悪い行ないや悪い話は、たちまち世間に知れ渡る。悪事千里。
*曽我物語(南北朝頃)一〇・伊豆二郎が流されし事「扨も、悪事千里をはしるならひにて、伊豆二郎未練なりと、鎌倉中に披露有ければ」
*明徳記(1392~93頃か)中「悪事千里に走て、此事世には隠有べからず」
*光悦本謡曲・藤戸(1514頃)「深くかくすと思へども、好事門をいでず、悪事千里をゆけ共、子をば忘れぬ親なるに」
*説経節・説経刈萱(1631)下「いしとうまるはきこしめし、あくし千りをはしるとは、ここのたとへを申かや」
*俳諧・毛吹草(1638)二「あくじ千里をはしる」
*浄瑠璃・清水の御本地(1651)二「此事ふかくつつむとも、あくじは千りをかくるよのならい、きゃうだいにきこへなは、うきめにあはんなぢぢゃう也」
*浮世草子・新可笑記(1688)五・五「されば悪(アク)事千里をはしる。虎林といへる掃除坊主前後の小柄をぬすみとる事自然とあらはれ」
*大和俗訓(1709)五・言語「そしりは必もれやすし。俗語に、悪事千里を行くといひ、又壁に耳ありといふが如し」
*古今俚諺類聚(1893)「悪事(アクジ)千里(センリ)を走(ハシ)る」
*したゆく水(1898)〈清水紫琴〉七「悪事は千里、似た事は、まこと、ありしの噂となりて。明日は婢が口の端を。御門の外へ走りしなるべし」
補説「北夢瑣言」に「好事不レ出レ門、悪事行二千里一」、「事文類聚」に「好事不レ出レ門、悪事伝二千里一」などと見え、中国では今日までほぼこの形で使われている。その後半を独立させ、「行」「伝」を「走」に替えたもの。「走」は現代中国語では「歩く」意で、「走る」意で用いるのは日本独自の用法である。日本でも「行」「伝」のまま訓読した「悪事千里を行く」や「悪事千里を伝ふ」という形もあるが、「走る」の形が最も広く行なわれている。
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