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  11. 范寛

范寛

ジャパンナレッジで閲覧できる『范寛』の世界人名大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

岩波 世界人名大辞典
はんかん【范寛】
Fàn Kuān
名:中正 字:中立(仲立)

中国北宋の画家.

華原(現,陝西銅川)の人.性格が温厚で度量が大きかったことから「寛」とあだ名されるようになったという.在野の山水画家で,天聖年間 [1023-32]には,なお在世していたとされる(《図画見聞誌》4).はじめ李成を学んだとも伝えられるが,自らの暮らす土地の風土に根ざした高遠山水に独自の様式を打ちたて,李成と華北山水画を二分する様式を築いた.切り立った崖と上部の灌木の樹叢,短い線描を打ち重ねる雨点皴も,黄土高原の地資を踏まえたものである.徹底した自然観察によって得た着想を画に反映させたといわれ,写実性と象徴性を兼ね備える北宋山水画の特質を高度に達成した.その画風は,北宋末の李唐に発展的に受け継がれ,南宋院体画風への素地ともなった.〈谿山行旅図〉(台北故宮博物院)が現存し,南宋の流派作とみられる〈臨流独坐図〉(台北故宮博物院)もある.

〖文献〗 聖朝名画評2.図画見聞誌1, 4.宣和画譜11.〖参考〗 李霖燦:范寛画蹟研究, 1970(《中国画史研究論集》).



改訂新版 世界大百科事典
范寛
はんかん
Fàn Kuān

中国,北宋初期の山水画家。生没年不詳。本名は中正,字は中立。華原(陝西省耀県)の人。天聖年間(1023-31)になお在世した。当時〈真〉と呼ばれた写実に最も留意し,山林に分け入って自然を徹底的に観察した。その結果,高遠形式,雨点皴,山頂の灌木林などを特徴とする山水画を創出,巨大な峰巒(ほうらん)が威圧感をもって迫る感じは,ともに北宋を代表する李成の平遠山水と対照的。《渓山行旅図》(台北故宮博物院)は現存唯一の真跡。
[曾布川 寛]

[索引語]
Fàn Kuān 李成
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検索コンテンツ
1. はんかん【范寛】(Fàn Kuān)
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宮博物院)もある.〖文献〗 聖朝名画評2.図画見聞誌1, 4.宣和画譜11.〖参考〗 李霖燦:范寛画蹟研究, 1970(《中国画史研究論集》). ...
2. 范寛
世界大百科事典
中国,北宋初期の山水画家。生没年不詳。本名は中正,字は中立。華原(陝西省耀県)の人。天聖年間(1023-31)になお在世した。当時〈真〉と呼ばれた写実に最も留意 ...
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4. かく【郭熙】(Guō Xī)
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〈早春図, 1072〉(台北故宮博物院)は,李成の精緻な淡墨技法に,華北山水画のもう一方の大家范寛(はんかん)の高遠構図を併用している.その上で,彼自身が《林泉 ...
5. けい【夏珪】(Xià Guī)
世界人名大辞典
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6. かんどう【関仝】(Guān Tóng)
世界人名大辞典
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7. しゅんしん【胡舜臣】(Hú Shùnchén)
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8. とうたい【唐岱】(Táng Dài)
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いわれる淡墨技法を駆使して写実的に描き出し,「近視すれども千里の遠の如し」(《聖朝名画評》巻2范寛条)と称された.伝称作品の中では,〈喬松平遠図〉(澄懐堂美術館 ...
10. 燕文貴
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として注目される。代表作は《江山楼観図巻》(模本,大阪市立美術館)。その画風はやや先輩に当たる范寛の強い影響を受けているが,技法においては出身地に近い江南様式の ...
11. 故宮博物院画像
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12. 五代美術
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13. 山水画
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経て、やがて北宋(ほくそう)時代になると山水画は全盛を迎え、一時代を画するに至る。李成(りせい)、范寛(はんかん)、許道寧(きょどうねい)、燕文貴(えんぶんき) ...
14. 山水画
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規定する基本的な枠組みとなる。 ただ,北宋時代は唐代と同様,華北山水画が主流をなした時代であり,李成に学んだ范寛,郭煕らが出て三遠法を駆使した精緻な空間表現を達 ...
15. 皴法画像
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16. すい‐そん【推尊】
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18. 宋詩選注 1 241ページ
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20. 宋代美術
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21. 中国美術画像
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「范寛」の情報だけではなく、「范寛」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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