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  11. 高山陣屋跡
日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
高山陣屋跡
たかやまじんやあと

[現]高山市八軒町

しろ山の西方、みや川に架かるなか橋を西に渡った地点に東に向いて位置する。敷地は一千一九二坪で、陣屋門(天保三年築造)・表玄関、広間(書院造)・白洲・庭園・収納米蔵などがあり、現存する唯一の郡代陣屋跡として国指定史跡。元禄五年(一六九二)の金森氏出羽上山かみのやま(現山形県上山市)移封とともに、飛騨一国は幕府領として勘定奉行の所管に移り、関東郡代伊奈半十郎忠篤が初代の飛騨代官兼務を命じられた。以来一二代大原彦四郎紹正が安永六年(一七七七)郡代となるまでは代官が、二五代新見内膳正功までは郡代が幕末まで高山陣屋(高山役所)に在任し、飛騨に関する政務一切を執行した。

初代伊奈代官は元禄五年高山へ着任し、はじめ江名子えなこ川左側、安川やすかわ通の南に接した金森家の家老職であった金森兵庫の屋敷などを会所として政務をとったが、同八年にかつて高山藩主金森重頼の娘三人が住んでいたむかい屋敷に代官役所を移し、これを高山陣屋とよんだ。敷地は六二間四方、約三千八〇〇坪で、高山城三の丸にあった米蔵二棟を移築して郷蔵とした。享保一〇年(一七二五)に六代長谷川忠国代官が在来の古材を用いて陣屋の建替え大改造を行い、二ヵ所の米蔵の一方を廃し、その古木で四戸前増築して一二戸前に模様替えした(紙魚のやどり)。改築後の図によると表御門(番所あり)、執務所(御用場・白洲・大広間・組頭詰所・町年寄詰所・書役部屋など)、本陣(代官・郡代の住宅)、長屋(手付・手代の仮宅で東長屋・西長屋・北長屋があった)、収納米蔵(桁行三五間・梁間六間で一二戸前、庇下は土間、蔵番詰所あり)、元禄年間に米蔵の守護神として祀ったと伝える陣屋稲荷社、奥庭、土蔵一棟、物見所がある。改築の折に役所と役宅が区分され、広さも向屋敷時代の約四割に縮小し、不用の分は町方に売却した(高山市史)。寛政元年(一七八九)高山三町村覚帳(高山市立郷土館蔵)によれば規模は南五四間・北五九間・東四六間三尺・西四七間、反別八反余。文化一三年(一八一六)一八代芝与市右衛門正盛の時、普請費三八四両をかけて再び陣屋の大改修がなされ(紙魚のやどり)、そのときの図によれば門、執務所(御用場・大広間・白洲・透見間・組頭詰所・町年寄詰所・応接間・供侍部屋・小使部屋・当直部屋・囚人置場)、本陣(嵐ノ間・扇ノ間・御座敷・茶席・奥書院・侍部屋・侍女部屋・中間部屋・小者部屋・湯殿・台所)、長屋(一番長屋・二番長屋・三番長屋・西長屋)、武術稽古場、火の見所、収納米蔵、土蔵二棟、作事場、郡代物見、射的場、奥庭、陣屋稲荷社などが設けられていた。敷地は約二千八四九坪あったという(高山市史)

飛騨代官は正徳五年(一七一五)四代森山実道の時から専任となり、代官が高山に常住するようになったのは七代長谷川忠崇の元文三年(一七三八)からである。享保一四年には美濃国の加茂・可児かに郡上ぐじよう三郡の幕府領支配のため加茂郡下川辺しもかわべ(現川辺町)に出張所が置かれ、さらに明和四年(一七六七)には越前の幕府領を支配する越前丹生にう本保ほんぼ(現福井県武生市)の陣屋を管轄下に置いて出張所とした。陣屋役人の構成は代官(郡代)・手付・手代・地役人からなり、手付・手代の首席を元締、次席を加判と称した。地役人は一般事務を扱った。嘉永六年(一八五三)の構成は二二代福王三郎兵衛郡代の知行高一七〇俵、手付六・手代一二。内訳は江戸詰手付普請役格二・手代元締一・手代加判一・手代五、高山陣屋詰手代元締一・手代加判公事方一・手代公事方一、本保出張所詰手付元締一・手付普請役格一・手付一・手代加判公事方一、下川辺出張所詰手付・手代各一。ほかに地役人五一がいた(岐阜県史)。地役人は、飛騨が幕府領となったとき金森氏の微禄家臣で致仕土着した者のうち、実務に精通した八四人を飛騨代官手かぎりで登用した。士分の資格はなく、役職は山廻役一一、材木改役(のち元締)七、材木改下役(のち白木改役・榑木改役)一七、口留役四三、山番(のち町在廻役)六で、人数は時代によって異同があった(高山市史)

高山陣屋は明治に入って飛騨県(高山県)の県庁舎となり、明治五年(一八七二)筑摩ちくま県の高山出張所、同九年には岐阜県の高山支庁舎、さらに同三〇年には大野郡庁舎昭和二二年(一九四七)には飛騨地方事務所に使用された。

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