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  10. 平戸城
国史大辞典

国史大辞典
平戸城
ひらどじょう
長崎県平戸市岩の上町所在。亀岡城・朝日岳城・玄武城ともいう。平山城。平戸藩主松浦氏の居城。宝永四年(一七〇七)松浦棟が築城、以後明治維新に至る。実はこれ以前、同地には慶長年間築城の日之岳城があった。しかし、これは慶長十八年(一六一三)松浦鎮信(法印)が放火焼失させ、以後同氏はおよそ一世紀間築城せず過ごした。棟が将軍徳川綱吉の下で、外様大名ながら寺社奉行兼奏者番に任ぜられた実績を背景に築城。城は本丸の天守閣を中心に、二の郭・三の郭・外郭からなり、そこに櫓九、門三十六、および堀などがあった。現在天守閣その他が復元されている。北虎口と狸櫓は、ともに一部が創建当時のままのものである。
[参考文献]
『日本城郭大系』一七
(外山 幹夫)
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検索コンテンツ
1. 平戸城画像
日本大百科全書
得て山鹿素行(やまがそこう)とともに縄張りを行い新しく城を築き、これを亀岡城とよんだ。日之岳城も亀岡城もともに平戸城の名でよばれる。亀岡城は平山城(ひらやまじろ
2. 平戸城[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
長崎県平戸(ひらど)市 ©一般社団法人長崎県観光連盟
3. ひらど‐じょう[‥ジャウ]【平戸城】
日本国語大辞典
長崎県平戸市にあった平山城。慶長四年(一五九九)松浦鎮信が創築。日之岳城と称し同氏歴代の居城としたが、同一八年(一六一三)焼却。元祿一七年(一七〇四)五代棟(た
4. ひらどじょう【平戸城】
国史大辞典
長崎県平戸市岩の上町所在。亀岡城・朝日岳城・玄武城ともいう。平山城。平戸藩主松浦氏の居城。宝永四年(一七〇七)松浦棟が築城、以後明治維新に至る。実はこれ以前、
5. ひらどじょうあと【平戸城跡】長崎県:平戸市/平戸城下
日本歴史地名大系
は城跡の御殿跡に創建された亀岡神社に合祀された。昭和三七年(一九六二)に平戸城が三層五階の城として復元、同五二年平戸城懐柔櫓の復元がなされた。御館の跡には松浦史
6. ひらどじょうか【平戸城下】長崎県:平戸市
日本歴史地名大系
どや、町方の本町・木引田・新町などが成立していた(「御判物拝領之者書出」松浦史料博物館蔵)。平戸城の西手の本町は町名からして城下町建設の基点になったのであろう。
7. 平戸城下家中図[文献解題]長崎県
日本歴史地名大系
一八〇×一七五センチ 成立 文政年間 写本 松浦史料博物館 解説 平戸城下の町方は町名くらいで、平戸城周辺の家臣配置が知られる。
8. 平戸城下図[文献解題]長崎県
日本歴史地名大系
二四〇×二七五センチ 成立 正保二年か 写本 松浦史料博物館 解説 幕府に提出した正保城下絵図にかかわる控図と推定される。
9. 平戸城下町[文献解題]長崎県
日本歴史地名大系
一冊 平戸市文化協会編 昭和六二年刊
10. 肥前国平戸城絵図(著作ID:4390558)
新日本古典籍データベース
ひぜんのくにひらどじょうえず 城郭 
11. 肥前国平戸城外濠之図(著作ID:4390559)
新日本古典籍データベース
ひぜんのくにひらどじょうそとぼりのず 城郭 
12. 肥前平戸城詰御用米運賃外壱割増之分仕上書附覚(著作ID:3842748)
新日本古典籍データベース
ひぜんひらどしろづめごようまいうんちんほかいちわりましのぶんしあげかきつけおぼえ 熊谷慶太夫(くまがいけいだゆう) 牧山武兵衛(まきやまたけべえ) 記録 天保五
13. あしべちょう【芦辺町】長崎県:壱岐郡
日本歴史地名大系
攻めるが(浦海合戦)、日高氏は平戸の松浦氏の支援もあって勝利を収め、壱岐は松浦氏の勢力下に置かれた。江戸時代は平戸城主松浦氏領で、天保郷帳に記される諸吉村・深江
14. ありたかいどう【有田街道】長崎県:総論
日本歴史地名大系
る道筋も利用されていた。領境の付近一帯には三川内焼の一つ葭の本窯があり、当街道はその焼成品を平戸城下または肥前伊万里津に運ぶ輸送路として用いられた。早岐村は追分
15. いきつきしま【生月島】長崎県:北松浦郡/生月町
日本歴史地名大系
服を贈ったという(同年九月二三日「フェルナンデス書簡」イエズス会士日本通信など)。一五六六年平戸城下からコスタ神父とフェルナンデス修道士が生月島の生月・山田・一
16. いけだむら【池田村】長崎県:壱岐郡/石田町
日本歴史地名大系
坂本免・平田免・犬尾免・大屋免・大町免などがみえ、町田長右衛門らの給知。寛文四年(一六六四)平戸城主松浦鎮信の巡見に際して池田田崎で鷹狩が行われた。「壱岐国続風
17. いしだちょう【石田町】長崎県:壱岐郡
日本歴史地名大系
日高氏は平戸松浦氏の支援もあって勝利を収め、壱岐は松浦氏の勢力下に置かれることになった。江戸時代は平戸城主松浦氏領として幕末に至る。天保郷帳に記される石田村・妻
18. いちぶ【一部】長崎県:北松浦郡/生月町
日本歴史地名大系
受洗することになったという。一五六一年頃は当地に会堂が設けられていたらしいが、一五六六年初め平戸城下からコスタ神父とフェルナンデス修道士が生月島のドン・アントニ
19. いまふくむら【今福村】長崎県:松浦市
日本歴史地名大系
庄屋も志佐筋の庄屋が交替で勤めた。年未詳の田平渡海船渡方定(平戸藩法令規式集成)によれば、「今福押役」は平戸城下に赴く際、三役・在横目や地方郡代ら役人と同様に田
20. いわいちょう【祝町】長崎県:平戸市/平戸城下
日本歴史地名大系
[現]平戸市崎方町 祝町 平戸城の北西、常盤町の東、平戸浦の北岸にあり、本町通六ヵ町の一つ崎方町に属した。元禄一〇年(一六九七)当時の諸商職は糀屋・湯屋・御蔵仲
21. いわのうえ【岩の上】長崎県:平戸市/平戸村
日本歴史地名大系
白浜が続く先は田平村(現田平町)に最も近い南竜崎となっている。近世は平戸村のうちで、北部は平戸城(亀岡城)が築かれるとともに、平戸城下町に組込まれていた。明暦二
22. いんざんじあと【印山寺跡】長崎県:平戸市/平戸村
日本歴史地名大系
[現]平戸市鏡川町 平戸城下の西、勝尾岳の東麓にあった真言宗寺院の跡。天文年間(一五三二―五五)松浦隆信(道可)が明の商人王直を迎えて当地の屋敷に居宅を与えて海
23. うおのたなまち【魚の棚町】長崎県:平戸市/平戸城下
日本歴史地名大系
[現]平戸市魚の棚町 平戸城の南西にあり、木引田町の南、鏡川右岸に位置する。本町通六ヵ町の一つで、恵美須町、大黒町(のち禄町)二ヵ町の総称であった。正保二年(一
24. うらのちょう【浦の町】長崎県:平戸市/平戸城下
日本歴史地名大系
[現]平戸市浦の町 平戸城の北西にあり、平戸浦に臨む。本町通六ヵ町の一つで、福寿町・延命町二ヵ町の総称であった。宮之町の北に位置し、本町通を挟んで町屋が形成され
25. 江戸参府旅行日記 185ページ
東洋文庫
⑥戸田能登守〔忠真〕。 ㈲本多紀伊守「正永〕。 ⑥小笠原佐渡守〔長重〕。(四)若い松浦壱岐守。肥前の出身で平戸城主〔名は棟〕。(五)幕府の管理官とわれわれは言っ
26. えびすまち【恵美須町】長崎県:平戸市/平戸城下
日本歴史地名大系
[現]平戸市魚の棚町 恵比須町 平戸城の南西にあり、戸石川と境川に挟まれて立地する。北の善積町、東の築地町方面と結ぶ二ヵ所の橋が架けられていた(元禄一〇年町方年
27. えんめいちょう【延命町】長崎県:平戸市/平戸城下
日本歴史地名大系
[現]平戸市浦の町 延命町 平戸城の北西にあり、宮之町の北に位置する。西手に志々伎谷が続き、番所が置かれている。本町通六ヵ町の一つ浦の町に属する。明人井戸と称す
28. おおくぼ【大久保】長崎県:平戸市/平戸村
日本歴史地名大系
北西部に田ノ浦、南東部に田助、南部に曲などがある。東の沖に黒子島が浮ぶ。近世は平戸村のうちで、南部の一部は平戸城下町に組込まれ、崎方町などと接していた。明暦二年
29. おけやまち【桶屋町】長崎県:平戸市/平戸城下
日本歴史地名大系
[現]平戸市職人町 桶屋町 平戸城の南西、平戸城下の南端にある。西は大工町。職人町五ヵ町の一つで、南北の町並を形成する。町名は桶屋職人の集住に由来する。元禄一〇
30. おしあな‐かぜ【─風】
日本国語大辞典
〔名〕「おしあな」に同じ。*随筆・松屋筆記〔1818~45頃〕六二・二〇「おしあな風并おとし風 平戸城主松浦肥前守源〓朝臣の物語に、平
31. おりおせむら【折尾瀬村】長崎県:佐世保市
日本歴史地名大系
は今福村・吉福村・横手村を含むと考えられる。江戸時代の焼物は、慶長年間(一五九六―一六一五)平戸城主松浦鎮信が朝鮮半島から連れてきた陶工の巨関らの一統が平戸から
32. かがみがわ【鏡川】長崎県:平戸市/平戸村
日本歴史地名大系
「普門寺」に入ったあと七郎権現に参詣している(策彦入明記)。近世は平戸村のうちで、東部の一部は平戸城下町に組込まれ、宮ノ町などと接していた。平戸藩主の私邸および
33. かじやまち【鍛冶屋町】長崎県:平戸市/平戸城下
日本歴史地名大系
[現]平戸市職人町 鍛冶屋町 平戸城の南西、平戸城下の南端に位置する。西は桶屋町。南北の町並を形成する。職人町五ヵ町の一つで、町名は鍛冶屋の集住に由来する。元禄
34. 甲子夜話 1 71ページ
東洋文庫
乃油紙にて包たる時の形欺と。いかさま御開創の旧家なれば然るべし。(量〕 狐は霊妙なる者なり。予が平戸城下、桜馬場と云処の士、屋鋪にて狐の火を燃を見る。若士どもと
35. 甲子夜話 1 73ページ
東洋文庫
正面に向けて立、松を用る所椿を用ゆ。予が家は椎の枝と竹とを立て、松を用ひず。是は吉例の訳あること也。又平戸城下の町家には、戸毎に十五日迄飾を置なり。又大城の御門
36. 甲子夜話 1 193ページ
東洋文庫
田村聞て碑の情深を悦と錐ども、勇ら恐懼の心を生じ、これより往こと稀になりしとなん。是も亦魂火なるべし。又平戸城下の町に家富める商佑あり。或日域門外の幸橋に納涼し
37. 甲子夜話 2 86ページ
東洋文庫
Ω八〕 平戸城下の酒屋に、何れよりか奉公に来りし下男の云しと聞く。世にも恐ろしき者は候なり。我以前は海道辺に住て夜盗渡世せしが、盗なかま数人ありて、夜毎に道側の
38. 甲子夜話 2 149ページ
東洋文庫
これ長脚国の脚長は云はざれども、長腎を負ひ入レ海て捕レ魚とあれば、長脚の長も二丈ばかりなること知べし。平戸城の西北二里ばかりに神崎山あり。其海辺に晴夜海穏なると
39. 甲子夜話 2 338ページ
東洋文庫
まじく、先日申候通り中葉は纏計り用ひ、其余は粗紙を用候所、身がらの人とは申されず候。〔三〕 平戸城下向地田平村の修験大行院、渡海して城下に往んとして、海上廿丁ば
40. 甲子夜話 4 148ページ
東洋文庫
藥四斗、水六斗と見ゆ。これに拠れば、前なるは片白にして、御井酒は諸白なるべし。是に就て云ことあり。平戸城の恒例に農夫の舞を覧ることあり。七月十八日なり。舞ふ者、
41. 甲子夜話 4 149ページ
東洋文庫
者、諸白なるべし〔前の農夫は志自岐神領の者なれば、この舞もと志自岐神社の御田の野楽なるべし。平戸城に縁あることは、大永、享禄の頃か、軍事に就て勝利の吉例に由れり
42. 甲子夜話 4 336ページ
東洋文庫
うたう〔下のう字長画、烏頭、若くは歌占かと〕  春ちか〔観世豊綿日。この能今は為ずと〕  たうる〔吾 領邑平戸城の西北一里余、神崎と云山の北、海に向たる所、人里
43. 甲子夜話 5 56ページ
東洋文庫
二軸を添て〔一軸は外装安楽庵ぎれ、一は紅地の竹屋坊。共に紫紐牙軸〕先世より伝へしを、予在職中、平戸城中に遺し賓ぬ。東武退隠の後思出して此軸を取寄せ、坐右に置しが
44. 甲子夜話 5 155ページ
東洋文庫
不動八幡摩利支天なり。又剣の下にも梵文を刻す。不動と金輪仏頂の字。一、法印公鯖の尾御馬印 一本是は平戸城中に納め有しを、予退隠の後懐ゆかしくて、岡平兵衛〔忠徳〕
45. 甲子夜話 5 161ページ
東洋文庫
惜むに足らざる者なれども、旙尽の一なれば、其名を存す。一、天祥院殿画影        一  偵この御影は、平戸城外樹光寺にある大猷公の御霊屋中左右の扉内に、寺の
46. 甲子夜話 5 324ページ
東洋文庫
有塀と糖製の名と通ずる故なり。松風も亦名。後に或人云。外郭の塀を除かれしは、厳廟の時の御政なりと。〔三〕 平戸城下に在る樹光寺と云は天台宗にして天祥院殿の創建。
47. 甲子夜話 6 427ページ
東洋文庫
ごの『甲子夜話』正続編の刊本である、国書刊行会本は、著者静山松浦壱岐守清の伝記を、佐藤一斎撰『世襲平戸城主静山松浦公侯』をもって替えたのは、賢明な方法である。本
48. 甲子夜話 6 428ページ
東洋文庫
  世襲平戸城主静山松浦公伝写 佐藤坦撰  静山公行実      二冊( 四一丁)などがある。また静山の私生活の一端と文雅を示す次の如きも、同博物館には存する。
49. 甲子夜話 6 433ページ
東洋文庫
後に流水、柳水と号して、二百数十句にのぼる大作者である。四世川柳の門人を自負する茶目気をも持つ。平戸城内に木活印刷を試みた小冊子も残っている。その他の諸芸は、自
50. 甲子夜話三篇 1 15ページ
東洋文庫
開きたる口内、色紅にして火の燃るが如し。奇異の物なれば連、縄を絶て亀を海に投たりとぞ。又近臣篠崎某も、平戸城下黒子嶋辺の海面にて見し亀は、其頭馬首の大さにて、頷
「平戸城」の情報だけではなく、「平戸城」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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