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  11. 旧函館区公会堂
日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
旧函館区公会堂
きゆうはこだてくこうかいどう

[現]函館市元町

明治四二年(一九〇九)五月に着工し、同四三年九月に竣工した洋風木造建造物で、函館区(のち函館市)の公会堂として用いられた。本館と附属棟から構成される。設計者は函館区技師小西朝次郎、棟梁は村木甚三郎。明治四〇年八月の大火で区民の集会所として利用されていた富岡とみおか町の町会所も類焼した。被災後、公会堂建設協議会が組織され(のち公会堂建設委員会に改組)、区民の浄財を募ったが、大火後のため思うように集まらなかった。当時、函館の豪商といわれた相馬哲平は自ら住宅や多くの店舗などを焼失したにもかかわらず五万円を寄付、以後建設計画は軌道にのり、事業は函館区に引継がれた(「はこだての文化財」「函館市史」など)。本館は木造二階建・桟瓦葺寄棟屋根で、一階は中廊下に面して食堂・球戯室・寝室・会議室などの小部屋が配される。二階は大部分を講堂とし、正面にバルコニーを設けている。附属棟は管理人の住居として建設された。木造平屋建・桟瓦葺寄棟屋根で、本館と渡り廊下でつながれる。明治時代に建てられた公会堂建築の数少ない遺構であり、昭和四九年(一九七四)に本館が、同五五年附属棟が国の重要文化財に指定された。正面両袖妻の破風水飾には和風唐草模様(忍冬模様)が施され、円柱は遠くからはコリント式に見えるが、和風の柱頭飾や彫溝が施されている。

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