1. 鑑眞(かんしん)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 532ページ ...
2. 鑑真
日本大百科全書
求めて入唐(にっとう)していたが、742年に二人が鑑真を訪れ、弟子のなかに日本に渡って律を伝える人がいないか、募ってもらうよう請うた。それが機縁となり、鑑真は弘 ...
3. 鑑真
世界大百科事典
には少なくとも三師七証の10僧を必要としたため,さらに諸州を巡り,揚州大明寺の鑑真に日本への渡航を懇願した。鑑真一行の渡航は5回企てられたが,師僧の出国を願わぬ ...
4. がんじん【鑑真】
日本国語大辞典
[ガ]文明【鑑真】文明 ...
5. がんじん【鑑真】画像
国史大辞典
戒律の普及に尽くし、思託は鑑真のために『大和尚広伝』や『延暦僧録』を編著し、鑑真とともに古代国家の要望に応えたといってよい。 [参考文献]『唐大和上東征伝』、安 ...
6. 鑑真
日本史年表
754年〈天平勝宝6 甲午〉 1・16 遣唐副使 大伴古麻呂 、唐僧 鑑真 ・ 法進 らを伴い帰国(続紀)。 754年〈天平勝宝6 甲午〉 4・‐ 鑑真 、東大 ...
7. がんじん【鑑真】
日本人名大辞典
688−763 唐(とう)(中国)の僧。嗣聖5年生まれ。日本律宗の開祖。「授戒の大師」と称され,揚州の大明寺で律を講じる。唐にわたった栄叡(えいえい),普照(ふ ...
8. がんじん【鑑真】
日本架空伝承人名事典
揚州大明寺に鑑真を訪ね、日本へ戒律を伝えるため東航を要請した。弟子らが渡海の危険を訴えると、鑑真は仏法のために「何ぞ身命を惜しまん」と言い、自ら渡航の意思を決然 ...
9. 鑑真[文献目録]
日本人物文献目録
大久保道舟『鑑真大和上東征の意義』堀池春峰『鑑真と医薬学』森鹿三『鑑真特集』-『鑑真と弘法』褚民誼『鑑真とその周辺』小野勝年『鑑真と唐招提寺』北川桃雄『鑑真につ ...
10. 【鑑真(眞)】がんじん
新選漢和辞典Web版
人名。奈良(なら)時代、唐(とう)から帰化した名僧。わが国に律宗(りっしゅう)を伝え、のち唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建した。(六八八~七六三) ...
11. 鑑眞傳二戒律一 (見出し語:鑑眞)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 483ページ ...
12. 鑑眞傳二戒律一 (見出し語:鑑眞)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 620ページ ...
13. 鑑眞爲二唐招堤寺開山一 (見出し語:鑑眞)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1266ページ ...
14. 鑑真自署[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
15. がんじんわじょう‐ざぞう[ガンジンワジャウザザウ]【鑑真和上坐像】
日本国語大辞典
奈良の唐招提寺にある鑑真の肖像。天平彫刻の代表的なもの。国宝。 ...
16. がんじんわじょうぞう【鑑真和上像】 : 唐招提寺
国史大辞典
鑑真和上像(がんじんわじょうぞう) 開山御影堂安置。像高八〇・一センチ、等身大の坐像で、脱活乾漆造り彩色。『唐大和上東征伝』に天平宝字七年(七六三)春、鑑真 ...
17. 鑑真和上三異事(著作ID:144627)
新日本古典籍データベース
がんじんわじょうさんいじ 鑑真和尚三異事 豊安(ほうあん) 伝記 天長八 ...
18. 唐大和上東征伝(著作ID:1477970)
新日本古典籍データベース
とうだいわじょうとうせいでん 鑑真過海大師東征伝 鑑真和尚東征伝 法務贈大僧正唐鑑真過海大師東征伝 過海大師東征伝 鑑真大和尚伝 東征伝 東行伝筌 淡海三船(お ...
19. がんじんかかいだいしとうせいでん【鑑真過海大師東征伝】
国史大辞典
⇒唐大和上東征伝(とうのだいわじょうとうせいでん) ...
20. がんじんわじょうとうせいえでん【鑑真和上東征絵伝】
国史大辞典
⇒東征絵伝(とうせいえでん) ...
21. あいだぐん【英田郡】岡山県
日本歴史地名大系
が本坊となった。英田町真神の真言宗御室派長福寺は、天平宝字元年(七五七)孝謙天皇の勅願所として鑑真が開山したと伝える。弘安八年(一二八五)円源によって再興され、 ...
22. あきめうら【秋目浦】鹿児島県:川辺郡/坊津町/秋目村
日本歴史地名大系
五千円(無利子・満三〇年賦)の拝借を鹿児島県令に訴えており、秋目漁民の漁への執念が感じられる。鑑真記念館の近くに宮内平蔵記念碑と女島遭難者慰霊碑がある。後者は明 ...
23. あきめむら【秋目村】鹿児島県:川辺郡/坊津町
日本歴史地名大系
南下して久志村に至る往還道が走る。奈良時代に奈良唐招提寺を建立した唐僧鑑真の上陸地とされ、中世には加世田別符のうちに含まれた。「唐大和上東征伝」によれば、鑑真の ...
24. あすかべおう【安宿王】
国史大辞典
そのため長屋王の変で、罪を免れた。天平九年(七三七)従五位下。玄蕃頭・治部卿・中務大輔・播磨守兼迎鑑真勅使・内匠頭・讃岐守を歴任。天平宝字元年(七五七)七月、橘 ...
25. あたぐん【阿多郡】鹿児島県:薩摩国
日本歴史地名大系
昇叙された薩麻公鷹白と同一人物と考えられる(「続日本紀」同年正月二日条)。「唐大和上東征伝」は鑑真の乗った第一〇次遣唐使第二船の到着地である秋妻屋浦(現坊津町に ...
26. 穴太寺
日本大百科全書
705年(慶雲2)左大弁大伴古麻呂(おおとものこまろ)の開創と伝える。古麻呂はのちに遣唐副使として、鑑真(がんじん)一行を自分の船に乗せ、来日させた人物である。 ...
27. 阿倍仲麻呂画像
日本大百科全書
左補闕(さほけつ)、儀王友(ぎおうゆう)となる。753年(天平勝宝5)遣唐大使藤原清河(きよかわ)とともに僧鑑真(がんじん)に会い、その渡日を要請し、自らも帰国 ...
28. 阿倍仲麻呂
世界大百科事典
)の友に任ぜられた。752年,入唐した遣唐使藤原清河,吉備真備らと帰国することを願い出て許可され,鑑真(がんじん)一行らをも伴って蘇州より出航したが,仲麻呂の乗 ...
29. あべのなかまろ【阿倍仲麻呂】
国史大辞典
仲麻呂の進言による渤海路をとって十一年に帰朝している。天平勝宝五年(七五三)遣唐大使藤原清河とともに僧鑑真の渡日を要請し、ともに帰国を志したが失敗した。その後玄 ...
30. あべの-なかまろ【阿倍仲麻呂】
日本人名大辞典
安南都護などを歴任。その間李白(りはく),王維らの文人とも交遊。遣唐使藤原清河(きよかわ)らと鑑真に来日を要請,みずからも帰国しようとしたが失敗,日本にはついに ...
31. あんどう-こうせい【安藤更生】
日本人名大辞典
昭和45年10月26日死去。70歳。東京出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。本名は正輝。著作に「鑑真大和上伝之研究」「日本のミイラ」など。 ...
32. 医学
世界大百科事典
この仙薬は,金,銀,水銀,ヒ素などの重金属を主成分とするもので,用量をすぎれば,かえって寿命を縮める結果になる。鑑真が来日して名声を得た理由の一つには,彼の医学 ...
33. いがく【医学】
国史大辞典
る。また正倉院には奈良時代の薬物が多数に現存しており、天平勝宝六年(七五四)に来朝した唐の名僧鑑真は医薬にも精通していて、日本人にそれを講じたといわれる。今日に ...
34. い‐ごう[ヰガウ]【位号】
日本国語大辞典
官名位号
」*遣唐船〔1936〕〈高木卓〉九「
鑑真が伝燈大法師の位号を以て東大寺から迎へられるや」*漢書‐元后伝論「位号已移
...35. 医者
世界大百科事典
もっぱらとしていたから,一般の救療事業は僧医にゆだねられていた。754年(天平勝宝6)に渡来した唐の仏僧鑑真の救療活動や医学教育はその典型である。この傾向は武家 ...
36. 宇治拾遺物語 211ページ
日本古典文学全集
本尊は毘沙門天。もとは天台宗で山号は松尾山。現在は、独立して鞍馬弘教総本山。宝亀元年(七七〇)、鑑真の弟子鑑禎の開基とも、延暦十五年(七九六)、藤原伊勢人による ...
37. うちなわじま【阿児奈波島】沖縄県:総論
日本歴史地名大系
鑑真の伝記「唐大和上東征伝」にみえる島名。同書によると天宝一二歳(七五三)一一月一六日に四船で蘇州の黄泗浦を出発し、同月二一日に第一船と第二船が同時に「阿児奈波 ...
38. うちわ‐まき[うちは‥]【団扇撒】
日本国語大辞典
〔名〕奈良の唐招提寺で、毎年五月一九日(中興開山覚盛和尚の命日)に行なう会式(えしき)。開山、鑑真和尚が行(ぎょう)を修めているとき、弟子が蚊や虻を団扇で追おう ...
39. えいえい【栄叡】
国史大辞典
その後、空しく十余年を費やし、ついに止むを得ず、帰国を決意して揚州に下ったが、ここで律僧鑑真を訪ね、鑑真以下弟子たちが日本に渡ることとなった。しかし渡海は困難を ...
40. えいえい【栄叡】
日本人名大辞典
(どうせん)を日本におくることに成功。さらに鑑真を渡海させようとして5度失敗。天平勝宝元年唐の端州竜興寺で客死した。美濃(みの)(岐阜県)出身 ...
41. 栄花物語 474ページ
日本古典文学全集
めに働き、完成後死ぬという類型的な霊異譚。ほかに聖武天皇の東大寺大仏殿建立、重源の大仏殿再建、鑑真の唐の崇福寺建立の際の話などがある。『関寺縁起』によれば、源信 ...
42. えいふくじ【永福寺】千葉県:成田市/飯岡村地図
日本歴史地名大系
本尊は薬師如来。天平宝字七年(七六三)鑑真によって創建されたと伝える。近くに鑑真が居住した跡といわれる唐鑑房や鑑真が持参した唐の竹を植えたと伝える唐竹谷といった ...
43. え‐がく【依学】
仏教語大辞典
1 和上。親教師。 →鄔婆陀那 高僧伝要文抄 三・思託伝 「鑑真和上為受戒依学、在唐得十九年」 2 師について学ぶこと。 守護国界章 下ノ上・一 「此則善知識 ...
44. 江戸繁昌記 3 180ページ
東洋文庫
根本の教義とし、涅槃経と大智度論を傍依とし、禅定と智慧との調和を宗義とする。わが国には、天平勝宝六年唐僧鑑真が来朝してこれを伝えた (四〇)禅宗 わが国では、臨 ...
45. 慧能
日本大百科全書
中国、唐代の僧。中国禅宗の第六祖。俗姓は盧(ろ)氏。諡号(しごう)は大鑑真空普覚円明(だいかんしんくうふかくえんみょう)禅師。六祖(ろくそ)大師ともいわれる。新 ...
46. えん‐き[ヱン‥]【円機】
日本国語大辞典
権機(ごんき)。*日蓮遺文‐下山御消息〔1277〕「唐の揚州龍興寺の鑑真和尚と申せし人、漢土より我朝に法華経天台宗を渡給て有しが、円機未熟とやおぼしけん、此の法 ...
47. 延慶
世界大百科事典
ような地位にあったものか。753年(天平勝宝5)唐僧鑑真が来朝し,翌年入京して東大寺にもうで,良弁と会話した際,延慶が通訳をつとめた。鑑真に大和上位を,思託らそ ...
48. えんけい【延慶】
国史大辞典
天平勝宝五年(七五三)遣唐副使大伴古麻呂の船で薩摩に着いた鑑真を大宰府に案内し(『唐大和上東征伝』)、翌年鑑真の入京・大仏礼拝の際訳語をつとめた(『東大寺要録』 ...
49. えんけい【延慶】
日本人名大辞典
奈良時代の僧。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5年(753)薩摩(さつま)(鹿児島県)についた鑑真(がんじん)を大宰府に案内し,奈良では通訳をつとめる。藤原仲麻 ...
50. 燕京歳時記 北京年中行事記 86ページ
東洋文庫
信者がこの上にのぼって誓い、これによって僧侶たり真の 信者たることが公認される。日本へ戒壇を伝えたのは鑑真和尚(六八八-七六三)であるが、 中国では ...