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相馬野馬追

ジャパンナレッジで閲覧できる『相馬野馬追』の世界大百科事典のサンプルページ

改訂新版 世界大百科事典
相馬野馬追
そうまのまおい

福島県の祭礼行事。福島県南相馬市の旧原町市の太田神社,旧小高(おだか)町の小高神社,相馬市の中村神社(以上の3社を相馬妙見三社と呼ぶ)の相馬野馬追祭の祭礼行事として7月23~25日に行われる。甲冑(かつちゆう)に身を固め,旗指物をなびかせた数百騎の騎馬武者が,打ち揚げられた妙見三社の神旗を奪い合うもので,もとは武士が放牧された野馬を追うものであった。昔,平将門が野馬を敵に見立てて武を練ったのが始まりとか,将門の子孫の相馬氏が,旧領下総(しもうさ)で将門以来行われてきた氏神妙見の野馬追いの祭りを相馬に移封後も引き継いだものとか伝える。旧藩時代は5月の申の日に行われた。明治以降は野馬を追うことを中止し,神旗の争奪に変わった。1日目は妙見三社の神輿が本陣山まで神幸し,古式馬装の宵乗り競馬がある。2日目が野馬追いで,神輿は全騎馬の供奉(ぐぶ)を受け祭場の雲雀(ひばり)ヶ原に神幸し,騎馬武者は《相馬流れ山》をうたい士気を鼓舞して神旗の争奪をする。3日目は小高神社で野馬掛けの神事がある。国の重要無形民俗文化財に指定。
[西角井 正大]

[索引語]
相馬妙見三社
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検索コンテンツ
1. 相馬野馬追
世界大百科事典
田神社,旧小高(おだか)町の小高神社,相馬市の中村神社(以上の3社を相馬妙見三社と呼ぶ)の相馬野馬追祭の祭礼行事として7月23~25日に行われる。甲冑(かつちゆ
2. 相馬野馬追(神旗争奪戦)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国指定重要無形民俗文化財 福島県南相馬(みなみそうま)市 ©公益財団法人福島県観光物産交流協会
3. 相馬野馬追(武者行列)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国指定重要無形民俗文化財 福島県相馬(そうま)市 中村神社 ©公益財団法人福島県観光物産交流協会
4. 相馬野馬追い祭画像
日本大百科全書
南相馬市小高区小高神社)の祭礼行事となり、新たに花火で打ち上げる神旗争奪などが加わった。「相馬野馬追」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。井之口章次
5. 小高
日本大百科全書
。7月の最終月曜日、小高城跡(県史跡)内にある小高神社では、国の重要無形民俗文化財の相馬野馬追相馬野馬追)の野馬懸が行われる。大悲山の磨崖仏(だいひざんのまが
6. おだかまち【小高町】福島県:相馬郡
日本歴史地名大系
他の業種への転換(電気機械工業など)が顕著となった。毎年の相馬野馬追祭の際には、七月二五日に相馬小高神社で江戸時代の名残を残す野馬懸の神事が行われ、相馬野馬追
7. おやむら【小谷村】福島県:相馬郡/小高町
日本歴史地名大系
鎮守の八幡神社は、源義家が奥州征討にあたり、民心の鎮撫を目的として祀ったと伝える。江戸期には、毎年相馬野馬追の際に小高神社で行われる野馬懸の神事に用いる竹をこの
8. かしままち【鹿島町】福島県:相馬郡
日本歴史地名大系
る桜平山周辺の整備や古墳群などを生かした町づくりが進行中である。なお毎年七月二三―二五日の相馬野馬追祭の際には当町も賑いをみせるが、二三日に横手の鹿島町公民館前
9. 相馬(市)画像
日本大百科全書
都市的機能の転換が企図されてきた。宅地も市街地の東西に造成された。国の重要無形民俗文化財の相馬野馬追は中村城跡で出陣式が行われるが、これは相馬氏の軍事訓練と産馬
10. 相馬[市]
世界大百科事典
馬港として築港され,その背後の新沼には工業団地が造成され,企業誘致が進められている。勇壮な相馬野馬追や《相馬盆踊歌》《新相馬節》などの民謡が知られる。2011年
11. そうま[サウま]【相馬】
日本国語大辞典
【一】〔一〕福島県北東端の地名。江戸時代、相馬氏六万石の城下町として発展した中村が中心地。相馬野馬追祭は有名。昭和二九年(一九五四)市制。〔二〕福島県の北東部の
12. そうまおだかじんじゃ【相馬小高神社】福島県:相馬郡/小高町/小高村
日本歴史地名大系
神馬として社前に奉納する神事で、現在行われる相馬野馬追祭のなかで、唯一江戸期の名残をとどめるといわれる。当社の拝殿にはこの行事を江戸期に描いた県指定重要有形民俗
13. そうまし【相馬市】福島県
日本歴史地名大系
、今後の当市発展に貢献するものと期待される。なお、毎年七月二三日から二五日にかけて行われる相馬野馬追の際には当市も賑いをみせるが、総大将および宇多郷の騎馬武者は
14. そうまなかむらじんじゃ【相馬中村神社】福島県:相馬市/中村城下
日本歴史地名大系
同一八年に県社として現社名となる。平成三年(一九九一)には社殿などの保存修理工事を完了した。また、藩政期の相馬野馬追は相馬三妙見によって主催され、藩主を総大将と
15. 中村(福島県)画像
日本大百科全書
南相馬市原町区)に移った。中村城跡は県指定史跡で、馬陵公園となっている。妙見相馬中村神社の相馬野馬追、相馬藩主ゆかりの相馬駒(こま)焼で知られる。原田 榮
16. 野馬追い
日本大百科全書
相馬野馬追い祭
17. のま‐おい[‥おひ]【野馬追】
日本国語大辞典
柵(さく)の中に追い込む行事が、祭として行事化したもの。明治以後は、騎馬武者が神旗を奪い合うようになった。相馬野馬追。《季・夏》*明良洪範〔1688~1704頃
18. のま‐まつり【野馬祭】
日本国語大辞典
〔名〕野馬追いの祭。野馬追い。*風俗画報‐二一四号〔1900〕人事門「相馬野馬追之記〈略〉野馬祭の結構珍奇、世の騒客遊子、一度之に臨まば、驚喜壮快」
19. 原町(福島県)画像
日本大百科全書
間にあって活発とはいいがたい。 南部の雲雀ヶ原(ひばりがはら)では7月末の土曜日と日曜日、相馬野馬追(国指定重要無形民俗文化財)の甲冑(かっちゅう)競馬、神旗争
20. はらまち【原町】
国史大辞典
は、元亨三年(一三二三)重胤の時で、重胤は、牛越原に馬を放牧して自然繁殖をはかった。現在の相馬野馬追(のまおい)祭(別項「野馬追祭」)の起源である。相馬氏は嘉暦
21. はらまちし【原町市】福島県
日本歴史地名大系
市域は準平原化した阿武隈高地と、ほぼ東流する新田川・太田川の沖積地および扇状地に発達し、市街南西には相馬野馬追で知られる雲雀ヶ原(野馬追原)が広がる。東部を国道
22. 雲雀ヶ原画像
日本大百科全書
観戦の場所であった。また、本陣山近くには南相馬市立博物館がある。毎年7月末の土曜・日曜に「相馬野馬追」(国指定重要無形民俗文化財)の甲冑(かっちゅう)競馬、神旗
23. ひばりがはら【雲雀ヶ原】福島県:原町市
日本歴史地名大系
西は大木戸から片倉付近、南は羽山木戸付近に及び、さらに片倉から南の現小高町域にまで延びていた。〔相馬野馬追〕相馬氏一千年余の歴史と伝統を象徴する祭礼行事で、現在
24. 福島(県)画像
日本大百科全書
がら念仏踊(ねんぶつおどり)・風流(ふりゅう)踊などがある。相馬市、南相馬市を中心とする「相馬野馬追」、いわき市の「御宝殿の稚児田楽・風流(ごほうでんのちごでん
25. 福島[県]画像
世界大百科事典
いたが,戦後急減し,代わって牛や豚の飼育が多くなった。相馬地方の相馬市,南相馬市では7月に相馬野馬追の祭礼行事が行われる。 県内の近代産業は,近世後期から明治初
26. 南相馬(市)画像
日本大百科全書
文化財。浦尻貝塚、桜井古墳、羽山横穴、慈徳寺の薬師堂石仏と観音堂石仏は国指定史跡。また、「相馬野馬追」は国指定重要無形民俗文化財となっている。面積398.58平
27. 南相馬[市]
世界大百科事典
て知られるが,60年代にレーヨン織物などに転換した工場が多い。小高城跡にある小高神社では,相馬野馬追の最終日に野馬掛の神事が行われる。小高神社の西には相馬氏の菩
28. みなみにいだむら【南新田村】福島県:原町市
日本歴史地名大系
鹿島宿(現鹿島町)へ一里一八町で本馬八五文・軽尻五七文・人足四二文。相馬藩最大の行事である相馬野馬追が行われる雲雀ヶ原を背後に控えて発達し、正保二年(一六四五)
29. 【総論】福島県
日本歴史地名大系
相馬・会津両地域は対照的な傾向をみせる。近年の開発計画の進行によって相馬地域は変貌を遂げつつあるが、古来の相馬野馬追の神事は、国指定重要無形民俗文化財としていよ
「相馬野馬追」の情報だけではなく、「相馬野馬追」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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田楽(国史大辞典・新版 能 狂言事典・改訂新版 世界大百科事典)
広義には稲作に関する芸能の総称として用いるが、狭義には田楽躍(おどり)を本芸とする職業芸能者が演じる芸能をいう。また田植の囃しや田楽躍に用いる太鼓を称する場合もある。広義の田楽は、(1)田植を囃す楽、(2)職業芸能者である田楽法師による芸能
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