進済するように定めている。仁安三年(一一六八)道恵は当庄などを定慧に譲与している(同年四月二五日六条天皇宣旨案)。元久二年(一二〇五)石清水別当法印権大僧 ...
9. いちだにじんじゃ【櫟谷神社】京都市:西京区/上山田村地図
日本歴史地名大系
年(一一六七)三月二五日「松尾末社櫟谷旅所老尼一人頓死」という記事がみえる。また同年八月には六条天皇の勅により、社の下に死穢ありとして神輿を改造した(顕広王記) ...
10. いつつじどの【五〓殿】
国史大辞典
この時に五辻殿の名をえらんだ。これ以前にも藤原成親の五辻第、皇女(五辻斎院、頌子内親王と推定される)から六条天皇に献ぜられた五辻御所の名が検せられるが、それらと ...
11. いわじんじゃ【伊和神社】兵庫県:宍粟郡/一宮町/須行名村
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羽天皇の神宝等奉幣があり(「殿暦」同年一〇月二九日条)、仁安二年(一一六七)一一月一一日には六条天皇が大神宝使を発遣した(兵範記)。〔播磨国一宮〕文治二年(一一 ...
12. えいまん【永万】
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平安時代、二条天皇、六条天皇の代の年号。天変や疾疫が続出したため長寛三年(一一六五)六月五日改元。後白河上皇の院政時代。翌年八月二七日、仁安(にんあん)と改元さ ...
13. かいのしょう・ふしみのしょう【甲斐庄・伏見庄】大阪府:河内長野市
日本歴史地名大系
り、観音堂と寺領が無品道恵親王から定慧に譲られ、仁安三年(一一六八)四月二五日の宣旨(同日「六条天皇宣旨案」石清水文書)により、その相伝が安堵されている。建久三 ...
14. きゅうしないしんのう【休子内親王】
日本人名大辞典
1157−1171 平安時代後期,後白河天皇の皇女。保元(ほうげん)2年生まれ。仁安(にんあん)元年六条天皇の即位により伊勢斎宮となったが,潔斎期間中の3年天皇 ...
15. 近世俳句集 287ページ
日本古典文学全集
「春の風」によってよく生かされている。季語は「春の風」で春。  南麓にある寺。智積院の末寺で、境内に六条天皇と高倉天皇の陵があり、小督局の塔などもある。京都郊外 ...
16. こうかもんいん【皇嘉門院】画像
国史大辞典
同年七月二十七日条)。そして仁安二年(一一六七)五月同門院は封戸を辞し、所領荘園安堵の宣旨を六条天皇に願った。その所領は門院の父藤原忠通から譲られたところである ...
17. こうかもんいんりょう【皇嘉門院領】 : 皇嘉門院
国史大辞典
同年七月二十七日条)。そして仁安二年(一一六七)五月同門院は封戸を辞し、所領荘園安堵の宣旨を六条天皇に願った。その所領は門院の父藤原忠通から譲られたところである ...
18. このえけ【近衛家】画像
国史大辞典
原忠通の嫡男基実を始祖とする。基実は平清盛の女盛子(白川殿)を娶り、永万元年(一一六五)幼帝六条天皇の摂政となったが、翌仁安元年(一一六六)二十四歳で若死した。 ...
19. こんりょうのきぬ【袞竜衣】画像
国史大辞典
礼服御覧と称して旧物を調査し、補修を加え、不足を新調することとなった。永万元年(一一六五)の六条天皇の礼服御覧について『山槐記』に「男帝御装束一具、大袖一領(赤 ...
20. ごじょうだいりあと【五条内裏跡】京都市:下京区/修徳学区/吉水町地図
日本歴史地名大系
院政期の里内裏の一。六条天皇の五条内裏と、高倉・安徳天皇の五条内裏があるが、「拾芥抄」東京図はこれを区別せず、五条大路南・東洞院大路西・樋口小路北・烏丸小路東の ...
21. ごじょうのだいり【五条内裏】
国史大辞典
(一)五条東洞院殿(ごじょうひがしのとういんどの)  五条殿ともいう。六条天皇および高倉・安徳天皇の二所の里内裏の称。前者は五条大路北、東洞院大路東の一町で、 ...
22. ごじょうひがしのとういんどの【五条東洞院殿】 : 五条内裏/(一)
国史大辞典
(一)五条東洞院殿(ごじょうひがしのとういんどの)  五条殿ともいう。六条天皇および高倉・安徳天皇の二所の里内裏の称。前者は五条大路北、東洞院大路東の一町で、 ...
23. 新古今和歌集 221ページ
日本古典文学全集
上三句、「道」にかかる有意の序詞。正しい政道の行われる世。仁安元年(一一六六)十一月十五日の、六条天皇の大嘗会。→七二四の注一。神前に供える新穀を臼でつきながら ...
24. 清閑寺
世界大百科事典
った。盛時の寺域は東西5町,南北6町と伝え,法華三昧堂や宝塔などを擁し,1176年(安元2)六条天皇,81年(養和1)には高倉天皇が寺内に葬られた。だが,応仁の ...
25. せいかん‐じ【清閑寺】
日本国語大辞典
山号は歌中山。延暦二一年(八〇二)紹継の創建と伝えられる。長徳二年(九九六)一条天皇の勅願寺となった。六条天皇陵、高倉天皇陵、小督局(こごうのつぼね)の墓がある ...
26. せいかんじ【清閑寺】画像
国史大辞典
中興とする。『百錬抄』によれば大治四年(一一二九)十月に焼亡した。その後安元二年(一一七六)六条天皇を、養和元年(一一八一)高倉天皇を寺内に葬った。鎌倉時代には ...
27. せいかんじ【清閑寺】京都市:東山区/清閑寺村地図
日本歴史地名大系
〔清閑寺陵・後清閑寺陵〕大治四年(一一二九)一〇月四日焼亡(百錬抄)、再建後の安元二年(一一七六)六条天皇を、治承五年(一一八一)高倉天皇を寺内に葬った。高倉院 ...
28. せいかんじのみささぎ【清閑寺陵】
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六条天皇(ろくじょうてんのう)  ...
29. せいかんじのみささぎ【清閑寺陵】 : 六条天皇
国史大辞典
にあり、高倉天皇陵と同一陵墓地内の同陵背後の山腹に位置する。安元二年(一一七六)七月二十二日六条天皇を奉葬した。『山槐記』養和元年(一一八一)正月十四日条の高倉 ...
30. せいかんじむら【清閑寺村】京都市:東山区地図
日本歴史地名大系
郷に属し、殊に阿弥陀ヶ峰山麓の地はいわゆる鳥部野葬地に連続して、陵墓など墓地が多く点在する(六条天皇清閑寺陵・高倉天皇後清閑寺陵・小督局墓など)。また明治維新後 ...
31. せきのくつ【〓画像
国史大辞典
は赤革であり、諸臣は黒革としている。『山槐記』永万元年(一一六五)七月十八日条によると六条天皇礼服御覧について「御沓二足被〓加 ...
32. (一)撰集下命者系譜[図版]画像
国史大辞典
一条天皇 後朱雀天皇 後三条天皇 白河天皇 堀河天皇 鳥羽天皇 後白河天皇 近衛天皇 二条天皇 六条天皇 高倉天皇 安徳天皇 守貞親王 (後高倉院) 後堀河天皇 ...
33. 増訂 工芸志料 316ページ
東洋文庫
天皇、六条天皇、高倉天皇、安徳天皇の廿代を経るの間、京師の漆工の業衰えず、諸国に在る所の士民の豪富の者の家屋及び器財を装飾するに、其の美麗にして且つ精密なるを好 ...
34. たいのしょう【田井庄】大阪府:南河内郡/美原町
日本歴史地名大系
途に、半分は光清建立の観音堂の費用にあてることが定められた。仁安三年(一一六八)四月二五日の六条天皇宣旨案(同文書)によると無品道恵親王から定慧に譲られ、元久二 ...
35. 高倉天皇
世界大百科事典
在位1168-80年。名は憲仁(のりひと)。後白河天皇の第7皇子。母は平滋子(建春門院)。1168年(仁安3)六条天皇の譲位を受けて8歳で即位。院政を敷く父法皇 ...
36. たかくらてんのう【高倉天皇】画像
国史大辞典
生誕。永万元年(一一六五)十二月親王宣下、翌仁安元年(一一六六)十月立太子。同三年二月十九日六条天皇の禅りを受け、三月二十日即位。承安元年(一一七一)正月三日元 ...
37. たかくらてんのう【高倉天皇】
日本人名大辞典
在位1168-80。永暦(えいりゃく)2年9月3日生まれ。後白河上皇の皇子。母は平滋子(しげこ)(建春門院)。六条天皇が5歳で譲位し,8歳で即位。平清盛が絶大な ...
38. たかくらどの【高倉殿】
国史大辞典
十月二十八日に忠通は子息の関白基実とともに移徙している(『兵範記』)。特記すべき点は高倉殿が二条天皇と六条天皇の里内裏となったことであろう(『山槐記』応保元年( ...
39. たまもろじんじゃ【玉諸神社】山梨県:甲府市/旧山梨郡地区/国玉村
日本歴史地名大系
与えられて国中豊熟の祈願を行い、その秋が五穀豊饒であったことから勅願所となり、永万元年七月に六条天皇の即位にあたって馬一疋を献上したと伝える。そのため甲斐国司下 ...
40. つちみかどひがしのとういんどの【土御門東洞院殿】
国史大辞典
忠実新造のこの邸を女の高陽院(鳥羽皇后)が御所とし、仁安二年(一一六七)五月から約二ヵ月間は六条天皇の里内裏となった。承安三年(一一七三)から治承三年(一一七九 ...
41. 天皇 系譜2[図版]画像
国史大辞典
延信王 康資王 (白川伯家祖) 三条天皇 敦明親王 (後一条天皇皇太子 小一条院) 二条天皇 六条天皇 禎子内親王 (後朱雀天皇皇后 後三条天皇母) 以仁王 安 ...
42. にじょうてんのう【二条天皇】
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遷されたが、潜かに脱出して平清盛の六波羅邸に入った。永万元年(一一六五)位を皇太子順仁親王(六条天皇)に譲り、七月二十八日崩じた。年二十三。山城香隆寺陵に葬る。 ...
43. 日本年号一覧
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暦年〕1166~1169(平安時代)〔天皇〕六条(ろくじょう)、高倉(たかくら)〔改元理由〕六条天皇の即位による〔改元年月日〕永万(えいまん)2年(1166)8 ...
44. のちのせいかんじのみささぎ【後清閑寺陵】 : 高倉天皇
国史大辞典
山町にある。清閑寺・高倉院法華堂・清閑寺法華堂などといわれてきたが、明治二十九年(一八九六)六条天皇陵と陵域を区分し、現陵号を設けた。『山槐記』『高倉院升遐記』 ...
45. 憲仁親王・高倉天皇・高倉上皇
日本史年表
後白河上皇の皇子 憲仁親王 を皇太子とする(兵範記)。 1168年〈仁安3 戊子〉 2・19 六条天皇 譲位, 憲仁親王(高倉天皇) 受禅(玉葉)。 1168年 ...
46. ひがしやまさんじゅうろっぽう【東山三十六峰】京都市:総論/東山地図
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本廟が所在)・清水山(音羽山とも。清水寺・地主神社が所在)・清閑寺山(歌の中山とも。清閑寺・六条天皇陵・高倉天皇陵が所在)・阿弥陀ヶ峰(標高約一九三メートル。山 ...
47. ふじわらの-いくし【藤原育子】
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応保元年(1161)入内(じゅだい),2年中宮(ちゅうぐう)。子がなく,順仁(のぶひと)親王(六条天皇)の養母をつとめる。承安(じょうあん)2年皇后宮にうつった ...
48. ふじわらの-くにこ【藤原邦子】
日本人名大辞典
?−? 平安時代後期の女官。藤原邦綱の娘。六条天皇,高倉天皇の乳母をつとめる。永万元年(1165)典侍となり,のち従三位。別当三位とよばれた。 ...
49. 藤原邦綱
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政基実に仕えたが,とくにその室平盛子(清盛の女)の後見人となって清盛に親近し,また女の成子を六条天皇の,邦子を高倉天皇の,輔子を安徳天皇の乳母とし,3天皇の養育 ...
50. ふじわらのもとざね【藤原基実】
国史大辞典
(九歳)と結婚。清盛の摂関家と結ぶ政策の一環であった。同年左大臣を辞す。永万元年(一一六五)六条天皇の摂政。仁安元年(一一六六)七月二十六日没。二十四歳。船岡辺 ...
「六条天皇」の情報だけではなく、「六条天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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