1. 宇和島城画像
日本大百科全書
戦国期から江戸期の城。愛媛県宇和島市丸之内にある。古くは丸串(まるぐし)城といい、典型的な平山城(ひらやまじろ)である。941年(天慶4)藤原純友(すみとも)の
2. 宇和島城[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国指定重要文化財 国指定史跡 愛媛県宇和島(うわじま)市 ©一般社団法人愛媛県観光物産協会
3. うわじま‐じょう[‥ジャウ]【宇和島城】
日本国語大辞典
愛媛県宇和島市にある平山城。慶長六年(一六〇一)藤堂高虎が築城。同一九年、伊達秀宗が一〇万石で入り、大城郭を築く。式台付三層天守閣は国重要文化財。国史跡。鶴島城
4. うわじまじょう【宇和島城】
国史大辞典
封ぜられ、代々城池を継承して明治維新に及んだ。同城は五代伊達村候の時、鶴島城と名づけられた。宇和島城は高さ八〇メートルほどの丘陵(城山)を利用してつくられ、外郭
5. うわじまじょうあと【宇和島城跡】愛媛県:宇和島市/宇和島城下
日本歴史地名大系
城堀には海水が入っていた。〔宇和島城〕慶長一九年一二月、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡一〇万石の領主となり、翌元和元年三月、丸串城に入った。このころ板島の地名は宇和
6. うわじまじょうか【宇和島城下】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
宇和島城を中心として、その東南部に形成された城下町。東部の鬼が城山系から流れる北の辰野川と南の神田川に囲まれ、両河川のつくる複合扇状地に立地する。この地は中世に
7. いさきうら【磯崎浦】愛媛県:西宇和郡/保内町
日本歴史地名大系
漁業と海運業に頼っていたと考えられる。「宇和旧記」は、磯崎浦よりの船路として次の表を掲げている。 宇和島城下へ三拾壱里、 牛間津へ五拾八里、 大洲長浜へ三里、
8. いたじまごう【板島郷】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
以て名とすと予章記に見えたるよし」。古くは伊但島と書いたともいう。また同書によれば、板島丸串城(宇和島城)城主は西園寺公広の御連枝来村殿西園寺宣久で、板島郷・来
9. いたじまじょうあと【板島城跡】愛媛県:宇和島市/下村
日本歴史地名大系
これは正月討初めの時、板島城から犬を射る吉例があったためとしている。この板島城は板島丸串城(宇和島城)とは別個の城である。なお「清良記」に「板島の町」とあるのを
10. いのべむら【伊延村】愛媛県:東宇和郡/宇和町
日本歴史地名大系
宝暦七年(一七五七)の戸数一二〇、人口五二四である。寛政五年(一七九三)二月に村方騒動が起こり、百姓三〇人が宇和島城下への強訴を計画して卯之町まで行ったが、制止
11. いわいのもりむら【祝森村】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
戸数一四〇、人口六八三、牛三二、馬九二である。とくに馬が多いのは、江戸中期に御荘組・津島組と宇和島城下町とをつなぐ来村道の運輸業が発達したためであろう。「大成郡
12. 宇和島(市)画像
日本大百科全書
マチ養殖をはじめ漁業が盛んである。とくに真珠生産は全国的に有名である。国指定重要文化財として宇和島城天守、国指定名勝として天赦(てんしゃ)園があり、伊予神楽(か
13. 宇和島[市]
世界大百科事典
にかけてさらに整備が進められた。寛文年間(1661-73)には,2代宗利によって宇和島城は大改修された。宇和島城は平山城で,平面は五角形であり,2辺は海に接し,
14. うわじまし【宇和島市】愛媛県
日本歴史地名大系
来村殿の居城はもと宮下の亀が淵城であったが、天正三年(一五七五)西園寺宣久のとき板島丸串城(宇和島城)に移り、以後は板島殿と称された。宇和西園寺氏の実充の養嗣子
15. うわじまはん【宇和島藩】
国史大辞典
を藩庁とした藩。文禄四年(一五九五)藤堂高虎が、宇和郡七万石に封ぜられて、板島丸串城(のちの宇和島城)に入ったのが藩のはじまりといえる。慶長十八年(一六一三)領
16. うわちょう【宇和町】愛媛県:東宇和郡
日本歴史地名大系
れる。古代の宇和郡、中世の宇和庄の中心地であったと推定され、近世初頭に藤堂高虎・伊達秀宗らが宇和島城下町を建設するまで宇和郡の中核地域をなしていた。とくに現卯之
17. うわつひこじんじゃ【宇和津彦神社】愛媛県:宇和島市/宇和島城下/一宮下町
日本歴史地名大系

高彦根神・大己貴神。旧県社。
宇和島城下の総鎮守で、通称を一宮様、一宮大明神という。宇和津彦神は景行天皇の子国乳別皇子で、宇和別と
18. おうかしゅく【相可宿】三重県:多気郡/多気町/相可村
日本歴史地名大系
にて、をくりのことどもととのへて、けふぞ山田につき侍りぬる」とあり、天正四年(一五七六)伊予宇和島城主西園寺宣久の「伊勢参宮海陸之記」(神宮文庫蔵)にも「伊勢の
19. おうてどおり【追手通】愛媛県:宇和島市/宇和島城下
日本歴史地名大系
[現]宇和島市本町追手一―二丁目・中央町一丁目 宇和島城の追手門(大手門、御多門とも)があったので、この地名が生れた。追手門を出て城堀に沿う通である。藩の御郡所
20. おえのきどおり【大榎通】愛媛県:宇和島市/宇和島城下
日本歴史地名大系
[現]宇和島市本町追手一丁目・愛宕町二―三丁目 むかし宇和島城の堀へ送水していた堀があり、堀の土堤に大榎の並木があったので、この名がついたという。新横丁という横
21. おおうら【大浦】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
[現]宇和島市大浦 宇和島城下町北部の漁村。北部の黒の瀬峠(八六メートル)を越えて吉田陣屋町(現北宇和郡吉田町)に通ずる道があり、番所が置かれていた。東は須賀浦
22. おかちまち【御徒町】愛媛県:宇和島市/宇和島城下
日本歴史地名大系
二九軒の屋敷が認められる。この付近は戦災にも遭わず、神田川沿いに昔の石塀・家屋・土塀の一部などがあり、宇和島城下らしい雰囲気を残している。
23. かきはらむら【柿原村】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
[現]宇和島市柿原 宇和島城下町の東北方、須賀川上流域の村。東は仙波が峠、西は中間村に接する。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に
24. かごのもりじょうあと【川後森城跡】愛媛県:北宇和郡/松野町/松丸村
日本歴史地名大系
された。当城跡の下にある永昌寺の鐘楼門は当城の城門を移建したものと伝えられ、また板島丸串城(宇和島城)の月見櫓は、「宇和旧記」によると慶長九年(一六〇四)に藤堂
25. かみにがきむら【上仁柿村】三重県:飯南郡/飯南町
日本歴史地名大系
通り、多気から多気郡相可(現多気町)へ抜けている(さののわたり)。天正四年(一五七六)伊予国宇和島城主西園寺宣久は参宮の帰途に同街道を通り、仁柿に三日滞在し櫃坂
26. きたうわぐん【北宇和郡】愛媛県
日本歴史地名大系
上灘(現八幡浜市)の二〇ヵ村と合わせて、総勢五千人に達したという。一揆は吉田陣屋町を目標とせず、翌一二日宇和島城下に近い中間村(現宇和島市)の八幡河原へ出、この
27. くじらだいし【鯨大師】愛媛県:宇和島市/九島浦
日本歴史地名大系
建を計画、毎年三月二一日に大師講を催すことなどを前掲の永代祈願録に記して、宇和島藩の上士層・宇和島城下町の商人・宇和郡一円の村浦から再建の資金を募っている。いま
28. くのむら【来村】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
[現]宇和島市宮下・川内・寄松・保田
宇和島城下町の南方にあり、来村川流域から宇和島湾岸に及ぶ村。中世の来村郷の中心で、「

墅截」
29. くのむらごう【来村郷】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
五)開基と伝えられる(宇和旧記)。来村殿は、天正三年(一五七五)西園寺宣久のとき板島丸串城(宇和島城)に移り、以後は板島殿とよばれた。近世郷としての来村郷は、宝
30. くろそん【黒尊】高知県:幡多郡/西土佐村/奥屋内村
日本歴史地名大系
、主峰は通称三本杭とよばれる標高一二二六メートルの峰。「土佐州郡志」には黒尊山として「接与州宇和島城下、周廻六里、伝曰昔者有黒村神、芝休傷・大多尾札打・黒塗
31. けやまむら【毛山村】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
同三丁目・丸穂町一―四丁目・丸穂・野川・宇和津町一丁目・大超寺奥・妙典寺前・元結掛・新田町 宇和島城下町を東から南にかけて取り巻く村。城下町と毛山村との境界は、
32. こじまいけん【児島惟謙】
国史大辞典
一八三七―一九〇八 明治時代の司法官。天保八年(一八三七)二月一日伊予国宇和島城下堀端(愛媛県宇和島市)で父金子惟彬・母直子の次男として生まれる。のち姓は緒方
33. 御当代記 将軍綱吉の時代 332ページ
東洋文庫
許されたもの。先代の遺品献 上先に、綱吉夫人(御台様)と母(桂昌院)があるのは、この頃例が多い。伊予宇和島城主伊達 遠江守宗替が、分知後七万石となった所領を新田
34. ささまち【笹町】愛媛県:宇和島市/宇和島城下
日本歴史地名大系
[現]宇和島市笹町一―二丁目 正徳二年(一七一二)二月六日夜の宇和島城下の大火以前には、笹垣で屋敷を囲む家が多かったので、この町名がついたという。宇和島城下町の
35. しもむら【下村】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
霊元町一―四丁目・和霊公園・和霊中町一―三丁目・和霊東町一―三丁目・和霊町・泉町一―四丁目 宇和島城下町の北方にあり、須賀川に沿う村。東は中間村、西は須賀浦に接
36. しろがたにむら【四郎谷村】愛媛県:東宇和郡/野村町
日本歴史地名大系
宝暦七年(一七五七)の戸数一一五、人口四四六である。享保八年(一七二三)一月三日、当村の百姓多数が宇和島城下へ出訴し、藩目付役の大森新兵衛宅へ行って、飢餓につき
37. じょうかく【城郭】
国史大辞典
平山城の例は多く、天守を伝える城郭では、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、松山城、高知城、丸亀城、宇和島城が平山城である。平城の例は少なく、天守を伝えてい
38. じょうかくけんちく【城郭建築】 : 城郭
国史大辞典
諸大名の場合には、旧規を踏襲するかあるいは小さな天守にするかするのが普通であった。弘前城・高知城・丸亀城・宇和島城の各天守は一国一城令以後の天守の典型である。天
39. じんでんがわらどおり【神田川原通】愛媛県:宇和島市/宇和島城下
日本歴史地名大系
[現]宇和島市神田川原 宇和島城下の南、神田川左岸の山沿いに形成された町。宇和津彦神社の神領田があったので、神田川の名がついたという。元禄一六年(一七〇三)七月
40. すがうら【須賀浦】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
町一―二丁目・朝日町一―四丁目・寿町一―二丁目・住吉町一―二丁目・住吉町・弁天町一―三丁目 宇和島城下町の北部、須賀川河口の村。東は下村、西は大浦に接する。宇和
41. たかぐしむら【高串村】愛媛県:宇和島市
日本歴史地名大系
[現]宇和島市高串 宇和島城下町の北部にあり、根無川に沿う村。東は光満村、南は下村に接する。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「
42. たてしんまち【竪新町】愛媛県:宇和島市/宇和島城下
日本歴史地名大系
[現]宇和島市新町一丁目・中央町二丁目 宇和島城下町の東北部にあり、袋町通の北方につながる町。袋町通に竪(縦)につながって新しく造成された町という意味であろう。
43. たるやまち【樽屋町】愛媛県:宇和島市/宇和島城下
日本歴史地名大系
[現]宇和島市本町追手一丁目・愛宕町三丁目 元禄一六年(一七〇三)七月の城下町絵図には木挽町とある。宇和島城の東方、本町一丁目の南に続く町。樽屋が居住していたの
44. だいくまち【大工町】愛媛県:宇和島市/宇和島城下
日本歴史地名大系
[現]宇和島市愛宕町一―二丁目 宇和島城の東方、樽屋町の南に続く町。御作事奉行の配下の下士に属する大工が居住したのでこの名が生れた。大工町・樽屋町・本町通は一本
45. だてひでむね【伊達秀宗】
国史大辞典
により伊予国宇和郡十万石を拝領した。二十四歳。翌元和元年(一六一五)三月十八日、板島丸串城(宇和島城)に入り、初代宇和島藩主となる。大広間詰。明暦三年(一六五七
46. だてむねただ【伊達宗紀】
国史大辞典
主。諱は宗紀、幼名は扇千代丸・扇松丸、長じて主馬、号は春山。寛政四年(一七九二)九月十六日、宇和島城内で父第六代藩主村寿の長男として誕生。母は田中氏。妻は鍋島治
47. 天守
世界大百科事典
城,越前丸岡城,尾張犬山城,近江彦根城,播磨姫路城,備中松山城,出雲松江城,伊予松山城,伊予宇和島城,讃岐丸亀城,土佐高知城の12城である。そのうち最古は天正年
48. とうがくじ【等覚寺】愛媛県:宇和島市/毛山村
日本歴史地名大系
[現]宇和島市野川 宇和島城の東の丘陵地にある。竜華山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。「宇和旧記」によると、開山は京都妙心寺開山関山国師一三世の法孫である
49. とみたし【富田氏】画像
国史大辞典
江戸時代初期の伊予国宇和島城主。宇多源氏、佐々木氏庶流を称す。師泰以降、出雲国富田城に住したが、重知のとき尼子経久のため没落したという。知信は近江国に生まれ、
50. とめぐん【登米郡】宮城県
日本歴史地名大系
をあげたが、南部和賀忠親の乱の責任を負い寺池城に領地替された。その後、元和元年(一六一五)に宇和島城(現愛媛県宇和島市)の受取りに功があり、翌年伊達の姓を賜り一