1. コペルニクス画像
日本大百科全書
題であり、この社会的問題がコペルニクスの天文学への関心を強めさせたに違いない。 1496年、伯父の援助でルネサンスの本拠地、北イタリアへの遊学が実現し、コペルニ
2. コペルニクス(Nicolaus Copernicus)
世界大百科事典
その後につづく天文学者やさらに一般知識人は,プトレマイオス説を採るかコペルニクス説を採るかの選択に立たされることになったのである。 コペルニクスは,議論にあけく
3. コペルニクス
日本国語大辞典
({ラテン}Nicolaus Copernicus ニコラウス─)ポーランドの天文学者、ローマカトリック教会の聖職者。本名コペルニク。ギリシア思想の影響を受け、
4. コペルニクス(〔ラ〕Copernicus(Coppernicus), Nicolaus)
世界人名大辞典
〔ポーランド〕Mikołaj Kopernik〔1473.2.19~1543.5.24〕 ポーランドの天文学者.トルンに生まれ,クラカウ大学で医学を学び,ボロー
5. コペルニクス(年譜)
日本大百科全書
貨に関する経済的研究『貨幣論』を出版1539若い学者レティクスが訪れる1540レティクス、コペルニクス学説の概要『ナラティオ・プリマ』を出版15433月神学者オ
6. コペルニクス像[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
かつてコペルニクスが学んだポーランド最古の大学、ヤギエウォ大学(当時のクラクフ大学)構内にある。ポーランド クラクフ ©Shogakukan
7. コペルニクス体系
日本大百科全書
プトレマイオス体系によるよりも精度を増すことが実証された。この体系説は、コペルニクスの主著『天球の回転について』(1543)の趣旨であって、コペルニクスはイタリ
8. コペルニクス‐てき【─的】
日本国語大辞典
1〕〈高橋晄正〉くすり・ヘドロからの脱出「認識の発展のしかたについての考えとしては、まさにコペルニクス的といわれるべき一八〇度の転換であった」
9. コペルニクスてき‐てんかい[‥テンクヮイ]【─的転回】
日本国語大辞典
ロッパ人達の精神界の不可避なコペルニクス的転回をも意味する」*小説平家〔1965~67〕〈花田清輝〉三・四「日本において華玉川の試みた独り相撲にたいするコペルニ
10. コペルニクス的転回
日本大百科全書
式にのっとってもともと主観が構成したものである、と主張し、天文学において発想の転換を図ったコペルニクスに自らをなぞらえたのである。武村泰男
11. コペルニクス的転回[カタカナ語]
イミダス 2018
[Kopernikanische Wendung〈独〉]【哲学】ドイツの哲学者カントにおける認識論上の発想転換を,天動説から地動説への転換になぞらえていう.
12. 天文対話
日本大百科全書
ガリレイの地動説に関する著作。1632年刊。原著標題は『プトレマイオスとコペルニクスとの二大世界体系についての対話』Dialogo sopra i due ma
13. アクセス権
日本大百科全書
方面で議論されるようになった。マス・メディアのアクセス権は、従来の言論の自由の観念に対してコペルニクス的転回を迫るものであると評されている。堀部政男
14. 新しい児童心理学 20ページ
文庫クセジュ
るのと同じくらい全面的に、世界は自分の身体および活動に中心化されている。最初の十八か月間にコペルニクス的革命、あるいはもっと簡単にいえば一般的な分極化が生じてき
15. アパーツァイ=チェレ・ヤーノシュ
世界文学大事典
トランシルヴァニア生まれ。オランダ留学期(1648−53)にデカルト哲学を基盤にしてコメニウス,コペルニクスらの立場による『ハンガリー百科全書』Magyar E
16. アピアヌス(Petrus Apianus)
世界大百科事典
liber》(1524)は,1609年にいたるまでほぼ60版を重ね,S.ミュンスターのそれと並びコペルニクス説以前の代表的な宇宙誌とされた。第4版(1527)以
17. アラビア科学
世界大百科事典
イオスの天文体系を批判し,新しいモデルを提出したが,この彼の学説はさらに後に発展させられてコペルニクスの天文理論の一部をも先どりするに至った。また14世紀に北ア
18. アリスタルコス(数学者、天文学者)
日本大百科全書
から、アリスタルコスは恒星球の大きさをそれまでよりずっと大きく見積もったとしている。なお、コペルニクスは古代の太陽中心説を検討したにもかかわらず、アリスタルコス
19. アリスタルコス
日本国語大辞典
(Aristarkhos )〔一〕古代ギリシアの天文学者。コペルニクスの地動説の先駆者。また、月の上弦、下弦の観測から、地球から太陽への距離は、月への距離の約二
20. アリスタルコス(サモスの)(Aristarchos)
世界大百科事典
プトレマイオスはその著《アルマゲスト》の中で名指さずにこの太陽中心的体系に言及しており,コペルニクスもまた《天球の回転について》で,アリスタルコスの名をあげて
21. アリスタルコス(サモスの)
世界文学大事典
球はその軸を中心に自転しつつ,宇宙の中心にある太陽の周りを円軌道を描いて公転すると考えた。コペルニクスの学説を先取りした学者として有名。しかし,唯一現存する『太
22. イエズス会士中国書簡集 5 紀行編 256ページ
東洋文庫
一六一四年にイエズス会に入り、一六七一年に死亡した。いくつかの神学校で修辞学・哲学・神学を教授した。コペルニクスの学説に反対したものの、精密な天体観察の結果にも
23. イギリス文学
世界文学大事典
国力は充実したが,インフレーションも増大した。アメリカ新大陸の発見は人々に新しい富と未来への希望を与えたが,コペルニクスの地動説の出現は地球中心の天動説によって
24. イタリア演劇
世界大百科事典
ブルーノの手になる《火を掲げる者》(1582)は,《マンドラゴラ》に比すべき作品である。ブルーノはコペルニクスやパラケルススの理論を弁護し,ついに異端として処刑
25. 異端審問 109ページ
文庫クセジュ
しいものがあるといえる。これら諸科学の研究者で、異端審問所の追及を受けた者は一人もいない。コペルニクスにせよ、ガリレイにせよ、ニュートンにせよ、その一行たりとも
26. 宇宙画像
日本大百科全書
であり、天と地とは絶対的に区別された。16世紀なかば、天体運行の規則性をめぐって提起されたコペルニクスの太陽中心模型は、17世紀から18世紀にかけて、ガリレイ、
27. 宇宙画像
世界大百科事典
受けた一人にN.コペルニクスがいた。まさしく天体の中でももっとも神聖な太陽こそ,そして中心からすべてを〈流出〉する源としての太陽こそ,宇宙の中心にあるべきである
28. 宇宙論
日本大百科全書
完結された幾何学的宇宙観による精緻(せいち)な体系というべきであろう。藤村 淳地動説と無限宇宙コペルニクスの地動説(1543)もまた、この幾何学的宇宙像と円の思
29. 英文学史 16ページ
文庫クセジュ
英国のチュウドル王朝の始祖たるヘンリイ七世の時代にイタリイから英国に入って來た。それと同時に、コロンブスやコペルニクスの発見によって世界の境界線が拡張された。そ
30. 『エセー』
世界文学大事典
意見を述べる」(II. 10)。 人間の現に知る感覚以外の感覚を想定したり,当時新鮮だったコペルニクスの宇宙説以外の説の出現をも予期したりする開かれた知的態度も
31. エゾテリスム思想 52ページ
文庫クセジュ
このヘルメス主義は本来的な意味でのエゾテリスムとは無縁なさまざまの言説のうちに浸透していった。たとえばコペルニクス(一五四三年の『天体の回転について』ではトリス
32. エゾテリスム思想 66ページ
文庫クセジュ
ジョルダーノ・ブルーノ(一五四八~一六〇〇)。アレクサンドリア派のヘルメス主義を加味したコペルニクス主義者であり、宗教協和を熱心に唱えた。自然についての隠秘哲
33. エトルリア人 28ページ
文庫クセジュ
一九四七年にマッシモ・パロッティーノの小著『エトルリア人の起源』がローマで刊行され、いわばコペルニクス的転回が起こった結果、現在のエトルリア学者はエトルリア人の
34. 江戸繁昌記 3 236ページ
東洋文庫
二二) (一九)游子六 不明 (き)黄周道 不明 (三)地動 地道説。アリスタルコスおよびコペルニクスの説。わが国では、西洋暦書の舶載以前、明和六年(一七六九)
35. エピステモロジー 21ページ
文庫クセジュ
地球は自転するのみならず、他の惑星と同様に太陽の周りを公転する〉と考えるコペルニクス説を聖書と調停するのは不可能であると考えた。ガリレオはコペルニクス説を認め、
36. エピステモロジー 28ページ
文庫クセジュ
野での遺産を引き継いだ。ヨーロッパのルネサンスは、古代〔ギリシア〕人と競おうと試み、また、コペルニクス、パラケルスス、ヴェサリウスといった偉大な人物を輩出したに
37. エピステモロジー 116ページ
文庫クセジュ
われわれ人間の存在と両立可能な宇宙を実在的なものと見なさねばならないという原理を採ると表明するとしても、コペルニクス以前の天文学と同じくこの仮説もわれわれ人間を
38. エピステモロジー 126ページ
文庫クセジュ
52-54, 57, 61 ゲンツェン Gentzen 51 コーエン Cohen 56 コペルニクス Copernic 19, 20, 26, 133 コルモ
39. エーテル
世界大百科事典
にあっては,天体の世界にはアイテル(エーテル)が充満していると考えられた。こうした着想は,コペルニクス,ガリレイ,ケプラーら近代初期の自然学者にまで受け継がれて
40. オジアンダー(Osiander, Andreas)
世界人名大辞典
ライ語教師.同地でM.ルターの思想に影響を受け,説教者として宗教改革運動に加わる[22].コペルニクスの著作《天体の回転について》を編集出版したが,太陽中心説は
41. オランダちきゅうせつ【阿蘭陀地球説】
国史大辞典
に付された解説である。蘭文と比較すると、訳者本木良永は意識的に神学論議およびそれと関連したコペルニクス説を述べた部分を略していることを知る。故に地動説の紹介とし
42. オランダてんせつ【和蘭天説】
国史大辞典
図』の宇宙体系図などの和蘭文献の挿図を判読してまとめあげた。プトレマイオス・チコ=ブラエ・コペルニクスの三宇宙体系を説き、地動説をよしとする。その地動説は前著『
43. オレーム(Oresme, Nicole)
世界人名大辞典
を工夫してデカルトの座標の思想の先駆をなした.また運動の相対性の把握から地動説に到達して,コペルニクスへの道をひらいた.〖著作〗Tractatus propor
44. 解剖図
世界大百科事典
一部しか後人に利用されなかった。解剖学の革新はパドバ大学のA.ベサリウスによってなされた。コペルニクスの遺著と同じ1543年に刊行された彼の《人体の構造》は70
45. 科学
日本大百科全書
その端緒として位置づけられているのが、1543年、コペルニクスが地動説(太陽中心説)を世に問うた『天球の回転について』であろう。後にカントが“コペルニクス的転回
46. 科学
世界大百科事典
ら対立していたものではなく,本来同根であったと考えられるようになっている。それは少なくともコペルニクスからニュートンに至る〈科学者〉たちが実際には宗教者であって
47. 科学革命
日本大百科全書
』The Origins of Modern Science(1949)で唱導したもので、コペルニクスのころから始まって17世紀のガリレイ、ニュートンのころに完
48. 科学革命
世界大百科事典
注目し,これをもって世界史を区切るのが適切であると考え,近代科学の成立(広義には16世紀のコペルニクスから17世紀のニュートンに至る時期,狭義には近代科学の方法
49. 科学史
日本大百科全書
れることはなかった。それでも天文学では、バビロニアやギリシアの時代の観測データが16世紀のコペルニクスのころまで利用されたし、近代の力学はユークリッドやアルキメ
50. 科学史
世界大百科事典
の問題としてではなく,権利の問題として正当化しようと図った。もしこの立場をとれば,たとえばコペルニクスの〈地動説〉は今日のわれわれが地動説に与えている〈科学的〉