好きになると、醜いあばたさえ可愛らしいえくぼに見える。惚れた目には欠点までも長所に見えるというたとえ。
*洒落本・伊賀越増補合羽之龍(1779)通菴内之だん「巖石にひとしき菊石(アバタ)も壱っによってゑくぼと成り」
*人情本・郭の花笠(1836)二・八回「好けば痘痕(アバタ)も靨(エクボ)と見ゆれど、あきては靨が痘痕と見え」
*化気の種(1888)〈佐伯法雲編〉二三「何とかすると疱瘡(ホウソウ)の痕(アト)も靨(エクボ)とやらで宗旨も謂ゆる盲信となりてハ目ハ見へぬ様なり」
*落語・あばた会(1891)〈三代目三遊亭円遊〉「惚れて居るうちやあばたも笑靨(ヱクボ)、別れて仕舞へばヂャンコ面」
*国民の品位(1878~91)「好た人の痘痕(アバタ)は笑面(ヱクボ)に見える」
*日本俚諺大全(1906~08)「惚(ホ)れた目(メ)には痘痕(アバタ)も靨(ヱクボ)」
*泥人形(1911)〈正宗白鳥〉五「惚れた女に対してさへ痘(アバタ)を靨(ヱクボ)に見ることの出来ぬ彼れは」
*恋愛とは何か(1972)〈遠藤周作〉愛の技術「恋愛とは陶酔ですから、いつでも相手を冷静に、まるで科学実験のモルモットでも調べるように眺めるというわけにはいかない。恋愛をすれば、どうしても相手のアバタもエクボと見えるのは当然でしょう」
補説「あばた」は、疱瘡(天然痘)が治ったあとに顔面に残る発疹の跡のことだが、広く類似した吹き出物の跡を指しても用いられる。靨は、笑った時にできる頰の窪み。客観的には両者を見まちがうことはあり得ないが、誇張表現によっておかしみを添え、印象を強めている。
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