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武尊山

ジャパンナレッジで閲覧できる『武尊山』の日本歴史地名大系のサンプルページ

日本歴史地名大系
武尊山
ほたかさん

ほたかやまともいう。利根郡の中央部に位置し、山塊は水上みなかみ町・片品かたしな村・川場かわば村・沼田市の境界をなす。截頭円錐形の成層火山で、標高二一五八・三メートルの武尊山(沖武尊)の南側は馬蹄形の凹地形をなし、それを囲んでけんヶ峰(西武尊)・前武尊・獅子ししはな山などの峰がある。基盤は中生層、花崗岩・蛇紋岩などの古期岩類とグリーンタフ第三紀層。植生は日本海型で、北面はオオバザサ、チシマザサを低木層にもつブナの原生林、南面は多くの部分が二次林。山頂部はチシマザサ群落が広く分布、稜線部には小湿原や小池塘があって、エゾホソイ、ヒメカワズスゲ、キンコウカなどが分布する。亜高山帯はダケカンバ林。山腹部はいくつもの放射谷によって刻まれ、その一つ川場谷の旧噴火口跡とみられる所を源流とする薄根うすね川が流れる。同川は川場谷を流れ下る間に枝沢の水を集め、武尊温泉(川場村)付近で左岸に赤倉あかくら川を合せる。赤倉川上流の赤倉渓谷は武尊渓谷とともに深い森林に覆われた渓谷美で知られる。登山口は東の花咲はなさく(片品村)、南の川場口(川場村)、西の藤原ふじわら(水上町)がある。

武尊は信仰の山、修験の山として知られる。山麓一帯の村々には武尊社が祀られ、かつては修験寺院(道場)も多かった。武尊社の祭神はほとんどが日本武尊だが穂高見命とする社もある。山名・信仰とも信州穂高ほたか岳・穂高神社と関連するとみる説もあるが、独自のものと考えるほうが妥当であろう。本来は「峰高」で、麓に住む人々の高峰信仰に発しており、のち、修験者が修行の際の対象仏とすることの多い不動明王(火焔を背にする忿怒像)と「日本書紀」景行天皇四〇年条に記される日本武尊の焼津やいづ(現静岡県焼津市)における説話の姿とを重ね合せて武尊の表記を用いるとともに日本武尊を祀るようになったとみる説がある。また寛文(一六六一―七三)初年沼田藩主真田氏の侍医鈴木法橋が「古事記」「日本書紀」を読んで日本武尊に感動、「ほたか」に武尊の字を当てたのが最初であるという説もある。いずれにしろ武尊社が日本武尊を祭神とするのは武尊の字を用いるようになってからで、そう古いことではない。しかし一方、武尊山神の本地仏は虚空蔵菩薩であったといわれ、未解明の点が多い。山頂には池があり、高峰と池、それに雷雲を加えて、赤城山の小沼このおよび虚空蔵岳に対する信仰と非常に似通っている。「上野国神名帳」の総社本には「実高明神」、一宮本には「保宝明神」、群書類従本には「保宝高明神」と記される従一位の神がある。利根郡の筆頭にあげられており、郡内の信仰の中心であったことは疑いないが、その中心のいわば本社にあたる神社をいずれに比定するかはむずかしい。

修験者の行場としていつ頃から開かれたかは不明だが、麓の寺院(道場)などの記録や伝えからみて、遅くとも江戸初期には入山していたようである。「沼田記」は寛政年間(一七八九―一八〇一)に江戸八丁堀の行者が入山、初めて山頂までの登山路を開いたと記している。本格的にはそれ以降とも考えられる。川場村では、修行のために武尊山へ八回登れば大和大峰へ一回登ったことになるといい伝えているという。山には現在も行者小屋が残り、登山道には登山記念の石碑が建つ。

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

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