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  11. 朱熹

ジャパンナレッジで閲覧できる『朱熹』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

世界人名大辞典・世界文学大事典

岩波 世界人名大辞典
しゅ【朱熹】
Zhū Xī
字:元晦; 仲晦 号:晦庵; 晦翁 諡:文
1130.10.18[建炎4.9.15]~1200.4.23[慶元6.3.9]

中国南宋の思想家,儒者.

一般に朱子と呼ばれる.本籍は徽州の婺源(ぶげん)だが,福建尤渓(ゆうけい)(現,福建三明)で生まれた.科挙に合格,地方官として各地をまわるが,地元の福建で教育と学問に携わる期間が長かった.晩年に煥章閣待制兼侍講として皇帝に講義することとなったが,反対勢力の圧力のため短期間に終わり,〈慶元偽学の禁〉と呼ばれる弾圧の中で,福建建陽の考亭で没した.朱熹は北宋に出現した〈道学(宋学)〉という学派に属し,主著《四書集注》は〈道学〉系統の諸解釈を選択し引用しつつ自己の見解によって筋を通したもので,〈道学〉の四書解釈の決定版である.朱熹は一方で陸九淵陳亮らと論争を重ね,思想界における〈道学〉の地位の確立に腐心した.その思想は,儒教,仏教,道教の問題意識や知識を取り入れ,中国思想史上希有の体系性を備えている.朱熹は宇宙の全ての事物や事象を〈理〉と〈気〉の2概念に還元した.〈気〉とは万物を構成している物質およびそのエネルギーであり,〈理〉は〈気〉の様態や作用・運動を通して把握される法則・秩序であって,朱熹はこの2概念を駆使して,当時の知識人が問題にした全領域にわたって議論を展開した.特に〈心〉に関しては,〈性〉と〈情〉に分け,〈性〉を〈理〉,〈情〉を〈気〉としたうえで,〈心〉の善の根拠を〈性(理)〉におき,〈情(気)〉が〈性(理)〉の発現を妨げる時に悪の原因となるとした.朱熹のこのような〈理〉(法則・秩序)を重視する姿勢は,ともすればその思想に道徳的厳格主義という印象を与えることになった.また万人が聖人になりうるという前提のもとに,聖人の境地に至るための方法として〈格物(事物の理を理解する)〉と〈居敬(心を対象に専一にする)〉を説き,後世の学問論・修養論に大きな影響を与えた.朱熹の思想は〈朱子学〉として,中国はもとより朝鮮,日本,琉球,ベトナムに広がり,大きな権威を持った.

〖著作〗 近思録, 1175(呂祖謙と共編).詩集伝, 1178.周易本義, 1188.朱子文集.朱子語類.〖文献〗 宋史429.〖参考〗 三浦國雄:朱子伝, 2010.



デジタル版 集英社世界文学大事典
朱熹 【しゅ・き/ヂュー・シー】
Zhu Xi
中国 1130(建炎4)-1200(慶元6)
中国,南宋(なんそう)の思想家。字(あざな)は元晦(げんかい),号は晦庵(かいあん)。後世尊称して朱子という。周敦頤(しゆうとんい)(濂渓(れんけい)),張載(横渠(おうきよ)),程顥(ていこう)(明道),程頤(伊川),邵雍(しようよう)(康節)のいわゆる北宋五子によって発展した道学を,南宋において完成した。その学は朱子学と呼ばれ,中国のみならず朝鮮・日本など東アジア世界に,はかりしれない影響を与えた。
 朱熹(しゆき)は1130(建炎4)年に,金軍侵入の難を一家が避けていた南剣州尤渓(ゆうけい)(福建省尤渓県)で生まれた。父は朱松,母は祝氏である。朱松自身道学の徒であり,政治的には専権宰相秦檜(しんかい)の主導する対金和平路線に反対する主戦論者であって,これによって官界から追われた。幼時から父の訓育をうけたが,その没後は劉子翬(りゆうしき),劉勉之,胡憲(こけん)らに師事した。48(紹興18)年に進士科に合格し,51(紹興21)年,泉州同安県主簿(収入役)に任命された。その赴任の途中生涯の師李侗(りとう)(延平)にめぐりあう。この李侗との出会いと,34歳のときの張栻(ちようしよく)(南軒)との出会いが,朱熹の思想形成においてもっとも重要である。
 官僚としての朱熹は,同安県主簿を57(紹興27)年まで務めたあとは,名義的な地位に対して俸給の支払われる閑職,祠録(しろく)官を49歳に至るまでのほぼ20年間,継続的に与えられて家居した。この期間の後半,彼の40代がその思想家としての完成期であり,主要な著作もこの時期に集中している。50代前半には江西南康軍の知事,浙東(せつとう)提挙使(茶塩など専売制の責任者)を務め,60代前半には福建漳州(しようしゆう),湖南潭州(たんしゆう)のそれぞれの知事を務めた。この間食料の欠乏期に農民にこれを貸与する社倉法の推進など,民生向上につとめて地方官としての治績もあげた。94(紹熙5)年即位当初の寧(ねい)宗により,皇帝の顧問官に抜擢(ばつてき)され,『大学』の進講などを通じて,国政の場においてその理想を実現すべく努力した。だが新法党の系譜に連なる実力者,韓侂胄(かんたくちゆう)の策動によって地位を追われた。やがて朝廷では侂胄と道学派趙汝愚(ちようじよぐ)との抗争が激化し,前者が勝利をおさめると,道学派に対する公職追放令〈偽学の禁〉が実施された。この弾圧下に朱熹は71歳で没する。
 朱熹の死後,南宋末の理宗朝では皇帝自身が道学の信奉者であったため,朱熹の学統をつぐ魏了翁(ぎりようおう)真徳秀らが政府で活躍した時期もあったが,朱熹の学問が唯一正統なものと国家に公認されたのは,元の仁宗朝において科挙が復活された際,その答案が彼の古典注釈を基準として書かれるべきと定められてからである。以後彼の学問は,中国近世社会の支配者階級の理論的基盤としての地位を確保した。
 朱熹の著作は多いが,代表的なものとしては呂祖謙(りよそけん)との共編である,道学の入門書『近思録』がある。歴史的なものとして,北宋士大夫の列伝『五朝名臣言行録』『三朝名臣言行録』は,後世の宋代士大夫像を決定づけた。彼は五経よりもさらに学問の根本部分であるとして四書を重視し,『論語集註(しつちゆう)』『孟子集註』『大学章句』『中庸章句』などを著した。伝は『宋史』巻429,『宋元学案』巻48。
(熊本 崇)
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1. しゅ【朱熹】(Zhū Xī)
世界人名大辞典
勢力の圧力のため短期間に終わり,〈慶元偽学の禁〉と呼ばれる弾圧の中で,福建建陽の考亭で没した.朱熹は北宋に出現した〈道学(宋学)〉という学派に属し,主著《四書集 ...
2. 朱熹
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張栻(ちょうしょく)(南軒(なんけん))、呂祖謙(りょそけん)(東莱(とうらい))との交流が始まり、朱熹の思想形成に多大の影響を与えたが、だいたい40歳のころに ...
3. 朱熹
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4. 朱熹 【しゅ・き/ヂュー・シー】
世界文学大事典
た。この弾圧下に朱熹は71歳で没する。 朱熹の死後,南宋末の理宗朝では皇帝自身が道学の信奉者であったため,朱熹の学統をつぐ魏了翁,真徳秀らが政府で活躍した時期も ...
5. 【朱熹】しゅき
新選漢和辞典Web版
人名。南宋(なんそう)の大学者。字(あざな)は元晦(げんかい)または仲晦。号は晦庵(かいあん)。儒(じゅ)教の経典に新しい解釈を加えて、朱子学をうちたてた。( ...
6. 『詩集伝』 【ししゅうでん】
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→ 朱熹 【しゅき】 ...
7. しゅ‐き【朱熹】
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〓しゅし(朱子) ...
8. 朱子 【しゅし】
世界文学大事典
→ 朱熹 【しゅき】 ...
9. 易
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10. いんかいいつ【尹会一】(Yǐn Huìyī)
世界人名大辞典
に官は吏部侍郎に至った.学術においては理学を提唱し,顔元の学問を奉じながらも,程頤(ていい)や朱熹の学説を重んじた.母の服喪のために郷里にあった際,義倉や義田, ...
11. えんしょう【袁燮】(Yuán Xiè)
世界人名大辞典
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12. おうおうしん【汪応辰】(Wāng Yìngchén)
世界人名大辞典
中らに程学を学び,呂祖謙らを育てた.遠縁の朱熹(しゅき)とも交流した.〖主著〗 文定集.〖文献〗 宋史387.宋元学案46〖参考〗 市来津由彦:朱熹門人集団形成 ...
13. おうこくかん【汪克寛】(Wāng Kèkuān)
世界人名大辞典
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14. おうしゅじん【王守仁】(Wáng Shǒurén)
世界人名大辞典
).翌年には〈知行合一〉を提唱.朱熹(しゅき)《大学章句》を否定して《大学古本》を刊刻,序文(《大学古本序》)と注釈(《大学古本傍釈》)を付す[18].また朱熹 ...
15. おうしん【汪莘】(Wāng Xīn)
世界人名大辞典
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16. おうはく【王柏】(Wáng Bǎi)
世界人名大辞典
0]〕 中国南宋末の儒学者.婺州金華(現,浙江金華)の人.朱熹(しゅき)高弟黄榦(こうかん)の門人何基に学び,学術研究に終生没頭.朱熹の経書本文批判の精神を継承 ...
17. おうふうし【王夫之】(Wáng Fūzhī)
世界人名大辞典
代表作とも言うべき《読四書大全説》では,主として程朱の学の体系や構造に依拠するが,理気論では,朱熹に反して,〈理は気の条理〉とする気一元論的な方向に向かい,欲望 ...
18. おうぼうこう【王懋竑】(Wáng Màohóng)
世界人名大辞典
理由に官を去り,著作活動に打ち込んだ.その主著《朱子年譜》は,長らく朱子学研究の必読書であった.朱熹(しゅき)の著作を徹底的に読み込み分析する考証学的手法で朱子 ...
19. かんげんきつ【韓元吉】(Hán Yuánjí)
世界人名大辞典
1巻》《南潤甲乙稿, 22巻》がある.詞集《焦尾集》があったが今は伝わらず,現在諸本に残る詞は80首.朱熹(しゅき)とも交友があり,陸游(りくゆう)や辛棄疾(し ...
20. かんたくちゅう【韓侂冑】(Hán Tuōzhòu)
世界人名大辞典
ように昇進できなかったため,汝愚を怨むようになり,外戚という立場を利用して権勢を強めて,汝愚や朱熹らを失脚させ,熹らの学派(理学)を偽学として弾圧して(慶元の党 ...
21. きょけん【許謙】(Xǔ Qiān)
世界人名大辞典
諡:文懿〔1270[咸淳6]~1337[順帝至元3.10]〕 中国元の学者.金華(現,浙江金華)の人.朱熹―黄榦(こうかん)―何基―王柏―金履祥―許謙と続く金華 ...
22. きょこう【許衡】(Xǔ Héng)
世界人名大辞典
を名乗り,儒戸の資格を得て講学活動を開始.河南蘇門の程朱学者姚枢(ようすう)から《伊川易伝》や朱熹《四書集註》などの書物を借りて書写,程朱学と自身の関心との一致 ...
23. きんりしょう【金履祥】(Jīn Lǚxiáng)
世界人名大辞典
22[大徳7.3.4]〕 中国南宋末元初の儒学者.婺州蘭渓(現,浙江蘭渓)の人.王柏とその師何基(朱熹高弟黄榦(こうかん)の門人)に学ぶ.南宋末の混乱で仕官せず ...
24. はくよう【魏伯陽】(Wèi Bóyáng)
世界人名大辞典
問わず錬丹に関する基本的古典として重んじられ,五代の彭暁(†955)の《周易参同契分章通真義》や宋の朱熹(しゅき)の《周易参同契考異》をはじめ多くの注釈が作られ ...
25. ふじん【魏夫人】(Wèifūrén)
世界人名大辞典
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26. りょうおう【魏了翁】(Wèi Liǎowēng)
世界人名大辞典
天であって,この心のほかに天があるわけではない」と諫めたのはその一例である.朱熹,張栻(ちょうしょく)に私淑し,朱熹の高弟輔広と交遊する.蜀(四川省)に理学(朱 ...
27. いっけい【胡一桂】(Hú Yīguì)
世界人名大辞典
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28. こうえい【江永】(Jiāng Yǒng)
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29. こうかん【黄榦】(Huáng Gàn)
世界人名大辞典
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30. こうこう【高閌】(Gāo Kàng)
世界人名大辞典
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31. こうしき【黄士毅】(Huáng Shìyì)
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出身.幼い頃より学問を志し,慶元年間[1195-1200]に,偽学の禁下にあった朱熹(しゅき)に師事する.朱熹没後,各地に散らばる弟子たちは師との問答の記録を〈 ...
32. こうしん【黄震】(Huáng Zhèn)
世界人名大辞典
買い,地方に左遷される.地方官としては各地で善政を敷き,実績をあげた.宋王朝の滅亡後は出仕せず,慈渓に隠棲した.朱熹(しゅき)を尊敬し,その経世致用の立場を発展 ...
33. けん【胡憲】(Hú Xiàn)
世界人名大辞典
養った.その後,建州州学教授となり,晩年には秘書省正学を務めた.友人朱松(1097~1143)の子である朱熹(しゅき)に学問を授けた.〖文献〗 宋史459.宋元 ...
34. ごうとうそん【敖陶孫】(Áo Táosūn)
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35. ちょう【呉澄】(Wú Chéng)
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36. よく【呉棫】(Wú Yù)
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