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国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典

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国史大辞典
後円融天皇
ごえんゆうてんのう
一三五八 - 九三
一三七一―八二北朝在位。延文三年(一三五八)十二月十二日後光厳天皇の第二皇子として誕生。母は広橋兼綱の女崇賢門院藤原仲子(実父は石清水八幡宮祠官紀通清)。応安四年(一三七一)三月二十一日親王宣下あり、緒仁(おひと)と命名、同月二十三日父帝の譲りをうけて土御門内裏において践祚した。これより先、延文二年二月京都に帰還した崇光上皇は、持明院統の正嫡である自分の皇子(伏見宮栄仁親王)を後光厳天皇の次に皇位につけるべく室町幕府に働きかけたが、幕府は戦陣の間に苦楽をともにした後光厳天皇の意志を尊重せざるを得ず、緒仁親王の践祚を支持したのである。天皇は在位十一年余、永徳二年(一三八二)四月十一日皇子幹仁親王(後小松天皇)に譲位し、形式的ながら院政を開いた。ようやく体制を固めた幕府は、明徳三年(元中九、一三九二)閏十月南北両朝の合一に成功したが、上皇は翌四年四月二十六日、小川仙洞御所(故勧修寺経顕宿所)において崩御、即刻落飾して法号を光浄と称した。追号は遺勅により後円融院と定められた。時に年三十六。翌二十七日泉涌寺において火葬に付し、遺骨を深草法華堂に納めた。現在の深草北陵である。天皇の日記が『田記』と称して尊重されたことは、『建内記』(永享十一年(一四三九)二月二日条)にみえるが、現在は永徳元年・同二年・同四年の記文を若干伝えるにすぎない。また泉涌寺雲竜院に蔵する後円融院宸影(重要文化財)は、明応元年(一四九二)天皇の百年聖忌に際し、絵所預土佐光信が古図によって画き、同八年後土御門天皇が雲竜院主の奏請を納れて賛語を直筆したものであるという(『実隆公記』明応八年四月条)。→深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
[参考文献]
『大日本史料』七ノ一 明徳四年四月二十六日条、岩橋小弥太「土佐光信の一遺作―後円融天皇宸影―」(『仏教美術』一六)
(橋本 義彦)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後円融天皇
ごえんゆうてんのう
[1358―1393]

北朝第5代天皇(在位1371~82)。名は緒仁(おひと)、法名光浄。後光厳(ごこうごん)天皇の第2皇子。母は崇賢門院藤原仲子(父広橋兼綱)。1371年(応安4)3月践祚(せんそ)、74年12月即位した。82年(永徳2)太子幹仁(もとひと)(後小松(ごこまつ)天皇)に譲位、院政を行った。当時の情勢はわりあい安定、そのため北朝の天皇としては平穏な生活を送り、和歌をよくし、『新後拾遺(しんごしゅうい)和歌集』を勅撰(ちょくせん)させた。陵墓は京都市伏見(ふしみ)区深草坊町にある深草北陵。
[小野信二]



日本人名大辞典
後円融天皇
ごえんゆうてんのう
1359*−1393
南北朝時代,北朝第5代天皇。在位1371-82。
延文3=正平(しょうへい)13年12月12日生まれ。後光厳(ごこうごん)天皇の第2皇子。母は藤原仲子(崇賢門院)。父のあと即位。在位11年で6歳の皇子幹仁(もとひと)(後小松天皇)に譲位し,院政をおこなった。3代将軍足利義満の時代で,室町幕府の体制も安定し,明徳3年南北朝の合一がなった。能書家としても知られる。明徳4年4月26日死去。36歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は緒仁(おひと)。法名は光浄。歌集に「後円融院御百首」,日記に「後円融院御記」。
【格言など】しぐれゆく外山(とやま)の雲に鳴く鹿の思ひや晴れぬ秋の夕ぐれ(「新続古今和歌集」)
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検索コンテンツ
1. 後円融天皇
日本大百科全書
北朝第5代天皇(在位1371~82)。名は緒仁(おひと)、法名光浄。後光厳(ごこうごん)天皇の第2皇子。母は崇賢門院藤原仲子(父広橋兼綱)。1371年(応安4) ...
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3. ごえんゆう‐てんのう[ゴヱンユウテンワウ]【後円融天皇】
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4. ごえんゆうてんのう【後円融天皇】画像
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[参考文献]『大日本史料』七ノ一 明徳四年四月二十六日条、岩橋小弥太「土佐光信の一遺作―後円融天皇宸影―」(『仏教美術』一六) (橋本 義彦)  ...
5. 後圓融天皇(ごえんゆうてんのう)
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14. あしかがよしみつ【足利義満】画像
国史大辞典
統制した。かくしてようやく世は平穏に復し義満は同二年正月従一位に昇り、翌永徳元年(一三八一)三月後円融天皇を室町第に迎え、六月二十六日内大臣に任ぜられた。このこ ...
15. 排蘆小船(近世随想集) 380ページ
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隆公、和漢の才ありて、ことに歌学に達し詠歌も優れたまへり。この人まことに歌道の  があり、後円融天皇の勅命により為遠が撰進の業を行ったが、永徳元年に頓死、為重が ...
16. あじろのしょう【足代庄】大阪府:東大阪市/旧布施市地区/東足代村
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南北朝末の康暦二年(一三八〇)には、妙心寺玉鳳院が美濃国五ヵ郷の替地として当庄を寄進された(同年三月二〇日「後円融天皇綸旨」同文書)。室町時代に奈良興福寺大乗院 ...
17. あんていき【安定期】 : 室町幕府
国史大辞典
康暦の政変で頼之が野に降った翌二年六月ごろ、義満は北小路室町の室町第をほぼ完成、永徳元年三月には後円融天皇をここに迎え、翌月落慶供養の式を行なった。これは焼失し ...
18. うすきのしょう【臼杵庄】大分県:臼杵市
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られる。なお永和元年(一三七五)七月五日、臼杵・戸次両庄は後円融天皇から京都妙心寺玉鳳院に造営料として寄付されているが(「後円融天皇綸旨」玉鳳院文書)、その理由 ...
19. うたのほ・うたののしょう【打穴保・打穴庄】岡山県:久米郡/中央町
日本歴史地名大系
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20. えいとく【永徳】
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南北朝時代、北朝の後円融天皇、後小松天皇の代の年号。康暦三年(一三八一)二月二四日辛酉革命により改元。南朝の長慶天皇、後亀山天皇の弘和年間にあたる。永徳四年(一 ...
21. えいとくじ【永徳寺】岩手県:胆沢郡/金ヶ崎町/永徳寺村
日本歴史地名大系
きかったことが知られるが、その後はしだいに両寺独自の発展を遂げる。なお応安五年(一三七二)後円融天皇の綸旨により出世道場として認められ、このとき将軍足利義満から ...
22. 永平寺画像
日本大百科全書
山中に一偉観を呈している。伽藍の大部分は近代の建築であるが、山門は1749年(寛延2)の建造で、後円融天皇の勅額「日本曹洞第一道場」(国の重要文化財)が掲げられ ...
23. 永平寺
世界大百科事典
代々永平寺は,中世を通して寂円派の法孫によって一流相続された。72年(文中1・応安5)北朝後円融天皇より〈日本曹洞第一道場〉の勅額および出世道場の綸旨を賜った。 ...
24. えいわ【永和】
日本国語大辞典
北朝の後円融天皇の代の年号。応安八年(一三七五)二月二七日改元。南朝の長慶天皇の文中四年から天授五年にあたる。永和五年(一三七九)三月二二日康暦(こうりゃく)と ...
25. えいわ【永和】
国史大辞典
後円融天皇の時の年号(一三七五―七九)。応安八年二月二十七日改元。即位による。権中納言藤原忠光の勘申。出典は『尚書』舜典「詩言〓志 ...
26. えんぎょうじ【円教寺】兵庫県:姫路市/旧飾磨郡地区/東坂本村
日本歴史地名大系
女人禁制の院宣などが出された。慈伝は当寺の蓮花坊快運について出家したのち東国や京都で学び、後円融天皇ほかに敬信され、播磨国では米田(現高砂市)の定願寺を拠点とし ...
27. えんつうじ【円通寺】兵庫県:氷上郡/氷上町/御油村
日本歴史地名大系
志)。永徳二年(一三八二)室町幕府将軍足利義満の建立、足利尊氏の第四子英仲の開山と伝える。後円融天皇の勅願所となり、後小松天皇も同師に深く帰依し、南北朝合一を祈 ...
28. おしたてほ【押立保】滋賀県:愛知郡/湖東町
日本歴史地名大系
家年貢の究済が山城大夫判官に命じられている(引付頭人奉書)。永徳元年(一三八一)七月一七日後円融天皇の即位に伴い、当保の領家職の半済が停止され、一円に返付された ...
29. おみのまき【麻続牧】岐阜県:加茂郡
日本歴史地名大系
濃国麻続牧東方」と出てくる。この廬山寺領麻続牧東方は、以後永和三年(一三七七)八月二七日の後円融天皇綸旨(同文書)をはじめ、足利義満・義持・義政などの御教書・下 ...
30. おやけのしょう【小宅庄】兵庫県:龍野市
日本歴史地名大系
文和三年閏一〇月三日および永和二年(一三七六)閏七月一〇日には大嘗会米の免除が認められている(「後円融天皇綸旨案」同文書など)。応永一一年(一四〇四)九月二六日 ...
31. かかのしょう【加賀庄】島根県:八束郡/島根町
日本歴史地名大系
認める裁定も下されたが(貞治五年一一月一四日「室町幕府引付頭人奉書写」・永徳元年七月一八日「後円融天皇綸旨写」・推定天文二〇年五月二三日「後奈良天皇綸旨」同文書 ...
32. 兼宣公記
世界大百科事典
9)の日記。別称《宣記》。1387-1428(元中4・嘉慶1-正長1)の記事がある。兼宣は後円融天皇の外戚にあたり,武家伝奏の役も務めて朝廷と幕府の連絡にもあた ...
33. かねのぶこうき【兼宣公記】
国史大辞典
他があり、正記の誤脱を補訂し得る。著者兼宣は、伯母仲子(崇賢門院)が後光厳天皇の後宮にして後円融天皇の生母であり、彼はまた足利将軍義満および義持に忠勤して栄達し ...
34. かふむら【加符村】千葉県:佐原市/多田村
日本歴史地名大系
は当村を含む香取社領一四ヵ村が千葉氏の被官中村氏により押領されている。応安七年(一三七四)後円融天皇の即位段銭が賦課されたが、織幡・加符・多田の三ヵ村は「公家・ ...
35. かるみごう【軽海郷】岐阜県:本巣郡/真正町/軽海村
日本歴史地名大系
応永一五年(一四〇八)に再び大館氏に返付されていたと主張していた。南御所料目録(宝鏡寺文書)に、後円融天皇の母崇賢門院(藤原仲子)からの伝領分として「軽美 三〇 ...
36. 菊十首和歌(著作ID:147693)
新日本古典籍データベース
きくじっしゅわか 後円融天皇(ごえんゆうてんのう) 正親町三条実継(おおぎまちさんじょうさねつぐ) 等 永和二 ...
37. きたじまほ・たちばなじまほ【北島保・橘島保】石川県:松任市/北島村
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同七年九月九日にも再度依頼があり、申付の実効は上がらなかったようである(天文日記)。なお柳原家記録所収の後円融天皇綸旨案にみえる「小島保西方」の「小島」は「北島 ...
38. 御会和歌(著作ID:4400290)
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39. くしひのみくりや・くしひのしょう・くしひほ【櫛比御厨・櫛比庄・櫛比保】石川県:鳳至郡/門前町
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三分の一の下地が京都新熊野社に寄進され、同年三月に同社の範恵に安堵されている(同月二五日「後円融天皇綸旨」新熊野神社文書)。その後伊勢内宮への納入は滞るようにな ...
40. くずはらのまき・おおつきごう【葛原牧・大槻郷】千葉県:佐原市
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護千葉満胤)方に口添えすると約束している(同年三月日聖応等連署願文)。応安四年(一三七一)後円融天皇即位段銭が賦課されたが、同七年大槻郷一二ヵ村のうち織幡・加符 ...
41. ぐんげのしょう【郡家庄】兵庫県:篠山市/旧篠山町地区/郡家村
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43. 皇代記
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46. こうりゃく【康暦】
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南朝の長慶天皇、後亀山天皇の代の年号。天授七年(一三八一)二月一〇日、辛酉革命により改元。北朝の後円融天皇、後小松天皇の代の永徳元~四年にあたる。弘和三年一〇月 ...
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正平六年(一三五一)十二月、後院領御膳所神崎荘のことに綸旨を下した。応安七年(一三七四)八月、後円融天皇は、朱雀院の竈神殿などの押妨について、大納言典侍の訴えを ...
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50. 後小松天皇
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