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国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典

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国史大辞典
後二条天皇
ごにじょうてんのう
一二八五 - 一三〇八
一三〇一―〇八在位。名、邦治(くにはる)。弘安八年(一二八五)二月二日生まれる。父は大覚寺統の後宇多天皇。母は亀山天皇の女御准三宮近衛位子(新陽明門院)の官女、前内大臣堀川具守の娘(後年、西華門院と宣下されたときに基子と名付けられた)。天皇は、後醍醐天皇の異母兄にあたる。弘安九年十月二十五日親王宣下、永仁六年(一二九八)六月二十七日元服、同八月十日持明院統の後伏見天皇の東宮となった。これより先、持明院統の伏見天皇は即位後に自分の子(後伏見天皇)を東宮に立てた。大覚寺統では、この決定は後嵯峨上皇の遺志に反するとして、吉田定房を使者にし鎌倉幕府に訴えた。この結果、次の後伏見天皇の即位に際して、大覚寺統の後二条天皇の立太子が実現することになったのである。正安三年(一三〇一)正月二十一日受禅、同年三月二十四日即位。治世中は父後宇多天皇が院政をとり、東宮には持明院統の皇子(花園天皇)が立った。延慶元年(一三〇八)八月二十五日、二条高倉内裏で崩じた。二十四歳。同二十八日、北白河陵に葬る。中宮は、前太政大臣徳大寺公孝の娘忻子(長楽門院)。後宮にはほかに、尚侍として前左大臣一条実経の娘〓子(万秋門院)、典侍としては後醍醐天皇即位時に東宮に立った邦良親王の母、前参議藤原宗親の娘宗子がいる。家集に『後二条院御集』(原題『愚藻』、原本は京都御所東山御文庫所蔵)があり、『列聖全集』御製集三、『桂宮本叢書』二〇に所収。勅撰和歌集に十二首収録。また『後二条院御歌合』は、大覚寺統の二条流歌人たちの歌合である。
(益田 宗)

北白河陵(きたしらかわのみささぎ)

 京都市左京区北白川追分町にある。陵は円墳で南面し、周囲に空堀がある。延慶元年(一三〇八)八月二十八日に北白川殿にて火葬し、その所を陵とした。その後荒廃したが、現地では福塚と称して伝えられ、元禄の幕府探陵の際は陵に擬せられ、幕末修陵の時には陵と定めて修補を加えた。西南に接して第一皇子邦良親王(後醍醐天皇皇太子)の墓がある。なお、父後宇多天皇の遺言により、同天皇蓮華峰寺陵に分骨が納められている。
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』下、谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)
(中村 一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後二条天皇
ごにじょうてんのう
[1285―1308]

第94代天皇(在位1301~08)。名は邦治(くにはる)。後宇多(ごうだ)天皇の第1皇子。母は西華門院源基子(もとこ)(父堀河具守(とももり))。1298年(永仁6)立太子。92代伏見(ふしみ)、93代後伏見天皇と持明院(じみょういん)統側が2代続いて皇位についたので、大覚寺(だいかくじ)統の後宇多上皇は鎌倉幕府を責めて、両統迭立(てつりつ)の法をたてさせた。その結果、1301年(正安3)1月践祚(せんそ)、3月即位した。治世中は父上皇が院政を行い、東宮には持明院統の富仁(とみひと)親王(花園(はなぞの)天皇)が立った。陵墓は京都市左京区北白川の北白河陵。歌集『後二条院御集』『後二条院御百首』などがある。
[小野信二]



日本人名大辞典
後二条天皇
ごにじょうてんのう
1285−1308
鎌倉時代,第94代天皇。在位1301-08。
弘安(こうあん)8年2月2日生まれ。後宇多天皇の第1皇子。母は源基子(きし)(西華門院)。持明院統の天皇が伏見・後伏見と2代つづいたあと即位した大覚寺統の天皇。父が院政をしく。この時期,両統の対立はいよいよ激化,大覚寺統内も二分,三分する混乱のなか,徳治(とくじ)3年8月25日急死した。24歳。墓所は北白河陵(きたしらかわのみささぎ)(京都市左京区)。諱(いみな)は邦治(くにはる)。歌集に「後二条院御集」など。
【格言など】人としていかでか世にもありふべき五(いつつ)の常のみちはなれては(「後二条院御百首」)
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日本国語大辞典
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22. きたしらかわりょう【北白河陵】京都市:左京区/白川村地図
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って、この古写本こそが通行本の祖本であると考えられる。なお、検非違使別当の補任については、後二条天皇までは『一代要記』、後土御門天皇までは『歴代皇紀』、光格天皇 ...
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46. ごふしみてんのう【後伏見天皇】画像
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翌三年正月二十一日、関東申次(もうしつぎ)西園寺実兼の画策によって立てられていた大覚寺統の東宮(後二条天皇)に譲位。後二条天皇の東宮として、後伏見上皇の弟にあた ...
47. ごふしみてんのう【後伏見天皇】
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うける。嘉元(かげん)3年(1305)東寺長者,4年醍醐寺座主(ざす)となる。大僧正。この間,後二条天皇の護持僧をつとめた。延慶(えんきょう)元年11月3日死去 ...
49. 西園寺実兼
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るなど、持明院統を支えた。しかし京極為兼(きょうごくためかね)との対立から大覚寺統に接近、後二条天皇の即位を実現させ、娘を亀山院の後宮(こうきゅう)に入れた(昭 ...
50. さいおんじさねかね【西園寺実兼】画像
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皇太子に後宇多上皇皇子邦治親王を立てて譲位を奏請し、正安三年(一三〇一)正月邦治親王が即位(後二条天皇)した。それと前後して女瑛子を亀山上皇の後宮に入れている。 ...
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