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推古天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『推古天皇』の国史大辞典のサンプルページ

推古天皇
すいこてんのう
五五四 - 六二八
五九二―六二八在位。和風諡号は豊御食炊屋姫尊。諱は額田部。欽明天皇の皇女で、母は大臣蘇我稲目の娘堅塩媛(きたしひめ)。用明天皇の同母妹。崇峻天皇の異母姉。五五四年生まれる。七一年皇太子(敏達天皇)妃となり、七六年、前皇后広姫死没の後をうけて異母兄敏達天皇の皇后に立てられた。時に二十三歳。八五年三十二歳で敏達と死別し、その二年後には兄用明天皇が没し、九二年崇峻天皇暗殺の後、叔父蘇我馬子らに推され、女性としてはじめて皇位に登った。天皇はその諱から知られるように元来額田部の民を伝領したが、立后の翌年に設けられた私部をも支配するに及んで、その経済力は皇族の中でも擢んでたものとなった。崇峻天皇没時は三十九歳という分別盛りで、加えて叔父馬子とも親密であった。これらの要因が最初の女帝を生んだ背景であろう。『日本書紀』によれば九三年甥の厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子に立てたとあるが、即位当初は長男竹田皇子と厩戸皇子との選択に迷って皇太子を立てず、六〇〇年ごろ竹田が没してはじめて厩戸を太子に立てて万機を委ねたとも推測される。在位中、冠位十二階の制定、十七条憲法の製作、遣隋使の派遣、『天皇記』『国記』の製作などのことがあったが、その間、官司制の整備・壬生部の設定にみられる皇室経済の基盤整備など政治・経済両面にわたる改革が推進された。六二二年聖徳太子の没後は蘇我氏への対応に苦慮したが、二八年三月七日皇嗣を定めぬまま七十五歳で世を去った(月日は『日本書紀』による)。推古朝は法隆寺に象徴される飛鳥文化の最盛期であった。
(黛 弘道)

磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)

大阪府南河内郡太子町大字山田にある。竹田皇子との合葬陵。『日本書紀』は遺詔により推古天皇を竹田皇子の陵に葬るとのみ記し、陵名を記さず、『古事記』は、御陵は大野岡上にあり、のちに科長大陵に遷すと記す。『延喜式』諸陵寮には、現陵名で「在〓河内国石川郡〓、兆域東西二町、南北二町、陵戸一烟、守戸四烟」と記し遠陵に入れる。『扶桑略記』康平三年(一〇六〇)六月二日条に、「河内国司、言〓上盗人撥〓推古天皇山陵〓之由〓」とあり、盗掘を受けた最初の陵である。当陵は江戸時代まで所伝があり、元禄の諸陵探索時に堺奉行は現陵の存在を報告している。墳丘は高さ約一八メートルほどの台地の端に位置し、南面する三段段築の方墳である。東西約六〇メートル、南北約五五メートル、高さ約一一メートル、東北隅が削られている。墳丘東側と前面には、幅八、九メートルの空堀があり、昭和五十四年(一九七九)の陵前境界線石垣設置工事区域の調査によると、空堀の堤は後世に水田上に築いたものである。墳丘の内部構造は、『文化山陵図』に「東之方に洞口石有之、下之方透より御石棺相見え申候」とあり、『河内国陵墓図』は「石棺露出の処三尺余、但南方正面なり」と記す。谷森善臣『諸陵説』所引の「田中貞昭の記」には、羨道(えんどう)の前面が崩落し、羨門(えんもん)が開口した折に内に入った実見談として、石室の広さ方一丈五、六尺、上下四方は盤石で畳み、精巧に磨いた石棺二基が左右に列び、右を推古天皇、左を竹田皇子と伝えていた旨を記す。
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』上、陵墓調査室「昭和五十四年度陵墓関係調査概要」(『書陵部紀要』三二)
(石田 茂輔)
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推古天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 1653
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検索コンテンツ
1. 推古天皇
日本大百科全書
女帝。第33代とされる天皇(在位592~628)。名は額田部(ぬかたべ)。和風諡号(しごう)は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)天皇。わが国で最初の女帝。欽明 ...
2. 推古天皇
世界大百科事典
攻め滅ぼしてその権力を確立し,さらに592年(崇峻5)自分が立てた崇峻天皇を暗殺すると,その年の末に推古天皇を即位させて,女帝の例を開いた。天皇は初め飛鳥の豊浦 ...
3. すいこ‐てんのう【推古天皇】
デジタル大辞泉
[554〜628]第33代天皇。在位592〜628。欽明天皇の第3皇女。名は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。敏達天皇の皇后となり、崇峻天皇が蘇我馬子(そが ...
4. すいこ‐てんのう[:テンワウ]【推古天皇】
日本国語大辞典
第三三代と伝えられる天皇(在位五九二〜六二八)。女帝。欽明天皇の第三皇女。母は蘇我稲目の娘堅塩媛(きたしひめ)。名は額田部、豊御食炊屋姫命(とよみけかしきやひめ ...
5. すいこてんのう【推古天皇】
国史大辞典
ささぎ) 大阪府南河内郡太子町大字山田にある。竹田皇子との合葬陵。『日本書紀』は遺詔により推古天皇を竹田皇子の陵に葬るとのみ記し、陵名を記さず、『古事記』は、 ...
6. 推古天皇(すいこてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 9ページ ...
7.&nnbsp;すいこてんのう【推古天皇】
日本人名大辞典
つくらせた。冠位十二階や十七条憲法を制定し,小野妹子(いもこ)を隋(ずい)(中国)に派遣した。推古天皇36年3月7日死去。75歳。墓所は磯長山田陵(しながのやま ...
8. 推古天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:0件 【逐次刊行物】:3件 『推古天皇の朝の浄土教』鷲尾順敬『女帝について 推古天皇即位事情について』熊谷章一『我国最初の女帝としての推古天皇』高楠順 ...
9. 額田部皇女・推古天皇
日本史年表
592年〈崇峻5 壬子〉 12・8 額田部皇女(推古天皇) 、飛鳥の豊浦宮で即位(紀)。 628年〈推古36 戊子〉 3・6 天皇 、病重く、田村皇子と山背大 ...
10. Suiko, Empress 【推古天皇】
Encyclopedia of Japan
554−628 Reigning empress (tenno), the 33rd sovereign in the traditional count ( ...
11. 推古天皇山陵 (見出し語:推古天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 984ページ ...
12. 推古天皇薄葬 (見出し語:推古天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 242ページ ...
13. 推古天皇踐祚 (見出し語:推古天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 299ページ ...
14. あい‐きょう【哀矜】
日本国語大辞典
〔名〕悲しんで哀れに思うこと。情けをかけること。哀憐。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕下・推古天皇二六年「生〓於倭国之王家 ...
15. あい‐ぼ【愛母】
日本国語大辞典
〔名〕愛情の深い母親。慈母。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・推古天皇元年「天下之人民、聞而大悦。如〓遭 ...
16. あかしぐん【明石郡】兵庫県:播磨国
日本歴史地名大系
海底に真珠があり、その珠を祀ればことごとく獣を得るとみえる。歴史的に確実な記載としては、同書推古天皇一一年七月六日条に征新羅将軍当麻皇子に「従う妻舎人姫王、赤石 ...
17. あきのくに【安芸国】広島県
日本歴史地名大系
た。糸とは絹糸のことであり、絹糸や絹織物、とくに高級絹織物が多いことがわかる。「日本書紀」に推古天皇二六年に河辺臣某が安芸国に遣わされて船を造った話があるのをは ...
18. 秋山記行・夜職草 5ページ
東洋文庫
くろこま四黒駒太子の御影『扶桑略記』第三や『水鏡』にある聖徳太子の一物語を画題として描かれた太子絵像の一つ。推古天皇六年に太子が甲斐国より貢納の四脚の白い烏駒( ...
19. あく‐せ【悪世】
日本国語大辞典
仏法の衰えた時代。特に、末法の世についていう。末世。悪世界。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・推古天皇二五年「末劫衆生。化登〓浄土 ...
20. あくなみのみや【飽浪宮】
国史大辞典
浪邑坐神祠(奈良県生駒郡安堵村東安堵)を比定している。また『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』に、推古天皇が田村皇子を飽浪葦墻宮に遣わし廐戸皇子の病を問わしめたとある ...
21. あさかぜの-ぶんしょう【朝風文将】
日本人名大辞典
?−? 飛鳥(あすか)時代の仏師。推古天皇36年(628)蘇我馬子のために法隆寺蔵の金銅釈迦三尊像を製作したことが,その銘文にみえる。朝風を地名とみる説もある。 ...
22. あさかやまむら【浅香山村】大阪府:堺市地図
日本歴史地名大系
土屋政直領、元禄七年(一六九四)から幕府領となり、幕末に至る。浅香山稲荷神社は里伝によると、推古天皇のとき豊受大神を祀ったのを始めとし、豊臣氏が社殿を寄進したが ...
23. あさくさ【浅草】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
浅草寺伝法院庭園には境内で掘出された古墳時代の石槨が残る。浅草の中心にある観音堂(浅草寺)は推古天皇三六年檜前浜成・竹成兄弟が宮戸川で観音像を網にかけ、土師直中 ...
25. あさくさしようでんちよう【浅草聖天町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
よりも古く、推古天皇三年突然山が盛上り、金の竜が下ってこの山に伏したことから、この山は金龍山とよばれ、のち待乳山となったといい、ここから浅草寺は金龍山とも号した ...
26. あさくさじんじゃ【浅草神社】
国史大辞典
さらに同六年浅草神社と改称したもので、祭神も三柱だったのをその際徳川家康・倉稲魂命を合祀した。浅草観音堂は、推古天皇の御代に隅田川に流れ寄った観音像を、漁夫の檜 ...
27. あさ‐たいし【阿佐太子】
デジタル大辞泉
百済(くだら)の王子。推古天皇5年(597)来朝し、聖徳太子に会うや救世(くせ)観音の化身であると合掌したと伝えられる。  ...
28. あさ‐たいし【阿佐太子】
日本国語大辞典
百済(くだら)の王子。推古天皇五年(五九七)来朝。聖徳太子に会うと、救世観音(ぐぜかんのん)の化身であると合掌し、太子もまた、わが弟子であると言ったという伝説が ...
29. あさたいし【阿佐太子】
国史大辞典
六世紀末の百済の王子。『日本書紀』に推古天皇五年(五九七)四月、朝貢のため来朝したことがみえる。これは百済の威徳王四十四年にあたるが、『三国史記』などには朝貢 ...
30. あさたいし【阿佐太子】
日本人名大辞典
?−? 百済(くだら)(朝鮮)の王子。推古天皇5年(597),威徳王の命で来日。「聖徳太子伝暦」によれば,聖徳太子が「阿佐は前世でわが弟子であった」とつげたとい ...
31. あしがらかみぐん【足柄上郡】
国史大辞典
郡内を酒匂川が流れ、その流域以外はほとんど山地であり、西に足柄山がある。『四天王寺縁起』には、推古天皇三年(五九五)施入された食封三百烟の中に「相模国足上郡大伴 ...
32. あしきたぐん【葦北郡】
国史大辞典
南岸の日奈久周辺に比定されるので、現在の葦北部の範囲とは異なっていたようである。『日本書紀』推古天皇十七年(六〇九)四月条に、百済僧道欣らが葦北津に漂流してきた ...
33. あしきたごう【葦北郷】熊本県:肥後国/葦北郡
日本歴史地名大系
郡家の所在郷と思われる。近世の佐敷村を中心とする地域、現葦北郡芦北町の中心部一帯と考えられ、「日本書紀」推古天皇一七年四月四日条にみえる「葦北津」もこの地かと思 ...
34. あしだ【葦田】奈良県:北葛城郡
日本歴史地名大系
天武天皇元年七月一三日条に「壱伎史韓国が軍と、葦池の側に戦ふ」とある葦池はすなわち葦田池で、推古天皇一五年条にみえる肩岡池にあたると記す。 ...
35. あしひき‐の【足引─】
日本国語大辞典
大雪にあい道に迷った時、「あしひきの山べもしらずしらかしの枝もたわわに雪のふれれば」と詠じたところから。(ロ)推古天皇が狩りをしていた時、山路で足を痛め足を引い ...
36. あ‐じ【阿児】
日本国語大辞典
〔名〕(「阿」は、親しみを表わす接頭語)子供を親しみをこめて呼ぶ語。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・推古天皇元年「阿児勿〓道汝為 ...
37. 飛鳥
世界大百科事典
この地域には,早く允恭天皇の遠飛鳥宮,顕宗天皇の近飛鳥宮が営まれたとも伝えるが,7世紀のはじめ,推古天皇が豊浦宮で即位し,さらに近くに小墾田宮(おはりだのみや) ...
38. あすか【飛鳥・明日香】
日本国語大辞典
あてたもの)〔一〕奈良県高市郡明日香村付近一帯の称。北は大和三山にかぎられ、中央を飛鳥川が流れる。豊浦宮に推古天皇が即位して後百余年間都が置かれた。飛鳥浄御原宮 ...
39. あすか【飛鳥】
国史大辞典
。はやく五世紀に允恭天皇が遠飛鳥宮、顕宗天皇が近飛鳥八釣宮をおいたといい、そののち五九二年の推古天皇の飛鳥豊浦宮から和銅三年(七一〇)の元明天皇による平城遷都ま ...
40. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
飛鳥寺の在り方を特殊なものと考えれば、方格地割の設定は七世紀後半まで下がるかもしれない。ただ「日本書紀」推古天皇二一年一一月条には「自難波至京置大道」という記事 ...
41. あすかきょう【飛鳥京】
国史大辞典
六世紀末から七世紀末までおよそ百年のあいだ、次の諸天皇の皇居がおかれ、政治・文化の中心となった。推古天皇の豊浦宮・小墾田(おはりだ)宮、舒明天皇の飛鳥岡本宮・田 ...
42. 飛鳥時代
日本大百科全書
ここでは、上記のうちもっとも広義の飛鳥時代を取り上げることとする。この時期の皇居の所在地をみると、推古天皇の豊浦宮(とゆらのみや)、小墾田宮(おはりだのみや)、 ...
43. 飛鳥時代
世界大百科事典
政権の所在地による日本史の時代区分法によって,推古天皇が豊浦宮で即位した592年から,710年(和銅3)の平城京遷都までの100余年間をいう。この間,孝徳朝に難 ...
44. あすか‐じだい【飛鳥時代】
日本国語大辞典
奈良盆地の南部、飛鳥の地に都があった時代。推古天皇即位の年(五九二)から元明天皇の平城京遷都の和銅三年(七一〇)まで、あるいは持統天皇の藤原京遷都(六九四)まで ...
45. あすかじだい【飛鳥時代】
国史大辞典
さすが、政権の所在地を時代区分の基準にすることに無理があって、飛鳥時代の範囲には諸説がある。(一)推古天皇が飛鳥豊浦宮に即位した崇峻天皇五年(五九二)から元明天 ...
46. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
馬子、法興寺建立開始589(崇峻2)隋、中国を統一592(崇峻5)蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺。推古天皇即位593(推古1)聖徳太子、摂政となる。四天王寺を建立59 ...
47. あすか‐だいぶつ【飛鳥大仏】
デジタル大辞泉
明日香村の安居院(あんごいん)にある金銅製丈六の釈迦如来像。推古天皇14年(606)元興寺(がんごうじ)金堂の本尊として鞍作止利(くらつくりのとり)が製作。  ...
48. あすか‐だいぶつ【飛鳥大仏】
日本国語大辞典
寺跡の安居院(あんごいん)にある銅製の丈六釈迦如来坐像。「日本書紀」では、飛鳥寺の本尊として推古天皇一三年(六〇五)ないし一四年(「丈六光銘」では一七年)に止利 ...
49. 飛鳥寺
日本大百科全書
願主となり、聖徳太子が蘇我馬子(そがのうまこ)の協力を得て建立した寺であり、本尊は606年(推古天皇14)止利仏師(とりぶっし)作といわれる。『玉林抄』によると ...
50. nbsp;あすか‐でら【飛鳥寺】
デジタル大辞泉
明日香村にあり、元興寺・法興寺などと呼ばれた寺。推古天皇4年(596)蘇我馬子(そがのうまこ)の建立と伝えられる。平城遷都に伴い平城京に元興寺建立後は本元興寺と ...
「推古天皇」の情報だけではなく、「推古天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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