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  11. 奈良井宿
日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
奈良井宿
ならいしゆく

[現]楢川村大字奈良井

鳥居とりい(一一九七メートル)の北麓に位置し、中山道の中で最高所の宿である。「西筑摩郡誌」によると「天文元年、木曾義在奈良井に専念寺を建つ。同二年、義在木曾に宿駅を定む」とあり、永禄一一年(一五六八)の相州文書にも宿駅として「奈良井」の名が出てくる。文禄二年(一五九三)の「大和田重清日記」には「あけ松よりナラ井迄七里、福島迄歩ニテ参、馬次、鳥居峠川大同心ニ歩ニテ越、江雪御宿近ニ付出合語ル、生雲と同宿スル、(生雲)ハ上下二人はたこ、自分ハ木ちんニスル」とあって、当時既に旅籠の施設のあったことがわかる。

宿の長さは元禄五年(一六九二)の「高木伊勢守様御通ニ付福島ヘ宿々ヨリ書上写」(亀子文書)では六町二〇間、天保一四年(一八四三)の中山道宿村大概帳では八町五間となっており、幕末には宿が拡張されている。文化二年(一八〇五)の「木曾路名所図会」には「贄川まで一里半又楢井とも書す、駅中東西七町余、相対して巷をなす、其余民家散在す、此宿繁昌の地にして木曾駅中の甲たり」とあって、田畑は少なく、純粋の消費都市として繁栄していた宿場町であった。中山道宿村大概帳には「本陣一、脇本陣一、旅籠五(大一、小四)、問屋二、年寄役二、帳付二、馬指二、人足指二、宿継人馬二五人二五疋」とあり、天保九年の「木曾巡行記」には「宿内出郷平沢は、往古より檜物・がらく細工・塗物等職業にいたし、先年は夫々利徳有之故土着の人数も相増凡三千人余も有之夫々渡世せし也」とあって、宿の繁栄ぶりを具体的に物語っている。

明治九年(一八七六)の「奈良井村誌」には物産として「膳・重箱・弁当箱・飯櫃・通シ盆・広蓋・塗櫛等なり。東京、大阪、其の他諸国に輸出す」とあるが、塗櫛が大正になって衰微したほかはますます発展し、現在作業場をもつ家が三〇余軒ある。

明治の国道改修からはずされたことから、旧十一宿中、最も宿場時代の町並の面影をとどめており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。

例年八月一二日にしずめ神社の祭礼が行われる。祭神は経津主命で、祭の主役である若衆が裃姿で参加。神囃子・神輿を中心に毛槍・弓・鉄砲を持った人々や獅子屋台・御神馬などが、通り囃子で練り歩くおねり祭である。

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