1. しゅき【朱熹】(Zhū Xī)
世界人名大辞典
勢力の圧力のため短期間に終わり,〈慶元偽学の禁〉と呼ばれる弾圧の中で,福建建陽の考亭で没した.朱熹は北宋に出現した〈道学(宋学)〉という学派に属し,主著《四書集 ...
2. 朱熹
日本大百科全書
張栻(ちょうしょく)(南軒(なんけん))、呂祖謙(りょそけん)(東莱(とうらい))との交流が始まり、朱熹の思想形成に多大の影響を与えたが、だいたい40歳のころに ...
3. 朱熹
世界大百科事典
歩む当時の国策と合わず,野に下って失意の日々を送っていた。朱熹14歳のとき,父は没するが,その遺託により胡籍渓,劉白水,劉屛山の3人に師事する。このころは朱熹の ...
4. 朱熹 【しゅ・き/ヂュー・シー】
世界文学大事典
た。この弾圧下に朱熹は71歳で没する。 朱熹の死後,南宋末の理宗朝では皇帝自身が道学の信奉者であったため,朱熹の学統をつぐ魏了翁,真徳秀らが政府で活躍した時期も ...
5. 【朱熹】しゅき
新選漢和辞典Web版
人名。南宋(なんそう)の大学者。字(あざな)は元晦(げんかい)または仲晦。号は晦庵(かいあん)。儒(じゅ)教の経典に新しい解釈を加えて、朱子学をうちたてた。( ...
6. 『詩集伝』 【ししゅうでん】
世界文学大事典
→ 朱熹 【しゅき】 ...
7. しゅ‐き【朱熹】
日本国語大辞典
しゅし(朱子)
...8. 朱子 【しゅし】
世界文学大事典
→ 朱熹 【しゅき】 ...
9. 易
新選漢和辞典Web版
(ア)たやすい。簡単な。「容易」⇔難 (イ)…しがちである。「少年易レ老(しょうねんおいやすし)」〈伝朱熹(しゅ/き)の詩・偶成(ぐうせい)〉 ②たいらな。平坦 ...
10. いんかいいつ【尹会一】(Yǐn Huìyī)
世界人名大辞典
に官は吏部侍郎に至った.学術においては理学を提唱し,顔元の学問を奉じながらも,程頤(ていい)や朱熹の学説を重んじた.母の服喪のために郷里にあった際,義倉や義田, ...
11. えんしょう【袁燮】(Yuán Xiè)
世界人名大辞典
塾書鈔.絜斎毛詩.経筵講義.絜斎集.〖文献〗 宋史400.宋元学案75.〖参考〗 市來津由彦:朱熹門人集団形成の研究, 2002. ...
12. おうおうしん【汪応辰】(Wāng Yìngchén)
世界人名大辞典
中らに程学を学び,呂祖謙らを育てた.遠縁の朱熹(しゅき)とも交流した.〖主著〗 文定集.〖文献〗 宋史387.宋元学案46〖参考〗 市来津由彦:朱熹門人集団形成 ...
13. おうこくかん【汪克寛】(Wāng Kèkuān)
世界人名大辞典
会試には自分の主張を曲げなかったために及第せず,以後科挙を捨て仕官を断念して講学と著述に専念.朱熹(しゅき)の高弟黄榦(こうかん)-饒魯(じょうろ)の学統を継ぐ ...
14. おうしゅじん【王守仁】(Wáng Shǒurén)
世界人名大辞典
).翌年には〈知行合一〉を提唱.朱熹(しゅき)《大学章句》を否定して《大学古本》を刊刻,序文(《大学古本序》)と注釈(《大学古本傍釈》)を付す[18].また朱熹 ...
15. おうしん【汪莘】(Wāng Xīn)
世界人名大辞典
208-24]に朝廷に赴いて3度上書し,天変,人事,民衆の窮迫,官吏の汚職などについて論じた.朱熹(しゅき)は汪莘と手紙をやり取りし,その講義を聴きに出かけたり ...
16. おうはく【王柏】(Wáng Bǎi)
世界人名大辞典
0]〕 中国南宋末の儒学者.婺州金華(現,浙江金華)の人.朱熹(しゅき)高弟黄榦(こうかん)の門人何基に学び,学術研究に終生没頭.朱熹の経書本文批判の精神を継承 ...
17. おうふうし【王夫之】(Wáng Fūzhī)
世界人名大辞典
代表作とも言うべき《読四書大全説》では,主として程朱の学の体系や構造に依拠するが,理気論では,朱熹に反して,〈理は気の条理〉とする気一元論的な方向に向かい,欲望 ...
18. おうぼうこう【王懋竑】(Wáng Màohóng)
世界人名大辞典
理由に官を去り,著作活動に打ち込んだ.その主著《朱子年譜》は,長らく朱子学研究の必読書であった.朱熹(しゅき)の著作を徹底的に読み込み分析する考証学的手法で朱子 ...
19. かんげんきつ【韓元吉】(Hán Yuánjí)
世界人名大辞典
1巻》《南潤甲乙稿, 22巻》がある.詞集《焦尾集》があったが今は伝わらず,現在諸本に残る詞は80首.朱熹(しゅき)とも交友があり,陸游(りくゆう)や辛棄疾(し ...
20. かんたくちゅう【韓侂冑】(Hán Tuōzhòu)
世界人名大辞典
ように昇進できなかったため,汝愚を怨むようになり,外戚という立場を利用して権勢を強めて,汝愚や朱熹らを失脚させ,熹らの学派(理学)を偽学として弾圧して(慶元の党 ...
21. きょけん【許謙】(Xǔ Qiān)
世界人名大辞典
諡:文懿〔1270[咸淳6]~1337[順帝至元3.10]〕 中国元の学者.金華(現,浙江金華)の人.朱熹―黄榦(こうかん)―何基―王柏―金履祥―許謙と続く金華 ...
22. きょこう【許衡】(Xǔ Héng)
世界人名大辞典
を名乗り,儒戸の資格を得て講学活動を開始.河南蘇門の程朱学者姚枢(ようすう)から《伊川易伝》や朱熹《四書集註》などの書物を借りて書写,程朱学と自身の関心との一致 ...
23. きんりしょう【金履祥】(Jīn Lǚxiáng)
世界人名大辞典
22[大徳7.3.4]〕 中国南宋末元初の儒学者.婺州蘭渓(現,浙江蘭渓)の人.王柏とその師何基(朱熹高弟黄榦(こうかん)の門人)に学ぶ.南宋末の混乱で仕官せず ...
24. ぎはくよう【魏伯陽】(Wèi Bóyáng)
世界人名大辞典
問わず錬丹に関する基本的古典として重んじられ,五代の彭暁(†955)の《周易参同契分章通真義》や宋の朱熹(しゅき)の《周易参同契考異》をはじめ多くの注釈が作られ ...
25. ぎふじん【魏夫人】(Wèifūrén)
世界人名大辞典
中国北宋の詞人.襄陽(現,湖北襄陽)の人,魏泰の姉,宰相曽布の妻.魯国夫人に封ぜられる.詩詞にたくみにして,朱熹(しゅき)は李清照と並ぶ女性詞人と評価して「本朝 ...
26. ぎりょうおう【魏了翁】(Wèi Liǎowēng)
世界人名大辞典
天であって,この心のほかに天があるわけではない」と諫めたのはその一例である.朱熹,張栻(ちょうしょく)に私淑し,朱熹の高弟輔広と交遊する.蜀(四川省)に理学(朱 ...
27. こいっけい【胡一桂】(Hú Yīguì)
世界人名大辞典
淳祐7]~1314[延祐1]〕 中国元の朱子学者.徽州婺源(現,江西婺源)の人.父の胡方平より朱熹(しゅき)の学問を授けられ,《易》に最も精通した.南宋の景定5 ...
28. こうえい【江永】(Jiāng Yǒng)
世界人名大辞典
婺源)の人.生涯仕えず,弟子からは戴震が出て,皖派(かんぱ)の祖とされる.礼学にすぐれ,朱子(朱熹)の《儀礼経伝通解》を補った《礼書綱目》をはじめ,《周礼疑義挙 ...
29. こうかん【黄榦】(Huáng Gàn)
世界人名大辞典
之を訪ね,彼の才を見抜いた劉の指示により,朱熹(しゅき)に師事する.以後勉学に励み,夜は寝床を設けず帯も解かずそのまま朝を迎えるという様であった.朱熹は後に娘を ...
30. こうこう【高閌】(Gāo Kàng)
世界人名大辞典
紹興1].のち筠州知事に終わる.程頤(ていい)の学問を尊び,その弟子の楊時に学ぶ.礼にも通じ,朱熹(しゅき)は彼のまとめた《送終礼》を司馬光よりも評価し,劉清之 ...
31. こうしき【黄士毅】(Huáng Shìyì)
世界人名大辞典
出身.幼い頃より学問を志し,慶元年間[1195-1200]に,偽学の禁下にあった朱熹(しゅき)に師事する.朱熹没後,各地に散らばる弟子たちは師との問答の記録を〈 ...
32. こうしん【黄震】(Huáng Zhèn)
世界人名大辞典
買い,地方に左遷される.地方官としては各地で善政を敷き,実績をあげた.宋王朝の滅亡後は出仕せず,慈渓に隠棲した.朱熹(しゅき)を尊敬し,その経世致用の立場を発展 ...
33. こけん【胡憲】(Hú Xiàn)
世界人名大辞典
養った.その後,建州州学教授となり,晩年には秘書省正学を務めた.友人朱松(1097~1143)の子である朱熹(しゅき)に学問を授けた.〖文献〗 宋史459.宋元 ...
34. ごうとうそん【敖陶孫】(Áo Táosūn)
世界人名大辞典
侂冑を批判する詩を賦してその怒りに遭い,姓名を変じて福建に難を逃れた.同じく韓侂冑に迫害された朱熹(しゅき)にも同情的な詩を詠じて贈っている.進士及第[1199 ...
35. ごちょう【呉澄】(Wú Chéng)
世界人名大辞典
された.思想的には饒魯(じょうろ)の学統を受けて朱子学を継承しつつも,陸九淵の学説を取り入れて朱熹の理気論や心性論に修正を加え,のちの明代における心学復興の先駆 ...
36. ごよく【呉棫】(Wú Yù)
世界人名大辞典
ず,太常丞となるが,秦檜(しんかい)と折り合いが悪く,泉州通判に左遷された.訓詁・音韻に通じ,朱熹(しゅき)が「近代訓釈の学,惟だ才老のみ優と為す」として,《楚 ...
37. ごよひつ【呉与弼】(Wú Yǔbì)
世界人名大辞典
(せきこう)の族譜に跋文を寄せたとして非難されたこと等々,世俗との折り合いに苦しんだが,孔孟,朱熹(しゅき)に対する一途な尊崇の念は揺るがなかった.胡居仁,婁諒 ...
38. さいかげん【崔嘉彦】(Cuī Jiāyàn)
世界人名大辞典
中国南宋の医家,道士.朱熹(しゅき)《西原庵記》《臥龍庵記》などによると,成紀(現,甘粛天水)の人.戦乱を避け巴東三峡の間に逃れたが,のち廬山(江西星子)に居し ...
39. さいげんてい【蔡元定】(Cài Yuándìng)
世界人名大辞典
②,邵雍(しょうよう)の書を授けられ,学問に専心する.その後朱熹(しゅき)に師事.朱熹はその学識に驚き「我が老友」と称し,学者が訪問してきた際には,まず元定に是 ...
40. さいちょう【蔡沈】(Cài Chén)
世界人名大辞典
定(さいげんてい)の3男.朱熹(しゅき)と父から学問を教授された.父からは洪範の数を授けられて《洪範皇極内篇, 5巻》を著し,《書経》の注を著そうとしていた晩年 ...
41. さいはつ【蔡発】(Cài Fā)
世界人名大辞典
②,邵雍(しょうよう),程顥(ていこう),程頤(ていい)の学を教授することで,朱熹(しゅき)や元定らによる朱子学の確立を準備した.天文や風水にも通じ,清代の《欽 ...
42. しびえん【史弥遠】(Shǐ Míyuǎn)
世界人名大辞典
3],その首を金に送って和議を成立させた.右丞相となり[08:嘉定1],慶元の党禁で追放された朱熹らの名誉を回復した.寧宗が没した際には自分を嫌っていた寧宗の養 ...
43. しもうけい【史蒙卿】(Shǐ Méngqīng)
世界人名大辞典
士[1265:咸淳1].景陵県主簿・江陰教授等を歴任した.陸九淵の学問が盛んな鄞の地にあって,朱熹(しゅき)の学統を伝えた人物とされる.〖文献〗 宋史423.宋 ...
44. しゃりょうさ【謝良佐】(Xiè Liángzuǒ)
世界人名大辞典
仁をみてとる心の躍動を尊重する〈知覚の仁〉説など,南宋初期の儒学思想に影響を与えた.その思想は朱熹(しゅき)編《上蔡語録, 3巻》にうかがえる.〖文献〗 宋史4 ...
45. しゅうとんい【周惇頤】(Zhōu Dūnyí)
世界人名大辞典
をうたった《愛蓮説》も人口に膾炙した.生前,彼は一部の人に称讃されるにとどまっていたが,南宋の朱熹(しゅき)らによる称揚を経て広く知られるようになり,朱子学(道 ...
46. しゅしゅくしん【朱淑真】(Zhū Shūzhēn)
世界人名大辞典
中国宋代の詩人.銭塘(現,浙江杭州)の人とも海寧(安徽黄山)の人ともいわれ,時代も北宋南宋諸説があり,古くは朱熹(しゅき)の姪とも,近年は朱晞顔(1135~12 ...
47. しょうよう【邵雍】(Shào Yōng)
世界人名大辞典
結んだ.その学問は易に基礎を置き,〈先天易〉と称するその象数易(数や図象を重視する易学)は,南宋の朱熹(しゅき)にも大きな影響を与えた.一方で詩人としても著名で ...
48. しんとくしゅう【真徳秀】(Zhēn Déxiù)
世界人名大辞典
僚としては一時史弥遠(しびえん)によって落職に追い込まれたが,のちに参知政事にまで昇りつめた.朱熹(しゅき)の門人詹体仁(せんたいじん)(1143~1206)に ...
49. じょうろ【饒魯】(Ráo Lǔ)
世界人名大辞典
熙4]~1264[景定5]〕 中国南宋の思想家.余干県(現,江西余干)の人.朱熹の高弟黄榦(こうかん)の門人.朱熹の思想をよく継承し,朋来館,石洞書院など民間の ...
50. そうきょう【曽鞏】(Zēng Gǒng)
世界人名大辞典
,派手さには欠けるが,自らの短所をよくわきまえた,堅実で粘り強いところが特徴といえよう.南宋の朱熹(しゅき)は「曽南豊の文は,蘇東坡に較べると,地味ではあるが, ...