解説・用例
歌舞伎脚本。時代物。五幕。四世鶴屋南北作。文化元年(一八〇四)江戸河原崎座初演。天竺徳兵衛の伝説に取材し、彼を日本覆滅を図る朝鮮の臣の遺児に仕立てたもの。父ゆずりの妖術を使った神出鬼没ぶりが見所で、初世尾上松助の早変わりや仕掛け物で評判をとり、以来尾上家のお家芸となった。
歌舞伎(かぶき)脚本。時代物。五幕。4世鶴屋南北(つるやなんぼく)作。1804年(文化1)7月、江戸・河原崎(かわらさき)座で初世尾上松助(おのえまつすけ)(松緑(しょうろく))が初演。寛永(かんえい)年間(1624~44)天竺(インド)へ渡り、天竺徳兵衛といわれた船頭の巷説(こうせつ)「天竺徳兵衛物語」を脚色したもので、近松半二(はんじ)作の浄瑠璃(じょうるり)『天竺徳兵衛郷鏡(さとのすがたみ)』を下敷きにした作。天竺帰りの船頭徳兵衛が自分の素姓を吉岡宗観(そうかん)実は大明(だいみん)の臣木曽官の子と知り、父の遺志を継いで日本転覆の野望を抱き、蝦蟇(がま)の妖術(ようじゅつ)を使って神出鬼没、将軍の命をねらうが、巳(み)の年月そろった人の生き血の効験によって術を破られる。原作には徳兵衛に殺された乳母五百機(うばいおはた)の亡霊が現れる怪奇な場もあり、松助が二役で勤め評判になったが、その後、3世尾上菊五郎の再三の上演ごとに脚本も改訂され、5世・6世の菊五郎に継承されて尾上家の芸となり、普通『音菊(おとにきく)天竺徳兵衛』の外題(げだい)で「宗観館」「同水門」「滝川館」の二幕三場が上演されている。草双紙趣味豊かな舞台で、「水門」で蝦蟇から引き抜いた徳兵衛の引込み、「滝川館」で本水を使い、越後座頭(えちござとう)に化けた徳兵衛が偽上使になって登場する早替りなどが見もの。
歌舞伎狂言。世話物。5幕。4世鶴屋南北作。江戸歌舞伎の夏芝居,旅芝居用の台本として書きおろされた最初の作品。1804年(文化1)7月,初世尾上松助が江戸河原崎座で初演。松助の子3世尾上菊五郎が継承し尾上家の家の狂言となる。《音菊(おとにきく)天竺徳兵衛》などと改題されながら今日まで舞台生命を保つ。原作は,近松半二作の院本《天竺徳兵衛郷鏡(さとのすがたみ)》。初演の際の脚色はほぼ原作どおりであったが,再演のつど改訂され,特に4度目の上演である09年に《阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしようのすがたみ)》と改題増補された際,初演の脚色者でもある南北が,3世菊五郎の天性の美貌を生かし,舞台で化粧をさせる《湯上りの累(かさね)》の趣向を入れた。これが好劇家の印象に残り,後世になって南北の出世作として位置づけられることになる。題材は,江戸幕府が鎖国政策をとる以前に天竺を経巡った播州高砂の漁師天竺徳兵衛の聞書に取材。その徳兵衛を,原作者近松半二が得意とする日本国転覆をねらう謀反人に仕立て上げるスケールの大きな枠組だが,歌舞伎化された演出の見どころは,むしろケレンにあった。なかでも,座頭(ざとう)徳市に変装した徳兵衛が本水の中を潜り抜けて長裃姿の上使に早替りする〈水中の早替り〉は,一子相伝の仕掛物とされた。明治の近代化の波をうけた後は,5世・6世菊五郎によって演出が洗練され,颯爽とした江戸っ子の風姿を見せる点に力点が置かれるようになる。なお,今日に伝えられる台本は,再演以後の改訂本である。
解説・用例
歌舞伎脚本。時代物。五幕。四世鶴屋南北作。文化元年(一八〇四)江戸河原崎座初演。天竺徳兵衛の伝説に取材し、彼を日本覆滅を図る朝鮮の臣の遺児に仕立てたもの。父ゆずりの妖術を使った神出鬼没ぶりが見所で、初世尾上松助の早変わりや仕掛け物で評判をとり、以来尾上家のお家芸となった。
発音
テンジクトクベー=イコクバナシ
[ト]=[バ]
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