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  11. イブン・スィーナー

イブン・スィーナー

ジャパンナレッジで閲覧できる『イブン・スィーナー』の世界人名大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

岩波 世界人名大辞典
イブン・スィーナー
ibn Sīnā, Abū ‘Alī al-Ḥusayn
〔ラ〕アウィケンナAvicenna
980.8~1037

イスラーム哲学者,医学者.

ブハラ(現ウズベキスタン)でサーマーン朝のペルシア人官吏の子として生まれ,イスラーム,ギリシア,インドの諸学,特に哲学,医学,数学,天文学などを極めた.サーマーン朝の王子を治療して宮廷に出入りし,豊富な図書を自由に利用することを許されて以降,各地の宮廷で医師または宰相として仕えた.政治的な浮沈は激しく,しばしば身の危険にさらされる放浪の生活を送り,最後はハマダーンで没.イスラームを代表する最高の知性の一人であり,西欧にも大きな影響を与えた.知的活動は旺盛で,各地を転々とするなか,馬上で著述したとされる.確認されている著作は130点を超える.主著《治癒の書:Kitāb al-shifā'》は,プラトンアリストテレス,新プラトン主義,イスラーム神学を総合し,論理学・自然学・数学・形而上学・実践哲学を述べた大著,《医学典範:al-Qānūn fī al-ṭibb》は理論と臨床的な知見を集大成し,そのラテン語訳は12-17世紀の西欧で医学の基本書として用いられた.その哲学は〈存在(wujūd)論〉を基礎とし,神の必然的存在と流出論による世界の生成を組み合わせて,存在の形而上学を展開した.〈学問の頭領al-Shaykh al-Ra'īs〉と尊称され,イスラーム世界に広く影響を与え,特に東方においてムッラー・サドラーなどの神秘主義的哲学(イルファーン‘irfān)の発展に寄与した.西欧でもラテン・アヴィセンナ主義を生んだ.



改訂新版 世界大百科事典
イブン・スィーナー アブー・アリー
Abū ͑Alī ibn Sīnā
中近東 980-1037
イランの哲学者,自然科学者。ペルシャ語読みではエブネ・スィーナーEbne Sīnā。ラテン名アヴィケンナAvicenna。ブハーラー(現ウズベキスタン共和国内)近郊に,ペルシャ人を両親として生まれる。父はイスマーイール派の支持者であった。幼少のころから学問に才能を示し,18歳になるころには,あらゆる学問に精通していた。はじめサーマーン朝の宮廷に医師として仕え,その図書館の膨大な蔵書を自由に利用することができた。しかしガズニー朝のマフムードによりサーマーン朝は滅ぼされ,彼は生地ブハーラーを離れ,イランへ向かう。当時イランを支配していたブワイフ朝の宮廷で医師兼宰相として活躍し,ハマダーンで没した。現在でも彼の廟(びよう)はその地に残っている。
彼はイスラーム哲学,医学の第一人者である。哲学においては,ファーラービーを継承し,新プラトン主義化されたアリストテレス哲学の体系を完成させた。250以上もの著作が彼の名で伝わっている。イスラーム哲学を代表する大作『治癒の書』Kitāb al-šifā͗は,論理学,自然学,数学,形而上(けいじじよう)学の4部からなる哲学的百科事典である。論理学はアリストテレスの《オルガノン》と同じ構造をとり,「入門編(エイサゴーゲー)」で始まり,「詩学」で終わる。自然学は,アリストテレスの自然学,霊魂論,天体論,動物学を網羅するとともに,アリストテレスにはない鉱物学や植物学を含む。数学は,幾何,算術,音楽,天文学からなり,プトレマイオスエウクレイデスによっている。最後の形而上学はアリストテレスの形而上学のほかに,新プラトン主義の〈流出論〉に基づいている。彼はこの大作を『救済の書』Kitāb al-najātおよび『アラー・ウッダウラのための学問の書』Dānesh Nāmeye ͑Alā͗īで簡約している。晩年に書かれた『指示と論評の書』al-Išārāt wa al-tanbīhātには彼の最も円熟した思想が述べられているが,特に最後の3章は神秘主義的主題が扱われている。この書は特に後代に多く読まれ,ファフロッディーン・ラーズィー,ナスィーロッディーン・トゥースィーらによって注釈が書かれた。
さらに『愛について』Risāla fī al-͑išq,『祈りについて』Risāla fī al-baḥṯ ͑ala al-ḏikr,『叡智(えいち)の泉』͑Uyūn al-ḥikma,コーランの章句の注釈などの哲学的・神学的論考,『ヤクザーンの子,ハイイの物語』Ḥayy ibn Yaqẓān,『鳥物語』Risāla al-ṭairなどの象徴を用いた哲学的寓話(ぐうわ)がある。のちにイブン・トゥファイルは,同じ〈ヤクザーンの子ハイイ〉(目覚めた者の子,生きる者という意味がある)という象徴的人名を使って同名の哲学的小説を著したが,内容的には,イブン・スィーナーの著作とは題名以外に共通点はない。
医学の著作では『医学典範』al-Qānūn fī al-ṭibbが最も有名である。また弟子のジューズジャーニーに口述した自伝も残っている。彼の著作はほとんどアラビア語で書かれているが,『アラー・ウッダウラのための学問の書』や『昇天の書』Resāleye Me͑rājīyeなどペルシャ語で書かれたものもある。特に前者は,近世ペルシャ語で書かれた最初の哲学書である。
さらにペルシャ語とアラビア語で書かれた詩がいくつか残っている。有名なものには医学の原理を韻文で説いた『医術詩』al-Urjūza fī al-ṭibbと,魂を鳥にたとえ,肉体という檻(おり)からの解放と天界への上昇を歌った『アイン押韻詩』Qaṣīda al-͑ainīyaがある。
イスラーム世界では彼以前の哲学者の書はしだいに読まれなくなったが,彼だけは常に読まれ続けた。特にイランでは,スフラワルディーの〈照明学〉やモッラー・サドラーの〈叡智(えいち)学〉などに大きな影響を与えた。また,西欧でも12世紀に『治癒の書』や『救済の書』『医学典範』などがラテン語に訳され,アヴェロエス(アラビア名イブン・ルシュド)と並んで,西欧中世思想に影響を及ぼした。
(竹下政孝)
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