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国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典

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国史大辞典
後光明天皇
ごこうみょうてんのう
一六三三 - 五四
一六四三―五四在位。寛永十年(一六三三)三月十二日後水尾天皇の第四皇子として誕生。母は贈左大臣園基任の女光子(壬生院)。諱は紹仁(つぐひと)、幼称は素鵞(すが)宮という。同十九年十二月十五日親王宣下、翌二十年十月三日明正天皇の譲りを受けて践祚、同月二十一日即位式を挙げた。在位十二年を数えたが、承応三年(一六五四)九月二十日痘瘡により崩御。享年二十二歳。後光明院と追号し、京都泉涌寺山内に葬った。陵は月輪陵と称する。皇女一方があり、孝子内親王(礼成門院)という。天皇が英明厳毅で、しかも慈愛深い人柄であったことは、『槐記』『承応遺事』や『鳩巣小説』などに伝えられているところである。また深く儒学を尊重して研鑽につとめ、明経の業を伝えた侍講伏原賢忠より『周易』の伝授も受けたが、特に程朱の学説に傾倒し、朝山意林庵などの民間の朱子学者をも招いて進講を聴き、藤原惺窩の業績を追慕してその文集に勅序を与えている。またその講学にあたっては、特に学問の本義の体得を旨とし、常に修養に励んだと伝えられている。なお在位の間、神宮例幣の儀の再興を見たが、さらに釈奠の儀や大学寮の復興も意図したという。詩作を好み、詩九十一首が御集『鳳啼集』(『続々群書類従』詩文部所収)に収めて伝えられている。→月輪陵(つきのわのみささぎ)
[参考文献]
三浦周行「後光明天皇の御好学と朝山意林庵」(『史学雑誌』二三ノ四、二九ノ一一)
(武部 敏夫)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後光明天皇
ごこうみょうてんのう
[1633―1654]

第110代天皇(在位1643~54)。名は紹仁(つぐひと)。素鵞宮(すがのみや)と称す。後水尾(ごみずのお)天皇の子。実母は贈左大臣園基任(そのもととう)の女(むすめ)壬生(みぶ)院光子。養母は徳川2代将軍秀忠(ひでただ)の女東福門院和子(かずこ)。先帝たる姉明正(めいしょう)天皇の譲を受けて1643年(寛永20)位につき、承応(じょうおう)3年9月20日崩御。月輪(つきのわ)陵に葬る。その子に孝子内親王(礼成門院)があったが、男子なくて血統は断絶し、皇統は結局この天皇の弟霊元(れいげん)天皇が猶子(ゆうし)として受け継ぎ、その流れがのちに存続することになった。『鳳啼(ほうてい)集』と称する著作があり、それには詩92首、歌5首が収められている。
[村田正志]



日本人名大辞典
後光明天皇
ごこうみょうてんのう
1633−1654
江戸時代前期,第110代天皇。在位1643-54。
寛永10年3月12日生まれ。後水尾天皇の第4皇子。母は藤原光子(壬生(みぶ)院)。異母姉明正(めいしょう)天皇の譲位により即位し,父の上皇がひきつづき院政をおこなう。儒学(朱子学)をまなび,藤原惺窩(せいか)に私淑。正保(しょうほ)3年,応仁(おうにん)の乱で中断していた伊勢例幣使を再興した。疱瘡(ほうそう)にかかり,承応(じょうおう)3年9月20日死去。22歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は素鵞(すがの)宮。諱(いみな)は紹仁(つぐひと)。詩歌集に「鳳啼(ほうてい)集」。
【格言など】霜の後の松にもしるしさかゆべき我が国民の千代のためしは(「公宴御会」抜書)
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1. 後光明天皇
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第110代天皇(在位1643~54)。名は紹仁(つぐひと)。素鵞宮(すがのみや)と称す。後水尾(ごみずのお)天皇の子。実母は贈左大臣園基任(そのもととう)の女( ...
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4. ごこうみょうてんのう【後光明天皇】画像
国史大辞典
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