1. クビライ(フビライ)(Qubilai)
世界人名大辞典
よる紙幣制度施行と重商主義政策を行った.〖文献〗 元史4-27.集史(クビライ・カーン紀).〖参考〗 杉山正明:クビライの挑戦, 1995. ...
2. 【忽必烈】クビライ*フビライ
新選漢和辞典Web版
人名。元の世祖(せいそ)。成吉思汗(ジンギスカン)の孫。日本にも二度攻めよせたが、大暴風雨のために失敗した。(一二一五~一二九四) ...
3. クビライ
日本国語大辞典
フビライ
...4. クビライ【忽必烈】
国史大辞典
⇒フビライ ...
5. クビライ・カン
日本大百科全書
→フビライ・ハン ...
6. あにか【阿尼哥】(Ānígē)
世界人名大辞典
寸経》に通じた.クビライがパスパをしてチベットに黄金の塔を建てさせる際[1260:中統1]に,ネパールで集めた工匠80人の一人.17歳の阿尼哥が造塔を監督し,翌 ...
7. あんぞう【安蔵】(Ānzàng)
世界人名大辞典
方広仏華厳経》や《文殊所説最勝名義経》をウイグル語に翻訳.後者の残簡が敦煌で発見されている.クビライには〈仁〉による政治を勧め,《尚書》《貞観政要》などのモンゴ ...
8. いっさんいちねい【一山一寧】(Yīshān Yīníng)
世界人名大辞典
10.24]〕 鎌倉時代の中国人渡来僧.書にも勝れた五山文学の先駆者.俗姓は胡氏.元の世祖(クビライ)の命により日本へ正使として,石梁仁恭らと共に元に入貢を促す ...
9. いんかん【印簡】(Yìnjiǎn)
世界人名大辞典
宗に天下の僧事の統轄を命じられた.皇太子の位にあったクビライ(世祖)に仏法の大意を問われ,侍者をしていた劉秉忠(りゅうへいちゅう)をクビライに引き合わせた[42 ...
10. おううん【王惲】(Wáng Yùn)
世界人名大辞典
304.7.23[大徳8.6.20]〕 中国元代の官僚,文人.衛州汲県(現,河南衛輝)の人.クビライが中書省を北中国に設立した[1260:中統1]際に下級事務官 ...
11. おうぶんとう【王文統】(Wáng Wéntǒng)
世界人名大辞典
(現,山東益都)の人.李璮(りたん)の知遇を得て,その長子である彦簡の師となる.皇太子時代のクビライにより同平章事(宰相)に抜擢され,十路宣撫使の設立や,中統鈔 ...
12. おうりょうしん【汪良臣】(Wāng Liángchén)
世界人名大辞典
諡号:忠恵〔1231~81[世祖至元18]〕 中国元代の武将.父は汪世顕.クビライの即位後,アリク・ボケに従って六盤山に籠もっていたアラム・ダール(‘Alam ...
13. かくけい【郝経】(Hǎo Jīng)
世界人名大辞典
の学習が重要だとするが,趙復が程朱学の書物とともに北中国にもたらした〈道学〉の呼称には反対.クビライの命を受けて南宋朝と和議を結ぶべく南行する[1260:中統1 ...
14. かくしゅけい【郭守敬】(Guō Shǒujìng)
世界人名大辞典
.はじめ劉秉忠(りゅうへいちゅう)に師事し,次いで張文謙(1215~83)に水利を学ぶ.世祖クビライに召見され,提挙諸路河渠を授かる[1262:中統3].都水少 ...
15. かじどう【賈似道】(Jiǎ Sìdào)
世界人名大辞典
昀(ちょういん))の時,姉が貴妃となったので右丞相を拝し,のち参知政事,知枢密院事となった.クビライを将とするモンゴル軍の鄂州(湖北)への攻撃[1259:開慶1 ...
16. がしょう【賀勝】(Hè Shèng)
世界人名大辞典
涇陽王〔1264[中統5]~1320[延祐7]〕 モンゴル帝国の政治家,軍人.賀仁傑の子.クビライのケシク(宿衛)に入り[1279:世祖至元16],ナヤンの乱 ...
17. がじんけつ【賀仁傑】(Hè Rénjié)
世界人名大辞典
.即位前のクビライのケシク(宿衛)に入り[1252],大理遠征に従軍し,その即位後はナヤンの乱鎮圧[87:世祖至元24]で活躍した.漢人としては董文忠(1230 ...
18. きょこう【許衡】(Xǔ Héng)
世界人名大辞典
物を借りて書写,程朱学と自身の関心との一致を覚え,この段階での思索を《読易大旨》にまとめる.クビライの徴聘により大都に赴き[1260:中統1],国子祭酒を授けら ...
19. きょこくてい【許国禎】(Xǔ Guózhēn)
世界人名大辞典
医家.経史に博通し,特に医術に精しく,クビライの即位前にバイカル湖域に召され,医薬を管轄.太后やクビライの病を治して寵愛され,政務にも重用された.クビライ即位に ...
20. こうちよう【高智耀】(Gāo Zhìyào)
世界人名大辞典
銀川西北)に身を隠し,その後,オゴデイに近づき,コデンから旧西夏領に所領を与えられ,モンケ,クビライと密接な関係を築き,旧西夏出身者を代表する人物となる.翰林学 ...
21. こしいつ【胡祗遹】(Hú Zhīyù)
世界人名大辞典
るが,《書経》(康誥)にある「祗遹(つつしみしたがう)」が正しい.磁州(現,河北磁県)の人.クビライが中書省を北中国に設立した際[1260:中統1]に下級事務官 ...
22. ごぜんせつ【呉全節】(Wú Quánjié)
世界人名大辞典
~1346[至正6]〕 中国元の正一派の道士.饒州安仁(現,江西安仁)の人.張留孫に従い世祖クビライに謁見[1287:正祖至元24],以後,歴代の皇帝から寵を得 ...
23. さつとら【薩都剌】(Sà Dūlà)
世界人名大辞典
a‘d Allāh〉の音訳であり,意味は〈神の恩寵〉,字の天錫はその意訳だと思われる.祖父がクビライに仕えて功績があり,父は雁門周辺を「鎮守」したという.薩都剌 ...
24. してんたく【史天沢】(Shǐ Tiānzé)
世界人名大辞典
名河間済南東平五路漢軍万戸を授けられ,金朝を滅ぼす戦役で活躍.金朝滅亡後は南宋攻撃に従軍し,クビライ即位[60:中統1]に伴い中書右丞相に任じられる.対アリク・ ...
25. しゃこうごう【謝皇后】(Xièhuánghòu)
世界人名大辞典
(度宗の皇后)とともに元軍に降伏した[76:徳祐2].その後,大都(北京)へ送られ,元の世祖クビライより寿春郡夫人に封ぜられた.〖文献〗 宋史243. ...
26. しょうほどう【蕭輔道】(Xiāo Fǔdào)
世界人名大辞典
)の人.開祖蕭抱珍の再従孫である.博学で才知に富み,世人から山中の宰相と目された.後の世祖(クビライ)に召されて治国の要を説いて大いに喜ばれた[1246:定宗1 ...
27. ちょうけん【趙㬎】(Zhào Xiǎn)
世界人名大辞典
.度宗の没後,4歳で帝位についたため,謝太后(謝皇后)が垂簾(すいれん)聴政を行う.元の世祖クビライの命を受けたバヤン①率いる元軍が都臨安(現,浙江杭州)に迫っ ...
28. ちょうじゅう【張柔】(Zhāng Róu)
世界人名大辞典
[32],対南宋戦争でクチュに[35]従軍し,亳州に駐屯[54].鄂州の役ではクビライに従軍し[59],クビライ即位後は,対アリク・ボケ戦争時の中都(北京)を防 ...
29. ちょうそうえん【張宗演】(Zhāng Zōngyǎn)
世界人名大辞典
〕 中国元の道士,正一派36代天師.信州貴渓(現,江西貴渓)の人.35代天師張可大の子.世祖クビライが江南地方を平定した後,京師に招かれ,江南の道教を主領するこ ...
30. ちょうとくき【張徳輝】(Zhāng Déhuī)
世界人名大辞典
定の史天沢に召されて,経歴官となる.皇太子時代のクビライの知遇を得て[1247],多くの儒者を推薦し,儒戸の免役にあたっても活躍した.クビライが即位すると,河東 ...
31. ちょうもうふ【趙孟頫】(Zhào Mèngfǔ)
世界人名大辞典
退を異にした従兄の趙孟堅が面会後その坐具を濯がせたとの逸話があるが,もとより伝承にすぎない.クビライは出仕を喜び,はじめ兵部郎中を授けた[1287:世祖至元24 ...
32. ちょうりゅうそん【張留孫】(Zhāng Liúsūn)
世界人名大辞典
州貴渓(現,江西貴渓)の人.36代天師張宗演以下,4代の天師に仕える.しばしば霊験を現し世祖クビライの寵を得る.以後も歴代の皇帝から信任を得たため,宗教界のみな ...
33. ちょうりょうひつ【趙良弼】(Zhào Liángbì)
世界人名大辞典
,ともにモンゴルの侵攻下で戦死した.即位前のクビライに見いだされ,邢州安撫司の幕長に抜擢される.その後,陝西の宣撫司の参議司事に任命され,クビライが南征をはじめ ...
34. ていきょふ【程鉅夫】(Chéng Jùfū)
世界人名大辞典
授かった.クビライの信頼を得て,集賢直学士に進み,その命を受けて江南へ人材探索に向かい[1287:世祖至元24],趙孟頫ら20余人を推薦する.サンガを批判して殺 ...
35. とうもく【竇黙】(Dòu Mò)
世界人名大辞典
授けられた.あるいは大名において許衡(きょこう)らと明道の学を講じた.のち帰郷し診療と教育に従事.クビライの寵愛を受け,翰林院侍講学士,昭文館大学士となった.没 ...
36. ふくゆう【福裕】(Fúyù)
世界人名大辞典
赴き,曹洞宗の総本山,万寿寺に万松行秀を参じた[1222頃].オゴデイの対金遠征の混乱の中,クビライの命を受け河南省の少林寺に入山[45].荒廃した同寺を復興し ...
37. ようれんしんが【楊璉真迦】(Yáng Liǎnzhēnjiā)
世界人名大辞典
はチベット語〈rin chen dga'(宝喜の意)〉の音写.西夏王国の生まれ.南宋降伏後,クビライが江南総摂として派遣[1277:世祖至元14].のち江淮釈教 ...
38. りたん【李璮】(Lǐ Tǎn)
世界人名大辞典
り,30年にわたって山東で大きな権勢を誇った.クビライが即位する[60:中統1]と江淮大都督の職位を加えられ,南宋への攻撃で功績を挙げた.クビライ政権に対して反 ...
39. りゅうへいちゅう【劉秉忠】(Liú Bǐngzhōng)
世界人名大辞典
中国元の官僚,書家.邢州(現,河北邢台)の人.邢台節度使府令史であったが武安山に入って出家.のち還俗し,クビライに仕えて光禄大夫となる[1264:世祖至元1]. ...
40. れんきけん【廉希憲】(Lián Xīxiàn)
世界人名大辞典
諡号:文正〔1231~80[世祖至元17]〕 中国元代の軍人,政治家.ウイグル人.皇太子時代のクビライの幕臣となり,アリク・ボケ戦争の際には,京兆四川宣撫使とし ...
41. ろせいえい【盧世栄】(Lú Shìróng)
世界人名大辞典
政期に仕官して江西榷茶運使となるが,アフマドが誅殺された後,総制院長官のサンガから推挙され,クビライに謁見してその才能を認められた.直後,時の宰相ハルガスン(H ...
42. ろめいぜん【魯明善】(Lǔ Míngshàn)
世界人名大辞典
本名:鉄柱(テジュ) 字:明善 中国元代の農政官.カシミールの名門ウイグル族出身で,父はクビライとテムルの寵を受けたチベット仏教僧カルナダス.安豊路のダルガ( ...
43. アジュ(Aǰu)
世界人名大辞典
モンゴル帝国の武人.スベエテイの孫,ウリヤンカダイの子.父とともに雲南の大理や南宋への遠征に従軍し,クビライの即位[1260:中統1]後はそのケシク(宿衛)に入 ...
44. アナンダ(Ananda(Ānanda))
世界人名大辞典
王号:安西王〔漢〕阿難答〔†1307.6.2[大徳11.5.2]〕 モンゴル帝国の王族.マンガラの3男,クビライの孫.《集史》は彼がムスリムであったと伝える.父 ...
45. アバガ(Abaγa(Abāqā))
世界人名大辞典
ホラーサーンに出鎮した.父の死後,古参のアミール(ノヤン)たちの支持を得て即位し,後に元朝のクビライから承認を受けた[1270].ジュヴァイニー家のシャムスッデ ...
46. アフマド(Aḥmad)
世界人名大辞典
出身のムスリム.コンギラト家と関係が深く,同家出身のチャブイがクビライのカトン(皇后)となって後,オルド(遊牧宮廷)にてクビライの信任を得た.中央政府で財政業務 ...
47. アラーウッディーン(‘Alā' al-Dīn)
世界人名大辞典
の曽祖父が大商人の阿老丁(アラーウッディーン)であることからしばしば同一人物とされるが,彼はクビライの西域出兵に従軍して大都(北京)に邸宅を賜ったとされ,シャイ ...
48. アリク・カヤ(Ariq Qaya)
世界人名大辞典
モンゴル帝国の武人,政治家.ビシュバリク出身のウイグル人.即位前のクビライに仕え,鄂州の役[1259]に参加し,矢を首にうけながらも戦功を挙げる.クビライの即位 ...
49. アリク・ボケ(アリク・ブケ)(Ariq-Böke)
世界人名大辞典
し,モンゴル高原と国政を託された[1257:憲宗7].モンケが疫没し[59],南宋遠征中の兄クビライが自分の本拠地である開平(現,正藍旗)でクリルタイを強行開催 ...
50. アルグ(Alγu(Alghu))
世界人名大辞典
イダル(Baidar)の子.クビライと帝位を争うアリク・ボケに軍需物資調達の命を受け,中央アジアのチャガタイ・ウルスに送り込まれたが,その意に反して自立し,クビ ...