1. 八甲田山画像
日本大百科全書
公園域。なお、1902年(明治35)1月23日から25日にかけて、青森歩兵第五連隊第二大隊が八甲田山縦断雪中行軍中、田代平で猛吹雪により210人中199人が凍死 ...
2. 八甲田山[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
北八甲田(きたはっこうだ)連峰の主峰大岳を望む。標高1000mより上はアオモリトドマツなどの針葉樹林で、雪の深い季節には至る所に樹氷が出現する。青森県青森市・十 ...
3. 八甲田山
世界大百科事典
山頂付近が急峻な釣鐘状になっており,これに対し南八甲田の山々は全般に扁平な形のものが多い。 八甲田山の植生は多様で,標高を増すごとに亜高山帯,高山帯と様相を変化 ...
4. はっこうだ‐さん[ハッカフだ‥]【八甲田山】
日本国語大辞典
青森県中央部にある火山群。八甲田大岳(一五八四メートル)・赤倉岳(一五四八メートル)などからなる北八甲田火山群と、櫛ケ峰(一五一六メートル)・乗鞍岳(一四五〇メ ...
5. はっこうださん【八甲田山】青森県:青森市
日本歴史地名大系
北八甲田連峰と南八甲田連峰からなり、青森市・上北郡・南津軽郡および黒石市にまたがる。十和田八幡平国立公園の一部をなす。北八甲田連峰は八甲田大岳(一五八四・六メー ...
6. はっこうださんそうなんじけん【八甲田山遭難事件】
国史大辞典
明治三十五年(一九〇二)一月に、青森の歩兵第五連隊の雪中行軍隊が、八甲田山麓で遭難した事件。寒地作戦の訓練の一環として、第五連隊の第二大隊長山口 ...
7. 青森(県)画像
日本大百科全書
夏は短く冬が長い。生物の分布上でも限界を示すものが多く、植物ではアオモリトドマツ、コメツガなどが八甲田山を北限としている。また、夏泊(なつどまり)半島先端はツバ ...
8. 青森[県]画像
世界大百科事典
植物ではオオシラビソ(アオモリトドマツ),コメツガ,ネズコ,タムシバ,ヒナウチワカエデ,ヒナザクラなどは八甲田山が北限となっており,夏泊半島の先端はツバキの自生 ...
9. あおもりけん【青森県】
国史大辞典
走り、これに那須火山帯が重なり、また北上山地・鳥海火山帯の北端が東南部および西南部に突出し、八甲田山・岩木山・恐山などの火山を生んでいる。山麓には三本木原・八戸 ...
10. あずまだけ【東岳】青森県:青森市
日本歴史地名大系
修験の道場があったと考えることもできる。青森市街から東岳・八甲田山と岩木山が眺望できることから、東岳の頂上が平らなのは、東岳と八甲田山が争い、東岳の首がはねられ ...
11. あらかわ【荒川】青森県:青森市
日本歴史地名大系
八甲田山系櫛ヶ峯直下に源を発し、田茂萢沢・大柳辺沢・合子沢川・横内川などを合して北流し、松森の福田の西で駒込川と合流して堤川となる。長さ三四・三キロ。「新撰陸奥 ...
12. おいらせがわ【奥入瀬川】青森県:上北郡
日本歴史地名大系
近辺には温泉などがあって観光地をなしている。焼山から下流は河岸段丘が発達し、十和田市中掫辺りで八甲田山麓から発する熊ノ沢川を合せる。この辺りから流域には水田が広 ...
13. 奥羽山脈画像
日本大百科全書
すかざんたい)が重複し、新期の火山噴出物がのって2000メートル内外の高度に達する山が多い。八甲田山(はっこうださん)、八幡平(はちまんたい)、岩手山、栗駒山( ...
14. おくせむら【奥瀬村】青森県:上北郡/十和田湖町
日本歴史地名大系
片淵川が北東流して、奥入瀬川に合する。北は法量村、東は沢田村、南は切田村(現十和田市)に接し、西は八甲田山稜を隔てて弘前藩領となる。藩政期に当地を知行した奥瀬安 ...
15. 火山監視・情報センター
日本大百科全書
増やすなど、観測体制の強化が行われることになった。また、常時監視が必要な火山の見直しが行われ、八甲田山(はっこうださん)、十和田(とわだ)、弥陀ヶ原(みだがはら ...
16. 火山帯
世界大百科事典
本質的な問題ではない。この火山帯には樽前山,有珠山,駒ヶ岳(北海道),恵山(えさん),恐山,八甲田山,焼山(秋田),八幡平,岩手山,駒ヶ岳(秋田),栗駒山,鳴子 ...
17. 活火山
日本大百科全書
、九重山(大分)、霧島山(宮崎・鹿児島)など。(3)ランクC 大雪(たいせつ)山(北海道)、八甲田山(青森)、燧ヶ岳(ひうちがだけ)(福島)、赤城山(群馬)、乗 ...
18. かんなり-ぶんきち【神成文吉】
日本人名大辞典
青森歩兵第五連隊中隊長。日露戦争をひかえての雪中訓練として八甲田山雪中行軍の計画作成を担当。訓練の指揮にあたるが,明治35年1月27日八甲田山麓大滝平で遭難死。 ...
19. 木村大作/カメラマン出身監督[映画]
イミダス 2018
。東宝撮影所撮影部にカメラ助手として入社、「野獣狩り」(73年)で初めて撮影監督を務める。「八甲田山」(77年)で第1回日本アカデミー賞優秀技術賞、第21回三浦 ...
20. くろまつないむら【黒松内村】北海道:後志支庁/黒松内町
日本歴史地名大系
家をめぐったあと朱太川の来馬橋(現観音橋)で足を踏み外して死去。凧次郎は明治三五年一月の青森八甲田山遭難事件でアイヌ民族特別捜索隊に参加したことでも知られる。翁 ...
21. こおりば-ふみこ【郡場ふみ子】
日本人名大辞典
家。安政3年生まれ。郡場寛の母。夫の直世とともに青森県の酸ケ湯温泉白雲館の経営にたずさわる。八甲田山の高山植物を研究し,採集植物は千余種に達した。大正14年7月 ...
22. こまきのいせき【小牧野遺跡】青森県:青森市/野沢村
日本歴史地名大系
[現]青森市野沢 小牧野 八甲田山から延びる火山性台地の北端に近く、東は荒川、西は入内川に挟まれた標高約一五〇メートルに位置する縄文時代後期を主体とする遺跡。こ ...
23. こまごめむら【駒籠村】青森県:青森市
日本歴史地名大系
雑木が生えている鷹待場五町二反八畝一ヵ所が留林として、草山として一一ヵ所四七町四反五畝二八歩が記され、八甲田山麓を村域にもつ村の特徴を示している。元禄三年(一六 ...
24. ごしょがわらし【五所川原市】青森県
日本歴史地名大系
天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字の奥法郡にみえる「円沢」(鞠野沢)・「原子」「飯積」は八甲田山西麓から梵珠山地西麓を結ぶ線にあり、浪岡城(現南津軽郡浪岡 ...
25. 三内丸山遺跡画像
日本大百科全書
JR青森駅の南西3キロメートル、小高い台地上の縄文時代集落遺跡。北西に陸奥(むつ)湾、南には八甲田山が望める。1992年(平成4)、県営野球場建設に先だつ発掘調 ...
26. 三内丸山(さんないまるやま)遺跡[考古学]
イミダス 2018
青森県青森市の、八甲田山から陸奥湾にのびる丘陵の先端(標高約20メートル)にある縄紋時代前期中ごろ~中期末(5500~4000年前ごろ)を中心とする集落・埋葬 ...
27. サージェント
日本人名大辞典
長,同大教授,のちアーノルド樹木園園長。明治25年(1892)来日し,3ヵ月にわたり北海道,八甲田山,日光,軽井沢,箱根,木曾などで樹木調査をおこなう。その結果 ...
28. しちのへまち【七戸町】青森県:上北郡
日本歴史地名大系
八平方キロ 上北郡の西に位置し、北は天間林村、東は上北町・十和田市、南は十和田市と接し、西は八甲田山稜となる。西端に八幡岳(一〇二二メートル)がそびえ、町の三分 ...
29. 島田正吾[96歳まで現役を続けた元新国劇の舞台俳優、死去]
イミダス 2018
51年からは映画にも進出し、舞台作品の映画化のほか、「消えた中隊」「六人の暗殺者」「日本のいちばん長い日」「八甲田山」などに出演。NHK大河ドラマ「勝海舟」など ...
30. 植生画像
世界大百科事典
同一気候帯内でも,地形や土壌などの環境の違いによって植生は異なる。土壌の乾湿が影響する場合が多く,例えば八甲田山の山地帯では,尾根から沢まで土壌が乾燥から過湿へ ...
31. 樹氷
世界大百科事典
送電線の鉄塔には大きなものができる。樹氷ですっかり被われた樹木はモンスターと呼ばれ,蔵王山,八甲田山などがとくに有名である。樹氷のできる温度はふつう-5℃以下で ...
32. 酸ヶ湯[温泉]
世界大百科事典
現在は廃止)。付近一帯は十和田八幡平(はちまんたい)国立公園に含まれ,地獄沼や東北大学植物園八甲田山分園がある。夏の登山や春スキーの拠点でもあり,青森からバスが ...
33. すかゆ‐おんせん[‥ヲンセン]【酸ケ湯温泉】
日本国語大辞典
(「すかゆ」は「鹿湯(しかゆ)」の変化したもの)青森市南部、八甲田山西側のふもとにある温泉。十和田八幡平国立公園の北玄関にあたり、国民保養温泉地に指定されている ...
34. 菅江真澄遊覧記 4 59ページ
東洋文庫
いた。津軽郡小田山(八甲田山)に生えているものとおなじである。息苦しいので、めいめいが頼みにしてきた竹杖は、路がぬかってつくことができなくなって、ここで捨ててし ...
35. 菅江真澄遊覧記 4 60ページ
東洋文庫
むことができ、東に岩手山(岩手県)、西に近くみえるのは男鹿半島、そして寒風山、北には小田山(八甲田山)、岩木山(青森県)、南には栗駒山(秋田・岩手・宮城県境)が ...
36. 菅江真澄遊覧記 4 136ページ
東洋文庫
た。いわゆる蜀の支連(ミツバオウレン)であろうと思われる。この草をわたくしが津軽の耕田の岳(八甲田山)で採取したのが最初で、一昨々年この山でも見たが、更にたくさ ...
37. 菅江真澄遊覧記 4 137ページ
東洋文庫
した湿地があちこちにあるところを、みな不思議に思いながら通りすぎた。これは陸奥津軽の耕田の岳(八甲田山)にあったものと同じように、人が耕作したものではなく、ただ ...
38. 菅江真澄遊覧記 4 186ページ
東洋文庫
白上山と呼ばれるのであろう《農作の豊凶を占い、あるいは田畑の耕作の時季を知るに、富士山の布雪、農男、耕田の岳(八甲田山)の蟹子のはさみ、種蒔法師、この舟が沢山の ...
39. 菅江真澄遊覧記 4 215ページ
東洋文庫
わずかな雲もなく、膳棚(一〇ニメートル)・花部山(御鼻部山)の上に、津軽の郡(青森県)との境の耕田の岳(八甲田山)もたいそう近く望まれる。岬がいくつも重なって、 ...
40. 菅江真澄遊覧記 4 284ページ
東洋文庫
ろう。第三巻の解説にも詳しく書いたように、史上に名高い「黄金はな咲くみちのく山」が耕田の山(八甲田山)ではなかろうか、また尾太鉱山がそれではなかろうかと、津軽滞 ...
41. 菅江真澄遊覧記 5 187ページ
東洋文庫
栗駒山(岩手・秋田・宮城県境)の駒、岩木山(青森県)の竜、釜臥が岳(下北半島)の牡丹、小田山(青森県八甲田山)で蟹の鋏の形に残雪がみえると、それぞれ、種蒔きをし ...
42. 菅江真澄遊覧記 5 309ページ
東洋文庫
青森県下北郡東通村の尻屋岬を、その前年の春に訪れた日記であろう。一九小田の山もと 日記 未発見本。青森から八甲田山にのぼり、その付近を巡りあるいた寛政十一年夏ご ...
43. 菅江真澄遊覧記 1 41ページ
東洋文庫
禁止する意味で没収されねばならなかったのではないかと、わたくしは考えている。真澄は後年の随筆のなかでも、むかし八甲田山に金鉱があったとか、登山してみて採鉱用の石 ...
44. 菅江真澄遊覧記 2 113ページ
東洋文庫
刈っている老人に銭を与えて案内させた。毘沙門天を祀る杉のむらだった杜をまもなく離れて、耕田山(八甲田山)を左手に遠く望み、岩木の岳を右手の方にむかって見ながらだ ...
45. 菅江真澄遊覧記 3 120ページ
東洋文庫
しめをひき、神のようにあがめ祭るのは、すべて陸奥の習俗である》。 左の谷川をへだてて、耕田山(八甲田山)には雪が高くふりつもり、あおぎみるだけでも行く先の寒さが ...
46. 菅江真澄遊覧記 3 123ページ
東洋文庫
耕田という文字は小田の文字を近世になって書き改めたのであろう。それで、ここに今ふり仰いでみる高峰(八甲田山)は、小田という山にちがいない。その麓なので、この神社 ...
47. 菅江真澄遊覧記 3 124ページ
東洋文庫
ふみわけて登り、あちらこちらの温泉に入浴してまわる人も多いというので、わたしもそのころ登ってみよう(八甲田山に)、また、こがねの社にも詣でようと心に誓った。こう ...
48. 菅江真澄遊覧記 3 165ページ
東洋文庫
り、花は世間でいうこまつつじとして有名なものに似て、いまを盛りと咲いていたが、これは耕田山(八甲田山)から十年ばかり以前に根ごと掘ってきたもので、誰の家にもこの ...
49. 菅江真澄遊覧記 3 166ページ
東洋文庫
見なさい」といった。 御代に咲くつつじの色よやきかねのこかねの花 をみちのくの山 この山(八甲田山)をなかばほどのぼると、東の面であろう、いつごろに耕したも ...
50. 菅江真澄遊覧記 3 186ページ
東洋文庫
(〔津軽の奥〕注八参照)残雪をみて農時を知る 高岳の残雪の形をみて農耕のときを測る習俗は、各地に多い。八甲田山の種蒔翁、蟹鋏、牛首などのさまは、この日記の図絵に ...