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  11. 東行庵
日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
東行庵
とうぎようあん

[現]下関市大字吉田

吉田よしだの町の南、清水しみず山の丘陵麓にある。曹洞宗。清水山と号し、本尊は白衣観音菩薩。

幕末の尊攘討幕の士高杉晋作の霊位礼拝堂と、その墓守をつとめた側室梅処おうの尼の僧堂として建てられた。初め山県有朋の住んでいた吉田の無隣むりん庵をあてたが、明治一四年(一八八一)以来、旧藩主毛利元昭はじめ山県有朋・伊藤博文・井上馨などの寄付によって無隣庵の隣接地に起工、同一七年に完工。晋作の号の東行にちなんで名付けられた。

梅処尼はもと赤間関裏あかまがせきうら町の堺屋から「此の糸」という源氏名で芸者に出ていたが生立ちについては明らかでない。慶応二年(一八六六)晋作が長崎から梅処に宛てた手紙がある。

おうのとの
無事      東行より
一筆申遣し候、そ(た脱カ)事も無事にてめて度存候、(ママ)れらも無事長崎に罷居候間、御きずかひ被下ましく候、此たび伊藤さま御帰に付、何も御じきに御聞可被下候、かねて申置候事相まもりしんほうかんにように御座候、人になふられぬ事かんにように御座候、たんせん袷送候間、せんたくをして御送可被下候、伊藤さま江相頼をき候間、拾両御請取可被下候、(ママ)れら事もしんほういたし候間、そなたもしんほうかんにように御座候、しやしんをくり候間、御請取可被下候、色々申遣し度御座候得共、先つをしき筆とめ、あらあら如此御座候、めで度かしこ
四月五日
尚々、風を引ぬやうにやうじんかんにように存候、
かしこ

東行庵には晋作の遺品・遺墨や明治維新関係資料が多く蔵され、清水山には晋作の墓(国指定史跡)のほか、梅処尼および高杉家(妻雅子・子東一・孫春太郎)、奇兵隊参謀福田侠平などの墓がある。また伊藤博文撰文の高杉晋作顕彰碑、山県有朋撰文の福田侠平顕彰碑がある。

なお毎年四月一四日、晋作の墓前で東行忌が行われる。

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1. とうぎょうあん【東行庵】山口県:下関市/吉田村
日本歴史地名大系
あらあら如此御座候、めで度かしこ四月五日尚々、風を引ぬやうにやうじんかんにように存候、かしこ東行庵には晋作の遺品・遺墨や明治維新関係資料が多く蔵され、清水山には
2. いまうら【今浦】山口県:下関市
日本歴史地名大系
日、高杉晋作が肺結核で死去した林算九郎宅は、この新地にあった。遺骸は吉田村の清水山に葬られ、東行庵が建立されている。また「注進案」は源平に分れての子供たちの遊び
3. おうの
日本人名大辞典
。慶応3年晋作が死去すると剃髪(ていはつ)して梅処尼と称する。明治17年伊藤博文らが建立した東行庵(とうぎょうあん)で菩提(ぼだい)をとむらった。明治42年8月
4. しものせき【下関】画像
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日本歴史地名大系
られ、吉田地方の諏訪の林野を開墾して屯所を設け、また操練場も開墾されて調練が行われた。村内の東行庵には、散在していた奇兵隊士の墓が集められ顕彰供養されている。村
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