人と人とが出会うことは、すでに別れの始まりである。出会うものは、必ずいつか別れるものだ。
*風に紅葉(鎌倉末~南北朝初期)二「『とてもかくても、あふはわかれのはじめなれば、さてしもはつまじきわざにこそ』とて、うちなき給」
*御伽草子・小町草紙(室町末)「昔をしのび給ふなよ。あふは別(ワカレ)のはじめ、生るるは死すべきはじめ、ただ水の泡なる世に」
*虎寛本狂言・墨塗(室町末~近世初)「逢ふは別れの始とは申せども、加様にはか無い御別に成(なら)うと存じたらば、御馴染申まい物を」
*仮名草子・竹斎(1621~23)上「会者定離(ゑしゃでうり)と聞く時はあふはわかれのはじめぞとかねては思ひ」
*野語述説(1684)補遺「あふは別のはしめ」
*歌舞伎・敵討櫓太鼓(1821)序幕「ハテ、逢(ア)ふは別(ワカ)れの初(ハジ)めぢゃなア……年頃立てぬく武士の意地、不便ながらも」
*古今俚諺類聚(1893)「逢(ア)ふは別(ワカ)れの始(ハジ)め」
*大菩薩峠(1913~41)〈中里介山〉勿来の巻・七三「なあ、会ふは別れのはじめ、別れは会ふことのはじめなんだから、歎くことはねえだあね」
補説出会いは、人と人とのつきあいの始まりであるのに、実はそれが別れという正反対の出来事の始まりにもなっていると結論づけることによって、人生の無常やはかなさを説いたもの。同様の表現としては、「白居易‐紅夢遊春詩一百韻」に「合者離之始、楽兮憂所伏」があり、さらに「南本涅槃経‐二」の「夫盛必有レ衰、合会有二別離一」など、仏典にまでさかのぼる。
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