[現]函館市元町
明治四五年(一九一二)当時の会所(かいしよ)町に建設された領事館で、設計はイギリス政府上海工事局、施工は真砂(まさご)町の大村合名会社建築部。煉瓦造二階建瓦葺で、建坪は一階が一五三・二七坪、二階は一三三・三三坪であった。イギリスの初代函館領事は長崎領事から転じたペンバートン・ホジソンで(フランス領事を兼任)、安政六年(一八五九)九月に函館に到着。箱館奉行は大工(だいく)町の支配組頭役宅を宿所に提供したが、ホジソンは狭隘との理由で拒否、称名(しようみよう)寺を仮宿舎とした。その後は同寺が仮領事館として機能し、ホジソン更迭後の文久三年(一八六三)元(もと)町(現在の日本聖公会函館聖ヨハネ教会敷地)に領事館が新築された。市立函館図書館に残る設計図によると、同館は中庭式の正方形に近い平面で、中庭に面して縁側のある洋式プランであった。同領事館は慶応二年(一八六六)の火災で類焼、松蔭(まつかげ)町(現弥生町)に仮領事館を建設したが、これも明治一二年の火災で類焼し、その後、領事館は当地に移転・新築された。しかし同領事館も明治四〇年に類焼、同四五年に現存する建物が建設された(「はこだての文化財」など)。領事館業務は昭和九年(一九三四)に停止され、建物も第二次世界大戦開始後の同一五年三月函館市に売却された。翌一六年憲兵隊に接収されたが、戦争終結とともに函館市に返還。戦後は改装されて市立函館病院高等看護学院の寮舎として使用された。近年は整備され、開港記念館として公開されている。
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