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  11. イブン・ハルドゥーン

イブン・ハルドゥーン

ジャパンナレッジで閲覧できる『イブン・ハルドゥーン』の世界大百科事典・世界人名大辞典・世界文学大事典のサンプルページ

改訂新版 世界大百科事典
イブン・ハルドゥーン
Ibn Khaldūn
1332-1406

イスラム世界を代表するアラブの歴史家。チュニス生れ。祖先は南アラブ系でセビリャの支配貴族であったが,13世紀半ばにチュニスに亡命した。幼くして諸学を修めた後,北アフリカ,イベリア半島の諸スルタンに仕え,波乱万丈の政治生活を送ったが,その悲哀を感じて隠退するとともに,膨大な《歴史序説al-Muqaddima》と世界史に当たる《イバルの書Kitāb al-`ibar》を著した。1382年,マムルーク朝下のカイロに移住し,学院の教授になったり,マーリク派の大カーディーとして裁判行政に尽くしたりしたが,その間,ティムールの西アジア遠征に対する防衛軍に加わり,ダマスクス郊外でティムールと会見したことがある。彼を有名にしたのは,《歴史序説》に書かれた社会理論のためで,彼は人間社会を文明の進んだ都会ḥaḍrとそうでない田舎としての砂漠badwに分け,そこに住む人間は生活環境の違いから,後者のほうが前者よりもより強力な結束力をもつ社会集団を形成しやすく,そこに内在する連帯意識(アサビーヤ)が歴史を動かす動因となる。遊牧生活を送っている連帯集団は支配権への志向をもっていて,やがて発展し都市に根拠を置く支配国家を征服,新しい国家を建設する。しかし都会に生活の場を置いたこの集団は,文明の発展とともに連帯意識を喪失,やがて新たな連帯集団に征服される。彼は以上のような理論を展開するとともに,政治・社会・経済の諸要因の鋭い分析を行っている。彼のこのような思想は,後世の学者たちに少なからず影響を与えたようで,彼の講義を直接聴聞したマムルーク朝時代の学者たちの中でも,歴史家マクリージーに最も強く認めることができる。しかしマムルーク朝の滅亡とともに,イブン・ハルドゥーンの存在もアラブ世界では忘れられた。彼の思想や歴史観が再評価され出すのは16世紀末以降のオスマン朝下で,19世紀にいたるまで,学者や政治家たちがなんらかの影響を受けた。もっとも彼の社会理論を凌駕するような思想をもつ真の意味の後継者は現れなかった。
[森本 公誠]

[索引語]
Ibn Khaldūn 歴史序説(イブン・ハルドゥーン)


岩波 世界人名大辞典
イブン・ハルドゥーン
ibn Khaldūn, ‘Abd al-Raḥmān
1332.5.27~1406.3.17

アラブの歴史家,思想家.

チュニスの有力名家に生まれるが,祖先はアラビア半島の出身.イスラーム諸学を学び,マグリブやイベリア半島の諸王朝に仕え,波乱に富んだ政治生活を送った.失意のうちに政治から隠退 [1375],歴史的事件の原因と真理を追究するための著作に専念した.世界史に当たる《イバル(例証)の書:Kitāb al-‘ibar》とその序論《歴史序説:al-Muqaddima》を短期間に書き上げた.そののちマムルーク朝下のカイロに移り [82],アズハル学院で講義し,また大カーディー(法官)職にもついた.ブルジー・マムルーク朝のスルタンのシリア遠征軍に加わり,ダマスカスでは同地を攻囲したティムールにひそかに面会した [1401].カイロに戻り復職したのちに死去.《歴史序説》では独創的な社会理論と歴史哲学が展開され,後代の歴史家に影響を与えるとともに,ヨーロッパでも高く評価された.人類社会には,強い連帯意識に基づく田舎(バドウ)の文明と高い技術と文化に支えられた都会(ハダル)の文明とがあることを指摘し,両者の循環・交代によって歴史を説明している.



デジタル版 集英社世界文学大事典
イブン・ハルドゥーン
Walī al-Dīn ͑Abd al-Raḥmān ibn Ḵaldūn
中近東 1332.5.27-1406.3.16
中世イスラームの著名な歴史家,法学者,社会哲学者。チュニスに生まれ,ムワッヒド朝(1130−1269)滅亡後の北アフリカ,スペインの群小諸王朝の中で,あるときは官僚,外交官,法官として,あるときは学者として波瀾(はらん)に満ちた生涯を送り,カイロで没した。このことは彼の自伝『自伝——西また東』al-Ta͑rīf bi-Ibn Ḵaldūn wa riḥla-hu ḡarban wa šarqanに詳しく述べられている。彼の名は,普遍史ともいうべき大著『教訓の書』Kitāb al-͑ibarの序論として書かれ,その後独立の書として扱われてきた『歴史序説』al-Muqaddimaで知られる。この中で彼は文明の興亡についての一般理論を提示しようとした。それは,近代のO.シュペングラーやA.トインビーにはるかに先行する歴史の循環理論である。実務家,政治家としての自己の経験と,哲学の方法に基づく国家論は,コーランやスンナからまず出発する従来の法学者のそれや,プラトン的理想国家論をモデルとする哲学者のそれとも異なり,アサビーヤ(連帯意識)という非宗教的要因から出発する点でユニークであった。
すなわち,アサビーヤとは基本的には血縁による連帯意識であるが,それが国家成立の根本要因であるとする。まず,特定の同族集団のもつ強固なアサビーヤが他集団に対する指導権(リアーサ)を生み,やがてそれが強制力をもって支配する王権(ムルク)へと展開し,国家・王朝(ダウラ)が成立する。国家の成立によって都市が興り,人々が集まり商業や産業が発達し,生活は豊かになり文化が興隆する。このような人間活動とそれが生み出す文化の総体をイブン・ハルドゥーンは〈文明(ウムラーン)〉と呼ぶ。このような文明は永久に続くものではない。まず,都市と文化の発達により支配集団のアサビーヤが弱まり,軍事力が衰え,やがて都市外の農村や砂漠に居住する強力なアサビーヤに支えられた他の連帯集団によって滅ぼされる。歴史とは,このような文明の興亡の繰り返しであるが,そのサイクルはせいぜい3世代,120年であるとする。このような歴史観の中での宗教の役割は,人々の関心を来世に向けさせ,個人的な欲望を制御することによって連帯意識を強化することにある。他方,宗教もその運動が成功するには,特定の連帯集団の支援が必要であるとする。また,イブン・ハルドゥーンは国家の形態を3つに分ける。(1)君主の個人的利害に基づく力による支配,(2)人民の福利をも考慮する理性に基づく法による支配,(3)現世の福利のみならず,来世の救済をも考慮にいれた宗教(預言者の啓示)に基づく支配である。このうち,最後の(3)が最善の国家であるとする。
このようにしてイブン・ハルドゥーンはイスラーム国家の形態と動態を〈アサビーヤ〉という非宗教的要因で説明しようとする点で,イスラーム思想史上きわめてユニークであったし,世界史的にみても,マキアヴェッリの徳・能力概念よりも100年以上も前であった。それだけに,アラブ・イスラーム世界ではその方法はその後生かされず,近代に至って西欧の学者の研究に刺激されて,ようやく評価されるようになったが,それが今日に至っても真に生かされているとはいえない。
(中村廣治郎)
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8. アブド・アル・ハミード・アル・カーティブ
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11. アラビアン・ナイト 16 7ページ
東洋文庫
れていたと伝えられている。エチオピアの資料では彼女は、makidaと呼ばれている。またイブン・ハルドゥーンは,彼女の名前は,yalqamaまたはbalqamaで
12. アラビアン・ナイト 16 4ページ
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13. アラビアン・ナイト 17 322ページ
東洋文庫
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16. アルファフリー 2 イスラームの君主論と諸王朝史 297ページ
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一〇五八)による『アルアフカーム・アッスルターニーヤ(国家統治論)』である。 第二は、イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』にみられるような、人間社会の存在理由と、
17. アンダルス画像
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6)の《アンダルス名士列伝》,イブン・アルハティーブの《グラナダ史》などが挙げられる。イブン・ハルドゥーンの《歴史序説》《イバルの書》は,アンダルスのみならず,
18. イスラム画像
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19. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 91ページ
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20. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 96ページ
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21. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 225ページ
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囲む美しいべーガの野辺で行なわれたこの血戦はそのころのイスラム世界に大きな刺激をあたえたらしく、イブン・ハルドゥーンなど多くのアラブ史家が、それぞれの著書中にこ
22. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 281ページ
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ったのだという。リサーヌッ・ディーンはグラナダのナスル朝にワジール〔宰相〕として仕え、イブン・ハルドゥーンとも交際のあった名士であるが、若いころ、アル・マッカリ
23. イスラム文化
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は、一般には文化活動は萎縮(いしゅく)したが、シリアのイブン・タイミーヤ、チュニジアのイブン・ハルドゥーンなどの大物を散発的に出している。16世紀にはトルコ人の
24. イブン・アルハティーブ(Ibn al-Khaṭīb)
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371・72)。しかし,王の死後まもなくグラナダに召喚され,獄死した。モロッコ亡命中にイブン・ハルドゥーンと知りあい,彼のグラナダ移住を歓迎するなど親交を結んだ
25. イブン・アル・ハティーブ
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に親しむ。グラナダのナスル朝ユースフおよびムハンマド5世らに仕え,この間,19歳年下のイブン・ハルドゥーンの天才ぶりに反感をもち対立する一幕もあった。1371年
26. イブン・ハティーブ(ibn al-Khaṭīb, Abū ‘Abdullāh Muḥammad)
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多才な文人で,60余の著述は詩,美文,歴史,地理,医学,哲学,スーフィズム等にわたる.イブン・ハルドゥーン,マッカリー(アフマド)等の残した伝記がある他,自著《
27. カトルメール(Quatremère, Étienne Marc)
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るエジプト象形文字解読の先駆者で,またアラビア,ペルシアの文献,ハールーン・ラシード,イブン・ハルドゥーン,サマルカンディー(アブドゥッラッザーク)の諸書訳注を
28. 貨幣画像
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発行し,東北ペルシアのサーマーン朝(875-999)はディルハム銀貨を発行した。中世の有名な思想家イブン・ハルドゥーンは,金銀貨を造ることは王権のしるしの一つで
29. 〈華麗島〉台湾からの眺望 前嶋信次著作選 3 463ページ
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イブン・トゥファイル、 イブン・ハズム、イブン・バットゥータ、イブン・ハッリカーン、イブン・ハルドゥーン、イブン・フル ダードベi、オマル・ビン・アビー・ラ
30. カーヒナ(al-Kāhina)
世界人名大辞典
ヒナらはこれを撃退し,抵抗を続けたが,ウマイヤ家軍の再攻略[97・8頃]で滅ぼされた.イブン・ハルドゥーンは,彼女の享年を127歳,治世は35年と述べる.
31. ギブ(Gibb, Hamilton Alexander Rosskeen)
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字軍時代初期シリアのカラーニシー(al-Qalānishī)の著した年代記の校訂出版,イブン・ハルドゥーン,マーワルディーなどの研究を行った.歴史研究のみならず
32. 織工
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間ではあるが市政に参加する権利をかちとったのである。阿部 謹也 中東 14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンは《歴史序説》のなかで,織物技術を二つに分けて理解する
33. 書物と旅 東西往還 前嶋信次著作選 4 70ページ
東洋文庫
若干の学者的批判、哲学的考察がみられるだけで、神話や詩や宗教詩の引用が雑然と入り混じっている。イブン・ハルドゥーン〔一三三二-一四〇六年〕を例外にして、今までの
34. 書物と旅 東西往還 前嶋信次著作選 4 72ページ
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35. 書物と旅 東西往還 前嶋信次著作選 4 76ページ
東洋文庫
カザノーヴァ〔一八六一-一九二六年〕のコーランの講義を聞いたそうである。一九一八年に「イブン・ハルドゥーンの哲学」で博士号をおくられ、「極めて優秀」と評価された
36. ジェウデト・パシャ(Cevdet Paşa)
世界大百科事典
ジェウデトの覚書》《陳述》等は,タンジマート期を含むオスマン朝史の重要な史料とされる。イブン・ハルドゥーンの《歴史序説》のトルコ語訳も出版した。新井 政美 Ce
37. 世界史
日本大百科全書
実現する過程だというカントの歴史哲学などはその一例である。 14世紀にイスラムの歴史家イブン・ハルドゥーンは北アフリカの広大なイスラム文化圏の歴史『イバルの書』
38. 染色画像
世界大百科事典
って,19世紀以降,中東の伝統的な染色技術は衰えたといえるが,かつては14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンが基礎的な技術の一つと賞してやまなかった織物技術となら
39. 旅
世界大百科事典
他の学問においても,各地の評判の高い学者を訪ね教えを乞うことは盛んに行われた。14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンも,学問の研鑽の最高の方法は,各地の偉大な学者
40. タフターウィー(al-Ṭahṭāwī)
世界大百科事典
務め,ナポレオン法典やモンテスキューの著作などを翻訳し,ブーラークBūlāq印刷所からイブン・ハルドゥーンなどのアラビア語古典を出版した。また自ら精力的な著作活
41. ターハー・フサイン(Ṭāhā Ḥusayn)
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詩人アブー・アラー・マアッリーに関する論文により卒業[1914].フランスに留学し,《イブン・ハルドゥーンの社会哲学:La philosophie social
42. 大旅行記 1 383ページ
東洋文庫
ータによるサハラ横断とニジェール河畔への旅行が行われたのである。 一〇 旅行記の編纂 イブン・ハルドゥーンは、その著書『世界史』の「序説」のなかで、イブン・バッ
43. 大旅行記 6 88ページ
東洋文庫
彫った地下牢〉の意味であろう(∪ONざ刃」\一$)。(石り) この部分の逸話の一部は、イブン・ハルドゥーンの『序説ミーミミミ箋ミ皇のなかにも引用されてい る(
44. 大旅行記 7 238ページ
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出身者。マッキー家の人々によるガーベスとジェルバ島、タラーブルスなどの支配については、イブン・ハルドゥーンに詳しい記録がある(I.Khaldūn,6/945-5
45. 大旅行記 7 240ページ
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経済の各方面に与えた影響をめぐる諸問題は、イブン・ハルドゥーンの歴史社会論の基礎をなしている(Enc.Is.,1/532-33;イブン・ハルドゥーン『歴史序説』
46. 大旅行記 7 243ページ
東洋文庫
ーン(AbūMuhammad'Abd Allāh b.Tāfarajīn)とも呼ばれ、イブン・ハルドゥーンの書にはアブー・ムハンマド・ブン・ターファルキーン(A
47. 大旅行記 7 245ページ
東洋文庫
ビジャーヤにしばらく滞在した。スルタン=アブー・イナーンに取り立てられて、コーラン読誦術を教えた。イブン・ハルドゥーンも彼を通じて学問を得たと言われる。一三五七
48. 大旅行記 7 251ページ
東洋文庫
開〉のこと(Premare,A.L.de,1/163)。併せて、第一巻二八四頁を参照。イブン・ハルドゥーンによる、田舎者が都市民へと移動・変化する政治・社会論に
49. 大旅行記 7 254ページ
東洋文庫
を参照。(225)ワーディー・アンナッジャーリーン(Wādīal-Najjārīn):イブン・ハルドゥーンの言うワーディー・アンナッジャー(Wādīal-Naj
50. 大旅行記 7 294ページ
東洋文庫
キリスト教徒側と謀って反乱を企てたため、同年末、息子とともにファースで処刑された。この部分の叙述は、イブン・ハルドゥーンが伝えるところと一致する(I.Khald
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