NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 自然
  6. >
  7. >
  8. 日本の山
  9. >
  10. 赤城山

赤城山

ジャパンナレッジで閲覧できる『赤城山』の日本歴史地名大系のサンプルページ

日本歴史地名大系
赤城山
あかぎやま

関東平野の北端に位置する。あかぎさんともいい、上毛三山の一。勢多郡八町村と利根とね郡二村の一〇町村にまたがる山地の総称。那須火山帯に属し、典型的な複式火山。山頂カルデラの中央火口丘の地蔵じぞう(一六七三・九メートル)を中心に北に最高峰黒檜くろび(一八二七・六メートル)、東にこまヶ岳(一六八五メートル)、西に鍬柄くわがら(一五六〇メートル)などの外輪山があり、南に外輪山の寄生火山鍋割なべわり(一三三二・三メートル)あら(一五七一・九メートル)、黒檜山の北には小黒檜こくろび(一六四四メートル)、南東には山頂カルデラの中央火口丘の一つ長七郎ちようしちろう(一五七八・九メートル)、山頂カルデラの西に深山みやまカルデラの中央火口丘すずヶ岳(一五六四・七メートル)などがある。山頂カルデラ内には火口原湖の大沼おの、火口湖の小沼この覚満淵かくまんぶちとよばれる湿原がある。新坂平しんざかだいらには白樺しらかば牧場がある。

大沼の水は沼尻付近で環壁を破り沼尾ぬまお川となって西麓赤城村を流れて利根川に落ちる。小沼の水はかす川となって銚子の伽藍ちようしのがらんで火口瀬をつくり、不動ふどう滝などの景勝地を形成、南麓の広大な裾野を流下し、佐波さわ郡東部、新田につた郡南部の地の灌漑用水であった。このほか東麓では深沢ふかさわ川・小黒おぐろ川・田沢たざわ川、南麓では荒砥あらと川・しら川、北麓では赤城川など、四方の放射谷があり、数多くの小流が山麓に流れている。北面・西面・南面に傾斜のゆるやかな雄大な裾野を展開する。その裾野は北は根利ねり川と片品かたしな川、西は利根川、東は渡良瀬川によって断たれるが、南は延びて関東平野に連なる。

赤城山は八世紀頃は「くろほのねろ」とよばれていたようである。「万葉集」巻一四東歌に「上毛野久路保くろほの嶺ろの久受葉がた愛しけ児らにいや離り来も」とあり、「久路保」とは黒峰の意で黒い雷雲の起こる峰の意といわれる。今でも赤城山の東南渡良瀬川流域の平野部の雷雨は、赤城山から発生する場合が多い。「久路保」の名は現在黒檜山にその名が残る。「上野国神名帳」勢多郡の従三位於神おかみ明神は黒檜山を神格化した神名といわれる。赤城の語源は明らかではない。上野国の豪族上毛野氏が歴史編纂に当たり祖先の名と発生の地を求め紀の地方を考え、祖先の名を豊城入彦命とし、仰ぎ見る山の名を赤城山とした。豊も赤もき(城)の美称であるという説があり、また山の赤い色から「あかきやま」となったなどの説話が残る。「続日本後紀」承和六年(八三九)六月甲申条に赤城神がみえるのが赤城の名称が史料にみえる最初である。「吾妻鏡」建長三年(一二五一)四月二六日条には「去十九日、上野国赤木嶽焼」とある。赤城神を祀る赤城神社は山麓一帯に数多くあるが、近世以降は中腹の宮城みやぎ三夜沢みよさわ赤城神社がその中心となっている。大沼の東南の湖岸大洞沼端だいどうぬまへりにも沼を背に赤城神社が鎮座していた。地名を付け大洞赤城神社と称している。昭和四三年(一九六八)社殿の老朽による再建に当たって、湖上の小鳥ことりヶ島に移築。祭神は磐筒男命・磐筒女命・経津主命・豊木入彦命。本来は赤城神であり、その神体は山であり沼であったろう。神社の創建は社伝では大同元年(八〇六)というが明らかではない。「神道集」の赤城神にかかわる二つの説話では、大沼を神格化し本地仏として千手観音を配し、小沼も小沼神として神格化、本地仏虚空蔵菩薩、地蔵岳は本地仏地蔵が配されている。また、大沼・小沼の湖畔に祠を建てて祀ったという説話内容もあり、この当時すでに人々の信仰の対象として祀られていたようである。江戸時代前橋藩主酒井・松平両氏とも信仰が深く、社殿や玉垣などの造営、修理をたびたび行い、藩主の参拝登山も行われた。寿延じゆえん(現前橋市)が別当寺で、城下に里宮もつくられていた。

三夜沢赤城神社と大洞赤城神社との間で、本社(本宮)争いをしている。寛政一一年(一七九九)大洞赤城神社が白川家からの「上野国惣社大洞赤城神社」の額面の奉納と添書の文中の「本社(本宮)」の文言使用に対し、訴訟を三夜沢方が起こした。享和二年(一八〇二)三夜沢方が幕府寺社奉行へ提出した訴状(奈良原文書)では、大洞の社殿は「大洞赤城明神之義、先年沼田・深沢之産子、老神之者当社山越之参詣難所を厭ひ、慶長元丙申年山上に拝所を構え秀倉相立、漸弐百年来之社ニ而、当社之末社たる事歴然ニ御座候」と強調している。なお前述の社殿移築の際、島の中央にあった宝塔(赤城塔、応安五年銘)の付近から、藤原時代から江戸時代初期にわたる銅鏡が一〇枚ほど出土した。大沼神への納鏡信仰のものである。

赤城山麓の原野は江戸時代、山麓一六八町村の秣場として利用され、入会地紛争や流下河川の用水紛争がたびたびあった(粕川村の→室沢村、宮城村の→苗ヶ島村三夜沢村、利根郡昭和村の→生越村。明治一〇年(一八七七)原野に移住者が入り開墾が始まった。南麓の大胡金丸おおごかなまる(現大胡町)は最も早い時期のもので畑地開墾として始まった。明治末年には芳賀金丸はがかなまる(現前橋市)、大正時代には宮城金丸みやぎかなまる(現宮城村)も加わり四四戸の開拓農家が生れた。昭和二三年には九八戸となった。北面は南面に比べて開拓は小規模であったが中野なかの大河原おおかわら(現昭和村)などが開墾されている。第二次世界大戦後の開拓は南・西・北の斜面で行われ、三五の開拓地が分布する。規模も明治・大正期に比べ大規模に進められた。南斜面は比較的規模の小さい開拓地が分散しているが、北斜面は大きなものが集中している。昭和しようわ村の赤城原地区は大規模な計画的な開拓地で、道路を碁盤形に設け、短冊形の耕地が並び、その一画に家が建っている。現在コンニャク、キャベツ、白菜などの高原野菜の一大産地となっている。これらの開拓地を結び大規模農道が北から西・南を通り東まで抜けている。

現在赤城山一帯は県立赤城公園として整備され、春のツツジ、夏のキャンプ、秋の紅葉、冬のスケート・スキーと四季を通じて訪れる人が多い。登山道は南面前橋口から赤城有料道路(赤城白樺ライン)があり、大胡口からは赤城―大胡線が通じる。北面は利根村から赤城有料道路が山頂に至る。ほかに東に水沼みずぬま口、西に深山口などがある。山頂の大洞には旅館・土産店が立並び、国民宿舎もある。また大沼の北岸には会社・学校などの山寮が多い。

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。
ジャパンナレッジの利用料金や
収録辞事典について詳しく見る



赤城山の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 446
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 赤城山
世界大百科事典
跡の一つで磐座(いわくら)とみなされている。しかし今日では赤城山信仰の中心は沼神におかれており,《神道集》の赤城山縁起や後の《赤城山御本地》などでも沼神が中心に ...
2. あかぎ‐さん【赤城山】
日本国語大辞典
群馬県中東部にある円錐状二重式火山。最高峰の黒檜(くろび)山(一八二八メートル)、および駒ヶ岳等の外輪山に囲まれ、地蔵岳、長七郎山等の中央火口丘がある。妙義山、 ...
3. 赤城山画像
日本大百科全書
群馬県、関東平野の北西部にそびえる截頭円錐(さいとうえんすい)型(コニーデ)の二重式火山。「あかぎさん」ともいう。榛名山(はるなさん)、妙義山(みょうぎさん)と ...
4. 赤城山[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
群馬県のほぼ中央に位置する山嶺(さんれい)。「上毛三山(じょうもうさんざん)」の一つに数えられる。写真は南側からの眺望で、左から、鍋割山(なべわりやま)、荒山( ...
5. あかぎやま【赤城山】群馬県:勢多郡
日本歴史地名大系
とあり、「久路保」とは黒峰の意で黒い雷雲の起こる峰の意といわれる。今でも赤城山の東南渡良瀬川流域の平野部の雷雨は、赤城山から発生する場合が多い。「久路保」の名は ...
6. 赤城山(あかぎやま)
古事類苑
地部 洋巻 第3巻 824ページ ...
7. せきじょう‐ざん[セキジャウ‥]【赤城山】
日本国語大辞典
中国、浙江省の天台山の南に連なる山。天台山に登る道筋にあり、「天台の南門」といわれる。焼山。セキジョーザン ...
8. あかぎさんじん【赤城山人】
日本人名大辞典
いとなむかたわら,「金剛力士武道礎(いしずえ)」などを執筆した。通称は本屋忠五郎。別号に守信亭,赤城山家女。 ...
9. あいざわ-ただひろ【相沢忠洋】画像
日本人名大辞典
昭和時代の考古学研究家。大正15年6月21日生まれ。行商をしながら,考古学的調査をつづけ,昭和21年群馬県赤城山麓で細石器を発見,24年それまで日本にはないと信 ...
10. 赤城
日本大百科全書
(むら))。現在は渋川市(しぶかわし)の北東部を占める地域。2006年渋川市に合併。旧村域は赤城山の西斜面を占め、西境は利根(とね)川となる。養豚などの畜産、コ ...
11. あかぎおんせん【赤城温泉】群馬県:勢多郡/宮城村/苗ヶ島村
日本歴史地名大系
[現]宮城村苗ヶ島 赤城山南面中腹、荒砥川上流の標高約八〇〇メートルの山中にあり、ここから約二キロ下った所にある忠治温泉と合せて赤城温泉郷を形成する。赤城温泉は ...
12. あかぎ‐こ【赤城湖】
日本国語大辞典
群馬県中東部、赤城山・地蔵岳の北側にある火口原湖、大沼(おの)の異称。アカ〓コ ...
13. あかぎじんじゃ【赤城神社】
国史大辞典
命・豊城入彦(とよきいりひこ)命。創建は崇神、また允恭天皇の世とも伝えるが、しかしその起源は赤城山を神体とする祭場にあったらしく、近くの櫃石は古代祭祀遺跡とされ ...
14. あかぎじんじゃ【赤城神社】群馬県:勢多郡/北橘村/八崎村
日本歴史地名大系
あつく尊崇したと伝えるが証するものはない。正徳三年(一七一三)の寺社書上帳(八崎区有文書)に「赤城山大明神 別当天徳寺 持分五郎右衛門 村中総鎮守」、寛延三年( ...
15. あかぎじんじゃ【赤城神社】群馬県:勢多郡/宮城村/三夜沢村
日本歴史地名大系
月田字御門の地を含み、現前橋市西大室の前二子古墳など大前方後円墳の連なる赤城山南麓の地があてられる。その地から仰ぐ赤城山の豪壮な山容、高岳に伴う各種の自然現象、 ...
16. あかぎじんじゃ【赤城神社】千葉県:流山市/流山村地図
日本歴史地名大系
縛って完成させる。以前は祭礼終了後に取払ったが、現在は翌年まで掲げられている。なお当社が鎮座する赤城山は上州赤城山が破裂して、その土塊が当地に流れ着いてできたと ...
17. あかぎじんじや【赤城神社】東京都:新宿区/旧牛込区地区/牛込赤城元町地図
日本歴史地名大系
近世には赤城明神とよばれ、別当は等覚寺が勤めていた。社伝によれば正安二年(一三〇〇)に上野国赤城山赤城明神の分霊を早稲田村の「田島」の地に勧請したのが草創とされ ...
18. 赤城の子守唄
世界大百科事典
歌謡曲。作詞佐藤惣之助,作曲竹岡信幸。1934年の松竹映画《浅太郎赤城の山》の主題歌。この映画は,赤城山に潜伏中の国定忠治と子分の板割浅太郎を描いた映画だが,中 ...
19. あかぎむら【赤城村】群馬県:勢多郡
日本歴史地名大系
面積:七八・一八平方キロ 赤城山の西麓、勢多郡の北西端に位置し、北は沼田市、利根郡昭和村・利根村、東は富士見村、南は天竜川を隔てて北橘村、西は利根川を隔てて北群 ...
20. あかぎむら【赤城村】埼玉県:北埼玉郡/川里村地図
日本歴史地名大系
台地上に立地し、南方の広田村南東の屈巣沼跡に飛地がある。赤木とも書いた。地名の由来は、上野国赤城山の赤城神社を分祀した赤城社の鎮座によるという(埼玉県地名誌)。 ...
21. あかぼりまち【赤堀町】群馬県:佐波郡
日本歴史地名大系
南は伊勢崎市・東村。東方を早川・岡登用水が、西方を粕川が支流鏑木川・蕨沢川・桂川を集めてそれぞれ南流する。赤城山の南麓、渡良瀬川がつくった扇状地の西端にあたり、 ...
22. あく‐へい【悪柄】
日本国語大辞典
〔名〕横暴で悪辣(あくらつ)なこと。わがまま勝手に悪事を行なうこと。*御伽草子・上野国赤城山之本地(神道集所収)〔室町末〕六「日頃の悪柄おもへしられて置べきぞと ...
23. あざむら【安座村】福島県:耶麻郡/西会津町
日本歴史地名大系
三(人員録)。同八年牧村などと合併して正中村となった。前出赤城神社は和銅五年(七一二)に上野赤城山より磐裂根裂命赤城大明神を勧請したことに始まるという(「赤城大 ...
24. 東路のつと(中世日記紀行集) 500ページ
日本古典文学全集
草津二日路ばかり隔てて、大胡上総介綱長館あり。赤城山・伊香保山、この高山二つの麓あり。外は谷のごとし。いくらともなく茂き林の後ろに続き、前は野山の間に川あり。景 ...
25. あずまむら【東村】群馬県:勢多郡
日本歴史地名大系
も最近は観光地化されつつある。当地では旧四月八日(今は五月八日)の赤城山の山開きの日に、過去一年の間に死者のあった家では赤城山にお参りに行くが、これは祖霊信仰の ...
26. あずまむら【東村】群馬県:佐波郡
日本歴史地名大系
方キロ 佐波郡東部に位置し、東は新田郡藪塚本町・新田町、北は赤堀町、西は伊勢崎市、南は境町。赤城山南麓の大間々扇状地南西部にあたり、標高約八五メートル。村域のほ ...
27. あぼごう・あぼしやかた【安保郷・安保氏館】埼玉県:児玉郡/神川町/元安保村地図
日本歴史地名大系
女堀や地蔵堂などの地名が元阿保の近隣に残っている。また児玉堀は九郷用水とも考えられている。なお群馬県赤城山南麓では大規模な用水遺構として女堀が発見されているが、 ...
28. あらくちまえはらいせき【荒口前原遺跡】群馬県:前橋市/荒口村
日本歴史地名大系
の土器が混在している。分布圏の異なる土器同士の時間的並列関係を示しており、貴重な資料である。赤城山南麓には続いて荒砥前原遺跡などがあり、各遺跡とも弥生時代中期後 ...
29. あらくちむら【荒口村】群馬県:前橋市
日本歴史地名大系
西は荒砥川を隔てて富田村、南は女堀を隔てて今井村・二之宮村、東は荒子村・下大屋村、北は泉沢村。赤城山南面の緩傾斜地にある台地が中心で、畑地が発達している。寛文郷 ...
30. あらとあらこいせき【荒砥荒子遺跡】群馬県:前橋市/荒子村
日本歴史地名大系
[現]前橋市荒子町 赤城山南麓裾部に位置する標高一〇四メートル前後の低台地周辺から、湧水などによる小規模で複雑な沖積地帯が形成される。昭和五八年(一九八三)に調 ...
31. あんつう・ほらいせき【安通・洞遺跡】群馬県:勢多郡/粕川村/室沢村
日本歴史地名大系
出土土器は縄文中期後半から晩期後半にわたる諸型式がみられ、ほかに石器をはじめとして岩版や耳飾等も出土している。赤城山南麓における縄文時代の遺跡立地からみると晩期 ...
32. いいどいむら【飯土井村】群馬県:前橋市
日本歴史地名大系
、百姓家数八七・人数三五二、郷蔵があり、敷地の畑三畝二九歩は免税地。薪や秣は三里半ほど離れた赤城山で採った。天明二年には家数九九、男二一〇・女一七二(「前橋藩領 ...
33. いかりいしむら【碇石村】熊本県:天草郡/新和町
日本歴史地名大系
[現]新和町碇石 小宮地村の西に位置し、南は中田村と接する。赤城山(二二六メートル)から流れる大宮地川上流に沿って平地が開けるが、全般に平地に乏しい小村。慶長国 ...
34. いがやくにお【猪谷六合雄】
国史大辞典
群馬県南勢多郡(勢多郡)富士見村赤城山の旅館に生まれる。父春雄・母ふし。館林中学校中退。オーストリアの軍人レルヒが日本にスキー術を伝えてまもない大正三年(一九一 ...
35. いこうじ【医光寺】群馬県:勢多郡/黒保根村/上田沢村
日本歴史地名大系
また永厳を中興の祖ともいう。客仏として銅製虚空蔵菩薩坐像(県指定重要文化財)を安置。この虚空蔵像は赤城山小沼(現富士見村)付近の小地蔵岳(虚空蔵岳)に祀られてい ...
36. いしいむら【石井村】群馬県:勢多郡/富士見村
日本歴史地名大系
[現]富士見村石井 一之木場村の東に位置し、北は赤城山原野。山林が四分の三を占めていた。古来、時々干害に苦しんだが、安政年間(一八五四―六〇)前橋藩主松平氏が上 ...
37. いしやまいせき【石山遺跡】群馬県:佐波郡/赤堀町/下触村
日本歴史地名大系
[現]赤堀町下触 石山 赤城山南麓の古火山泥流を基層とし、関東ローム層に覆われた残丘陵の南側に所在する。先土器時代終末期の遺跡。調査は昭和四二年(一九六七)に実 ...
38. 伊勢崎[市]
世界大百科事典
2010)。 赤堀 伊勢崎市北端の旧町。旧佐波(さわ)郡所属。人口1万6961(2000)。赤城山南麓,渡良瀬川がつくった扇状地の西端にあり,粕川,早川が南流す ...
39. いせさきし【伊勢崎市】群馬県
日本歴史地名大系
県南部にあり、北は前橋市・佐波郡赤堀町、東は同郡東村・境町、南は埼玉県本庄市、西は佐波郡玉村町。赤城山南面の低地にあり、市域南西境を利根川が、支流粕川が東部を、 ...
40. いそむら【磯村】群馬県:佐波郡/赤堀町
日本歴史地名大系
[現]赤堀町磯 現赤堀町の西北部に位置し、勢多郡に属した。赤城山東南部の中腹から南流する鏑木川と蕨沢川の間に発達。西の蕨沢川対岸は佐位郡西野村、東の鏑木川対岸は ...
41. いたばしむら【板橋村】群馬県:勢多郡/新里村
日本歴史地名大系
[現]新里村板橋・赤城 関村の北に位置し、北は赤城山原野に続く。標高三五〇メートルの等高線がほぼ東西に走る。「寛文朱印留」に村名がみえ、前橋藩領。寛文郷帳による ...
42. いちのきばむら【一之木場村】群馬県:勢多郡/富士見村
日本歴史地名大系
[現]富士見村市之木場 漆窪村の北に位置し、東は石井村。赤城山麓で、村の北部から湧出する谷川によって形成された舌状台地にある。人家は南部にあり、田は川に沿った低 ...
43. いちのせきむら【市之関村】群馬県:勢多郡/宮城村
日本歴史地名大系
[現]宮城村市之関 西柏倉村の西に位置し、北は赤城山原野に続く。西は滝窪村(現大胡町)、南は堀越村(現同上)。寛文郷帳では田方一八六石余・畑方四〇石余、前橋藩領 ...
44. いちのへなおぞう【一戸直蔵】
国史大辞典
企画し、台湾の新高山の頂上をダイナマイトで爆破して天文台を創る案、天文台の三鷹移転に反対して赤城山頂天文台案を出したが、当時の天文台長と衝突して野に下り、それか ...
45. いちのへ-なおぞう【一戸直蔵】
日本人名大辞典
明治38年アメリカのヤーキス天文台に留学,帰国後同大講師となる。東京天文台の麻布から三鷹への移転に反対して赤城山頂設置を主張し,寺尾寿(ひさし)台長と衝突して辞 ...
46. いといみやまえいせき【糸井宮前遺跡】群馬県:利根郡/昭和村/糸井村
日本歴史地名大系
する。また平安時代の住居跡のなかには、柱穴部分に礎石をもつものなど特異な例をもつものがある。赤城山西麓から北麓にかけての、古墳時代・平安時代の集落構造を知るうえ ...
47. いといむら【糸井村】群馬県:利根郡/昭和村
日本歴史地名大系
[現]昭和村糸井 橡久保村の北方、赤城山の北西山麓と片品川の間にある河岸段丘上に立地。天正一〇年(一五八二)一二月二四日の北条氏邦朱印状(林文書)によると、沼田 ...
48. いなふくみじんじゃ【稲含神社】群馬県:甘楽郡/甘楽町/秋畑村
日本歴史地名大系
神楽殿で神楽を奉納し、翌日は那須の氏子の庭に作った場所で神楽を舞う。この山祭は春に山神を迎える行事で、赤城山や榛名山などと同様の祖霊信仰があったことを思わせる。 ...
49. いまいさんきどういせき・いまいみきりづかいせき【今井三騎堂遺跡・今井見切塚遺跡】群馬県:佐波郡/赤堀町/今井村
日本歴史地名大系
[現]伊勢崎市赤堀今井町 赤城山南麓の中央部に位置する。遺跡の一帯は前橋市東部との境界に近い旧赤堀町今井地区で、群馬県でも屈指の古墳密集地帯である。遺跡の位置す ...
50. いわい‐こ・む[いはひ‥]【斎込】
日本国語大辞典
〔他マ下二〕神としてまつりこめる。*御伽草子・上野国赤城山之本地(神道集所収)〔室町末〕六「三人の姫おば、二宮三社大明神といわひこめ申へし宣旨あり」*説経節・を ...
「赤城山」の情報だけではなく、「赤城山」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

赤城山と同じ日本の山カテゴリの記事
宝登山(日本歴史地名大系)
町境にそびえ、標高四九七・一メートル。山麓には宝登山神社・玉泉(ぎよくせん)寺、山頂には宝登山神社奥宮があり、古くから信仰の山であった。山名の由来は、弘法大師が山頂に宝珠の翻るのをみて名付けたとか、凹地・窪地をあらわすホドに因むなどといわれる。
槍ヶ岳(日本歴史地名大系)
標高三一八〇メートルの北アルプス第二の高峰で、その峰が槍の穂先のようにとがっていることから命名された。長野県側からは常念岳・燕岳などの北アルプスの前山や美ヶ原などに登らないと見えないが、飛騨側からは高原川の上流地域から望むことができる。
御岳山(日本歴史地名大系)
大岳山から北に延びる御嶽尾根にある高山。御岳山は標高九二九メートル。金峰山・武州御嶽山ともいう。北の大塚山の東手を大沢川が流れ、南西の鍋割山の手前に奥院があり、東に日の出山がそびえる。古くから御嶽山信仰の山として知られ、山頂に吉野金峰山より蔵王権現の分霊を勧請した
乗鞍岳(日本歴史地名大系)
飛騨山脈(北アルプス)に沿い、北から立山(三〇一五メートル)・焼岳(二四五五・四メートル)・乗鞍岳(三〇二六・三メートル)・御嶽山(三〇六三・四メートル)と連なる乗鞍火山帯の主峰で、裾野は大野郡高根村・朝日村・丹生川村と吉城郡上宝村、長野県南安曇郡安曇村にまたがる。
立山(日本歴史地名大系)
県の南東部に位置し、北アルプス(飛騨山脈)の北部にあたる。雄山(三〇〇三メートル)・大汝山(三〇一五メートル)・富士ノ折立(二九九九メートル)で立山本峰を構成する。また立山本峰・浄土山(二八三一メートル)・別山(二八八五メートル)<を総称して立山三山という。
日本の山と同じカテゴリの記事をもっと見る


「赤城山」は自然に関連のある記事です。
その他の自然に関連する記事
春一番(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
冬から春へと季節が移るころ、冬のうちとは風向きの異なる強風が急に吹き出すことがある。この現象を戒めたことばで、漁業従事者たちの間で、海難防止の意味合いで使われだしたといわれる。春一(はるいち)ともいう。冬のうちの北風、西風を吹かせた西高東低型の気圧
富士山宝永噴火(国史大辞典)
宝永四年(一七〇七)十一月二十三日に始まり、十二月八日まで続いた富士山南東側中腹付近での大噴火。大量の火山弾、火山灰が降ったため「宝永の砂降り」ともよばれる。被災地域は駿河・相模・武蔵三国に及び、江戸でも降灰があり雪が降るようであったという(新井白石
伊吹山(世界大百科事典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
滋賀県と岐阜県の県境を南北にのびる伊吹山地の主峰で,標高1377m。地質は古生代石灰岩よりなり,山麓の古生層は石灰岩が少ない。その地質構造は,巨大な石灰岩が低角度の衝上面で石灰岩の少ない古生層の上に衝上したものとされていたが,褶曲に衝上を伴ったもので
長良川(日本歴史地名大系)
県のほぼ中央部に東西に横たわる位山(くらいやま)分水嶺山脈中に位置する見当(けんとう)山(一三五二・一メートル)を源流とし、濃尾平野を経て、伊勢湾直前で揖斐(いび)川に合流する。地形的には河川争奪によって流域拡大がなされたとも考えられる大日
アルデバラン(日本大百科全書・世界大百科事典)
おうし座のα(アルファ)星の固有名。アラビア語で「後に続くものAlDabaran」の意で、同じおうし座のプレヤデス(すばる)よりも少し遅れて日周運動していることに由来する。日本でもいくつかの地方で「すばるの後星(あとぼし)」とよばれている。冬の夜空で
自然に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶