1. イブン・ハルドゥーン
日本大百科全書
イスラム世界最大の歴史家。チュニスに生まれ、諸学を修めたのち、北アフリカ、スペインの諸スルタンに仕え、波瀾(はらん)万丈の政治生活を送ったが、隠退して膨大な『歴
2. イブン・ハルドゥーン(Ibn Khaldūn)
世界大百科事典
も,歴史家マクリージーに最も強く認めることができる。しかしマムルーク朝の滅亡とともに,イブン・ハルドゥーンの存在もアラブ世界では忘れられた。彼の思想や歴史観が再
3. イブン‐ハルドゥーン
日本国語大辞典
(Ibn Khaldu
n )チュニジア生まれのアラブ系の歴史家。主著「歴史序説」。(一三三二~一四〇六)
4. イブン・ハルドゥーン(ibn Khaldūn, ‘Abd al-Raḥmān)
世界人名大辞典
〔1332.5.27~1406.3.17〕 アラブの歴史家,思想家.チュニスの有力名家に生まれるが,祖先はアラビア半島の出身.イスラーム諸学を学び,マグリブやイ
5. イブン・ハルドゥーン
世界文学大事典
発達し,生活は豊かになり文化が興隆する。このような人間活動とそれが生み出す文化の総体をイブン・ハルドゥーンは〈文明〉と呼ぶ。このような文明は永久に続くものではな
6. アサビーヤ
世界大百科事典
対立するものとして非難したという。しかしこの語が有名になったのは,14世紀後半の歴史家イブン・ハルドゥーンによってである。彼はその著《歴史序説》の中で,アサビー
7. (アッ・)サアーリビー
世界文学大事典
法則』Fiḡ al-luḡa(1861パリ,ほか多数)はアラビア語の同意語辞典で,イブン・ハルドゥーンはこれを〈言語学者にとって最良の辞典〉と記しており,後
8. アブド・アル・ハミード・アル・カーティブ
世界文学大事典
されている。主著と見なされる『書記への書簡』Risāla ilā al-kuttābはイブン・ハルドゥーンの著作中に引用されて広く読まれた(1958年にローゼン
9. アラビア科学
世界大百科事典
あげれば,イブン・ルシュド(ラテン名アベロエス)とナシール・アッディーン・アットゥーシーとイブン・ハルドゥーンであろう。イブン・ルシュドは,12世紀にアリストテ
10. アラビア文学
日本大百科全書
アラビア文学の衰微時代で、独創的な輝きをもつ傑作は少数しか現れていないが、そのなかにチュニスのイブン・ハルドゥーンの『世界史』(とくにその序説)、モロッコのイブ
11. アラビアン・ナイト 16 7ページ
東洋文庫
れていたと伝えられている。エチオピアの資料では彼女は、makidaと呼ばれている。またイブン・ハルドゥーンは,彼女の名前は,yalqamaまたはbalqamaで
12. アラビアン・ナイト 16 4ページ
東洋文庫
の意味で用いられている。エジプトでは一部の者に見られると災難に遭うという信仰が根強い。イブン・ハルドゥーンのような大学者でさえ,マグリブには一瞥しただけで羊を殺
13. アラビアン・ナイト 17 322ページ
東洋文庫
(一〇五八没)の「統治の諸規則」、イブン・タイミィーア(=一三八没)の「聖法統治論」、イブン・ハルドゥーン(一四〇六没)の「歴史序説」、イブン・ティクタカー(十
14. アラブ文学
世界大百科事典
ら開始されていた。この時期に創意を発揮したのは,《歴史序説》で独自の歴史理論を展開したイブン・ハルドゥーンである。 近現代の文学 近現代文学は,古典文学の復興を
15. アラブ文学
世界文学大事典
アラブ世界の最も注目される精神的活動といってよい。これらの中で,思想的問題を投げ掛けたイブン・ハルドゥーンの歴史上の著作は,歴史を文学から哲学へと発展させたとい
16. アルファフリー 2 イスラームの君主論と諸王朝史 297ページ
東洋文庫
一〇五八)による『アルアフカーム・アッスルターニーヤ(国家統治論)』である。 第二は、イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』にみられるような、人間社会の存在理由と、
17. アンダルス画像
世界大百科事典
6)の《アンダルス名士列伝》,イブン・アルハティーブの《グラナダ史》などが挙げられる。イブン・ハルドゥーンの《歴史序説》《イバルの書》は,アンダルスのみならず,
18. イスラム画像
世界大百科事典
スラムの世界(ダール・アルイスラーム)〉であった。したがって独自な権力国家論を展開したイブン・ハルドゥーンを除けば,ムスリム知識人(ウラマー)によるイスラム国家
19. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 91ページ
東洋文庫
しいイフリーキーや征服の記録がある。著者は二…三年に没したエジプ トの史家であるが、イブン・ハルドゥーンの『世界史』も、北アフリカ征服のことは、これに 拠っ
20. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 96ページ
東洋文庫
イフリーキーヤを独立の一州とし、エジプトと分離することにしたが、この事件の起ったのは七〇五年ころとイブン・ハルドゥーンは記している。ただし、右のいきさつについて
21. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 225ページ
東洋文庫
囲む美しいべーガの野辺で行なわれたこの血戦はそのころのイスラム世界に大きな刺激をあたえたらしく、イブン・ハルドゥーンなど多くのアラブ史家が、それぞれの著書中にこ
22. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 281ページ
東洋文庫
ったのだという。リサーヌッ・ディーンはグラナダのナスル朝にワジール〔宰相〕として仕え、イブン・ハルドゥーンとも交際のあった名士であるが、若いころ、アル・マッカリ
23. イスラム文化
日本大百科全書
は、一般には文化活動は萎縮(いしゅく)したが、シリアのイブン・タイミーヤ、チュニジアのイブン・ハルドゥーンなどの大物を散発的に出している。16世紀にはトルコ人の
24. イブン・アルハティーブ(Ibn al-Khaṭīb)
世界大百科事典
371・72)。しかし,王の死後まもなくグラナダに召喚され,獄死した。モロッコ亡命中にイブン・ハルドゥーンと知りあい,彼のグラナダ移住を歓迎するなど親交を結んだ
25. イブン・アル・ハティーブ
世界文学大事典
に親しむ。グラナダのナスル朝ユースフおよびムハンマド5世らに仕え,この間,19歳年下のイブン・ハルドゥーンの天才ぶりに反感をもち対立する一幕もあった。1371年
26. イブン・ハティーブ(ibn al-Khaṭīb, Abū ‘Abdullāh Muḥammad)
世界人名大辞典
多才な文人で,60余の著述は詩,美文,歴史,地理,医学,哲学,スーフィズム等にわたる.イブン・ハルドゥーン,マッカリー(アフマド)等の残した伝記がある他,自著《
27. カトルメール(Quatremère, Étienne Marc)
世界人名大辞典
るエジプト象形文字解読の先駆者で,またアラビア,ペルシアの文献,ハールーン・ラシード,イブン・ハルドゥーン,サマルカンディー(アブドゥッラッザーク)の諸書訳注を
28. 貨幣画像
世界大百科事典
発行し,東北ペルシアのサーマーン朝(875-999)はディルハム銀貨を発行した。中世の有名な思想家イブン・ハルドゥーンは,金銀貨を造ることは王権のしるしの一つで
29. 〈華麗島〉台湾からの眺望 前嶋信次著作選 3 463ページ
東洋文庫
イブン・トゥファイル、 イブン・ハズム、イブン・バットゥータ、イブン・ハッリカーン、イブン・ハルドゥーン、イブン・フル ダードベi、オマル・ビン・アビー・ラ
30. カーヒナ(al-Kāhina)
世界人名大辞典
ヒナらはこれを撃退し,抵抗を続けたが,ウマイヤ家軍の再攻略[97・8頃]で滅ぼされた.イブン・ハルドゥーンは,彼女の享年を127歳,治世は35年と述べる.
31. ギブ(Gibb, Hamilton Alexander Rosskeen)
世界人名大辞典
字軍時代初期シリアのカラーニシー(al-Qalānishī)の著した年代記の校訂出版,イブン・ハルドゥーン,マーワルディーなどの研究を行った.歴史研究のみならず
32. 織工
世界大百科事典
間ではあるが市政に参加する権利をかちとったのである。阿部 謹也 中東 14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンは《歴史序説》のなかで,織物技術を二つに分けて理解する
33. 書物と旅 東西往還 前嶋信次著作選 4 70ページ
東洋文庫
若干の学者的批判、哲学的考察がみられるだけで、神話や詩や宗教詩の引用が雑然と入り混じっている。イブン・ハルドゥーン〔一三三二-一四〇六年〕を例外にして、今までの
34. 書物と旅 東西往還 前嶋信次著作選 4 72ページ
東洋文庫
アラブには自叙伝の伝統があるが、それはイスラーム化という課題に結びつく面があると思う。イブン・ハルドゥーンも問題にしている「人間は生れながらにしてムスリムではな
35. 書物と旅 東西往還 前嶋信次著作選 4 76ページ
東洋文庫
カザノーヴァ〔一八六一-一九二六年〕のコーランの講義を聞いたそうである。一九一八年に「イブン・ハルドゥーンの哲学」で博士号をおくられ、「極めて優秀」と評価された
36. ジェウデト・パシャ(Cevdet Paşa)
世界大百科事典
ジェウデトの覚書》《陳述》等は,タンジマート期を含むオスマン朝史の重要な史料とされる。イブン・ハルドゥーンの《歴史序説》のトルコ語訳も出版した。新井 政美 Ce
37. 世界史
日本大百科全書
実現する過程だというカントの歴史哲学などはその一例である。 14世紀にイスラムの歴史家イブン・ハルドゥーンは北アフリカの広大なイスラム文化圏の歴史『イバルの書』
38. 染色画像
世界大百科事典
って,19世紀以降,中東の伝統的な染色技術は衰えたといえるが,かつては14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンが基礎的な技術の一つと賞してやまなかった織物技術となら
39. 旅
世界大百科事典
他の学問においても,各地の評判の高い学者を訪ね教えを乞うことは盛んに行われた。14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンも,学問の研鑽の最高の方法は,各地の偉大な学者
40. タフターウィー(al-Ṭahṭāwī)
世界大百科事典
務め,ナポレオン法典やモンテスキューの著作などを翻訳し,ブーラークBūlāq印刷所からイブン・ハルドゥーンなどのアラビア語古典を出版した。また自ら精力的な著作活
41. ターハー・フサイン(Ṭāhā Ḥusayn)
世界人名大辞典
詩人アブー・アラー・マアッリーに関する論文により卒業[1914].フランスに留学し,《イブン・ハルドゥーンの社会哲学:La philosophie social
42. 大旅行記 1 383ページ
東洋文庫
ータによるサハラ横断とニジェール河畔への旅行が行われたのである。 一〇 旅行記の編纂 イブン・ハルドゥーンは、その著書『世界史』の「序説」のなかで、イブン・バッ
43. 大旅行記 6 88ページ
東洋文庫
彫った地下牢〉の意味であろう(∪ONざ刃」\一$)。(石り) この部分の逸話の一部は、イブン・ハルドゥーンの『序説ミーミミミ箋ミ皇のなかにも引用されてい る(
44. 大旅行記 7 238ページ
東洋文庫
出身者。マッキー家の人々によるガーベスとジェルバ島、タラーブルスなどの支配については、イブン・ハルドゥーンに詳しい記録がある(I.Khaldūn,6/945-5
45. 大旅行記 7 240ページ
東洋文庫
経済の各方面に与えた影響をめぐる諸問題は、イブン・ハルドゥーンの歴史社会論の基礎をなしている(Enc.Is.,1/532-33;イブン・ハルドゥーン『歴史序説』
46. 大旅行記 7 243ページ
東洋文庫
ーン(AbūMuhammad'Abd Allāh b.Tāfarajīn)とも呼ばれ、イブン・ハルドゥーンの書にはアブー・ムハンマド・ブン・ターファルキーン(A
47. 大旅行記 7 245ページ
東洋文庫
ビジャーヤにしばらく滞在した。スルタン=アブー・イナーンに取り立てられて、コーラン読誦術を教えた。イブン・ハルドゥーンも彼を通じて学問を得たと言われる。一三五七
48. 大旅行記 7 251ページ
東洋文庫
開〉のこと(Premare,A.L.de,1/163)。併せて、第一巻二八四頁を参照。イブン・ハルドゥーンによる、田舎者が都市民へと移動・変化する政治・社会論に
49. 大旅行記 7 254ページ
東洋文庫
を参照。(225)ワーディー・アンナッジャーリーン(Wādīal-Najjārīn):イブン・ハルドゥーンの言うワーディー・アンナッジャー(Wādīal-Naj
50. 大旅行記 7 294ページ
東洋文庫
キリスト教徒側と謀って反乱を企てたため、同年末、息子とともにファースで処刑された。この部分の叙述は、イブン・ハルドゥーンが伝えるところと一致する(I.Khald