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キング

ジャパンナレッジで閲覧できる『キング』の日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)
キング
きんぐ
Martin Luther King, Jr. 
[1929―1968]

アメリカ合衆国のバプティスト派の黒人牧師で、黒人公民権運動の指導者。ジョージア州アトランタに生まれる。バスの座席の人種分離に反対して1955年12月から1年以上にわたって闘われた、アラバマ州モントゴメリーのバス・ボイコット運動の指導者として一躍脚光を浴び、以後、大衆的な直接行動を数多く組織して、黒人に対する差別の打破、地位向上に大きく寄与した。57年には南部キリスト教指導者会議(SCLC)を組織、奴隷解放100周年を記念する63年のワシントン行進における「私には夢がある」I have a dream. 演説はつとに有名で、翌64年ノーベル平和賞を受賞した。68年4月4日、テネシー州メンフィスの清掃労働者のストライキ支援中に志なかばにして暗殺された。83年、その業績を記念して、彼の誕生日(1月15日)にちなみ、1月の第3月曜日が国民祝日と定められた。
キング牧師の思想と行動は、二つの時期に大別される。前期は、モントゴメリーのバス・ボイコット運動の開始から1965年のセルマ‐モントゴメリー行進に至る時期で、キリスト教の教えとガンディーの市民的不服従思想を結合した非暴力的直接行動による法的、制度的な差別の打破を目ざす運動が、南部を中心に展開された。66年のシカゴにおける仕事や住宅の確保、学校における真の人種統合を要求する運動で開始される後期は、実生活の諸領域に現実に存在する差別や貧困の打破を目標とするものであり、ここから、キングはベトナム戦争反対の立場を明確にすると同時に、貧しいうえにしばしば未組織の黒人労働者の闘争を積極的に支援するようになっていった。この運動が十分に発展し成果をみる前にキングは凶弾に倒れたが、彼の行動の軌跡は、今日の黒人解放運動の課題や解決の方向をよく示している。
[大塚秀之]



改訂新版 世界大百科事典
キング
Martin Luther King,Jr.
1929-68

アメリカのキリスト教牧師。マハトマ・ガンディーの非暴力抵抗方式を人種差別撤廃を目ざす黒人闘争へ移植した黒人指導者。ジョージア州アトランタの有力黒人牧師の家庭に育った彼は,〈敵をも愛す〉キリストの愛を深く信じてはいたが,個人をこえた人種間の闘争手段としては有効でないと考える。黒人のためのモアハウス大学を卒業後,北部のクロイツァー神学校とボストン大学に学び,1955年に博士号を授与されるが,この間人種正義実現への手段を求めて思想的遍歴を重ね,ガンディーに到達した。ガンディーは相手の暴力を甘受することによってより大きな成果を得たのである。55年赴任先のアラバマ州モンゴメリーで,座席の差別待遇に対するバス・ボイコットが黒人市民によって起こされたとき,キングはこれをガンディー方式とキリストの愛(アガペ)を結合した非暴力直接行動nonviolent direct actionによって成功に導く。続いて南部キリスト教指導者会議Southern Christian Leadership Conference(SCLC)を結成し南部各地で非暴力研修会を開く。60年代前半の黒人闘争は,かくしてキングを五大黒人組織団結の中心的つなぎ役として展開し,世論を喚起して二つの公民権法を成立させる。北部都市の暴動化は,63年ワシントン大行進での演説〈私には夢がある〉の夢を悪夢に変えるが,65年シカゴのギャング団員に非暴力訓練を与えて成功し,暴動の地での非暴力闘争の有効性を実証する。67年春,反戦に踏み切る。64年のノーベル平和賞受賞は彼に国際平和への使命感を植えつけていた。また国内では政府の戦争政策が,黒人問題の基幹をなす貧困の解決にとって最大の障害なることに気づき,反戦・反権力姿勢を強める。遺書《良心のトランペット》では,貧者の闘争のための新しい非暴力方式として,大衆的市民不服従を提案している。黒人闘争に発し,人種平等,経済平等,平和,民主主義の非暴力的達成を目ざしたキングはひとつの時代精神となったのである。68年4月,テネシー州メンフィスにて凶弾に倒れる。逮捕歴30回以上。
→公民権運動
[中島 和子]

[索引語]
King,M.L.Jr. バス・ボイコット 非暴力直接行動 nonviolent direct action 南部キリスト教指導者会議 Southern Christian Leadership Conference SCLC 良心のトランペット


岩波 世界人名大辞典
キング
King, Martin Luther, Jr.
1929.1.15~68.4.4

アメリカの黒人解放運動家.

ジョージア州アトランタにバプテスト派牧師の子として生まれる.クローザー神学校卒業 [1951].ボストン大学大学院在学中にスコット(Coretta Scott 1927~2006)と結婚 [53],神学博士号取得 [55].アラバマ州モントゴメリで牧師となり [54-],NAACP(全米黒人地位向上協会),アラバマ人種関係委員会等で活動.モントゴメリ・バス・ボイコット運動 [55-56]では非暴力直接行動を訴え,指導的役割を担う.この運動を受け,連邦最高裁判所はバスの座席をめぐる人種差別を違憲とした [66].南部キリスト教指導者会議(SSLC)を結成 [57],学生非暴力調整委員会(SNCC)結成を支援 [60].人種平等会議(CORE)とともにフリーダム・ライド運動を展開 [61].63年夏には,首都で開催したワシントン大行進で12万5000人を前にスピーチ〈私には夢がある〉を行った.ノーベル平和賞受賞 [64].公民権法 [同],投票権法 [65]成立後は,北部都市における人種差別と貧困問題解決のための運動をシカゴを拠点に展開 [66-],さらに〈貧者のための行進Poor People's Campaign〉を組織 [67-].ベトナム反戦運動にも加わるようになる.テネシー州メンフィスで凶弾に倒れた.

〖主著〗 自由への大いなる歩み:Stride toward freedom: The Montgomery story, 1958.黒人はなぜ待てないか:Why we can't wait, 1963.黒人の進む道:Where do we go from here: Chaos or community?, 1967.良心のトランペット:The trumpet of conscience, 1968.

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