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国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
伏見天皇
ふしみてんのう
一二六五 - 一三一七
一二八七―九八在位。名は煕仁(ひろひと)。文永二年(一二六五)四月二十三日誕生。後深草天皇の第二皇子、母は左大臣洞院実雄の娘玄輝門院〓子。建治元年(一二七五)十一月、大覚寺統の後宇多天皇の東宮となり、弘安十年(一二八七)十月二十一日、二十三歳で践祚。正応元年(一二八八)三月十五日即位、翌二年には天皇の第一皇子胤仁親王の立太子が実現し、持明院統は春を迎えたが、両統の対立・軋轢は一段と激化した。天皇は十三ヵ条の新制発布など政道刷新に努めた。しかし天皇側近の京極為兼が関東申次西園寺実兼と対立し、実兼は大覚寺統に接近して鎌倉幕府の干渉も強くなり形勢が逆転した。天皇は永仁六年(一二九八)七月二十二日に譲位となり、御子の後伏見天皇も在位三年たらずで退位し、皇位は大覚寺統の後二条天皇に移った。しかし持明院統の幕府に対するまき返しが成功して伏見上皇の第二皇子富仁親王が東宮に立ち、延慶元年(一三〇八)八月に践祚した(花園天皇)。これで伏見上皇の再度の院政となったが、上皇は正和二年(一三一三)十月に出家(法名素融)、文保元年(一三一七)九月三日、五十三歳で崩じた。陵墓は京都市伏見区深草坊町の深草北陵。これで持明院統は中核を失い、上皇が抵抗していたいわゆる「文保の御和談」や室町院領の伝領問題も未解決のまま残された。天皇は両統迭立問題については終始強い主張を貫き、政道刷新・門閥打破などに卓見を示した。また学問・文芸に優れ、和歌は京極為兼を師とし、多くの秀詠があり『伏見院御集』などの歌集もある。みずから和歌集の勅撰を企画し、正和二年に『玉葉和歌集』が撰進された。書もその当時藤原行成以上との評があり、日本書道史上有数の能書家である。日記に『伏見天皇宸記』(『天聴御記』)がある。→深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
[参考文献]
『神皇正統記』、『増鏡』九・一〇・一二、三浦周行『鎌倉時代史』(『日本史の研究』新輯一)、竜粛『鎌倉時代』下、水戸部正男『公家新制の研究』、矢野太郎『伏見天皇宸記』解題(『(増補)史料大成』三)、肥後和男「伏見天皇」(『歴代天皇紀』所収)、和田英松「皇室と文学」(『国史説苑』所収)
(飯田 久雄)


日本大百科全書(ニッポニカ)
伏見天皇
ふしみてんのう
[1265―1317]

鎌倉時代後期の天皇(在位1287~98)。名は煕仁(ひろひと)。持明(じみょう)院統の後深草(ごふかくさ)天皇の第2皇子。母は玄輝門院〓子(げんきもんいんいんし)。1275年(建治1)大覚寺(だいかくじ)統の後宇多(ごうだ)天皇の皇太子となり、87年(弘安10)即位。両統が交互に皇位につく例を開いた(両統迭立)。90年(正応3)までは後深草上皇の院政で、以後親政を行った。譲位後、後伏見・花園(はなぞの)両朝の院政を1313年(正和2)までとった。和歌と書にも優れ、京極為兼(きょうごくためかね)に『玉葉(ぎょくよう)和歌集』を撰修(せんしゅう)させた。日記『伏見院御記』があり、一部現存する。文保(ぶんぽう)元年9月3日没。御陵は京都市伏見区深草北陵。
[佐々木久彦]



世界大百科事典
伏見天皇
ふしみてんのう
1265-1317(文永2-文保1)

第92代に数えられる天皇。在位1287-98年。89代後深草天皇の第2皇子。母は洞院実雄の娘玄輝門院〓子。諱(いみな)は煕仁,持明院殿と称された。1287年(弘安10)10月践祚,翌年3月即位すると親政をしき,鎌倉末期の公家政治振興に努めた。院評定衆の代りに宮中に議定衆をおき,記録所に庭中訴訟を聞くなど,当時としては政治を刷新するものであった。このころ皇統が持明院・大覚寺両統に分かれ,皇位継承問題から激しい政争があった中で,伏見天皇は持明院統の地位を確立した。和歌,書道にすぐれ,和歌では京極為兼を側近として歌壇を形成し,《玉葉和歌集》を勅撰させた。書道は流麗な筆跡で伏見院流とよばれ,その和歌切は広沢切と称されて尊重されている。1313年(正和2)落飾して法諱を素融といった。《伏見院御集》という歌集のほかに,日記《伏見院宸記》や文書が残っている。陵墓は京都市伏見区深草坊町の深草北陵。
[飯倉 晴武]

[索引語]
持明院殿 持明院統 伏見院流 広沢切
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鎌倉中期の歌人。祖父は藤原雅経。鎌倉幕府に関係が深く、京都と鎌倉を往返している。伏見天皇の代、京極為兼らとともに勅撰集撰者を命ぜられたが、撰集作業は中絶した。家 ...
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43. 尼崎[市]
世界大百科事典
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44. あまがさき【尼崎】兵庫県:尼崎市
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45. ありかわむら【有川村】鹿児島県:姶良郡/溝辺町
日本歴史地名大系
ら(前掲図田帳など)、石清水八幡宮関係の史料に在河が散見する。永仁二年(一二九四)二月九日の伏見天皇綸旨案(石清水文書)には、正八幡宮領大隅国在河名主職を社家の ...
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国史大辞典
これより先嘉元二年(一三〇四)後深草天皇がなくなった時、深草法華堂を造建してここに葬った。その後、伏見天皇以下多くの天皇をこの法華堂に葬ったが、この寺も後花園天 ...
47. あんらくぎよういんあと【安楽行院跡】京都市:伏見区/深草村地図
日本歴史地名大系
持明院邸に住することが多く、また陳子所生の後堀河天皇もこの邸を仙洞とした。その後も後嵯峨・後深草・伏見天皇などが仙洞とすることが多かったことから、この皇統を持明 ...
48. いいむろふどうどう【飯室不動堂】滋賀県:大津市/北部地域/延暦寺/横川飯室谷
日本歴史地名大系
深めていくが(山門堂舎記)、その後は明らかではない。しかし不動堂所蔵の足利尊氏書状によれば、後伏見天皇の第一一皇子の尊道親王がこの妙香院に在住、御門跡とよばれて ...
49. いおのむら【五百野村】三重県:安芸郡/美里村
日本歴史地名大系
南半は平坦地となっている。平地の東側の山沿いと長野川沿いに集落がある。永仁五年(一二九七)の伏見天皇綸旨案(八坂神社文書)に「五百野御厨」と現れる。建武二年(一 ...
50. いかわのしょう【伊川庄】兵庫県:神戸市/西区
日本歴史地名大系
読誦を各七日間行うことを求めている(領家下文写)。文和五年(一三五六)三月一一日広義門院(後伏見天皇女御寧子)が御領について示し置いたなかに当庄があり、大蔵卿局 ...
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