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国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典

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国史大辞典
後土御門天皇
ごつちみかどてんのう
一四四二 - 一五〇〇
一四六四―一五〇〇在位。嘉吉二年(一四四二)五月二十五日後花園天皇の皇子として誕生。母は嘉楽門院藤原信子(藤原孝長の女、贈太政大臣大炊御門信宗の養女)。諱は成仁(ふさひと)。長禄元年(一四五七)十二月十九日親王宣下あり、翌二年四月十七日元服の儀を挙げた。寛正五年(一四六四)七月十九日土御門内裏において後花園天皇の禅りを受けて践祚。翌六年十二月二十七日太政官庁において即位礼を挙げた。天皇の即位後程なくして起った応仁・文明の乱は前後十一年にわたり、この間京都の市街は多く焼土と化し、騒乱は地方にも及んで皇室御料地をはじめ公家の所領は多く侵掠せられ、朝廷の経済もきわめて窮乏し、節会その他の恒例の朝儀も廃されるものが多くなった。乱のはじめ応仁元年(一四六七)正月十八日天皇は難を避けて将軍足利義政の室町第に臨幸、同月二十日還幸したが、同年八月二十三日戦乱の激化により再び室町第に行幸、これより十年近くここを仮宮として起居したが、文明八年(一四七六)十一月室町第類焼により小川第に移り、さらに北小路第・日野政資第へと移徙し、同十一年十二月に至って、修理成る土御門内裏に還幸した。この間義政側近の日野勝光・伊勢貞親ら政を左右し、義政夫人日野富子も政治に容喙して綱紀紊れて幕府の威令行われず、天皇は政務意のごとくならざるにより、譲位しようとしたことも一再にとどまらなかった。このような状況のもとにあって、天皇は応仁以来中絶した朝儀の再興に努め、廷臣をして元日節会を温習させ、あるいは旧例の調査、節会の次第の書写を行わしめ、ついに延徳二年(一四九〇)から明応元年(一四九二)にかけて三節会をはじめ、殿上淵酔・乞巧奠などを再興した。明応九年九月二十八日崩御。年五十九。深草北陵(京都市伏見区深草坊町)に葬る。天皇学を好み、吉田兼倶・一条兼良・清原宗賢らに和漢の書を講ぜしめ、また歌道に長じ、『紅塵灰集』『いその玉藻』『後土御門院御百首』などの御集がある。→深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
[参考文献]
和田英松『皇室御撰之研究』、浅野長武「室町時代の皇室と国民」(『(岩波講座)日本歴史』所収)
(後藤 四郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後土御門天皇
ごつちみかどてんのう
[1442―1500]

第103代天皇(在位1464~1500)。名は成仁(ふさひと)。法名正等観。後花園(ごはなぞの)天皇の子。母は藤原孝長の女(むすめ)で、内大臣大炊御門(おおいみかど)信宗の猶子(ゆうし)になった嘉楽(からく)門院信子。父天皇の譲を受けて位につき、応仁(おうにん)の乱に際会してつぶさに苦難をなめ、明応(めいおう)9年9月28日崩御。そのとき費用がなく葬儀を行うことができず、内裏(だいり)黒戸に遺骸(いがい)を置くこと40余日、11月11日ようやくにしてこれを執り行うをえた。同天皇には歌集が種々存したことが諸書にみえるが、今日に伝存するものとしては、『紅塵灰集(こうじんかいしゅう)』と称する1巻、『百日和歌詠草』の1巻が著聞する。京都の深草北陵に葬る。
[村田正志]



日本人名大辞典
後土御門天皇
ごつちみかどてんのう
1442−1500
室町-戦国時代,第103代天皇。在位1464-1500。
嘉吉(かきつ)2年5月25日生まれ。後花園天皇の第1皇子。母は藤原信子(嘉楽門院)。父の譲位をうけて即位。その3年後におきた応仁(おうにん)の乱で,京の都は戦火にあれ,社会不安は地方にまでおよんだ。幕府の権威はおとろえ,財政は窮迫して朝儀もままならず,何度も譲位をかんがえたという。明応9年9月28日死去。59歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は成仁(ふさひと)。法名は正等観。歌集に「紅塵灰集」など。
【格言など】ともすれば道にまよへる位山うへなる身こそくるしかりけれ(「後土御門院御集拾遺」)
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第103代天皇(在位1464~1500)。名は成仁(ふさひと)。法名正等観。後花園(ごはなぞの)天皇の子。母は藤原孝長の女(むすめ)で、内大臣大炊御門(おおいみ ...
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24. あんぜんじあと【安禅寺跡】京都市:上京区/中立学区/土御門町地図
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北小路行宮(現上京区)が炎上した折(御湯殿上日記)、後土御門天皇は当寺に難を避けている。また永正元年(一五〇四)九月二八日には後土御門天皇の五回忌が執行され、「 ...
25. 安楽行院
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後深草天皇以後多くの天皇の分骨所。中世には深草法華堂と呼ばれ,寺名の初見は1500年(明応9)後土御門天皇死去の時である。なお,持明院統(北朝)の寺として安楽光 ...
26. あんらくぎよういんあと【安楽行院跡】京都市:伏見区/深草村地図
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27. い‐し[ヰ‥]【遺旨】
日本国語大辞典
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28. いせごよみ【伊勢暦】
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宇治または山田で寛永以後作られたものを普通伊勢暦という。ここでは丹生暦をも含めて説明する。丹生暦は後土御門天皇のころ(十五世紀後半)にできたものらしく、北畠国司 ...
29. いその玉藻(著作ID:94495)
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30. いちじょうふしみどの【一条伏見殿】
国史大辞典
この第に移られ(この時伏見宮の当主は貞常親王で、親王はこれに先立って他所に移った)、ついで後土御門天皇に譲位、以後応仁元年(一四六七)八月戦乱のため将軍足利義政 ...
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日本歴史地名大系
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32. いちむらたかだのしょう【市村高田庄】長野県:長野市
日本歴史地名大系
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33. 一休和尚年譜 1 340ページ
東洋文庫
された(前掲『一休和尚全集 第一巻 狂雲集(上)』一六七頁)。文明十八年(一四八六)七月に後土御門天皇が書いた勅額「霊光」の宸翰草が大徳寺に遺っている。 前年享 ...
34. 一休和尚年譜 2 139ページ
東洋文庫
焼いて上御霊社に陣をはったが、一日で敗走した。 二十日、山名方によって将軍第に迎えられていた後土御門天皇と後花園上皇が内裏に帰り、管領斯波義廉・畠山義就らは将軍 ...
35. 一休和尚年譜 2 144ページ
東洋文庫
五三)に、その一部を残して伽藍の大部分を焼亡した。文明五年(一四七三)六月、大徳寺の復興が後土御門天皇によって命じられるが、それまで乱中のこともあってはかばかし ...
36. 一休和尚年譜 2 200ページ
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見を申しのべる役)の家格である勧修寺流の一族として大徳寺伝奏に任じられていたことによる。 後土御門天皇綸旨には、 「大徳寺住持職事、所有勅請也、専禅刹之興隆、宜 ...
37. 一休和尚年譜 2 207ページ
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一休の記事には「居成」と付記がある。 年次が先であるのに世代が後になっているのは、文明七年七月二十日の後土御門天皇論旨で、大徳寺住持の新補は前住持の推挙によるべ ...
38. 一休和尚年譜 2 4ページ
東洋文庫
83湖心 II-65,66,68後醍醐天皇 1-162,307,308,  310,311後土御門天皇 II-139,200後花園天皇(院) 1-18,133, ...
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国史大辞典
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43. いんじょうじ【引接寺】福井県:武生市/府中町/寺町
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46. 雲上御短冊帖(著作ID:550265)
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辞退して住職にはならなかった禅僧で,その高風は広く慕われた。将軍義満は永源寺を祈願所とし,後土御門天皇は寺格を鎌倉円覚寺の上位に列し,1492年(明応1)の焼失 ...
49. えいげんじ【永源寺】
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50. えんとく【延徳】
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室町時代、後土御門天皇の代の年号。天変や疫病の流行により、長享三年(一四八九)八月二一日改元。延徳四年(一四九二)七月一九日に至り、次の明応に代わる。将軍は九代 ...
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