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光格天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『光格天皇』の国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典のサンプルページ

国史大辞典
光格天皇
こうかくてんのう
一七七一 - 一八四〇
一七七九―一八一七在位。明和八年(一七七一)八月十五日東山天皇の皇孫である閑院宮典仁親王の第六王子として誕生。生母は贈従一位岩室磐代である。幼称は祐(さち)宮、諱は初め師仁(もろひと)、ついで兼仁(ともひと)と改められた。誕生の翌年聖護院宮忠誉入道親王の附弟となり、将来出家して聖護院門跡を継ぐ予定であったが、安永八年(一七七九)十月後桃園天皇の崩御の際、同天皇の養子となって皇嗣に立てられ、十一月二十五日践祚、翌安永九年十二月四日即位礼を挙げる。この後寛政六年(一七九四)欣子内親王(後桃園天皇皇女)を皇后とした。在位三十九年にして、文化十四年(一八一七)三月二十二日皇太子恵仁親王(仁孝天皇)に譲位、天保十一年(一八四〇)十一月十九日七十歳をもって崩御。陵は京都泉涌寺山内にあり、後月輪陵という。時に久しく絶えていた諡号再興の議が起り、翌十二年閏正月光格天皇と追諡せられた。天皇は資性円満、質素を尚び修飾を好まず、ことに仁愛を旨としたので、諸臣はひとしく敬慕して奉仕したと伝えられる。博学能文を称せられ、作詩に長じ、音楽の嗜みも深かった。また旧儀の復興に意をとどめ、在位の間に石清水社・賀茂社の臨時祭の再興を見るに至った。なお在位中、朝幕間の特記すべき事件に尊号事件がある。実父典仁親王に太上天皇の尊号を宣下しようとした天皇の意向は、江戸幕府の反対によって断念せざるを得なかったが、この事件の影響は長く尾をひき、尊王思想を助長せしめることとなったのである。いま寛政九年正月および七月、同十年七月より九月に至る記事を収めた宸筆御記二冊が東山御文庫に伝存し、また御製集『光格天皇御製』(『列聖全集』所収)が刊行されている。→尊号事件(そんごうじけん),→月輪陵(つきのわのみささぎ)
[参考文献]
帝国学士院編『宸翰英華』二、和田英松「後桃園天皇の崩御と光格天皇の登極について」(『国史国文之研究』所収)
(武部 敏夫)


世界大百科事典
光格天皇
こうかくてんのう
1771-1840(明和8-天保11)

第119代に数えられる天皇。在位1780-1817年。閑院宮典仁親王の第6皇子。名は兼仁(ともひと)。1779年(安永8)後桃園天皇の死に際し後嗣に迎えられ,践祚。皇后は同天皇の皇女欣子内親王。没後,久しく中絶していた諡号(しごう)奉上が復活して,光格天皇と諡(おくりな)された。天皇は経学を好み,博学能文で詩作に長じ,音楽のたしなみも深く,内裏造進の功を賞して五言古詩を将軍徳川家斉に贈っている。在位の間とくに旧儀の再興に意を用い,石清水社,賀茂社の臨時祭をはじめ儀式公事の再興をみたものも少なくない。朝幕間に緊張を起こした事件に〈尊号一件〉がある。すなわち天皇は89年(寛政1)後高倉院,後崇光院両太上天皇の先例により実父典仁親王に太上天皇の尊号を宣下しようとし,5年にわたる折衝にもかかわらず,幕府では老中松平定信が名分論をとって固く反対して,ついに断念せざるをえなかった。この事件は事にあずかった廷臣の処罰によって落着したが,その政治的波紋は長く尾をひき,後年尊王運動の一誘因となった。ちなみに1884年父親王に太上天皇の尊号と慶光天皇の諡号が追贈された。陵墓は京都後月輪陵。
[武部 敏夫]

[索引語]
尊号一件


日本人名大辞典
光格天皇
こうかくてんのう
1771−1840
江戸時代中期-後期,第119代天皇。在位1780*-1817。
明和8年8月15日生まれ。閑院宮典仁(かんいんのみや-すけひと)親王の第6王子。母は大江磐代(いわしろ)。皇子のない後桃園天皇が皇嗣をきめず急逝したため,9歳で皇位をついだ。在位38年,譲位後は院政を23年間おこなう。寛政元年父典仁へ太上天皇の尊号をおくろうとして,老中松平定信に阻止された(尊号一件)。和歌や音楽をよくした。天保(てんぽう)11年11月19日死去。70歳。死後,村上天皇のとき以来875年ぶりに天皇号がおくられた(63代から118代は院号)。墓所は後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は祐(さちの)宮。諱(いみな)は師仁(もろひと),兼仁(ともひと)。歌集に「光格天皇御詠草」,日記に「光格院日記案」。
【格言など】よろづ民やすくたのしむときつ風とよあし原の国さかえつつ(内裏和歌御会)
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1. 光格天皇
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第119代とされる天皇(在位1780~1817)。東山(ひがしやま)天皇の孫の閑院宮(かんいんのみや)典仁(すけひと)親王の第6王子。名は兼仁(ともひと)、幼称 ...
2. 光格天皇
世界大百科事典
,践祚。皇后は同天皇の皇女欣子内親王。没後,久しく中絶していた諡号(しごう)奉上が復活して,光格天皇と諡(おくりな)された。天皇は経学を好み,博学能文で詩作に長 ...
3. こうかく‐てんのう【光格天皇】
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[1771〜1840]第119代天皇。在位1779〜1817。閑院宮典仁(すけひと)親王の第6皇子。名は兼仁(ともひと)。後桃園天皇の養子となって即位。父典仁親 ...
4. こうかく‐てんのう[クヮウカクテンワウ]【光格天皇】
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第一一九代天皇。閑院宮典仁(すけひと)親王の第六子。名は兼仁(ともひと)。安永八年(一七七九)、後桃園天皇の養子として一〇歳で即位。文化一四年(一八一七)譲位。 ...
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陵は京都泉涌寺山内にあり、後月輪陵という。時に久しく絶えていた諡号再興の議が起り、翌十二年閏正月光格天皇と追諡せられた。天皇は資性円満、質素を尚び修飾を好まず、 ...
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7. こうかくてんのう【光格天皇】
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21. あんえい【安永】
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22. あんえい【安永】
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23. いちじょう-ただよし【一条忠良】
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24. いちじょうてるよし【一条輝良】
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25. いちじょう-てるよし【一条輝良】
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26. いちのみやながつね【一宮長常】
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35. 諡
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37. 改訂 京都民俗志 179ページ
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38. かきもとじんじゃ【柿本神社】島根県:益田市/高津村
日本歴史地名大系
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39. かじゅうじけ【勧修寺家】
国史大辞典
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40. 甲子夜話三篇 6 257ページ
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思みしが、此度は古昔の若く崇認し奉る旨、正しぎことを或人示す。左の書面。故院様御儀。 認二光格天皇4 右宣下。 御諡号伝奏、 広橋中納言、  ...
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42. 桂宮
世界大百科事典
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43. かつら‐の‐みや【桂宮】
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44. かつらのみやけ【桂宮家】
国史大辞典
その相続は皇子の誕生をまつこととなったが、公仁親王の死去後四十年にして、文化七年(一八一〇)光格天皇皇子盛仁親王が第九代を相続し、新たに桂宮の称号を賜わった。し ...
45. 桂宮家 系図[図版]
国史大辞典
東山天皇 直仁親王 典仁親王 文仁親王 (京極宮家) 家仁親王 公仁親王 作宮 (常磐井宮家) 光格天皇 仁孝天皇 淑子内親王 盛仁親王 (桂宮家) 孝明天皇  ...
46. かわすくねじんじゃ【甲波宿祢神社】群馬県:渋川市/川島村
日本歴史地名大系
幣使の下向があってより数々の奉幣があったという。宝物は社殿とともに流失し、再建後のものとして光格天皇直筆の勅額ほか数点がある。 ...
47. 閑院宮
世界大百科事典
に後嗣がなく,1872年(明治5)勅旨により載仁親王が伏見宮より入って第6代を継承した。なお光格天皇は第2代典仁親王の王子で,天皇は親王に太上天皇の尊号を宣下し ...
48. かんいんのみやけ【閑院宮家】
国史大辞典
、摂津国西成・島下両郡内の地に改めた。京都廬山寺を菩提寺とする。歴代のうち、第二代典仁親王は光格天皇の実父であり、寛政年間(一七八九―一八〇一)太上天皇の尊号宣 ...
49. 閑院宮家 系図[図版]
国史大辞典
直仁親王 典仁親王 美仁親王 孝仁親王 愛仁親王 光格天皇 載仁親王 春仁王 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
50. かんせい【寛政】
デジタル大辞泉
江戸中期、光格天皇の時の年号。1789年1月25日〜1801年2月5日。  ...
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