ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 世界史上の人物
  10. >
  11. アレティーノ

ジャパンナレッジで閲覧できる『アレティーノ』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

世界文学大事典・日本大百科全書

デジタル版 集英社世界文学大事典
アレティーノ ピエートロ
Pietro Aretino
イタリア 1492.4.20-1556.10.21
イタリアの劇作家,作家。アレッツォの靴職人ルーカなるものの息子だが,その出生の卑賤(ひせん)を恥じて,アレティーノ(アレッツォ人)と称す。若くしてペルージャで絵と詩を勉強したがぱっとせず,のちローマに出て銀行家アゴスティーノ・キージ,教皇レオ10世,ジューリオ・デ・メーディチ(のちのクレメンス7世)たちにひいきされたが,他の有力者と争ったあげく,暗殺をまぬかれるため1527年ヴェネツィアに退いて,ここを永住の地と定める。この陽気で淫蕩(いんとう)で活気にみちた当時の世界交易の中心地であるこの共和国で,彼の権力は一挙に巨大なものになった。世界中の王侯貴族名士の情報を収集するに絶妙の場所であり,それをネタにして金次第で毀誉褒貶(きよほうへん)どちらにでも色づけした手紙を全世界の社交場にまきちらすのに最も都合のよい発信地ともなったからである。彼はおべんちゃらだらけの,時には脅迫まじりの手紙を書いて,時代の有力者名士貴紳に送りつけた。その手紙は数限りを知らず,それによって支配者上層階級も彼のペンの威力に屈して,彼に金や高価な贈り物をたっぷり捧げなくてはならなかった。彼に褒められれば,全ヨーロッパの宮廷がその人を褒めたたえ,彼におとしめられればどこの社交界でも閉め出された。フランス国王フランソワ1世から神聖ローマ皇帝カール5世(兼スペイン国王カルロス1世),ローマ教皇ユリウス3世からイギリス国王ヘンリー8世まで,ミケランジェロからグィドバルド・ドゥルビーノまで,同時代の名士で彼のわなにかかるか,お世辞を呈するのをやめることができたものは一人もいなかった。彼の吐く一言一句を待ちかねている人,彼の判断を哀願する人,彼の仲間に入れてもらいたい人でいっぱいだった。王侯や大臣や将軍たちの間では彼からだれにいちばん好意的な言葉,いちばんすばらしい賛辞が与えられるかの競争が起こった。
 彼のペンは生ける人々を埋葬し,死せる人々をよみがえらすといわれ,彼は〈世界の総書記〉と呼ばれた。彼の利用したのは占星まがいの予言と巨大な宣伝力であったが,印刷術の発達に着目する。称賛文や中傷文をパンフレットとして出版するようになってから,彼の威力はさらに強大となり,名誉,金銭,あらゆる贈り物が惜しげもなく捧げられた。彼は現世をほしいままに享淫し,王侯以上の権力をふるうことができた。そのうえヴェネツィア市からは第1級旗手職に任ぜられ,カール5世からは右翼騎士に任命されてたっぷり儲(もう)けさせてもらい,ユリウス3世によって聖ピエートロの騎士という尊称を受けた。彼は53年短期間ローマに滞在しただけでヴェネツィアに引き揚げて,以前にまさる栄耀(えいよう)栄華な生活を続けたが,64歳で頓死(とんし)した。
 彼の散文文学の中で挙げるべきは喜劇であろう。『社交界の女』La cortigiana(1525),『蹄鉄(ていてつ)工』Il Marescalco(27),『偽善者』Ipocrito(42),『タランタ』Talanta(42),『哲学者』Il Filosofo(46)5編はそれぞれ野望や虚栄や駆け引きにみちた時代と社交界の腐敗ぶりを描き出し,ペテン師,女たらし,居候,おろかな本気違いのプラトン学者,アリストテレス学者などを次々に登場させて,風刺と嘲笑(ちようしよう)の的としている。特に『社交界の女』には,古い型にとらわれず主人を嘲(あざけ)る召使たちを出した点でボーマルシェを予告して,アレティーノらしい風刺が強くきいている。次いでヨーロッパ中の名士に宛てた『書簡集』Lettere(37−57)は,時代の生活や習慣だけでなく彼の性格そのものの鏡ともなっている。2巻6回の対話から成る『ラジョナメンティ』Ragionamenti(34−36)は西欧艶本(えんぽん)の手本として見落とすことができない。
(杉浦明平)


日本大百科全書(ニッポニカ)
アレティーノ
あれてぃーの
Pietro Aretino 
[1492―1556]

イタリアの詩人、劇作家。ルネサンス人のもつ自由で闊達(かったつ)な気風をもっとも鮮やかに体現した文学者の一人。フィレンツェ近くのアレッツォに靴職人の子として生まれる。ローマの銀行家や法王など権力者の庇護(ひご)を受けながらも、王侯貴族の生活をあばく痛烈な風刺作品を次々と書きまくった。しかし彼の自由奔放な生き方は、一部からは敬遠されながらも、人柄のよさと相まって、広い共感を失うことがなかった。代表作に喜劇『遊女』(1526)、『タランタ』(1542)、『哲学者』(1544)、詩集『アンジェリカの涙』(1538)、『書簡集』(1521~1522)がある。
[小林 惺]



アレティーノ[百科マルチメディア]
アレティーノ[百科マルチメディア]

ライモンディ作 1517~1520年ころ 銅版画 メトロポリタン美術館所蔵
ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。
アレティーノの関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 39
検索コンテンツ
1. アレティーノ画像
日本大百科全書
イタリアの詩人、劇作家。ルネサンス人のもつ自由で闊達(かったつ)な気風をもっとも鮮やかに体現した文学者の一人。フィレンツェ近くのアレッツォに靴職人の子として生ま ...
2. アレティーノ[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
ライモンディ作 1517~1520年ころ 銅版画 メトロポリタン美術館所蔵 ...
3. アレティーノ(Pietro Aretino)
世界大百科事典
1492-1556 イタリアの劇作家,風刺文学者,艶本作家。アレッツォのしがない靴屋の子だが,ローマで教皇レオ10世に仕えて文名を高めるとベネチアに定住。ここか ...
4. アレティーノ(Aretino, Pietro)
世界人名大辞典
〔1492.4.20~1556.10.21〕 イタリアの風刺文学者.高級娼婦と靴職人の間に生まれ,少年期にはペルージャで画家の修業をすると共に人文主義教育も受け ...
5. アレティーノ ピエートロ
世界文学大事典
イタリアの劇作家,作家。アレッツォの靴職人ルーカなるものの息子だが,その出生の卑賤を恥じて,アレティーノ(アレッツォ人)と称す。若くしてペルージャで絵と詩を勉強 ...
6. スピネッロ・アレティーノ(Spinello Aretino)
世界人名大辞典
 本名:Spinello di Luca Spinelli〔1333頃~1410.3.14〕 イタリアの画家.アレッツォ出身.ジョットを通俗化した後期ゴシックの ...
7. アレッツォ
世界大百科事典
との戦いに敗れ,その支配下におかれたが,15~16世紀に入っても町の繁栄は続き,風刺文学者アレティーノや《芸術家列伝》の著者バザーリらを生んだ。建築家ベネデット ...
8. イタリア演劇
日本大百科全書
タッソは『トリスモンド』(1587)にロマン的な経緯を織り込んで新生面を開いた。また喜劇はアレティーノの『偽善者』(1542)などを経て、デッラ・ポルタG. D ...
9. イタリア演劇
世界大百科事典
類型的なイタリア喜劇であった。あえて卑わいさもいとわないような世俗精神の持主であった,P.アレティーノのいくつかの喜劇《宮廷喜劇》《偽善者》《哲学者》などもルネ ...
10. イタリア音楽史 37ページ
文庫クセジュ
と歌の巨匠」と噂され、また金持たちに招かれて町から町へと歌い歩いていたニッコロ・チェーコ・アレティーノは、聴き入る人びとに涙をもよおさせたと言われている。  ...
11. イタリア音楽史 221ページ
文庫クセジュ
ニッコロ・チェーコ・アレティーノ Niccolò Cieco Aretino 34 城館から城館へとつねに新しい手法で歌い歩き,その発音のよさと風采でマエストロ ...
12. イタリア文学
日本大百科全書
君主論』(1513)、バルダッサーレ・カスティリオーネの『廷臣論』(1528)、ピエトロ・アレティーノの『談論』(1534~1539)、フランチェスコ・グイッチ ...
13. イタリア文学
世界大百科事典
発表しつつあった。マキアベリの《君主論》(1513),B.カスティリオーネの《廷臣論》(1513),P.アレティーノの《談論》(1534-39),F.グイッチャ ...
14. イタリア文学
世界文学大事典
ニッコロ・マキアヴェッリの『君主論』,バルダッサーレ・カスティリオーネの『廷臣論』,ピエートロ・アレティーノの『ラジョナメンティ』,フランチェスコ・グィッチャル ...
15. エロティシズム
日本大百科全書
ある。ミケランジェロやラファエッロが造形的な面で再発見した古代の健康な肉体は、ボッカチオやアレティーノが文学で表現した赤裸々な真実と、ぴったり重なり合うものだっ ...
16. エロティシズム
世界大百科事典
地から絵画や彫刻作品を眺めるとき,その強烈さで頂点に立つのはマニエリスムであろう。風刺作家アレティーノと組んで,16枚の性交態位図を描いた画家ジュリオ・ロマーノ ...
17. ガンバラ ヴェローニカ
世界文学大事典
イタリアの女性詩人。ブレッシャ近郊の伯爵家の生まれ。早熟な詩才をベンボ,アリオスト,アレティーノらの大詩人に認められた。24歳で結婚,夫の死後,領地を支配し守り ...
18. コメディア‐エルディータ
日本国語大辞典
持たない即興的なコメディア‐デラルテに対して、戯曲の形式をとった茶番劇として発達。マキアベリ、アレティーノなどの作がある。 ...
19. サン=ジュレ メラン・ド
世界文学大事典
イタリアニスムの旗頭としてはソネット,テルツァ・リーマをいち早く採り入れ,アリオスト,ペトラルカ,アレティーノを翻訳した。晩年はアンリ2世ならびに愛妾ディヤーヌ ...
20. サンソビーノ(Jacopo Sansovino)
日本大百科全書
逃れてベネチアに移った彼は、まもなくサン・マルコ大聖堂の監督官に就任し、ティツィアーノやピエトロ・アレティーノと親交を結びながら終生同地にとどまる。ベネチアでは ...
21. ダンテ 39ページ
文庫クセジュ
詩人に他ならない。それゆえ、第一の環道の、曲線を描く絶壁の上に連綿とつづく浮き彫りの壁面をヴァザーリやアレティーノ風にダンテが《物語る》とき、実のところ、彼がト ...
22. 中世イタリア絵画 177ページ
文庫クセジュ
マルティーニ芸術への準拠は、プッチネッリ・ダ・ルッカ、アントニオ・ヴェネツィアーノ、あるいはスピネッロ・アレティーノといった外からきた画家を前にして、シエナの独 ...
23. 中世イタリア絵画 182ページ
文庫クセジュ
去ったあと、彼らに代わってフィレンツェを活気づけたのは、アーニョロ・ガッディとスピネッロ・アレティーノだった。ガッディはサンタ・クローチェ聖堂内陣のフレスコ画で ...
24. 中世イタリア絵画 225ページ
文庫クセジュ
スピネッロ・アレティーノ 149, 152 セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ 132 「聖アガタの画家」 74 「聖ゲオルギウス写本の画家」 134, 160 ...
25. ドーニ アントン・フランチェスコ
世界文学大事典
幼くして出家したが,やがて還俗,法律を修める。故国フィレンツェを去ってヴェネツィアに定住,ピエートロ・アレティーノに次ぐ流行作家としての地歩を築く。豊富な話題を ...
26. パスクィーノ(Pasquino)
世界人名大辞典
スクィナータpasquinata〉と呼ばれる.有力者もまたライバルを攻撃するために利用し,アレティーノやG.マリーノのような詩人が有力者の依頼によりパスクィナー ...
27. ヒンク ハンス
世界文学大事典
brast(18-19)で,伝統的な都会官僚と農民の対立を扱っている。イタリアに多く住み,ピエートロ・アレティーノについての劇『最後の客』Den siste g ...
28. ブルーニ(Bruni, Leonardo)
世界人名大辞典
〔1369~1444.3.9〕 イタリアの人文学者,歴史家,政治家.アレッツォで生まれ,自らアレティーノ(Aretino)とも称した.クリュソロラスにより古典の ...
29. ヴェネツィア史 135ページ
文庫クセジュ
 トスカーナ地方出身のアレティーノがヴェネツィアに魅力を感じたのは、この町が表現の自由を保証し、また出版業の市場を提供していたためである。彼は一五二七年にヴェネ ...
30. ヴェネツィア史 144ページ
文庫クセジュ
短編小説家でもあったことは、すでに見たとおりである。マドリガル奏者として好評を博した彼は、アレティーノやティツィアーノとも交流があり、〔さまざまな要素が〕程よく ...
31. メジチ家の世紀 176ページ
文庫クセジュ
フランス軍がフィレンツェに対して行った苛斂誅求を描いている。あまり深刻かつ深みのある作者とは考えられていないアレティーノにしてからが、ある登場人物の口を通して、 ...
32. メジチ家の世紀 208ページ
文庫クセジュ
40, 56 アレクサンドル六世 Alexandros VI (1492―1503) 137 アレティーノ,ピエトロ Pietro Aretino (1492― ...
33. メチェナティズモ
世界文学大事典
メチェナティズモの孕むそのような危険をよりよく例証するのが,君主,教皇を乗り換えて歩いた異色の作家アレティーノの生涯と作品である。 ...
34. 改訳 ルネサンス 86ページ
文庫クセジュ
イタリア半島にいたタッデオ・ガッディ、ダッディ〔以上二人はジョットの弟子〕、ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、アレティーノ、ジョッティーノはもとより、外国に出かけていた ...
35. ロレンツォ・モナコ(Lorenzo Monaco)
世界人名大辞典
でカマルドリ会修道士となる(〈モナコ〉は修道士の意),A.di T.ガッディやスピネッロ・アレティーノの影響を受け,画風を形成.華麗な装飾性に富んだ後期ゴシック ...
「アレティーノ」の情報だけではなく、「アレティーノ」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る

アレティーノと同じ世界史上の人物カテゴリの記事
ナポレオン [改訳](文庫クセジュ ベストセレクション)
ナポレオン[改訳] 文庫クセジュ79 アンリ・カルヴェ著/井上 幸治訳 歴史・地理・民族(俗)学 第一章 ナポレオンの出身、青年時代 ボナパルト家 いま知られるところで、ナポレオンのもっとも古い祖先は、十五世紀末にあらわれたフランソワ・ボナパルトである。
マッカーサー(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八八〇 - 一九六四 アメリカ合衆国軍人、日本占領連合国最高司令官(昭和二十年(一九四五)―二十六年)。一八八〇年一月二十六日アーカンソー州リトル=ロックに生まれる。父親アーサー=マッカーサーは陸軍中将。一九〇三年陸軍士官学校卒業後
范寛(世界人名大辞典・世界大百科事典)
名:中正 字:中立(仲立)中国北宋の画家.華原(現,陝西銅川)の人.性格が温厚で度量が大きかったことから「寛」とあだ名されるようになったという.在野の山水画家で,天聖年間 [1023-32]には,なお在世していたとされる
イブン・スィーナー(世界人名大辞典・世界大百科事典)
イスラーム哲学者,医学者.ブハラ(現ウズベキスタン)でサーマーン朝のペルシア人官吏の子として生まれ,イスラーム,ギリシア,インドの諸学,特に哲学,医学,数学,天文学などを極めた.サーマーン朝の王子を治療して宮廷に出入りし
ウィリアム1世(世界人名大辞典・世界大百科事典)
1027(28)~87.9.9イングランド王 [1066/87].ノルマンディー公ロベール1世(悪魔公)(Robert I le Diable †1035)の庶子.父が没するとノルマンディー公ギヨーム2世(Guillaume II)となり [1035-87],ハロルド2世がイングランド王に即位する [66]と,先王エドワード(証聖王)による
世界史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「アレティーノ」は人物に関連のある記事です。
その他の人物に関連する記事
趙之謙(岩波 世界人名大辞典・日本大百科全書)
中国清の金石家,書画家.紹興(現,浙江紹興)の人.挙人 [1859:咸豊9].紹興の富裕な家に育ったが,少年の頃に家運が翳り,困苦を味わうことが多くなった.30歳の頃に太平天国軍が江南地方をかけめぐり,戦禍がおびただしくなると,知人の丁令威の招きに
以心崇伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五六九 - 一六三三 江戸時代前期の臨済宗の僧侶。金地院崇伝・伝長老ともいわれる。足利義輝の臣一色秀勝の子で、足利氏が滅亡したのち、南禅寺に赴いて玄圃霊三に師事した。醍醐の三宝院に学んだこともあるが、のちに南禅寺金地院の靖叔徳林についてその法をついだ
徳川斉昭(国史大辞典・世界大百科事典)
一八〇〇 - 六〇 江戸時代末期の常陸国水戸藩主。第七代治紀(武公)の三男。母は烏丸資補の女。幼名敬三郎。はじめ紀教(のりたか)のちに斉昭。兄の第八代藩主斉脩(なりのぶ、哀公)の嗣子となる。字は子信、号は景山・潜竜閣。夫人は有栖川宮織仁親王女吉子
渋沢栄一(国史大辞典・世界大百科事典)
一八四〇 - 一九三一 近代日本の指導的大実業家。その生涯は、(一)天保十一年(一八四〇)二月から明治六年(一八七三)五月までの在郷および仕官時代、(二)明治六年六月から同四十二年五月までの主として実業界の指導に力を注いだ時代、(三)明治四十二年六月
徽宗(世界大百科事典)
中国,北宋第8代の皇帝。在位1100-25年。姓名は趙佶(ちようきつ)。第6代皇帝神宗の第11子。母はその侍御陳氏。兄の第7代皇帝哲宗の病死後,向太后(しようたいこう)(神宗の皇后)の支持をうけて帝位についた。太后摂政中は,新(革新政策)
人物に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る