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国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典

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国史大辞典
称光天皇
しょうこうてんのう
一四〇一 - 二八
一四一二―二八在位。応永八年(一四〇一)三月二十九日、後小松天皇の第一皇子として生まれる。母は日野資国の女資子(光範門院)。諱は躬仁(みひと)、のち実仁。同十八年親王宣下、元服。翌十九年八月二十九日後小松天皇の譲りを受けて践祚、二十一年十二月十九日即位。外祖父資国の妹業子は足利義満の正室、資国の姪康子も義満の室で後小松天皇の准母、康子の妹栄子は足利義持の正室で称光天皇の准母である。日野氏を媒介にこれほど足利氏と密着した天皇は例がなく、なかば将軍家の一族とさえいえる。また在位中ずっと父の院政が続いており、政務に特筆すべき事蹟はない。生来病気がちで、晩年には弟小川宮の急死や父との不和の上に精神異常の徴候もあって、幸うすい生涯だった。新内侍・別当局との間に一人ずつの女子を儲けたが、母子ともに事蹟は不明。正長元年(一四二八)七月二十日、二十八歳で早世。法名大宝寿。追号は称徳・光仁の上一字ずつをとったもの。皇子なく、伏見宮貞成親王(後崇光院)の皇子彦仁王が後小松上皇の猶子となって、同月二十八日践祚した(後花園天皇)。同二十九日泉涌寺で荼毘に付され、のち深草北陵に葬られた。→深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
[参考文献]
村田正志『証註椿葉記』(『村田正志著作集』四)
(村井 章介)


世界大百科事典
称光天皇
しょうこうてんのう
1401-28(応永8-正長1)

室町時代初期の,第101代に数えられる天皇。在位1414-28年。名は実仁(みひと)。法諱(ほうき)は大宝寿。後小松天皇の第1皇子。生母は日野資国の娘資子(光範門院)。1412年(応永19)後小松天皇より受禅,14年12月即位。28年7月20日死去。後嗣がなく,後小松院は伏見宮貞成(さだふさ)親王の第1王子彦仁(ひこひと)王(後花園天皇)を猶子として皇位を継がせた。生前病弱のため政務に実績なく,また激しい気質で奇矯の言動が目だったことは《看聞(かんもん)日記》など当代の日記にくわしい。陵は京都市伏見区深草坊町の深草北陵。
[横井 清]



日本人名大辞典
称光天皇
しょうこうてんのう
1401−1428
室町時代,第101代天皇。在位1412-28。
応永8年3月29日生まれ。後小松天皇の第1皇子。母は藤原資子(光範門院)。持明院統の父の譲位をうけて即位し,父が院政をおこなう。父の代に実現した南北朝合一の条件である持明院(北朝)・大覚寺(南朝)両統迭立(てつりつ)に反すると非難され抗争がおきた。生来病弱で,皇子はなく,皇位継承などをめぐって父と対立したまま,正長(しょうちょう)元年7月20日死去。28歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は躬仁(みひと),実仁。法名は大宝寿。
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検索コンテンツ
1. 称光天皇
日本大百科全書
第101代天皇(在位1412~28)。名は実仁(みひと)、躬仁(みひと)。法諱(ほうい)大宝寿。後小松(ごこまつ)天皇の第2皇子。母は光範門院藤原資子(すけこ) ...
2. 称光天皇
世界大百科事典
1401-28(応永8-正長1) 室町時代初期の,第101代に数えられる天皇。在位1414-28年。名は実仁(みひと)。法諱(ほうき)は大宝寿。後小松天皇の第1 ...
3. しょうこう‐てんのう[ショウクヮウテンワウ]【称光天皇】
日本国語大辞典
第一〇一代の天皇。後小松天皇の第一皇子。名は実仁(みひと)。応永一九年(一四一二)践祚(せんそ)し、二年後に即位。正長元年(一四二八)七月、嗣子がなかったため弟 ...
4. しょうこうてんのう【称光天皇】画像
国史大辞典
外祖父資国の妹業子は足利義満の正室、資国の姪康子も義満の室で後小松天皇の准母、康子の妹栄子は足利義持の正室で称光天皇の准母である。日野氏を媒介にこれほど足利氏と ...
5. 称光天皇
日本史年表
1427年〈応永34 丁未〉 1・12 称光天皇 ,初めて禁中で猿楽を催す(満済)。 1428年〈正長元(4・27) 戊申③〉 7・20 没。  ...
6. 稱光天皇(しょうこうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 36ページ ...
7. しょうこうてんのう【称光天皇】
日本人名大辞典
1401−1428 室町時代,第101代天皇。在位1412-28。応永8年3月29日生まれ。後小松天皇の第1皇子。母は藤原資子(光範門院)。持明院統の父の譲位を ...
8. 稱光天皇諡 (見出し語:稱光天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 950ページ ...
9. 称光天皇花押[図版]画像
国史大辞典
 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
10. 称光天皇御即位次第(著作ID:2973220)
新日本古典籍データベース
しょうこうてんのうごそくいしだい 一条経嗣(いちじょうつねつぐ) 記録 応永二一 ...
11. 称光天皇宸翰御文(著作ID:1245030)
新日本古典籍データベース
しょうこうてんのうしんかんおんふみ 書簡  ...
12. 称光天皇諒闇記(著作ID:2973231)
新日本古典籍データベース
しょうこうてんのうりょうあんき 一条兼良(いちじょうかねよし) 記録  ...
13. あさひほんしょう【上日本庄】石川県:鹿島郡/鹿島町/浅井村
日本歴史地名大系
応永一四年(一四〇七)三月院庁官島田益道が注進した長講堂領目録(同文書)によれば、年貢米が三〇石、同二〇年称光天皇の践祚にあたり室町幕府に遣わされた長講堂領目録 ...
14. あざみむら【阿佐美村】群馬県:新田郡/笠懸村
日本歴史地名大系
知行化していた(年月日未詳「岩松持国知行分注文」同文書)。応永二二年(一四一五)八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)によると、阿佐美郷八町六反四〇 ...
15. 足利義教
世界大百科事典
4日赤松満祐に誘殺された(嘉吉の乱)。法号は普広院善山道恵。義教は朝廷にも積極的に介入した。称光天皇が没したあと,男子がなかったため伏見宮貞成親王の子を立てて天 ...
16. いじらのしょう【伊自良庄】岐阜県:山県郡/伊自良村
日本歴史地名大系
崇光上皇院宣」大徳寺文書)。正長元年(一四二八)頃、当庄は一時光範門院資子(後小松上皇後宮・称光天皇母)の管理に属し、現地の代官土岐氏の使者大嶋入道が年貢三万疋 ...
17. いちじいっせききょう【一字一石経】
国史大辞典
七月十六日条に「奉〓為先帝(称光天皇〓公卿殿上人等向 ...
18. 一休和尚年譜 1 133ページ
東洋文庫
日、後小松天皇は称光天皇に譲位した。それ以後、院の一休に対する帰依は愈よ篤くなり、時々召しては禅話を交わした。「蒼梧」は、中国舜帝が死亡した地で、天皇が崩御する ...
19. 一休和尚年譜 1 135ページ
東洋文庫
それ以前からの希望を入れて四月十六日に親王宣下がなされた。 この頃、称光天皇と後小松院の間に疎隔があり、同年六月末に称光天皇が退位出家を図って逐電する事件が起き ...
20. 一休和尚年譜 1 136ページ
東洋文庫
参議左中将に任じ、征夷大将軍に補せられた。 こうした激しい動ぎのなか、正長元年七月十一日、畠山満家らが称光天皇の病気が重いことから、その継承者について、関白二条 ...
21. 一休和尚年譜 1 279ページ
東洋文庫
担う人であること、あるいは皇室との関係が強調されている。応永三十四年(一四二七)条の、後小松院が称光天皇の後に誰を天皇とするかについて一休に諮り、伏見宮彦仁王を ...
22. 一休和尚年譜 2 6ページ
東洋文庫
161,210,234松源派 II-154紹固 II-124正広 II-126勝剛長柔 1-243称光天皇 1-133相国寺 1-255,290,II-140床 ...
23. いまいごう【今井郷】群馬県:新田郡/尾島町
日本歴史地名大系
ている。給分のなかには政所給分・定使免などのほかに堰免も計上されている。同二二年八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)には「新田庄今井郷公田五十町 ...
24. いよのつぼね【伊予局(1)】
日本人名大辞典
室町時代の女官。持明院基親(もとちか)の娘。権(ごんの)大納言正親町実秀(おおぎまち-さねひで)の猶子。称光天皇(在位1412-28)の後宮にはいり,皇女を生ん ...
25. いわせがわむら【岩瀬川村】群馬県:太田市
日本歴史地名大系
田二町九反廿たい 畠五反廿五たい 在家三う」とみえ、応永二二年(一四一五)には同郷の二町九反分が称光天皇即位要脚段銭として納められている(同年一〇月九日「即位要 ...
26. いわまつむら【岩松村】群馬県:新田郡/尾島町
日本歴史地名大系
永二二年(一四一五)八月一〇日には、称光天皇の即位用途として新田庄内に段銭が課され、東岩松・西岩松にもそれぞれ一町三反三〇代・一町分が賦課された(「称光天皇即位 ...
27. いんのう【允能】
日本人名大辞典
?−? 室町時代の医僧。坂士仏(さか-しぶつ)の孫。正長(しょうちょう)元年(1428)称光天皇の難病の治療に成功。永享3年(1431)将軍足利義教(よしのり) ...
28. うしざわむら【牛沢村】群馬県:太田市
日本歴史地名大系
文書)によると、「牛沢郷東」「西牛沢村」が岩松惣領方の所領としてみえる。同二二年八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)には東牛沢・西牛沢とともに「下 ...
29. えだごう【江田郷】群馬県:新田郡/新田町
日本歴史地名大系
木部ら有姓の土豪層とおぼしき者や「江田御坊」などもみえる。応永二二年(一四一五)八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)には「江田十六町」と記される。 ...
30. おおしまむら【大島村】群馬県:太田市
日本歴史地名大系
領知行分注文写(正木文書)によると大島郷は新田岩松氏の所領になっており、同二二年八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)によると大島の公田数は一三町だ ...
31. おおたごう【太田郷】群馬県:太田市
日本歴史地名大系
辺地域であり、由良氏の権力基盤形成を考えるうえで興味深い。応永二二年(一四一五)八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)によると、この段階に至っても前 ...
32. おがわのみや【小川宮】
日本人名大辞典
(すけのり)の家にのがれる。ゆるされて参議勧修寺(かじゅうじ)経興の家でそだてられた。30年称光天皇の東宮となるが,32年2月16日急死した。22歳。追号は竜樹 ...
33. おきのむら【沖野村】群馬県:太田市
日本歴史地名大系
「おのさわしやうけんの分」などとみえる。ほかに神講田一町六反(うち不作二反)があった。同二二年八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)には「奥村壱町五 ...
34. おぐらのみや【小倉宮】
国史大辞典
が高かった。正長元年(一四二八)七月七日聖承は嵯峨を出奔、伊勢国司北畠満雅をたよった。折から称光天皇の病気により東宮の選定が進められている最中で、一方幕府も鎌倉 ...
35. 改元
世界大百科事典
室町時代には1384年の至徳改元が将軍足利義満の発議で行われ,1412年(応永19)即位した称光天皇が幕府の意向で一代の間ついに改元できなかったなど,改元に対す ...
36. かきつのらん【嘉吉の乱】
国史大辞典
いだき、将軍対鎌倉公方の間には微妙な対立が生じていた。また義教が将軍となった直後の同年七月には称光天皇がなくなり、そのあとは伏見宮貞成親王の王子彦仁王が迎えられ ...
37. かみたげむら【上多気村】三重県:一志郡/美杉村
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るので、本拠地多気も一時的には一色氏を中心とする幕府軍に占拠されたものと思われる。同三五年、称光天皇没後、小倉宮は再び伊勢に下向し北畠満雅を頼った。満雅は宮を擁 ...
38. かんぎこういん【歓喜光院】画像
国史大辞典
延慶元年(一三〇八)閏八月上皇から皇子尊治親王(後醍醐天皇)に譲与された。応永三十年(一四二三)十一月に称光天皇は歓喜光院で美福門院国忌八講を修している(『薩戒 ...
39. かんぎこういんりょう【歓喜光院領】 : 歓喜光院
国史大辞典
延慶元年(一三〇八)閏八月上皇から皇子尊治親王(後醍醐天皇)に譲与された。応永三十年(一四二三)十一月に称光天皇は歓喜光院で美福門院国忌八講を修している(『薩戒 ...
40. かんのんじ【観音寺】三重県:鈴鹿市/旧奄芸郡地区/白子寺家村
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本尊として勅願寺を建立したという。付近の海岸を鼓ヶ浦というのもこの伝説に由来する。室町時代には称光天皇祈願所として綸旨を賜っている。「薩戒記」応永三三年(一四二 ...
41. 看聞日記
世界大百科事典
ことに,同じく北朝系(持明院統)に立ちながら皇位を継承できなかった貞成親王と,これに対立する後小松天皇・称光天皇父子との確執のさまや,皇位継承問題をめぐる貞成親 ...
42. がくいんえかつ【鄂隠〓〓
国史大辞典
応永三十二年二月十八日、吸江庵に寂した。六十九歳。全身を庵後に葬り、相国寺大幢院に分塔した。かつて称光天皇が衣盂を受けたので、仏慧正続国師の号を生前に特賜された ...
43. きいのつぼね【紀伊局】
日本人名大辞典
?−? 室町時代の女官。称光天皇の寵愛(ちょうあい)をうけ,天皇の没後尼になった。正長(しょうちょう)元年(1428)清浄華(しょうじょうけ)院で如法念仏を修し ...
44. きたばたけしのらん【北畠氏の乱】
国史大辞典
満で、応永十七年(一四一〇)には後亀山上皇もあらためて吉野に潜幸したほどであったが、二十一年称光天皇の即位は南北朝合体条件に反するとして北畠満雅(顕泰子)が挙兵 ...
45. きたばたけみつまさ【北畠満雅】
国史大辞典
奉じたものと推定され、この間に継職したと思われる。満雅も熱心な大覚寺統支持者で、応永二十一年、称光天皇の即位を前に、南北両朝の合体条件に反するとして挙兵(『南方 ...
46. きたばたけ-みつまさ【北畠満雅】
日本人名大辞典
?−1429* 室町時代の武将。北畠顕泰(あきやす)の次男。伊勢(いせ)国司。称光天皇の即位にあたり,両統迭立の約束に反したとして応永21年挙兵。つぎの後花園天 ...
47. きょうみょうちゅうもん【交名注文】
国史大辞典
用いる定めとなっていることから、他の場合も折紙を使用する例が多かった。応永二十一年(一四一四)十二月十八日の称光天皇即位大礼の参仕者の交名を注した称光院御即位散 ...
48. ぎょうにょ【巧如】画像
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なり、仮名を大納言と称した。明徳四年(一三九三)父綽如死去後、十八歳にして法主となり、のち、称光天皇より勅願寺の号を受けた。彼の在職中は真宗別派の仏光寺の全盛時 ...
49. ぎょうにょ【巧如】
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本願寺5世法主綽如(しゃくにょ)の次男。権(ごんの)大納言日野資康(すけやす)の猶子。明徳4年6世となり,称光天皇から勅願寺の号をうける。北陸への布教を重視し, ...
50. 皇代記
世界大百科事典
書き継がれたものである。宮内庁書陵部所蔵の鴨脚本《皇代記》は,神代12代についで神武天皇より称光天皇までを収め,次に〈南帝〉と標記して後醍醐・後村上・長慶3代を ...
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