1. アレティーノ画像
日本大百科全書
イタリアの詩人、劇作家。ルネサンス人のもつ自由で闊達(かったつ)な気風をもっとも鮮やかに体現した文学者の一人。フィレンツェ近くのアレッツォに靴職人の子として生ま ...
2. アレティーノ[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
ライモンディ作 1517~1520年ころ 銅版画 メトロポリタン美術館所蔵 ...
3. アレティーノ(Pietro Aretino)
世界大百科事典
1492-1556 イタリアの劇作家,風刺文学者,艶本作家。アレッツォのしがない靴屋の子だが,ローマで教皇レオ10世に仕えて文名を高めるとベネチアに定住。ここか ...
4. アレティーノ(Aretino, Pietro)
世界人名大辞典
〔1492.4.20~1556.10.21〕 イタリアの風刺文学者.高級娼婦と靴職人の間に生まれ,少年期にはペルージャで画家の修業をすると共に人文主義教育も受け ...
5. アレティーノ ピエートロ
世界文学大事典
イタリアの劇作家,作家。アレッツォの靴職人ルーカなるものの息子だが,その出生の卑賤を恥じて,アレティーノ(アレッツォ人)と称す。若くしてペルージャで絵と詩を勉強 ...
6. スピネッロ・アレティーノ(Spinello Aretino)
世界人名大辞典
本名:Spinello di Luca Spinelli〔1333頃~1410.3.14〕 イタリアの画家.アレッツォ出身.ジョットを通俗化した後期ゴシックの ...
7. アレッツォ
世界大百科事典
との戦いに敗れ,その支配下におかれたが,15~16世紀に入っても町の繁栄は続き,風刺文学者アレティーノや《芸術家列伝》の著者バザーリらを生んだ。建築家ベネデット ...
8. イタリア演劇
日本大百科全書
タッソは『トリスモンド』(1587)にロマン的な経緯を織り込んで新生面を開いた。また喜劇はアレティーノの『偽善者』(1542)などを経て、デッラ・ポルタG. D ...
9. イタリア演劇
世界大百科事典
類型的なイタリア喜劇であった。あえて卑わいさもいとわないような世俗精神の持主であった,P.アレティーノのいくつかの喜劇《宮廷喜劇》《偽善者》《哲学者》などもルネ ...
10. イタリア音楽史 37ページ
文庫クセジュ
と歌の巨匠」と噂され、また金持たちに招かれて町から町へと歌い歩いていたニッコロ・チェーコ・アレティーノは、聴き入る人びとに涙をもよおさせたと言われている。 ...
11. イタリア音楽史 221ページ
文庫クセジュ
ニッコロ・チェーコ・アレティーノ Niccolò Cieco Aretino 34 城館から城館へとつねに新しい手法で歌い歩き,その発音のよさと風采でマエストロ ...
12. イタリア文学
日本大百科全書
君主論』(1513)、バルダッサーレ・カスティリオーネの『廷臣論』(1528)、ピエトロ・アレティーノの『談論』(1534~1539)、フランチェスコ・グイッチ ...
13. イタリア文学
世界大百科事典
発表しつつあった。マキアベリの《君主論》(1513),B.カスティリオーネの《廷臣論》(1513),P.アレティーノの《談論》(1534-39),F.グイッチャ ...
14. イタリア文学
世界文学大事典
ニッコロ・マキアヴェッリの『君主論』,バルダッサーレ・カスティリオーネの『廷臣論』,ピエートロ・アレティーノの『ラジョナメンティ』,フランチェスコ・グィッチャル ...
15. エロティシズム
日本大百科全書
ある。ミケランジェロやラファエッロが造形的な面で再発見した古代の健康な肉体は、ボッカチオやアレティーノが文学で表現した赤裸々な真実と、ぴったり重なり合うものだっ ...
16. エロティシズム
世界大百科事典
地から絵画や彫刻作品を眺めるとき,その強烈さで頂点に立つのはマニエリスムであろう。風刺作家アレティーノと組んで,16枚の性交態位図を描いた画家ジュリオ・ロマーノ ...
17. ガンバラ ヴェローニカ
世界文学大事典
イタリアの女性詩人。ブレッシャ近郊の伯爵家の生まれ。早熟な詩才をベンボ,アリオスト,アレティーノらの大詩人に認められた。24歳で結婚,夫の死後,領地を支配し守り ...
18. コメディア‐エルディータ
日本国語大辞典
持たない即興的なコメディア‐デラルテに対して、戯曲の形式をとった茶番劇として発達。マキアベリ、アレティーノなどの作がある。 ...
19. サン=ジュレ メラン・ド
世界文学大事典
イタリアニスムの旗頭としてはソネット,テルツァ・リーマをいち早く採り入れ,アリオスト,ペトラルカ,アレティーノを翻訳した。晩年はアンリ2世ならびに愛妾ディヤーヌ ...
20. サンソビーノ(Jacopo Sansovino)
日本大百科全書
逃れてベネチアに移った彼は、まもなくサン・マルコ大聖堂の監督官に就任し、ティツィアーノやピエトロ・アレティーノと親交を結びながら終生同地にとどまる。ベネチアでは ...
21. ダンテ 39ページ
文庫クセジュ
詩人に他ならない。それゆえ、第一の環道の、曲線を描く絶壁の上に連綿とつづく浮き彫りの壁面をヴァザーリやアレティーノ風にダンテが《物語る》とき、実のところ、彼がト ...
22. 中世イタリア絵画 177ページ
文庫クセジュ
マルティーニ芸術への準拠は、プッチネッリ・ダ・ルッカ、アントニオ・ヴェネツィアーノ、あるいはスピネッロ・アレティーノといった外からきた画家を前にして、シエナの独 ...
23. 中世イタリア絵画 182ページ
文庫クセジュ
去ったあと、彼らに代わってフィレンツェを活気づけたのは、アーニョロ・ガッディとスピネッロ・アレティーノだった。ガッディはサンタ・クローチェ聖堂内陣のフレスコ画で ...
24. 中世イタリア絵画 225ページ
文庫クセジュ
スピネッロ・アレティーノ 149, 152 セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ 132 「聖アガタの画家」 74 「聖ゲオルギウス写本の画家」 134, 160 ...
25. ドーニ アントン・フランチェスコ
世界文学大事典
幼くして出家したが,やがて還俗,法律を修める。故国フィレンツェを去ってヴェネツィアに定住,ピエートロ・アレティーノに次ぐ流行作家としての地歩を築く。豊富な話題を ...
26. パスクィーノ(Pasquino)
世界人名大辞典
スクィナータpasquinata〉と呼ばれる.有力者もまたライバルを攻撃するために利用し,アレティーノやG.マリーノのような詩人が有力者の依頼によりパスクィナー ...
27. ヒンク ハンス
世界文学大事典
brast(18-19)で,伝統的な都会官僚と農民の対立を扱っている。イタリアに多く住み,ピエートロ・アレティーノについての劇『最後の客』Den siste g ...
28. ブルーニ(Bruni, Leonardo)
世界人名大辞典
〔1369~1444.3.9〕 イタリアの人文学者,歴史家,政治家.アレッツォで生まれ,自らアレティーノ(Aretino)とも称した.クリュソロラスにより古典の ...
29. ヴェネツィア史 135ページ
文庫クセジュ
トスカーナ地方出身のアレティーノがヴェネツィアに魅力を感じたのは、この町が表現の自由を保証し、また出版業の市場を提供していたためである。彼は一五二七年にヴェネ ...
30. ヴェネツィア史 144ページ
文庫クセジュ
短編小説家でもあったことは、すでに見たとおりである。マドリガル奏者として好評を博した彼は、アレティーノやティツィアーノとも交流があり、〔さまざまな要素が〕程よく ...
31. メジチ家の世紀 176ページ
文庫クセジュ
フランス軍がフィレンツェに対して行った苛斂誅求を描いている。あまり深刻かつ深みのある作者とは考えられていないアレティーノにしてからが、ある登場人物の口を通して、 ...
32. メジチ家の世紀 208ページ
文庫クセジュ
40, 56 アレクサンドル六世 Alexandros VI (1492―1503) 137 アレティーノ,ピエトロ Pietro Aretino (1492― ...
33. メチェナティズモ
世界文学大事典
メチェナティズモの孕むそのような危険をよりよく例証するのが,君主,教皇を乗り換えて歩いた異色の作家アレティーノの生涯と作品である。 ...
34. 改訳 ルネサンス 86ページ
文庫クセジュ
イタリア半島にいたタッデオ・ガッディ、ダッディ〔以上二人はジョットの弟子〕、ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、アレティーノ、ジョッティーノはもとより、外国に出かけていた ...
35. ロレンツォ・モナコ(Lorenzo Monaco)
世界人名大辞典
でカマルドリ会修道士となる(〈モナコ〉は修道士の意),A.di T.ガッディやスピネッロ・アレティーノの影響を受け,画風を形成.華麗な装飾性に富んだ後期ゴシック ...