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国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
マッカーサー
Douglas MacArthur
一八八〇 - 一九六四
アメリカ合衆国軍人、日本占領連合国最高司令官(昭和二十年(一九四五)―二十六年)。一八八〇年一月二十六日アーカンソー州リトル=ロックに生まれる。父親アーサー=マッカーサーは陸軍中将。一九〇三年陸軍士官学校卒業後、フィリピンなどに勤務。第一次世界大戦中はフランス戦線で活躍し、戦後陸軍士官学校校長となり教科内容を改革、三〇年から五年間陸軍参謀総長を勤めた。三五年フィリピン軍顧問となり米陸軍から退役したが、日米関係が緊張した四一年現役に復帰し極東方面軍の司令官に任命された。日米開戦後フィリピンに上陸した日本軍と戦ったが、劣勢に陥り翌年二月オーストラリアに脱出。同年秋以降攻撃に転じ、ニューギニア奪回作戦などを指揮、四四年十月にはフィリピンのレイテ島上陸作戦を指揮、同年末には「ゼネラル=オブ=ザ=アーミー」(通常「元帥」と訳される)に昇進した。昭和二十年八月十四日日本占領管理のための連合国最高司令官に任命され、八月末米軍の進駐開始とともに厚木に到着、九月に総司令部を東京に移した。占領管理にあたっては間接統治方式を採用し、日本の非軍事化、新憲法制定を含む政治経済社会の多面的民主化を推進した。占領政策の決定権は形式的には連合国十一ヵ国で形成される極東委員会にあり、実質的にはアメリカ政府にあったが、占領政策の実施についてマッカーサーは大きな裁量権を有して帝王的権力を振るった。彼は四七年三月早期講和を望むことを発言、それを受けてアメリカ政府は講和の実現に向けて動いたが、米ソの対立で進展せず、アメリカ政府は四八年には講和前に日本の経済復興と政治的安定とを進め、日本が有力な友邦として発展する基礎をつくる政策に転じた。マッカーサーは冷戦発生前から占領改革の定着のためには国民生活向上が必要であることを理解し、そうした配慮によって温情的占領者というイメージを日本人に植えつけていたが、四八年以降占領政策は経済復興と政治的安定とを目的とするようになった。その目的のため占領改革の一部見直しが行われたが、それはワシントン主導のもとに行われたものである。ただしマッカーサーはワシントンの方針をすべて受けいれたわけではなく、いわゆる警察力強化については消極的で、朝鮮戦争が始まるまで警察予備隊の創設を日本政府に指示しなかった。五〇年六月、朝鮮戦争が勃発した時、彼は在日連合国最高司令官のまま国連軍最高司令官に任命され、北朝鮮軍の背後を衝く仁川上陸作戦によって戦況を好転させ、アメリカ政府の支持を得て三八度線を越えて北進したが、人民中国参戦の可能性を軽視し対策を立てていなかったため、中国軍の戦線参入とともに一時国連軍は敗退を余儀なくされた。彼は中国領土の爆撃を主張したが、アジアでの戦争拡大を望まないアメリカ政府はそれを許さなかった。政府の限定戦争政策を批判した下院議員あての彼の手紙が公にされたため、かねてから彼の独断的行動に不満を抱いていたトルーマン大統領は統合参謀本部と協議し、五一年四月彼を解任した。日本および朝鮮における任務を解かれて帰国した彼に一時は国民の同情が集まり英雄となったが、彼を政界に引き出そうという動きは盛り上がらず、レミントンランド社会長を勤めたほかは静かに余生を送り、六四年四月五日ワシントンで死去した。八十四歳。著書に『マッカーサー回想記』(津島一夫訳)がある。→対日占領政策(たいにちせんりょうせいさく)
[参考文献]
大蔵省編『昭和財政史―終戦から講和まで―』三、袖井林二郎『マッカーサーの二千日』(『中公文庫』)、L.S.Wittner:MacArthur(1971);D.C.James:The Years of MacArthur.3 vols.(1970―85);W.Manchester:American Caesar(1978).
(有賀 貞)


日本大百科全書(ニッポニカ)
マッカーサー
まっかーさー
Douglas MacArthur 
[1880―1964]

アメリカ陸軍元帥。日本占領の連合軍総司令官。南北戦争の英雄アーサー(のち中将)の三男としてアーカンソー州リトルロックの兵営に生まれ、南部出身の母の強い影響下に育つ。ウェストポイント陸軍士官学校を最優秀で卒業、自分が創案した「虹(レインボー)」師団参謀長として第一次世界大戦に参加し13の叙勲。帰国後ウェストポイント校長(1919)、少将昇進(1925)、陸軍参謀総長(大将待遇)就任(1930)と、いずれも最年少記録をつくった。参謀総長のとき恩給の一括払いを要求する陸軍退役者の「ボーナス・マーチ」を弾圧(1932)。ハンサムで才気と強烈な自尊心に満ちた姿に、ルーズベルト大統領は独裁者の影をみたという。父子二代にわたりフィリピンとのつながりが深く、1935年、友人であるケソン初代連邦大統領の招きに応じ、フィリピン国民軍の創設にあたる。1941年(昭和16)12月日本軍の攻撃をバターン半島でしのぎ、大統領命令でオーストラリアに逃れた(1942年3月)のち、反攻作戦に成功(1944年10月)して「アイ・シャル・リターン」の公約を果たした。1944年12月元帥。
 1945年(昭和20)8月30日厚木基地に進駐。降伏した日本の絶対的支配者(日本占領連合軍最高司令官)として総司令部(GHQ)から農地改革、婦人解放、労働改革など革命的な民主化を進め、とくに国民主権と平和主義の新憲法をもたらした意義は大きい。朝鮮戦争の勃発(ぼっぱつ)(1950)とともに国連軍総司令官に任ぜられ、仁川(じんせん)奇襲上陸で状勢を逆転したが、トルーマン大統領の政策に公然と反対して中国との全面戦争を主張したため、1951年4月解任された。2000日に及ぶ在任の間、多くの日本国民の尊敬をかちえ、何十万通というファンレターが寄せられたのは占領の世界史に例がない。議会で「老兵は死なず」の演説のあと、1952年の大統領選に野心を燃やしたが、支持は集まらず、レミントンランド社会長として晩年を送った。
[袖井林二郎]



世界大百科事典
マッカーサー
Douglas MacArthur
1880-1964

アメリカの軍人。陸軍軍人の家庭に生まれた。1903年ウェストポイント陸軍士官学校を首席で卒業後,父の任地がフィリピン,日本であった関係から,最初の任地をフィリピンとしたのち,駐日アメリカ大使館武官の副官として来日するなど,極東の事情に詳しい経歴をもつ軍人としてアメリカ陸軍の要職を歴任した。30年には陸軍大将となり,またアメリカ史上最も若い陸軍参謀長となった。大不況下の32年には,恩給先払いを要求してワシントンに集まった第1次大戦の退役軍人を,フーバー大統領の要請に応じて軍隊を使って追い払い,不評を買った。37年に退役したが,41年に現役に復帰しアメリカ極東陸軍司令官として太平洋戦争に参加,フィリピンで敗れてコレヒドール島からオーストラリアに脱出し,〈I shall return〉とフィリピンに戻ることを誓った。44年元帥となり,日本の敗戦とともに連合国最高司令官として45年8月30日日本に進駐した。連合国最高司令官は行政官としての権限しかもっていなかったが,GHQ(連合国総司令部)の指令をとおして,日本の非軍事化,民主化などの対日占領政策を遂行し,彼は戦後日本の新しい権力者としてふるまった。朝鮮戦争の継続と拡大を主張したが,トルーマン大統領と対立して51年解任された。帰国後はレミントン・ランド社の社長に就任した。
[高橋 彦博]

[索引語]
MacArthur,D.
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1. マッカーサー
日本大百科全書
アメリカ陸軍元帥。日本占領の連合軍総司令官。南北戦争の英雄アーサー(のち中将)の三男としてアーカンソー州リトルロックの兵営に生まれ、南部出身の母の強い影響下に育 ...
2. マッカーサー(Douglas MacArthur)
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1880-1964 アメリカの軍人。陸軍軍人の家庭に生まれた。1903年ウェストポイント陸軍士官学校を首席で卒業後,父の任地がフィリピン,日本であった関係から, ...
3. マッカーサー
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(Douglas MacArthur ダグラス─)アメリカの軍人。陸軍元帥。一九四一年アメリカ極東軍司令官、四二年連合軍西南太平洋方面軍総司令官として第二次世界 ...
4. マッカーサー画像
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1880−1964 アメリカの軍人。1880年1月26日生まれ。第一次大戦に参加し,陸軍士官学校長,陸軍参謀総長を歴任。1941年極東軍司令官となり,太平洋戦争 ...
5. マッカーサー【Douglas MacArthur】
国史大辞典
八十四歳。著書に『マッカーサー回想記』(津島一夫訳)がある。→対日占領政策(たいにちせんりょうせいさく) [参考文献]大蔵省編『昭和財政史―終戦から講和まで―』 ...
6. マッカーサー
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主張した連合国軍最高司令官 マッカーサー を解任(後任にM・B・リッジウェイ陸軍中将)。 1951年〈昭和26 辛卯〉 4・16 マッカーサー 離日.衆参両院、 ...
7. マッカーサー賞
日本大百科全書
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8. マッカーサー‐しょかん【─書簡】
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9. マッカーサー書簡
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10. マッカーサー草案[憲法/司法]
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11. マッカーサー草案[カタカナ語]
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12. マッカーサー草案
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13. マッカーサーひめん【マッカーサー罷免】
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連合国最高司令官として日本の占領を統轄していたマッカーサーは、昭和二十五年(一九五〇)六月に朝鮮戦争が勃発しアメリカの提案で国連軍の派遣が決まったことにより、 ...
14. マッカーサー=ライン【MacArthur Line】
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第二次世界大戦後の連合諸国による占領期間中に、総司令部が日本漁船の操業を制限した境界線。連合国最高司令官マッカーサーの名に因んでこう呼ばれた。占領開始当初日本の ...
15. マッカーサー=ライン
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16. エレン・マッカーサー[ヨット単独世界一周の新記録]
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17. 昭和天皇のマッカーサー訪問写真
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1945年〈昭和20 乙酉〉 9・29 新聞各紙、 天皇のマッカーサー訪問写真 を掲載。  ...
18. アイケルバーガー
日本大百科全書
おもにアジア・太平洋方面担当の情報、幕僚職を歴任し、1940年陸軍士官学校長。日米開戦後はマッカーサー麾下(きか)の第一軍団長として太平洋方面を転戦、1944年 ...
19. アイケルバーガー
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20. アイゼンハワー
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おもに陸軍省で補給兵站(へいたん)の立案に従事し、1932年陸軍参謀総長マッカーサーの副官となる。1935年からフィリピン軍事顧問となったマッカーサーのもとで、 ...
21. 『アカハタ』
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1950年〈昭和25 庚寅〉 6・26 マッカーサー、 『アカハタ』 の30日間発行停止を指令(7月18日、無期限発行停止を指令)。 1952年〈昭和27 壬 ...
22. 赤旗
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だがGHQ(連合国最高司令部)の占領政策の転換、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)などにより、1950年7月18日マッカーサー司令官により無期限発行停止を命ぜられた。19 ...
23. 赤旗
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てはもっとも活発な活動を展開したが,50年6月25日の朝鮮戦争開始の翌日,連合軍最高司令官マッカーサーにより1ヵ月の停刊,さらに7月18日には無期限発行停止を命 ...
24. あかはた【赤旗】
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26. あしだないかく【〓田内閣】画像
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27. 芦田均内閣
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カの対日占領政策の転換に即応していた。そのため全逓を中心とする三月闘争をGHQの力で抑え、マッカーサー書簡を受けて公務員の争議権を奪う政令二〇一号を公布するなど ...
28. アチソン(Dean Gooderham Acheson)
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この批判を鎮める目的もあって,朝鮮戦争においてはアメリカ軍を派遣して38度線以北に侵入させ(マッカーサーの中国本土攻撃論には反対した),またこの戦争の過程で対日 ...
29. アチソン
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1896−1947 アメリカの外交官。1896年10月20日生まれ。ながく中国に駐在し,昭和20年マッカーサーの顧問として来日,GHQ外交局長となる。対日理事会 ...
30. アメリカ教育使節団
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説き,公選制教育委員会制度や男女共学,6・3・3制の学校制度などの導入を勧告する報告書を提出した。マッカーサーはこれを支持し,戦後教育改革に大きな影響を与えた( ...
31. アメリカみんせいふ【アメリカ民政府】
国史大辞典
〇)十二月五日のマッカーサー指令(翌年三月十七日、一部改正)に基づいて、奄美大島群島を含む琉球列島の統治機関として設立された。東京のアメリカ極東軍総司令官(当時 ...
32. 綾瀬[市]
世界大百科事典
41年相模野海軍航空隊が設置され厚木飛行場として使用が開始された。第2次世界大戦終結直後,マッカーサーら進駐第一陣が着陸した飛行場で,以来アメリカ海軍厚木基地と ...
33. あやせし【綾瀬市】神奈川県地図
日本歴史地名大系
は頓挫した。八月二四日基地は明渡され、二八日連合軍先遣隊ランテらが到着、三〇日には総司令官マッカーサーが降り立ち、九月二日米陸軍が接収した。同二五年米海軍航空基 ...
34. あんどう-あきら【安藤明】
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35. ウィルソン(Edward Osborne Wilson)
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一貫してアリ類の行動,生態,地理的分布を研究してきたが,一般理論にも関心が深く,1967年にはマッカーサーR.H.MacArthurと共著で《島の生物地理学説T ...
36. ウィロビー
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1892−1972 アメリカの軍人。1892年3月8日生まれ。昭和20年マッカーサーとともに来日し,GHQ参謀第二部長となる。反共的施策をすすめ,吉田政権の基礎 ...
37. うんゆしょう【運輸省】画像
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運輸省は運輸行政をつかさどる中央官庁として位置づけられることとなり、また同時に芦田均首相あてマッカーサー書簡により、官庁企業を公共企業体として再編する方針が与え ...
38. 英語語源学 105ページ
文庫クセジュ
〕199-200ページ)ということになりうる.  もっと近年(1992年)になってトマス・マッカーサー(Thomas McArthur)は,『オックスフォード英 ...
39. えど・とうきよう【江戸・東京】東京都
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住いで空腹をかかえ、その多くが食を求めて町中の焼跡をさまよった。敗戦直後、連合国最高司令官マッカーサーの指揮下、約三万人を超える占領軍の将兵が神奈川県厚木・横浜 ...
40. NGOと人道支援活動 36ページ
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45. おくむら-かつぞう【奥村勝蔵】
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明治36年8月7日生まれ。大正15年外務省にはいり,昭和16年書記官としてワシントンに赴任。戦後,昭和天皇とマッカーサーの会談の通訳をつとめる。27年外務次官と ...
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48. 海上自衛隊
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