1. 島村抱月画像
日本大百科全書
評論家、演出家、初期新劇運動の指導者。明治4年1月10日島根県に生まれる。旧姓佐々山、本名滝太郎。東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)文学科卒業。在学中、
2. 島村抱月[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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3. 島村抱月
世界大百科事典
1871-1918(明治4-大正7) 評論家,新劇指導者。旧姓佐々山,本名滝太郎。島根県生れ。1894年早稲田大学の前身東京専門学校文学科卒業。坪内逍遥に文学を
4. しまむら‐ほうげつ【島村抱月】
日本国語大辞典
評論家、美学者、英文学者、小説家。島根県出身。旧姓佐々山。本名は滝太郎。東京専門学校の海外留学生としてオックスフォード大学に学び、帰朝後「早稲田文学」復刊と共に
5. しまむらほうげつ【島村抱月】
国史大辞典
[参考文献]『早稲田文学』大正七年十二月号(島村抱月追悼号)、川副国基『島村抱月』、松本克平『日本新劇史』、秋庭太郎『日本新劇史』、角田寿子他「島村抱月」(『近
6. しまむら-ほうげつ【島村抱月】画像
日本人名大辞典
1871−1918 明治-大正時代の劇作家,演出家。明治4年1月10日生まれ。イギリス,ドイツに留学後,明治38年早大教授となる。「早稲田文学」を復刊し,自然主
7. 島村抱月[文献目録]
日本人物文献目録
桐禎子『島村抱月と松井須磨子』片桐禎子『島村抱月と松井須磨子』金茶金十郎『島村抱月と明治美学史』土方定一『島村抱月についての新事実』川副国基『島村抱月の言文一致
8. アインフュールング
日本国語大辞典
〔名〕({ドイツ}Einfühlung )感情移入のこと。*芸術と実生活の界に横はる一線〔1908〕〈島村抱月〉七「またドイツのアインフュールングの論者も言ふ如
9. 秋田雨雀
日本大百科全書
劇場初演)、『埋(うずも)れた春』(1912)で劇作家として認められた。1913年(大正2)島村抱月(ほうげつ)主宰の芸術座に幹事として参加、のち脚本部員となる
10. 秋田雨雀
世界大百科事典
潮》記者となり,《紀念会前夜》(1909),《第一の暁》などで劇作家として認められた。13年島村抱月の芸術座創立に参画,翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織
11. あきた‐うじゃく【秋田雨雀】
日本国語大辞典
劇作家、童話作家。島村抱月に師事して演劇革新運動に参加。のち、社会主義思想に傾いてプロレタリア演劇運動を行なった。戯曲「埋れた春」「国境の夜」など。明治一六~昭
12. あきた-うじゃく【秋田雨雀】画像
日本人名大辞典
明治-昭和時代の劇作家,児童文学作家。明治16年1月30日生まれ。43年戯曲「第一の暁」を発表。島村抱月(ほうげつ)の芸術座に参加。のち社会主義運動にすすみ,「
13. あんちゅう‐もさく【暗中模索・暗中摸索】
日本国語大辞典
転じて、手がかりのないものを、いろいろさぐってみること。暗索。*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉三「斯(か)くて、我が情は闇中摸索の妄飛躍をば嫌へども」*
14. いかん なく
日本国語大辞典
り」(2)(副詞のように用いて)十分に。申し分なく。洩れなく。*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉七「第三期のラファエルは、独逸ドレスデンの画堂にある、サン
15. 生ける屍
日本大百科全書
刑の執行を無効にする。日本では1917年(大正6)10月東京・明治座で芸術座第9回公演として島村抱月らの新脚色で初演した。法橋和彦
16. いまふくむら【今福村】島根県:那賀郡/金城町
日本歴史地名大系
岡本助兼の弟正信が住居を構えていたという。金城カントリークラブゴルフ場北側の小高い丘の上に「島村抱月先生の碑」がある。元谷には島根県畜産開発事業団の経営する今福
17. 「妹山背山」
日本史年表
1906年〈明治39 丙午〉 2・17 坪内逍遥・島村抱月ら、東京芝紅葉館で文芸協会発会式、 「妹山背山」 など上演。
18. い‐るい[ヰ‥]【彙類】
日本国語大辞典
る標準、異なる目的異なる関鏈によりて、異なる彙類を為すこと」*文芸上の自然主義〔1908〕〈島村抱月〉二「シムボリズム、クラシシズム、ロマンチシズムの三名目が哲
19. 岩野泡鳴画像
日本大百科全書
先輩の自然主義作家島崎藤村(とうそん)、田山花袋(かたい)、評論家の長谷川天渓(てんけい)、島村抱月(ほうげつ)などや、反自然主義の夏目漱石(そうせき)一派にも
20. 印象主義画像
世界大百科事典
確固とした一つの流れとなった。印象主義の運動および理論については,黒田,久米のほか,森鷗外,島村抱月らによって紹介され,1910年には,高村光太郎の〈緑色の太陽
21. いん‐めい【印銘】
日本国語大辞典
〔名〕印象を心に深く刻み込むこと。強く感じて忘れられないこと。*文芸上の偽自然主義〔1908〕〈島村抱月〉九「バーテルス(A.Bartels )氏の言を仮りて言
22. いん‐ゆ【引喩】
日本国語大辞典
翅引喩失
当」*新美辞学〔1902〕〈
島村抱月〉二・二・七・六「若し引喩法を分類せんとせば、其の顕に引喩せるものと隠に引喩せるものとを分か
23. いんゆ‐ほう[‥ハフ]【引喩法】
日本国語大辞典
引用部分を明示するものと暗示にとどめるものとがある。→隠引法・引用法。*新美辞学〔1902〕〈島村抱月〉二・二・七・六「引喩法とは古人の成語または故事を挿みて文
24. いんゆ‐ほう[‥ハフ]【隠喩法】
日本国語大辞典
直喩法。*新美辞学〔1902〕〈
島村抱月〉二・二・七・二「隠喩法とは直喩に反して比喩の比喩たる処を埋没したるものなり」
25. 李光洙 【イーグヮンス/りこうしゅ】 이광수
世界文学大事典
だが,過労がたたって結核になり,静養のため帰国した際の7月に釜山で徳富蘇峰を紹介された。また朝鮮巡業中の島村抱月の一行に会ったのもこのころである。18年にも,前
26. うつ‐ぜん【鬱然・蔚然】
日本国語大辞典
其智略は欝然として盛なるものあり、整然として密なるものあり」*文芸上の自然主義〔1908〕〈島村抱月〉四「近世景色画の大家が欝然として一時に競ひ起こった」*劉子
27. うぶかたとしろう【生方敏郎】
国史大辞典
明治十五年(一八八二)八月二十四日生まれる。群馬県利根郡沼田町(沼田市)の出身。早稲田大学英文科卒業。島村抱月門下として『早稲田文学』に拠った。『東京朝日新聞』
28. えいたん‐ほう[‥ハフ]【詠嘆法】
日本国語大辞典
詠嘆の助詞、助動詞を用いたり、疑問文や一語文などの形式をとったりする。*新美辞学〔1902〕〈島村抱月〉二・二・一〇・四「文に勢力あらしめんため又は我が情の極め
29. 演出
日本大百科全書
日本では明治末期の文芸協会や自由劇場による演劇近代化運動の深まりにつれ、坪内逍遙(しょうよう)、島村抱月(ほうげつ)、小山内薫(おさないかおる)らにより近代的演
30. 演出
世界大百科事典
現代に復活させた。 このようなヨーロッパ演劇の影響を受けて,1907年前後から日本でも,坪内逍遥,小山内薫,島村抱月らによって近代的な演出が行われるようになった
31. 演出
世界文学大事典
明確に打ち出していく姿勢が要求されている,といえる。 日本では文芸協会を設立(1906)した坪内逍遥や島村抱月,自由劇場を発足(1909)させた小山内薫,築地小
32. えんのぎょうじゃ【役の行者】
国史大辞典
白雲と化して飛び去る。行者は霊の力、魔神は肉、広足は折衷的近代知性の脆弱さを示し、当時の自然主義、狭くは島村抱月・松井須磨子の恋愛事件の批判をふくみ、作者の「内
33. おがわみめい【小川未明】
国史大辞典
同三十八年早稲田大学英文科卒業。在学中『新小説』に発表した『霰に霙』(同三十八年)で認められた。卒業後島村抱月のすすめにより早稲田文学社に入社『少年文庫』を編集
34. おぐにむら【小国村】島根県:那賀郡/金城町
日本歴史地名大系
五つの郭が遺構として確認でき、徳田氏が居城したといわれている。日本近代演劇の先駆者で、評論家・作家・演出家の島村抱月(旧名佐々山滝太郎)は明治四年一月一〇日小国
35. 小山内薫[文献目録]
日本人物文献目録
小山内建と小山内薫 1‐3』杉野大沢『気の弱い正義漢』小山内徹『近代劇観念の形成 小山内薫と島村抱月』越智治雄『劇場人としての小山内薫氏』北村喜八『作家研究座談
36. おん‐こう[ヲンクヮウ]【温光】
日本国語大辞典
・四「日(ひび)に自然の人を慈しめる温光(ヲンクヮウ)を吸ひ」*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉四「一味の温光は、早くほのぼのの夜明けより、人の心の底に通
37. おん‐すう【音数】
日本国語大辞典
〔名〕言語の音や音節の数。*新美辞学〔1902〕〈島村抱月〉二・二・三・六「声音の諸方面中、音位、音度、音長、音数の四を形式美の原理に基づき種々に組み合はせたる
38. おんすう‐りつ【音数律】
日本国語大辞典
有する詩歌や散文の音楽的なリズム。五七調、七五調の類。→韻律(いんりつ)。*新美辞学〔1902〕〈島村抱月〉二・二・三・六「主なる律格〈略〉音数に基づけるもの即
39. か[クヮ]【化】
日本国語大辞典
*自然主義論〔1908〕〈生田長江〉八「抽象的概念を具体化しようと云ふ技巧は」*自然主義の価値〔1908〕〈島村抱月〉三「凡て芸術は客観的でなくてはならぬ、客観
40. かい‐し【開始】
日本国語大辞典
年)〔1898〕九九二条「遺産相続は家族の死亡に因りて開始す」*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉二「是れ所謂近世哲学の開始を報ずる声なり」*草枕〔1906
41. かい‐そう[クヮイ‥]【会湊】
日本国語大辞典
〈村田文夫〉前・中「四方の学生会湊し最も文学の盛なる所にして」*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉一〇「十九世紀末の文芸は、実に目もあやなる雑多の潮流の会湊
42. かい‐たい【解体】
日本国語大辞典
しもに精強なりし鎌倉政府も僅かに三ケ年に過ぎずして悉く解体し」*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉一三「知識は常に感情を手取りにして、解体し殺戮せんとす、是
43. かいとう‐き[クヮイトウ‥]【回頭期】
日本国語大辞典
〔名〕物事の変わるべき時期。転換期。転期。*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉一二「其の回頭期を示したる『第二タンカレー夫人』以来、また一世を動かすべき作な
44. かい‐ひ[クヮイ‥]【回避】
日本国語大辞典
クヮイヒシガタシ」*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉一三「神秘的文芸は、退いて十九世紀が集積したる知識より回避せんと欲す」*それから〔1909
45. かい‐もう[クヮイ‥]【晦曚】
日本国語大辞典
〈注〉マックラ)として一朶(いちだ)の黒雲須藤が上に掩ひ累り」*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉二「天地いかに晦曚の夜なりとも、此の一線の明白は、曾て消ゆ
46. かがく‐ばんのう[クヮガク‥]【科学万能】
日本国語大辞典
一切の問題は解決できるとすること。科学を最高のものとすること。*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉二「十九世紀の或る部分は、科学万能の旗下に奔趨したれども」
47. かく‐らく[クヮク‥]【郭落・廓落】
日本国語大辞典
〔形動タリ〕(1)広々としたさま。広大なさま。心が広く、からりとしているさま。*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉一四「文芸の奥に、廓落として、広大無辺の天
48. 神楽坂
世界大百科事典
……今でも矢張,賑やかな縁日が立つて〉と記しているが,その縁日と露店のにぎわいは有名であった。その後,島村抱月ら早稲田派の出入りも目だったが,昭和に入ってから盛
49. か‐げん[クヮ‥]【過現】
日本国語大辞典
しらば、又未来をさとるべし。ひっきゃう後生はめんめんさばきか」*囚はれたる文芸〔1906〕〈島村抱月〉三「智によりて過現を照し、情によりて未来を察す」易林
50. かたがみのぶる【片上伸】
国史大辞典
代々地主で庄屋をつとめた片上家に父良・母節の長男として生まれた。早稲田大学文科卒業。坪内逍遙・金子馬治・島村抱月らの教えを受けた。早稲田文学社記者・早稲田大学予