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岩手山

ジャパンナレッジで閲覧できる『岩手山』の日本歴史地名大系のサンプルページ

日本歴史地名大系
岩手山
いわてさん

県の北西部に位置し、山頂付近は岩手郡滝沢たきざわ村・雫石しずくいし町・松尾まつお村・西根にしね町にまたがる。早池峰はやちね山と姫神ひめかみ山とともに岩手三山をなす。那須火山帯に属する複式成層火山の休火山。標高二〇三九メートルで県内最高峰。古期火山の西岩手山火口の東壁部を、新しい東岩手山が覆っている。西岩手山は頂上に東西三キロ・南北二キロの大火口をもち、火口内に御釜おかま湖・御苗代おなわしろ湖があり、外輪山北側を屏風びようぶ尾根、南側を鬼ヶ城おにがじようとよぶ。東岩手山には御鉢おはちとよばれる噴火口(直径約七〇〇メートル)内に、第二次火口の御室おむろと中央火口丘の妙高みようこう山がある。西岩手山の西方には黒倉くろくら(一五七〇メートル)姥倉うばくら(一五一七・三メートル)犬倉いぬくら(一四〇八メートル)が連なり、秋田県境の山並へ続く一帯は雫石町の網張あみはり温泉・滝ノ上たきのうえ温泉、松尾村の松川まつかわ温泉などを含め、十和田八幡平とわだはちまんたい国立公園に指定されている。岩鷲がんじゆ山ともいわれ、裾野の長い秀麗な山容から、岩手富士・南部富士・南部片富士などとも称される。また霧山きりやま嶽ともいわれ、前九年の役の際、源義家が岩手山の観音に祈願したところ、霧が晴れて山頂が姿を現したという(明治七年「岩手山神社考証書」小原文書)。「奥々風土記」には「岩手郡なる諸山に秀たる高山なれば、即郡ノ名を負て、岩手山とはいふ也」とある。古くから歌に詠まれることが多く、「千載集」に左京大夫顕輔の「思へどもいはでの山に年をへてくちやはてなん谷の埋木」や顕昭法師の「人しれぬ涙の川のみなかみやいはでの山の谷のした水」、「続古今集」に皇后宮内侍の「しられじなたえずこころにかかるともいはでのやまのみねのしらくも」などが載る。

正保国絵図に岩鷲山とみえるが、この名がいつから使用されたかは未詳。むしろ史料上は信仰の対象となった岩鷲山大権現(御殿と称する山頂本社および現在の岩手郡滝沢村巌手山神社など)の名が中世末頃からみえるが、岩手山自体が神体であったのは明らかであろう。岩鷲の由来については、前掲考証書によれば、長治年中(一一〇四―〇六)頃に「山上ノ岩ニ鷲屡現レテ、其レヨリ岩鷲山ト称シ来レリ」とみえる。天明八年(一七八八)には菅江真澄が「嵩に鷲のすがたしたる岩の在れば岩鷲山かんじゆさんととなへ、おいはわしといふべきを、もはら語路あしく、はぶきていへり。いはては岩しゆの文字なれば、岩鷲かんじゆのこゑに、いまし世の誰かいひたがひけん」と記している(岩手の山)。なお三光院(のちの自光坊)のものとされる永禄六年(一五六三)の棟札(一方井家蔵)に「岩鷲山宝殿」とあり、「雑書」寛永二一年(一六四四)五月三日条には、打続く日照りのため「自光坊門徒之山伏数人誘引、岩鷲山麓て為法雨乞」と記される。

〔信仰と祭礼〕

岩手山の信仰は山そのものを神体とする自然崇拝に、阿弥陀・薬師・観音信仰などの要素が加わって岩鷲山大権現となり、人々の信仰を集めるようになった。それはまた、修験道とも結合する。前掲考証書に「上古此処磐提之里トモ云、里人ニ吹落ト云者有テ始メテ此山ヲ開ク、祭神大穴牟遅命ヲ勧請シ岩手山ト唱フ」とあり、のち坂上田村麻呂が国家鎮護のために三尊の阿弥陀を安置して本地とし、その後麓の六天が奉仕したという。文治五年(一一八九)の奥州合戦後、奥州に下った工藤小次郎行光は、源頼朝によって岩手郡の地頭に任じられ、岩鷲山宮司となったと伝えられるが(同書など)、詳細は不明。近世においては盛岡藩の「領内総鎮守」として南部氏の崇敬を受け、毎年五月二七日に祭礼が行われていた(同書)。「邦内郷村志」は祭礼の様子を「祭礼自五月二四日至廿八日、杜陵道行程廿五里、山下迄広原平野万民成群、清浄垢離浴水七日、云祷国家安全五穀成就矣、祈声日夜驚城府、山下各建新山堂、不能女人登山也」と記す。当時の代参行列には前駆警固足軽左右各一人、先払裃着一人、金紋先箱左右各一人、貝吹緒袈裟修験左右各二人、警固足軽左右各一人、奉幣並御納衣入りの唐櫃の左右に修験各一人を配し、警固足軽・伴修験が続き、槍持・沓持各一人のあとに、別当黄網代駕籠の左右を狩衣の若党二人が守り、舁夫四人・薙刀一人・立傘白張一人・金紋挟箱一人・草履取一人・合羽一人・口取付騎馬修験七人が続いた(「岩手山記」県立図書館蔵)。「雑書」寛永二一年五月二七日条に「岩鷲祭礼」とみえ、代参として別当養海が神馬一匹を引いて登山しており、同書同年六月二日条には養海・自光坊・滴石円蔵・寄木大蔵院が岩鷲参詣の土産の松葉・当帰(薬草)・硫黄の三種を献上したことが記される。

山麓の東・北・南の各登山口には、遥拝所として新山堂が置かれていた。「邦内郷村志」「御領分社堂」などによると、東は岩手郡滝沢村(現滝沢村)柳沢やなぎさわ新山堂(現在の巌手山神社)で別当は盛岡城下新山しんざん小路の大勝だいしよう寺。北は新山堂(現在の西根町平笠にある岩手山新山神社)で別当は平館たいらだて(現西根町)大蔵だいぞう院。南は同郡長山ながやま(現雫石町)の新山堂(現在の岩手山神社)で別当は同郡雫石村(現同上)円蔵えんぞう院。それぞれ岩鷲山を山号としていた。東口にあたる栗谷川くりやがわ通の柳沢口は盛岡城下からの正参道で、表口参道ともいい、とくに重要視された。

一方、大勝寺・自光坊・篠木禰宜は、岩鷲山大権現別当職をめぐり争っている。篠木禰宜は、建久元年(一一九〇)工藤小次郎行光に従って岩手山に登ったとされる家臣の斎藤藤三郎の末裔といわれ、元禄元年(一六八八)の書上(斎藤文書)によると、毎年五月二八日に新山堂で南部氏繁栄の祈祷および湯立を行っている。自光坊は本山派の修験で、永禄年中には岩手郡一方井いつかたい(現岩手町)におり、岩鷲山の奉祀者であった(前掲棟札)。南部氏の崇敬が厚く、寛永一一年には一八〇石、慶安五年(一六五二)には一八二石を給されていた(岩手県史)。盛岡藩領内の修験総録である(盛岡市の→自光坊屋敷跡。大勝寺は寛永一〇年の創設とされ、羽黒山中興覚書(出羽三山神社蔵)によれば、羽黒山在庁真田氏は南部氏の帰依を得て領内を霞場とし、下向の際は藩主と対面して馳走を受け、人夫・伝馬を給付され領内を巡っていた。しかし元和五年(一六一九)真田清鏡が陸奥三戸へ下着したが、翌年二月まで藩主南部利直と対面もなく、清鏡は怒り三戸城で切腹。利直は清鏡の嫡子に対して先規のとおり霞場を認め、以後羽黒三所権現へ毎年神馬九匹・代参三〇人を立て、初穂として金三〇両を送り、さらに盛岡で羽黒行人を取立て、祈願寺として二〇〇石を宛行ったのが大勝寺であった。貞享四年(一六八七)岩鷲山参詣の山役銭をめぐって、大勝寺と自光坊の間に争論が発生。自光坊は藩から所領を宛行われていることなどを理由に、柳沢口の山役銭徴収権が大勝寺にないことを主張したが認められず、柳沢口を立退く代りに雫石口の自光坊派円蔵院より代参などの登山口を借受けている(「御領分社堂」「雫石歳代日記」など)。円蔵院は西根にしね(現雫石町)大宮おおみや神社の神官で木村相模守を称していた。享禄三年(一五三〇)の大宮再興棟札写(藤平文書)に「代々神主」とあり、慶長八年(一六〇三)の南部利直知行宛行状(雫石木村文書)に「岩鷲禰き」とみえ社人であった。なお北口にあたる平館口(平笠口)の別当大蔵院は本山派の修験で、「邦内郷村志」に「岩鷲山、社領十三石、川又村西福院末院、大蔵院」とみえ、新山堂は初代藩主信直の建立、寛文年中(一六六一―七三)四代藩主重信の再興とある。

登山は「お山がけ」といわれ、精進潔斎して白衣をまとい、六根清浄を唱えて登った。元禄元年の大蔵院境内絵図(田村家蔵)には、潔斎を行う「コリトリバ」(垢離取場)、女人禁制を示す「是より上女人ケツカイヲカイバ」(結界御改場)などの記載がみえる。不浄不潔の者が登山を行った場合には必ず強風・強雨となり、行方不明者を出すといわれる信仰の山であった(邦内郷村志)。また「お山がけ」をしないと一人前の男と認められず岩手山から持帰ったはい松の枝葉を守札に添え、田畑に細竹か葦に結び付けて立てると、五穀豊穣がもたらされると信じられていた(西根町史)。江戸末期には町人らの寄付によって、岩鷲山参詣の道しるべの碑が麓より頂上まで一〇本建てられ(内史略)、岩手山登山口の北口には、登山道に二合目から八合五勺目までの九本が現存し、文政五年(一八二二)の建立とある。同六年、北口の標高一七六〇メートルの平笠不動ひらかさふどう(現西根町)に接待小屋が建てられた。女人禁制が解かれたのは明治中頃からで、女性の団体登山は大正以降という。

〔噴火の記録〕

元禄一〇年の南部領総絵図(盛岡市中央公民館蔵)にも噴火の様子が描かれる岩手山の噴火の記録は、伝承の類を別にすれば天和三年(一六八三)が最初とされる。「雫石歳代日記」には「三月三日より岩鷲山焼初申候」とあり、右京進覚書(木村文書)には「三月三日ノ晩ヨリ岩手山焼ハジマリ、大同年中ニモ焼候由、其ノ節ハ三十六ケ所ヨリ焼出シ、夜モ昼ノ如クニテ恐敷御座候由、又此度焼申候」とみえる。記録上、最も活動が激しかったのは貞享三年から元禄二年まで続く噴火である。「内史略」によると、貞享三年三月二日雷が鳴渡ったのち、北上川の水が濁り、諸木や家財などが流出し、「同三日の晩七ツ時過に空晴、岩鷲山焼、頂上は夥敷黒煙立、及暮に随ひ火の色見得、幅一間程長さ十丁に及候様に相見得申候」と記される。藩では代官二名と岩手郡下栗谷川村(現盛岡市)大沢おおさわ(現滝沢村)の両村肝入を調査に派遣、焼石は鵜飼うかい(現同上)の枝村姥屋敷うばやしき辺りまで飛来、自光坊と同行六人は柳沢新山堂で祈祷を行っている。同月九日には篠木しのぎ(現同上)の斎藤禰宜が山頂に登り、火口をのぞいて帰還、一三日から一四日にかけては、永福えいふく(現盛岡市)以下真言宗派一五ヵ寺の二七人によって、鎮静の祈祷が行われたという(岩手県史)。一〇月三日には、噴火鎮静のため岩鷲山に「岩鷲山正一位大権現」の位階が与えられている(内史略)。その後も火山活動は続き、同四年三月の噴火は強震を伴い、鳴動は五月末頃まで続いたとされる。享保四年(一七一九)一月、岩手山の北東中腹から溶岩が噴出、これが現在の国指定特別天然記念物の焼走り溶岩流である。しかし人畜への被害はなく、同一四年・一六年にも噴火がみられた(岩手県史)。文政六年火山性群発地震が発生。「内史略」には「沼宮内通の内、西根八ケ村は月初、岩鷲山の方より地震昼夜数度鳴動し、同九月二十日頃に至、昼夜の鳴動次第に強く、度数も相増逐日強く、西根八ケ村家屋大方破損」とあるが、他の地域の地震は強くなく、翌七年三月頃までには鳴動も弱くなったという。大正八年(一九一九)七月中旬頃西岩手山大地獄おおじごく付近に直径約一〇メートルの新爆裂口が発生。

山頂付近のコマクサの群落や不動平ふどうたい一帯のハイマツを主体とするコケモモ、シロバナシャクナゲなどの高山植物、またホシガラスやツノボソカモシカ、ツキノワグマなども見られる。滝沢村滝沢の岩手山国有林内の高山植物帯は国指定天然記念物となっている。西麓を中心とした地域には温泉も多く、松川温泉に松川地熱発電所、滝ノ上温泉に葛根田かつこんだ地熱発電所が操業している。南麓の滝沢村から雫石町にかけては、明治二四年(一八九一)開設の小岩井こいわい農場が広がる。岩手山にまつわる伝承は多く、そのうちの一つとして「奥々風土記」には「往古岩手山は雄神にましまして、姫神嶽を本妻とし、早池峰山を妾として座ましき」とあり、岩手山と姫神山が不仲になった結果、姫神山に登った者は岩手山に登らず、もし登れば必ず災難にあったという。また一方の山が晴れると、他方は曇るともいう(岩手郡誌)。なお石川啄木の「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」の歌は、岩手山を詠んだものともいわれ、岩手の代表的名山として県民に親しまれている。

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源流とし,馬淵(まべち)川支流の小繫(こつなぎ)川とは十三本木峠(457m)において谷中分水界をなして,岩手山,姫神山間の厚い火山灰の波状地に狭い段丘を作りなが ...
47. くにがえ【国替】
国史大辞典
小早川隆景の伊予より筑前への転封、徳川家康の東海より関東への転封、伊達政宗の会津より米沢、米沢より岩手山への転封、全国平定後の上杉景勝の越後より会津への転封など ...
48. くにがえ【国替】 : 国替/(二)
国史大辞典
小早川隆景の伊予より筑前への転封、徳川家康の東海より関東への転封、伊達政宗の会津より米沢、米沢より岩手山への転封、全国平定後の上杉景勝の越後より会津への転封など ...
49. 栗駒国定公園画像
日本大百科全書
鳴子(なるこ)峡、小安(おやす)峡の峡谷がある。栗駒山頂からの眺望は、東に太平洋、北に秋田駒、岩手山、西に鳥海山、南西から南方にかけ出羽(でわ)三山と蔵王(ざお ...
50. けだい【懈怠】[方言]
日本方言大辞典
新潟県岩船郡366八幡村方言採集(大滝勝人)=高志路2211970《げたい》 秋田県鹿角郡「げたい坂(岩手山にある急坂)」132鹿角方言考・同補遺(大里武八郎) ...
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岩手山と同じ日本の山カテゴリの記事
富士山(日本大百科全書(ニッポニカ))
山梨・静岡両県にまたがる、玄武岩を主とする成層・円錐火山。かつての富士火山帯の主峰であるが、全国最高の標高(3776メートル)と美しい容姿のために、古来、日本の象徴として仰がれ、親しまれ、海外にもよく知られる活火山。その傾斜は山頂部で32~35度
宝登山(日本歴史地名大系)
町境にそびえ、標高四九七・一メートル。山麓には宝登山神社・玉泉(ぎよくせん)寺、山頂には宝登山神社奥宮があり、古くから信仰の山であった。山名の由来は、弘法大師が山頂に宝珠の翻るのをみて名付けたとか、凹地・窪地をあらわすホドに因むなどといわれる。
御嶽山(日本大百科全書(ニッポニカ))
長野・岐阜県境にそびえる複式の成層火山。木曽御嶽ともいう。中央火口丘の剣ヶ峰(けんがみね)が最高峰で標高3067メートル。外輪山(摩利支天山、継母岳)、寄生火山(継子岳、三笠山)、噴火口跡(一ノ池~五ノ池)などが南北に連なり、これらを総称して御嶽山とよぶ。頂上周辺の一ノ池
槍ヶ岳(日本歴史地名大系)
標高三一八〇メートルの北アルプス第二の高峰で、その峰が槍の穂先のようにとがっていることから命名された。長野県側からは常念岳・燕岳などの北アルプスの前山や美ヶ原などに登らないと見えないが、飛騨側からは高原川の上流地域から望むことができる。
御岳山(日本歴史地名大系)
大岳山から北に延びる御嶽尾根にある高山。御岳山は標高九二九メートル。金峰山・武州御嶽山ともいう。北の大塚山の東手を大沢川が流れ、南西の鍋割山の手前に奥院があり、東に日の出山がそびえる。古くから御嶽山信仰の山として知られ、山頂に吉野金峰山より蔵王権現の分霊を勧請した
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春一番(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
冬から春へと季節が移るころ、冬のうちとは風向きの異なる強風が急に吹き出すことがある。この現象を戒めたことばで、漁業従事者たちの間で、海難防止の意味合いで使われだしたといわれる。春一(はるいち)ともいう。冬のうちの北風、西風を吹かせた西高東低型の気圧
富士山宝永噴火(国史大辞典)
宝永四年(一七〇七)十一月二十三日に始まり、十二月八日まで続いた富士山南東側中腹付近での大噴火。大量の火山弾、火山灰が降ったため「宝永の砂降り」ともよばれる。被災地域は駿河・相模・武蔵三国に及び、江戸でも降灰があり雪が降るようであったという(新井白石
伊吹山(世界大百科事典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
滋賀県と岐阜県の県境を南北にのびる伊吹山地の主峰で,標高1377m。地質は古生代石灰岩よりなり,山麓の古生層は石灰岩が少ない。その地質構造は,巨大な石灰岩が低角度の衝上面で石灰岩の少ない古生層の上に衝上したものとされていたが,褶曲に衝上を伴ったもので
長良川(日本歴史地名大系)
県のほぼ中央部に東西に横たわる位山(くらいやま)分水嶺山脈中に位置する見当(けんとう)山(一三五二・一メートル)を源流とし、濃尾平野を経て、伊勢湾直前で揖斐(いび)川に合流する。地形的には河川争奪によって流域拡大がなされたとも考えられる大日
アルデバラン(日本大百科全書・世界大百科事典)
おうし座のα(アルファ)星の固有名。アラビア語で「後に続くものAlDabaran」の意で、同じおうし座のプレヤデス(すばる)よりも少し遅れて日周運動していることに由来する。日本でもいくつかの地方で「すばるの後星(あとぼし)」とよばれている。冬の夜空で
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