長野・新潟両県境にあり、標高一九六三・二メートル。上信越高原国立公園(妙高・戸隠地区)に属する。山頂からは日本海や北信濃の連山、更に中部山岳国立公園の山々や姫(ひめ)川峡谷が展望され、それだけにこの山は信越両国の遠くからその山容が望まれ、目印の山ともされてきた。古代の北陸道から松本盆地に通ずる道も雨飾山の西麓といえる戸倉(とぐら)山方面の鞍部を経、三坂(みさか)(御坂)峠を越えて結ばれていた。
信越両国の境にある山であるため、元禄一三年(一七〇〇)以来三ヵ年間、両国境をめぐって、越後側の山口(やまぐち)村と信濃側の小谷(おたり)の村々との間に争論が起こり、幕府の評定所の扱いとなった。原告は山口村であったが、幕府の度重なる調査の結果、元禄一五年一一月二二日、この紛争に対し幕府から争論裁許状が交付された。裁許状には、雨飾山二(に)ノ肩(かた)をはじめとして、今後信越国境の目印とする地点を明示し、裏面には国境絵図が描かれている。
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