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飯豊山

ジャパンナレッジで閲覧できる『飯豊山』の日本歴史地名大系のサンプルページ

日本歴史地名大系
飯豊山
いいでさん

越後山脈の北部に位置し、標高二一〇五・一メートル。西方の御西おにし(二〇一二・五メートル)、北西の烏帽子えぼし(二〇一七・八メートル)北股きたまた(二〇二四・九メートル)、南西の大日だいにち(二一二八メートル)、南東の種蒔たねまき(一七九一メートル)地蔵じぞう(一五三八・九メートル)などとともに連峰を形成、山頂には飯豊山神社が祀られる。飯豊連峰(飯豊山地)は古生層およびこれを貫く花崗岩からなる隆起山地で、山形・新潟・福島の三県にまたがり、山形県下では西置賜郡飯豊町・小国おぐに町、米沢市などが山域に含まれる。なお山頂付近は本来山形・新潟の県境に位置するものの、飯豊山神社への参詣路沿いに細長く福島県域が割込んでいる。山名の「飯」が通じるところから稲作信仰の山として古くから信仰の対象となった。「延喜式」神名帳には陸奥国一〇〇座のうちに「飯豊イヒトヨノ神社」(賀美郡)、「飯豊比売イヒトヨヒメノ神社」(白河郡)、「飯豊イヒトヨ和気神社」(安積郡)と飯豊を共有する三座がみえ、また他国には同記の神社はないものの、これらの諸社との関連は明らかではない。永保年間(一〇八一―八四)知穎・南海の二上人によって開かれ、以後飯豊山大権現を祀る修験の山として栄えたと伝えるが、白鳳期に智通が、また大同年中(八〇六―八一〇)に空海が開いたとの伝承も残る。別当は古くは会津雀林すずめばやし(現福島県大沼郡会津高田町)法用ほうよう寺、次いで会津いち(現同県耶麻郡山都町)の薬師寺が勤め、一六世紀には中津川なかつがわ岩蔵がんぞう(現飯豊町岩倉神社)と会津永井野ながいの(現会津高田町)蓮華れんげ寺が争ったが、近世には蓮華寺が別当であった。宥明は同寺中興開山とされ、文禄四年(一五九五)領主蒲生氏郷から社領五〇石の寄進を受けるなど、当山の整備を進めた。

元禄期(一六八八―一七〇四)を境に修験色は弱まり、稲作信仰と成人儀礼を中心とする庶民信仰の形態をとるようになり、置賜地方・会津地方では一三―一五歳で参詣してはじめて若衆組に入ることが許されたという。また稲作信仰では種蒔山のイナゴハラに自然発生したと信じられている水稲オヤマシネに対する信仰が中心となり、たとえば山開きが旧暦八月一日(二百十日前後)とされるのは、修験道の心身錬成の名残であると同時にオヤマシネの成熟期がこの頃であり、初穂を捧げに参詣したためと考えられている。登拝口は表参道である会津側の一ノ戸口と弥平四郎やへいしろう(現耶麻郡西会津町)、越後側には滝谷たきだに(現新潟県新発田市)、出羽側では長者原ちようじやはら(現小国町)と米沢道ともよばれた中津川の岩倉いわくら(現飯豊町)の五つがある。岩倉口からはしら川沿いに岳谷たけや大日杉だいにちすぎと登り地蔵岳に出る。地蔵岳から南西に向かい、一ノ戸口からの道と切合きりあわせで合流、尾根伝いに北西に向かい、草履塚ぞうりづか御秘所おひそと経て山頂に達する。近世には岩倉口を出立するとまず不動堂があり、この手前で水垢離をとり、岳谷には口留番所があって、岩倉村伊藤家が口留番役を勤めていた。地蔵岳中腹には御田明神を祀る地蔵堂があり、ここで持参した米をまき、万作・取木・漆木の三種の枝を差込んで田植のまねをするが、「万作とれてうれしい」の語呂合せという。頂上には護摩堂、宿泊できる石室があり、石室の御堂で手をよく洗い、口をすすいで本殿に参拝した(「村史なかつがわ」など)



日本歴史地名大系
飯豊山
いいでさん

福島県耶麻郡山都やまと町・西会津町・熱塩加納あつしおかのう村、山形県西置賜にしおきたま小国おぐに町・飯豊町、新潟県東蒲原ひがしかんばら鹿瀬かのせ町・新発田市・北蒲原郡黒川くろかわ村・岩船いわふね関川せきかわ村にまたがる連山の総称。飯豊連峰・飯豊山地ともいう。本山といわれる飯豊山(二一〇五・一メートル)を中心に、南東に草履ぞうり(一九〇八メートル)種蒔たねまき(一七九一メートル)三国みくに(一六四四メートル)地蔵じぞう(一四八五・二メートル)、北東に地蔵岳(一五九九メートル)、南西に御西おにし(二〇一二・五メートル)大日だいにち(二一二八メートル)・西大日岳(二〇九一・九メートル)、北西に烏帽子えぼし(二〇一七・八メートル)北股きたまた(二〇二四・九メートル)地神ちかみ(一八四九・六メートル)などの諸峰がある。歴史的に、または狭義には信仰の中心で飯豊山(飯豊)神社が祀られる飯豊山をさす。福島・山形・新潟三県の県境は三国岳の山頂であるが、そこから北西約三・五キロの飯豊山神社までの尾根伝いの道は福島県に属している。

〔開創伝承〕

飯豊山の開創伝承によると、二人の猟師によって開かれたとする。天保九年(一八三八)の飯豊乃山ふみ(米沢市立米沢図書館蔵)に「永保元年に、高嶺といへる里の、ちゑだんかいといふふたりの猟人、此山をひらきたりし」とある。現小国町に残る伝承では、高峰たかみね(現飯豊町)の二人の猟師(南海・知影)とか、箱口はこのくち(現小国町)の兄弟の猟師(のち山伏となり、知影・南海と称した)とも伝える。高峰には南海の墓と称するものがある。また喜多方市豊川とよかわ米室の綾金よねむろのあやがねにも南海行人の塚があり、飯豊山を開いた行人と伝える(豊川村誌)。一方「会津正統記」は、唐の青龍寺の尊通国師智道と役小角の両人が開いたとし、また飯豊山礼拝次第(米沢市立米沢図書館蔵)では、役小角が開き、徳一と弘法大師が中興したと記す。

〔飯豊神社とその本体〕

山頂には飯豊神社が祀られるが、寛文六年(一六六六)の「会津風土記」に「飯豊神社在山頂一王子、二王子、三王子、四王子、五王子謂之五権現」とあるように、五王子の総体をいう。五王子社・五社・五社権現・飯豊権現などとも称した。これら五王子は東から西に向かう登拝ルート上にほぼ等間隔で並ぶ。祭神は一王子が味〓高彦根命、二王子が下照姫命、三王子が事代主命、四王子が高光姫命、五王子が御井命とする(新編会津風土記・会津正統記)。明治一一年(一八七八)の神社明細帳(福島県神社庁蔵)では、一王子が御井命、二王子が味耜高彦根命、三王子が下照姫、四王子が事代主命、五王子が高照姫とする。本地仏は、一王子が法界虚空蔵、二王子が金剛虚空蔵、三王子が宝光虚空蔵、四王子が蓮華虚空蔵、五王子が業用虚空蔵であるという(享保一四年「飯豊山案内手鑑」山都町史資料集)。これらを合せて五大虚空蔵という。山下の現山都町にある拝殿には鎌倉時代作とされる銅造五大虚空蔵菩薩坐像(県指定重要文化財)がある。明治以前はこの五王子の本地仏五大虚空蔵が飯豊神社・飯豊権現の本体・神体とされ、信者にもこの五大虚空蔵の摺物が配られた。参詣の登拝期間中には麓から背負って登り、山上の五社にそれぞれ一体ずつ安置したという。

〔飯豊山の別当〕

「会津正統記」によると、もとは法用ほうよう(現会津高田町)で、天文八年(一五三九)領主蘆名盛舜のとき蓮華れんげ(現会津高田町、現廃寺)に代わったとある。この時の蓮華寺住僧は宝泉坊祐順であったというが、「会津旧事雑考」に蘆名盛舜判物写が記録されている。

判 盛舜也
右、飯豊山仙達之事、如前代被宛行宝泉坊権大僧都祐順者也、者守先例、不可有相違之状、如件
天文八年己亥四月十一日

同じく「会津旧事雑考」文禄四年(一五九五)条には、蓮華寺住僧宥明が蒲生氏郷の命で廃絶していた飯豊山の参詣道を開いたので、別当になったという記事もある。慶長六年(一六〇一)には蒲生秀行から寺領五〇石が飯豊山別当に与えられ、以後江戸時代を通じて五〇石であった。一方、山形県側にも別当があり、飯豊乃山ふみに「そも此山は我置賜郡の山にして此方の麓なる岩倉寺べたう(別当)たり」とある。岩倉いわくら寺は現在の飯豊町岩倉の岩倉神社である。また新潟県側でも飯豊山礼拝次第に「飯豊山別当ノコト古ハ越後国中条領多賀居修験山宝院住格別当トモイヘリ」とある。

〔登拝ルート〕

飯豊山への登拝口は、会津側に山都町のいち(一ノ戸口)と西会津町弥平四郎やへいしろう口、山形県側では飯豊町の中津川なかつがわ(岩倉口)、小国町の長者原ちようじやはら口とたき口、新潟県側では鹿瀬町の実川さねかわ口と新発田市の滝谷たきや口・東赤谷ひがしあかたに口などがある。このうち一ノ木口・弥平四郎口・岩倉口・滝谷口は信仰登拝した頃の古いルートである。一ノ木口からのルートは元禄一二年(一六九九)の飯豊山導者絵図(飯豊山神社蔵)によると、麓のいち(現山都町)薬師堂から牛王小屋・村杉木地小屋・塩小屋・菴沢・瀬尾沢不動・長坂十五里・地蔵権現・剣ヶ峯・弘法大師護摩所・箸王子・種蒔場・切合・草履塚・秘所権現・一王子・二王子・三王子・四王子・注連王子(五王子)・浄土口・済(塞)河原・御田原・大日岳の順に記されている。弥平四郎口からは地蔵は通らないものの、箸王子近くに出て予祝を行える種蒔場を通り、聖域の入口である草履塚を通って以下同じである。岩倉口からは御田杉を通り地蔵岳を経て切合で会津ルートと合流し、以下同じ。滝口も西滝・東滝・鍋越山から切合に出て、以下同じである。この切合について飯豊山導者絵図には「出羽越後両国道」とあり、「新編会津風土記」には弥平四郎口からの「極入村よりの道と置賜岩倉村より登る路とここにて行逢ふ故に名けり」とある。なお登拝者(導者)の宿は明治期に一ノ木村で一三戸ほどあったらしい。

〔信仰の範囲〕

宿帳や登拝届、それに飯豊山の碑などを中心に飯豊山の信仰範囲をみると次のようである。福島県では会津がほぼ全域。中通りでは白河市・泉崎いずみざき村・中島なかじま村・石川町・平田ひらた村・浅川あさかわ町・棚倉たなぐら町・鮫川さめがわ村・古殿ふるどの町・玉川たまかわ村・矢吹やぶき町・大信たいしん村・天栄てんえい村・長沼ながぬま町・岩瀬村・鏡石かがみいし町・須賀川市・郡山市・三春みはる町・船引ふねひき町・常葉ときわ町・滝根たきね町・小野おの町・白沢しらさわ村・岩代いわしろ町・本宮もとみや町・大玉おおたま村・二本松市・安達町・福島市など五市二四町村に及ぶ。会津・中通り以外では、浜通りのいわき市域、とくに田村郡滝根町に近い旧小白井こじろい村、石川郡平田村に近い旧三坂みさか村、それに上永井かみながい村・上好間かみよしま村から登拝していた。飯豊山信仰の存在がまだ確認されていないのは、浜通りの大部分と中通りの県北、とくに伊達郡域と福島市の大部分である。山形県では西置賜郡の小国町・飯豊町・白鷹しらたか町、東置賜郡の高畠たかはた町・川西かわにし町それに米沢市・長井市・南陽市域である。新潟県では東蒲原郡の津川つがわ町・鹿瀬町・三川みかわ村・上川かみかわ村、北蒲原郡中条なかじよう町・聖籠せいろう町・豊浦とようら町・黒川村、岩船郡関川村、それに新発田市域である。なお飯豊山の碑で紀年の最も古いものは、今のところ福島県側では天明三年(一七八三)の碑(河沼郡柳津町)、山形県側では寛政九年(一七九七)の碑(米沢市三沢白布平)、新潟県側では弘化三年(一八四六)の碑(北蒲原郡中条町羽黒)であった。逆に最も紀年の新しいものは、福島県側が昭和七年(一九三二)の碑(郡山市湖南町福良)、山形県側が昭和二五年の碑(西置賜郡飯豊町荻生)、新潟県側では昭和一一年の碑(北蒲原郡聖籠町諏訪山)である。

〔登拝の目的〕

登拝の目的には豊作祈願および収穫物(初穂・繭・真綿など)の奉納、成人式の意味をもった通過儀礼として、また家内安全や鎮火祈願・死者供養などもあったようである。会津や山形県置賜地方の一部には、男子が一四、五、六歳ぐらいになると飯豊山参をする習わしがあった。

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1. 飯豊山
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歴史的に、または狭義には信仰の中心で飯豊山(飯豊)神社が祀られる飯豊山をさす。福島・山形・新潟三県の県境は三国岳の山頂であるが、そこから北西約三・五キロの飯豊山 ...
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20. 飯豊(町)画像
日本大百科全書
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世界大百科事典
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22. いいでおんせん【飯豊温泉】山形県:西置賜郡/小国町/小玉川村
日本歴史地名大系
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23. いいでまち【飯豊町】山形県:西置賜郡
日本歴史地名大系
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日本歴史地名大系
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日本歴史地名大系
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26. 逸文(風土記) 467ページ
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27. 逸文(風土記) 470ページ
日本古典文学全集
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日本大百科全書
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30. 越後山脈
世界大百科事典
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31. おおいしいわかげいせき【大石岩陰遺跡】新潟県:新発田市/小戸村
日本歴史地名大系
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33. おぐにまち【小国町】山形県:西置賜郡
日本歴史地名大系
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34. 加治川(川)
日本大百科全書
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35. かじがわ【加治川】新潟県:北蒲原郡
日本歴史地名大系
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36. かのせまち【鹿瀬町】新潟県:東蒲原郡
日本歴史地名大系
面積:二五六・七七平方キロ 郡の北東部に位置し、東は福島県耶麻郡西会津町、北は飯豊山を境に山形県西置賜郡小国町と接し、北西は大日岳(二一二八メートル)・烏帽子山 ...
37. かわにしまち【川西町】山形県:東置賜郡
日本歴史地名大系
いる。気象は盆地性気候で気温の変化が大きく、夏季は乾燥の傾向にあり、冬季は日本海から吹寄せる飯豊山越えの季節風が厳しく、積雪量が多い。山間部は二―二・七メートル ...
38. 紀行・日記編(松尾芭蕉集) 103ページ
日本古典文学全集
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39. きたあいづぐん【北会津郡】福島県
日本歴史地名大系
七九)の創建と伝え、中世に開山した周辺の村々の寺院の多くは蓮華寺の末寺となっている。蓮華寺は飯豊山神社(現山都町)の別当をも兼ね、相当の勢力を鶴沼川以西の大沼郡 ...
40. 喜多方[市]
世界大百科事典
境に新潟・山形両県に接する。町域の8割が山地で,飯豊山麓に源を発する一ノ戸川が町の中央を南流し,南部を流れる阿賀川に合流する。古くから信仰を集めた飯豊山の福島県 ...
41. きたかたし【喜多方市】福島県
日本歴史地名大系
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42. きたかんばらぐん【北蒲原郡】新潟県
日本歴史地名大系
北西は日本海に臨む。現郡域は旧北蒲原郡中央部に横たわる新発田・豊栄両市によって南北に二分される。北部は飯豊山地と櫛形山脈の山地と胎内川・加治川などが形成した越後 ...
43. くらがわむら【闇川村】福島県:会津若松市/旧大戸村地区
日本歴史地名大系
五)の巳待供養塔や宝暦三年(一七五三)の二十三夜塔などがある。入小屋の南東約一キロには「本元飯豊山参道入口」と書かれた標識があり、山道を登ると剣ガ峰・胎内くぐり ...
44. くろい-ただより【黒井忠寄】
日本人名大辞典
寛政6年松川から北条郷への用水路開削に着手。9年総延長32kmの黒井堰を完成させた。ついで11年飯豊山(いいでさん)穴堰の開削に着手したが,同年11月7日死去。 ...
45. くろいはんしろう【黒井半四郎】
国史大辞典
寛政六年に着工し、同八年に完成したが、動員された延べ人数は、人夫約十万・大工一万人余に上る。飯豊穴堰は、飯豊山から越後に流れる玉川の水を、同じ飯豊に発し、置賜盆 ...
46. 黒川
日本大百科全書
1959年(昭和34)の県営の電源開発工事で景勝地となり、また胎内二王子県立自然公園にも指定され、飯豊山の登山口にあたる。国民宿舎胎内パークホテルやスキー場があ ...
47. こあらいむら【小荒井村】福島県:喜多方市
日本歴史地名大系
その南側に中町(現二丁目)、その南に下町(現三丁目)、小田付村に通じる道に沿って四屋(四谷とも記す。現緑町)、飯豊山へ通じる道に沿って寺小路町(現寺町)などの町 ...
48. こたまがわむら【小玉川村】山形県:西置賜郡/小国町
日本歴史地名大系
[現]小国町小玉川 泉岡村の南、飯豊山(二一〇五・一メートル)の北麓山間部にある。境域は玉川および支流内川の最上流域を占め、西は越後国岩船郡。蒲生氏高目録帳に小 ...
49. ごくにゅうむら【極入村】福島県:耶麻郡/西会津町
日本歴史地名大系
山の木地師たちが移住して開いた地という。弥平四郎は飯豊山登拝口の一つでもあり、同所経由の登拝道は会津藩領内西部の登拝者が多く利用、俗に飯豊山裏街道ともよばれた( ...
50. さかいむら【界村】福島県:南会津郡/南郷村
日本歴史地名大系
古くは楢木峠といわれたという。和泉田組の人々が若松への最短路として利用、また柳津(現柳津町)への十三参や飯豊山参に往来した。新鳥井峠ができてからは廃道となる。新 ...
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宝登山(日本歴史地名大系)
町境にそびえ、標高四九七・一メートル。山麓には宝登山神社・玉泉(ぎよくせん)寺、山頂には宝登山神社奥宮があり、古くから信仰の山であった。山名の由来は、弘法大師が山頂に宝珠の翻るのをみて名付けたとか、凹地・窪地をあらわすホドに因むなどといわれる。
槍ヶ岳(日本歴史地名大系)
標高三一八〇メートルの北アルプス第二の高峰で、その峰が槍の穂先のようにとがっていることから命名された。長野県側からは常念岳・燕岳などの北アルプスの前山や美ヶ原などに登らないと見えないが、飛騨側からは高原川の上流地域から望むことができる。
御岳山(日本歴史地名大系)
大岳山から北に延びる御嶽尾根にある高山。御岳山は標高九二九メートル。金峰山・武州御嶽山ともいう。北の大塚山の東手を大沢川が流れ、南西の鍋割山の手前に奥院があり、東に日の出山がそびえる。古くから御嶽山信仰の山として知られ、山頂に吉野金峰山より蔵王権現の分霊を勧請した
乗鞍岳(日本歴史地名大系)
飛騨山脈(北アルプス)に沿い、北から立山(三〇一五メートル)・焼岳(二四五五・四メートル)・乗鞍岳(三〇二六・三メートル)・御嶽山(三〇六三・四メートル)と連なる乗鞍火山帯の主峰で、裾野は大野郡高根村・朝日村・丹生川村と吉城郡上宝村、長野県南安曇郡安曇村にまたがる。
立山(日本歴史地名大系)
県の南東部に位置し、北アルプス(飛騨山脈)の北部にあたる。雄山(三〇〇三メートル)・大汝山(三〇一五メートル)・富士ノ折立(二九九九メートル)で立山本峰を構成する。また立山本峰・浄土山(二八三一メートル)・別山(二八八五メートル)<を総称して立山三山という。
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春一番(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
冬から春へと季節が移るころ、冬のうちとは風向きの異なる強風が急に吹き出すことがある。この現象を戒めたことばで、漁業従事者たちの間で、海難防止の意味合いで使われだしたといわれる。春一(はるいち)ともいう。冬のうちの北風、西風を吹かせた西高東低型の気圧
富士山宝永噴火(国史大辞典)
宝永四年(一七〇七)十一月二十三日に始まり、十二月八日まで続いた富士山南東側中腹付近での大噴火。大量の火山弾、火山灰が降ったため「宝永の砂降り」ともよばれる。被災地域は駿河・相模・武蔵三国に及び、江戸でも降灰があり雪が降るようであったという(新井白石
伊吹山(世界大百科事典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
滋賀県と岐阜県の県境を南北にのびる伊吹山地の主峰で,標高1377m。地質は古生代石灰岩よりなり,山麓の古生層は石灰岩が少ない。その地質構造は,巨大な石灰岩が低角度の衝上面で石灰岩の少ない古生層の上に衝上したものとされていたが,褶曲に衝上を伴ったもので
長良川(日本歴史地名大系)
県のほぼ中央部に東西に横たわる位山(くらいやま)分水嶺山脈中に位置する見当(けんとう)山(一三五二・一メートル)を源流とし、濃尾平野を経て、伊勢湾直前で揖斐(いび)川に合流する。地形的には河川争奪によって流域拡大がなされたとも考えられる大日
アルデバラン(日本大百科全書・世界大百科事典)
おうし座のα(アルファ)星の固有名。アラビア語で「後に続くものAlDabaran」の意で、同じおうし座のプレヤデス(すばる)よりも少し遅れて日周運動していることに由来する。日本でもいくつかの地方で「すばるの後星(あとぼし)」とよばれている。冬の夜空で
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