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赤城山

ジャパンナレッジで閲覧できる『赤城山』の日本歴史地名大系のサンプルページ

日本歴史地名大系
赤城山
あかぎやま

関東平野の北端に位置する。あかぎさんともいい、上毛三山の一。勢多郡八町村と利根とね郡二村の一〇町村にまたがる山地の総称。那須火山帯に属し、典型的な複式火山。山頂カルデラの中央火口丘の地蔵じぞう(一六七三・九メートル)を中心に北に最高峰黒檜くろび(一八二七・六メートル)、東にこまヶ岳(一六八五メートル)、西に鍬柄くわがら(一五六〇メートル)などの外輪山があり、南に外輪山の寄生火山鍋割なべわり(一三三二・三メートル)あら(一五七一・九メートル)、黒檜山の北には小黒檜こくろび(一六四四メートル)、南東には山頂カルデラの中央火口丘の一つ長七郎ちようしちろう(一五七八・九メートル)、山頂カルデラの西に深山みやまカルデラの中央火口丘すずヶ岳(一五六四・七メートル)などがある。山頂カルデラ内には火口原湖の大沼おの、火口湖の小沼この覚満淵かくまんぶちとよばれる湿原がある。新坂平しんざかだいらには白樺しらかば牧場がある。

大沼の水は沼尻付近で環壁を破り沼尾ぬまお川となって西麓赤城村を流れて利根川に落ちる。小沼の水はかす川となって銚子の伽藍ちようしのがらんで火口瀬をつくり、不動ふどう滝などの景勝地を形成、南麓の広大な裾野を流下し、佐波さわ郡東部、新田につた郡南部の地の灌漑用水であった。このほか東麓では深沢ふかさわ川・小黒おぐろ川・田沢たざわ川、南麓では荒砥あらと川・しら川、北麓では赤城川など、四方の放射谷があり、数多くの小流が山麓に流れている。北面・西面・南面に傾斜のゆるやかな雄大な裾野を展開する。その裾野は北は根利ねり川と片品かたしな川、西は利根川、東は渡良瀬川によって断たれるが、南は延びて関東平野に連なる。

赤城山は八世紀頃は「くろほのねろ」とよばれていたようである。「万葉集」巻一四東歌に「上毛野久路保くろほの嶺ろの久受葉がた愛しけ児らにいや離り来も」とあり、「久路保」とは黒峰の意で黒い雷雲の起こる峰の意といわれる。今でも赤城山の東南渡良瀬川流域の平野部の雷雨は、赤城山から発生する場合が多い。「久路保」の名は現在黒檜山にその名が残る。「上野国神名帳」勢多郡の従三位於神おかみ明神は黒檜山を神格化した神名といわれる。赤城の語源は明らかではない。上野国の豪族上毛野氏が歴史編纂に当たり祖先の名と発生の地を求め紀の地方を考え、祖先の名を豊城入彦命とし、仰ぎ見る山の名を赤城山とした。豊も赤もき(城)の美称であるという説があり、また山の赤い色から「あかきやま」となったなどの説話が残る。「続日本後紀」承和六年(八三九)六月甲申条に赤城神がみえるのが赤城の名称が史料にみえる最初である。「吾妻鏡」建長三年(一二五一)四月二六日条には「去十九日、上野国赤木嶽焼」とある。赤城神を祀る赤城神社は山麓一帯に数多くあるが、近世以降は中腹の宮城みやぎ三夜沢みよさわ赤城神社がその中心となっている。大沼の東南の湖岸大洞沼端だいどうぬまへりにも沼を背に赤城神社が鎮座していた。地名を付け大洞赤城神社と称している。昭和四三年(一九六八)社殿の老朽による再建に当たって、湖上の小鳥ことりヶ島に移築。祭神は磐筒男命・磐筒女命・経津主命・豊木入彦命。本来は赤城神であり、その神体は山であり沼であったろう。神社の創建は社伝では大同元年(八〇六)というが明らかではない。「神道集」の赤城神にかかわる二つの説話では、大沼を神格化し本地仏として千手観音を配し、小沼も小沼神として神格化、本地仏虚空蔵菩薩、地蔵岳は本地仏地蔵が配されている。また、大沼・小沼の湖畔に祠を建てて祀ったという説話内容もあり、この当時すでに人々の信仰の対象として祀られていたようである。江戸時代前橋藩主酒井・松平両氏とも信仰が深く、社殿や玉垣などの造営、修理をたびたび行い、藩主の参拝登山も行われた。寿延じゆえん(現前橋市)が別当寺で、城下に里宮もつくられていた。

三夜沢赤城神社と大洞赤城神社との間で、本社(本宮)争いをしている。寛政一一年(一七九九)大洞赤城神社が白川家からの「上野国惣社大洞赤城神社」の額面の奉納と添書の文中の「本社(本宮)」の文言使用に対し、訴訟を三夜沢方が起こした。享和二年(一八〇二)三夜沢方が幕府寺社奉行へ提出した訴状(奈良原文書)では、大洞の社殿は「大洞赤城明神之義、先年沼田・深沢之産子、老神之者当社山越之参詣難所を厭ひ、慶長元丙申年山上に拝所を構え秀倉相立、漸弐百年来之社ニ而、当社之末社たる事歴然ニ御座候」と強調している。なお前述の社殿移築の際、島の中央にあった宝塔(赤城塔、応安五年銘)の付近から、藤原時代から江戸時代初期にわたる銅鏡が一〇枚ほど出土した。大沼神への納鏡信仰のものである。

赤城山麓の原野は江戸時代、山麓一六八町村の秣場として利用され、入会地紛争や流下河川の用水紛争がたびたびあった(粕川村の→室沢村、宮城村の→苗ヶ島村三夜沢村、利根郡昭和村の→生越村。明治一〇年(一八七七)原野に移住者が入り開墾が始まった。南麓の大胡金丸おおごかなまる(現大胡町)は最も早い時期のもので畑地開墾として始まった。明治末年には芳賀金丸はがかなまる(現前橋市)、大正時代には宮城金丸みやぎかなまる(現宮城村)も加わり四四戸の開拓農家が生れた。昭和二三年には九八戸となった。北面は南面に比べて開拓は小規模であったが中野なかの大河原おおかわら(現昭和村)などが開墾されている。第二次世界大戦後の開拓は南・西・北の斜面で行われ、三五の開拓地が分布する。規模も明治・大正期に比べ大規模に進められた。南斜面は比較的規模の小さい開拓地が分散しているが、北斜面は大きなものが集中している。昭和しようわ村の赤城原地区は大規模な計画的な開拓地で、道路を碁盤形に設け、短冊形の耕地が並び、その一画に家が建っている。現在コンニャク、キャベツ、白菜などの高原野菜の一大産地となっている。これらの開拓地を結び大規模農道が北から西・南を通り東まで抜けている。

現在赤城山一帯は県立赤城公園として整備され、春のツツジ、夏のキャンプ、秋の紅葉、冬のスケート・スキーと四季を通じて訪れる人が多い。登山道は南面前橋口から赤城有料道路(赤城白樺ライン)があり、大胡口からは赤城―大胡線が通じる。北面は利根村から赤城有料道路が山頂に至る。ほかに東に水沼みずぬま口、西に深山口などがある。山頂の大洞には旅館・土産店が立並び、国民宿舎もある。また大沼の北岸には会社・学校などの山寮が多い。

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とあり、「久路保」とは黒峰の意で黒い雷雲の起こる峰の意といわれる。今でも赤城山の東南渡良瀬川流域の平野部の雷雨は、赤城山から発生する場合が多い。「久路保」の名は ...
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アルデバラン(日本大百科全書・世界大百科事典)
おうし座のα(アルファ)星の固有名。アラビア語で「後に続くものAlDabaran」の意で、同じおうし座のプレヤデス(すばる)よりも少し遅れて日周運動していることに由来する。日本でもいくつかの地方で「すばるの後星(あとぼし)」とよばれている。冬の夜空で
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