ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 遺跡
  8. >
  9. 日本の史跡
  10. >
  11. 旧中村家住宅
日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
旧中村家住宅
きゆうなかむらけじゆうたく

[現]檜山郡江差町字中歌町

近江出身の商人大橋宇兵衛によって幕末から明治二〇年代にかけて建てられた店舗・蔵・住宅。九艘川くそうがわ町の南西端に位置した。大正四年(一九一五)に中村米吉に譲渡された。現在海岸線に沿って走る道路(国道二二八号)から海岸に向かい、主屋・文庫倉・下ノ倉・ハネダシという四棟の建物が細長く延びている。主屋は店舗兼住宅で、一階には帳場・茶の間・台所・仏間・部屋が、二階には通りに面して座敷が三間と奥に女中部屋がある。ハネダシは江差の海岸線に特徴的にみられる建物で、浜にはねだすように造られた上下二層の木造高床掘立造の建物。下層には艀が直接出入りでき、上層は倉庫や作業場となっている。昭和四六年(一九七一)に国の重要文化財に指定され、同四九年江差町に寄贈された。同五五年からの修復工事を経て、同五七年から一般公開されている。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。
ジャパンナレッジの利用料金や
収録辞事典について詳しく見る

旧中村家住宅の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 6
検索コンテンツ
1. 旧中村家住宅[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
北前船(きたまえぶね)の往来が盛んであったころの代表的な問屋建築。もとは近江商人(おうみしょうにん)の店舗兼住宅で、土蔵造の主屋(しゅおく)は1889年(明治2
2. きゆうなかむらけじゆうたく【旧中村家住宅】北海道:檜山支庁/江差町/江差町/九艘川町
日本歴史地名大系
[現]檜山郡江差町字中歌町 近江出身の商人大橋宇兵衛によって幕末から明治二〇年代にかけて建てられた店舗・蔵・住宅。九艘川町の南西端に位置した。大正四年(一九一五
3. 江差(町)画像
日本大百科全書
スケトウダラなどが漁獲されるが、沿岸漁業の衰退で漁場整備が行われている。当時の廻船問屋(かいせんどんや)旧中村家住宅(国の重要文化財)、横山家、姥神(うばがみ)
4. えさしちよう【江差町】北海道:檜山支庁
日本歴史地名大系
あった当町域には文化財が数多く残り、民俗芸能も伝承されている。字中歌町に国指定重要文化財の旧中村家住宅、道指定文化財の旧檜山爾志郡役所庁舎があり、字姥神町の横山
5. しんこくちょう【新穀町】岩手県:盛岡市/盛岡城下
日本歴史地名大系
の住宅・土蔵各一棟は県指定文化財。通りの向いには糸屋中村治兵衛(屋号糸治)の店舗があった。旧中村家住宅(母屋・土蔵・はかりば)は国指定重要文化財で、現在は盛岡市
6. 盛岡(市)画像
日本大百科全書
同16年の銘があり国の重要美術品。国指定重要文化財には愛宕(あたご)町の藩主別邸跡に移築された旧中村家住宅(江戸後期の呉服商)、四十四田(しじゅうしだ)ダム近く
「旧中村家住宅」の情報だけではなく、「旧中村家住宅」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る

旧中村家住宅と同じ日本の史跡カテゴリの記事
大坂の陣(国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
関ヶ原の戦の戦勝により、政治の主導権を獲得し、かつ戦勝者として大名の支配を可能にした徳川氏にとっては、中央政権を樹立し、その支配権を正当化し確立することが今後の課題となった。そのため戦後一門・譜代大名の創出とその要衝配置、ならびに豊臣秀吉恩顧の大名をはじめとする外様大名
関ヶ原古戦場跡(日本歴史地名大系)
慶長五年(一六〇〇)九月一五日に行われた徳川家康の率いる東軍と石田三成の率いる西軍との合戦場跡。決戦は東西約四キロ、南北約二キロ、標高一三〇メートルの関ヶ原台地で展開され、この戦いに勝利したことで家康は事実上天下の支配者となり、慶長八年の征夷大将軍補任によって名目上からも全国統一の権威をもった
桶狭間古戦場伝説地(日本歴史地名大系)
[現]豊明市栄町 南舘名鉄本線中京競馬場前駅(名古屋市緑区)南方二〇〇メートルの、国道一号を横断した所にある。国指定史跡。この辺りは知多半島に続く丘陵地で谷間が多く、豊明市内には大狭間・小廻間の地名が多い。狭間(廻間)というのは「はさまった間」を意味するといわれ、国史跡指定地は谷あいにある。
小豆坂古戦場(日本歴史地名大系)
[現]岡崎市羽根町 小豆坂 羽根地籍東方の丘陵地。松の木立に覆われた起伏の多い一帯が今川義元と織田信秀の軍が激しく戦った小豆坂古戦場である。「信長記」などによると、天文一一年(一五四二)八月、今川義元は駿遠三の兵を率いて、当時織田信秀の支配下にあった安祥城(現安城市)を攻撃し
新沢権現堂古戦場(日本歴史地名大系)
[現]大内町新沢 新沢の八幡神社の背後に館跡があり、権現堂ノ館・荒沢之城・新沢館・小助川館などとよばれ、元亀―天正(一五七〇―九二)の頃に矢島大井氏の一族小助川治部少輔が居館を構えていたという(「小助川氏系図」由利郡中世史考)。館の広さは東西一〇〇間、南北三〇間であったが
日本の史跡と同じカテゴリの記事をもっと見る


「旧中村家住宅」は日本の重要文化財に関連のある記事です。
その他の日本の重要文化財に関連する記事
岸和田城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
大阪府岸和田市岸城町にあった。縄張りが滕(ちぎり)に似ているところから別称を千亀利城という。本丸・二ノ丸・三ノ丸と総曲輪からなる臨海の平城で、総面積約七万二千坪。建武年間(一三三四―三八)楠木正成に属した和田新兵衛高家が構えたのがはじまり
平戸城(国史大辞典)
長崎県平戸市岩の上町所在。亀岡城・朝日岳城・玄武城ともいう。平山城。平戸藩主松浦氏の居城。宝永四年(一七〇七)松浦棟が築城、以後明治維新に至る。実はこれ以前、同地には慶長年間築城の日之岳城があった。しかし、これは慶長十八年(一六一三)
高山陣屋跡(日本歴史地名大系)
[現]高山市八軒町城山の西方、宮川に架かる中橋を西に渡った地点に東に向いて位置する。敷地は一千一九二坪で、陣屋門(天保三年築造)・表玄関、広間(書院造)・白洲・庭園・収納米蔵などがあり、現存する唯一の郡代陣屋跡として国指定史跡
奈良井宿(日本歴史地名大系)
[現]楢川村大字奈良井鳥居峠(一一九七メートル)の北麓に位置し、中山道の中で最高所の宿である。「西筑摩郡誌」によると「天文元年、木曾義在奈良井に専念寺を建つ。同二年、義在木曾に宿駅を定む」とあり、永禄一一年(一五六八)の相州文書にも宿駅として
韮山反射炉(日本歴史地名大系)
[現]韮山町中字鳴滝(なるたき)にある幕末に築造された反射炉。国指定史跡。一九世紀ヨーロッパにおいて高炉が発達し、銑鉄の大量生産が可能になると、銑鉄を溶融して大砲を鋳造するために反射炉が考案された。天保(一八三〇―四四)末年オランダより入った技術書
日本の重要文化財に関連する記事をもっと見る
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る