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  11. クビライ

ジャパンナレッジで閲覧できる『クビライ』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

世界人名大辞典・国史大辞典

岩波 世界人名大辞典
クビライ(フビライ)
Qubilai
尊号:セチェン・カーンSečen Qaγan 諡号:聖徳神功文武皇帝 廟号:世祖
〔漢〕忽必烈
1215.9.23~94.2.18[世祖至元31.1.22]

モンゴル帝国の第5代カーン(元朝皇帝) [1260/94].

トルイの4男,チンギス・カンの孫,生母はソルカクタニ・ベキモンケがカーンに即位すると,帝国東方の経営・経略を委ねられた [1251].雲南に遠征し,大理王国を降服させた [53].南宋遠征も命じられたが,モンケの親征 [57]により,鄂州(現,湖北武漢)方面を進む左翼軍を率いる [58].モンケが疫没する [59]と,鄂州に進軍し,自らの本拠地である開平(後の上都,現,正藍旗)に帰還してクリルタイを強行開催し,カーンに即位 [60:中統1].モンゴル高原の弟アリク・ボケも即位し,カーン位継承戦争となる.クビライの即位は,従来の形式を踏襲しない非合法なものであったが,タガチャルら東方三王家の支持も得て,アリク・ボケを降した [64].モンゴル帝国として初めての元号〈中統〉は,彼の正統性への主張を含意している.内政では,遊牧民帝国としての統治体制を保持しつつ,都市・交通網整備に注力.大都(北京)を造営して [67-:世祖至元4-],大都・上都を首都とし,通州(北京通州)から大都に至る通恵河によって海域・江南と結んだ [93].次男チンキムを皇太子とし,3男マンガラに西部方面を,4男ノムガンにモンゴル高原,他の庶出皇子に雲南や江南の統治にあたらせた.外交では,高麗王家と密接な関係を結び,日本や東南アジアに遠征軍を派遣した.制度改革としては,パスパ(パクパ)文字を制定し [69],イェケ・モンゴル・ウルス(大モンゴル国)に対応する漢語の国号〈大元〉を併用した [71]ほか,金などに倣った漢語世界統治方式の導入,宗教界管理方式の再編,中統元宝交鈔 [60:中統1]や至元元宝交鈔 [87:世祖至元24]の発行による紙幣制度施行と重商主義政策を行った.

〖文献〗 元史4-27.集史(クビライ・カーン紀).〖参考〗 杉山正明:クビライの挑戦, 1995.



国史大辞典
忽必烈
フビライ
Khubilai
一二一五 - 九四
元朝の初代皇帝。クビライとも表記される。廟号は世祖。モンゴル帝国第五代大汗。成吉思汗の末子トゥルイの第三子。兄モンケが大汗になると、命ぜられて中国の征服に従い、雲南からチベットを平定、さらに北ベトナムの大越国を服属させた。一二五九年にモンケが没すると、翌六〇年、みずからクリルタイを召集して大汗の位につく。反対する勢力は、弟アリクブカを大汗に選出して抗争したが、六四年には降服した。この抗争につづき、オゴタイの孫ハイドゥは、あくまでもフビライの主権を認めず、六六年に挙兵し、フビライは治世の末まで、これを鎮圧できなかった。こうして西方の諸汗国は独立の形勢となり、モンゴル大帝国も事実上、解体したのである。フビライは金朝の旧都(北京)を都として、大都と称し、七一年には中国風に国号を建て、大元と称した。さらに七六年には南宋を降伏させ、七九年にはその余党をことごとく滅して、中国の統一を完成する。統治にあたっては、中国の官制を採用し、統一通貨を発行するなど、中国の王朝としての体制を確立した。中央官庁としては中書省のみを存置し、地方には行中書省を設けたが、これは略称を行省と呼ばれ、今日の「省」の起源となる。しかし一方では、モンゴル人を優遇し、モンゴル語の公式使用、モンゴル兵制の施行をはじめ、パスパ文字の採用、ラマ教の尊崇など、モンゴル至上主義をつらぬいている。その治政のはじめには高麗を属国とし、また大軍を発して日本や南海を攻め、その服属を図った。日本遠征は、日本史の上で元寇、または文永・弘安の役として知られている。しかし海をこえての遠征は、日本をはじめ、ベトナム・ジャワ、ともに失敗に終った。在位三十五年の間に、東西の交通は発達し、ポーロ一家をはじめ、遠くヨーロッパから来往する者も相ついだ。その末年にはカトリック教も伝えられている。→元(げん),→文永・弘安の役(ぶんえい・こうあんのえき)
[参考文献]
『元史』世祖本紀、愛宕松男『忽必烈汗』、山口修『蒙古襲来』
(山口 修)
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検索コンテンツ
1. クビライ(フビライ)(Qubilai)
世界人名大辞典
よる紙幣制度施行と重商主義政策を行った.〖文献〗 元史4-27.集史(クビライ・カーン紀).〖参考〗 杉山正明:クビライの挑戦, 1995. ...
2. 【忽必烈】クビライ*フビライ
新選漢和辞典Web版
人名。元の世祖(せいそ)。成吉思汗(ジンギスカン)の孫。日本にも二度攻めよせたが、大暴風雨のために失敗した。(一二一五~一二九四)  ...
3. クビライ
日本国語大辞典
〓フビライ ...
4. クビライ【忽必烈】
国史大辞典
⇒フビライ  ...
5. クビライ・カン
日本大百科全書
→フビライ・ハン ...
6. あにか【阿尼哥】(Ānígē)
世界人名大辞典
寸経》に通じた.クビライがパスパをしてチベットに黄金の塔を建てさせる際[1260:中統1]に,ネパールで集めた工匠80人の一人.17歳の阿尼哥が造塔を監督し,翌 ...
7. あんぞう【安蔵】(Ānzàng)
世界人名大辞典
方広仏華厳経》や《文殊所説最勝名義経》をウイグル語に翻訳.後者の残簡が敦煌で発見されている.クビライには〈仁〉による政治を勧め,《尚書》《貞観政要》などのモンゴ ...
8. いっさんいちねい【一山一寧】(Yīshān Yīníng)
世界人名大辞典
10.24]〕 鎌倉時代の中国人渡来僧.書にも勝れた五山文学の先駆者.俗姓は胡氏.元の世祖(クビライ)の命により日本へ正使として,石梁仁恭らと共に元に入貢を促す ...
9. いんかん【印簡】(Yìnjiǎn)
世界人名大辞典
宗に天下の僧事の統轄を命じられた.皇太子の位にあったクビライ(世祖)に仏法の大意を問われ,侍者をしていた劉秉忠(りゅうへいちゅう)をクビライに引き合わせた[42 ...
10. おううん【王惲】(Wáng Yùn)
世界人名大辞典
304.7.23[大徳8.6.20]〕 中国元代の官僚,文人.衛州汲県(現,河南衛輝)の人.クビライが中書省を北中国に設立した[1260:中統1]際に下級事務官 ...
11. おうぶんとう【王文統】(Wáng Wéntǒng)
世界人名大辞典
(現,山東益都)の人.李璮(りたん)の知遇を得て,その長子である彦簡の師となる.皇太子時代のクビライにより同平章事(宰相)に抜擢され,十路宣撫使の設立や,中統鈔 ...
12. おうりょうしん【汪良臣】(Wāng Liángchén)
世界人名大辞典
 諡号:忠恵〔1231~81[世祖至元18]〕 中国元代の武将.父は汪世顕.クビライの即位後,アリク・ボケに従って六盤山に籠もっていたアラム・ダール(‘Alam ...
13. かくけい【郝経】(Hǎo Jīng)
世界人名大辞典
の学習が重要だとするが,趙復が程朱学の書物とともに北中国にもたらした〈道学〉の呼称には反対.クビライの命を受けて南宋朝と和議を結ぶべく南行する[1260:中統1 ...
14. かくしゅけい【郭守敬】(Guō Shǒujìng)
世界人名大辞典
.はじめ劉秉忠(りゅうへいちゅう)に師事し,次いで張文謙(1215~83)に水利を学ぶ.世祖クビライに召見され,提挙諸路河渠を授かる[1262:中統3].都水少 ...
15. じどう【賈似道】(Jiǎ Sìdào)
世界人名大辞典
昀(ちょういん))の時,姉が貴妃となったので右丞相を拝し,のち参知政事,知枢密院事となった.クビライを将とするモンゴル軍の鄂州(湖北)への攻撃[1259:開慶1 ...
16. しょう【賀勝】(Hè Shèng)
世界人名大辞典
涇陽王〔1264[中統5]~1320[延祐7]〕 モンゴル帝国の政治家,軍人.賀仁傑の子.クビライのケシク(宿衛)に入り[1279:世祖至元16],ナヤンの乱 ...
17. じんけつ【賀仁傑】(Hè Rénjié)
世界人名大辞典
.即位前のクビライのケシク(宿衛)に入り[1252],大理遠征に従軍し,その即位後はナヤンの乱鎮圧[87:世祖至元24]で活躍した.漢人としては董文忠(1230 ...
18. きょこう【許衡】(Xǔ Héng)
世界人名大辞典
物を借りて書写,程朱学と自身の関心との一致を覚え,この段階での思索を《読易大旨》にまとめる.クビライの徴聘により大都に赴き[1260:中統1],国子祭酒を授けら ...
19. きょこくてい【許国禎】(Xǔ Guózhēn)
世界人名大辞典
医家.経史に博通し,特に医術に精しく,クビライの即位前にバイカル湖域に召され,医薬を管轄.太后やクビライの病を治して寵愛され,政務にも重用された.クビライ即位に ...
20. こうちよう【高智耀】(Gāo Zhìyào)
世界人名大辞典
銀川西北)に身を隠し,その後,オゴデイに近づき,コデンから旧西夏領に所領を与えられ,モンケ,クビライと密接な関係を築き,旧西夏出身者を代表する人物となる.翰林学 ...
21. しいつ【胡祗遹】(Hú Zhīyù)
世界人名大辞典
るが,《書経》(康誥)にある「祗遹(つつしみしたがう)」が正しい.磁州(現,河北磁県)の人.クビライが中書省を北中国に設立した際[1260:中統1]に下級事務官 ...
22. ぜんせつ【呉全節】(Wú Quánjié)
世界人名大辞典
~1346[至正6]〕 中国元の正一派の道士.饒州安仁(現,江西安仁)の人.張留孫に従い世祖クビライに謁見[1287:正祖至元24],以後,歴代の皇帝から寵を得 ...
23. さつとら【薩都剌】(Sà Dūlà)
世界人名大辞典
a‘d Allāh〉の音訳であり,意味は〈神の恩寵〉,字の天錫はその意訳だと思われる.祖父がクビライに仕えて功績があり,父は雁門周辺を「鎮守」したという.薩都剌 ...
24. てんたく【史天沢】(Shǐ Tiānzé)
世界人名大辞典
名河間済南東平五路漢軍万戸を授けられ,金朝を滅ぼす戦役で活躍.金朝滅亡後は南宋攻撃に従軍し,クビライ即位[60:中統1]に伴い中書右丞相に任じられる.対アリク・ ...
25. しゃこうごう【謝皇后】(Xièhuánghòu)
世界人名大辞典
(度宗の皇后)とともに元軍に降伏した[76:徳祐2].その後,大都(北京)へ送られ,元の世祖クビライより寿春郡夫人に封ぜられた.〖文献〗 宋史243. ...
26. しょうほどう【蕭輔道】(Xiāo Fǔdào)
世界人名大辞典
)の人.開祖蕭抱珍の再従孫である.博学で才知に富み,世人から山中の宰相と目された.後の世祖(クビライ)に召されて治国の要を説いて大いに喜ばれた[1246:定宗1 ...
27. ちょうけん【趙㬎】(Zhào Xiǎn)
世界人名大辞典
.度宗の没後,4歳で帝位についたため,謝太后(謝皇后)が垂簾(すいれん)聴政を行う.元の世祖クビライの命を受けたバヤン①率いる元軍が都臨安(現,浙江杭州)に迫っ ...
28. ちょうじゅう【張柔】(Zhāng Róu)
世界人名大辞典
[32],対南宋戦争でクチュに[35]従軍し,亳州に駐屯[54].鄂州の役ではクビライに従軍し[59],クビライ即位後は,対アリク・ボケ戦争時の中都(北京)を防 ...
29. ちょうそうえん【張宗演】(Zhāng Zōngyǎn)
世界人名大辞典
〕 中国元の道士,正一派36代天師.信州貴渓(現,江西貴渓)の人.35代天師張可大の子.世祖クビライが江南地方を平定した後,京師に招かれ,江南の道教を主領するこ ...
30. ちょうとくき【張徳輝】(Zhāng Déhuī)
世界人名大辞典
定の史天沢に召されて,経歴官となる.皇太子時代のクビライの知遇を得て[1247],多くの儒者を推薦し,儒戸の免役にあたっても活躍した.クビライが即位すると,河東 ...
31. ちょうもうふ【趙孟頫】(Zhào Mèngfǔ)
世界人名大辞典
退を異にした従兄の趙孟堅が面会後その坐具を濯がせたとの逸話があるが,もとより伝承にすぎない.クビライは出仕を喜び,はじめ兵部郎中を授けた[1287:世祖至元24 ...
32. ちょうりゅうそん【張留孫】(Zhāng Liúsūn)
世界人名大辞典
州貴渓(現,江西貴渓)の人.36代天師張宗演以下,4代の天師に仕える.しばしば霊験を現し世祖クビライの寵を得る.以後も歴代の皇帝から信任を得たため,宗教界のみな ...
33. ちょうりょうひつ【趙良弼】(Zhào Liángbì)
世界人名大辞典
,ともにモンゴルの侵攻下で戦死した.即位前のクビライに見いだされ,邢州安撫司の幕長に抜擢される.その後,陝西の宣撫司の参議司事に任命され,クビライが南征をはじめ ...
34. ていきょふ【程鉅夫】(Chéng Jùfū)
世界人名大辞典
授かった.クビライの信頼を得て,集賢直学士に進み,その命を受けて江南へ人材探索に向かい[1287:世祖至元24],趙孟頫ら20余人を推薦する.サンガを批判して殺 ...
35. とうもく【竇黙】(Dòu Mò)
世界人名大辞典
授けられた.あるいは大名において許衡(きょこう)らと明道の学を講じた.のち帰郷し診療と教育に従事.クビライの寵愛を受け,翰林院侍講学士,昭文館大学士となった.没 ...
36. ふくゆう【福裕】(Fúyù)
世界人名大辞典
赴き,曹洞宗の総本山,万寿寺に万松行秀を参じた[1222頃].オゴデイの対金遠征の混乱の中,クビライの命を受け河南省の少林寺に入山[45].荒廃した同寺を復興し ...
37. ようれんしんが【楊璉真迦】(Yáng Liǎnzhēnjiā)
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38. たん【李璮】(Lǐ Tǎn)
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39. りゅうへいちゅう【劉秉忠】(Liú Bǐngzhōng)
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40. れんきけん【廉希憲】(Lián Xīxiàn)
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