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  11. 後桜町天皇

後桜町天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『後桜町天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典のサンプルページ

国史大辞典
後桜町天皇
ごさくらまちてんのう
一七四〇 - 一八一三
一七六二―七〇在位。元文五年(一七四〇)八月三日桜町天皇の第二皇女として誕生。母は関白二条吉忠の女、皇太后舎子(青綺門院)である。諱は智子(としこ、初訓は「さとこ」)、幼称は初め以茶(いさ)宮、のちに緋(あけ)宮という。寛延三年(一七五〇)三月親王宣下。宝暦十二年(一七六二)七月桃園天皇の崩御に際し、儲君英仁親王(後桃園天皇)が幼少なため、その成長まで皇位を継ぐことになり、同月二十七日践祚、翌十三年十一月二十七日即位式を挙げた。ついで明和五年(一七六八)二月英仁親王を皇太子に立て、同七年十一月二十四日譲位し、文化十年(一八一三)閏十一月二日七十四歳をもって崩御。後桜町院と追号し、京都泉涌寺山内の月輪陵に葬った。天皇は資性円満明哲、漢学を好み、歌道にも長じた。また幼少の後桃園・光格二天皇が相ついで践祚したため、院中にあって輔導の任にあたり、常に懇篤な教訓を垂れた。宝暦六年より安永九年(一七八〇)に至る宸筆の日記四十一冊が京都御所東山御文庫に伝存する。→月輪陵(つきのわのみささぎ)
[参考文献]
帝国学士院編『宸翰英華』二
(武部 敏夫)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後桜町天皇
ごさくらまちてんのう
[1740―1813]

第117代天皇(在位1762~70)。日本最後の女帝。名は智子(としこ)。幼称は以茶宮(いさのみや)、のち緋宮(あけのみや)。桜町天皇の第2皇女。母は皇太后舎子(いえこ)(青綺門院(せいきもんいん))。元文(げんぶん)5年8月3日降誕。1762年(宝暦12)桃園(ももぞの)天皇没後、皇嗣(こうし)幼少のため7月27日践祚(せんそ)、翌年11月27日即位。70年(明和7)11月後桃園(ごももぞの)天皇に譲位。文化10年閏(うるう)11月2日崩御。京都・泉涌寺(せんにゅうじ)月輪(つきのわ)陵に葬る。日記41冊、『禁中年中の事』の著書がある。
[高木昭作]



日本人名大辞典
後桜町天皇
ごさくらまちてんのう
1740−1813
江戸時代中期,第117代天皇。在位1762-71*。
元文5年8月3日生まれ。桜町天皇の第2皇女。母は藤原舎子(いえこ)(青綺門院)。桃園天皇の異母姉。桃園天皇の死後,皇嗣英仁(ひでひと)親王(のちの後桃園天皇)が幼少だったため皇位をついだ。最後の女帝。在位中,幕府による尊王家弾圧の明和事件がおきた。譲位後は後桃園・光格の2天皇を訓育。和歌や漢学をこのんだ。文化10年閏(うるう)11月2日死去。74歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は以茶(いさの)宮,緋(あけの)宮。諱(いみな)は智子(としこ)。著作に「禁中年中の事」「後桜町院宸記(しんき)」など。
【格言など】やはらぐる春たつ今日に吹く風は民の草葉にまづおよぶらし(内裏和歌御会)
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検索コンテンツ
1. 後桜町天皇
日本大百科全書
第117代天皇(在位1762~70)。日本最後の女帝。名は智子(としこ)。幼称は以茶宮(いさのみや)、のち緋宮(あけのみや)。桜町天皇の第2皇女。母は皇太后舎子 ...
2. 後桜町天皇
世界大百科事典
1740-1813(元文5-文化10) 第117代に数えられる天皇。在位1762-70年。桜町天皇の第2皇女。名は智子(としこ)。1762年(宝暦12)桃園天皇 ...
3. ごさくらまち‐てんのう【後桜町天皇】
デジタル大辞泉
[1740〜1813]第117代天皇。女帝。在位1762〜1770。桜町天皇の第2皇女。名は智子(としこ)。和歌を好み、御製千数百首があり、他に日記41冊、「禁 ...
4. ごさくらまち‐てんのう[:テンワウ]【後桜町天皇】
日本国語大辞典
第一一七代天皇。桜町天皇の第二皇女。母は青綺門院舎子。名は智子(としこ)。幼称以茶宮(いさのみや)、のち緋宮(あけのみや)。宝暦一二年(一七六二)践祚(せんそ) ...
5. ごさくらまちてんのう【後桜町天皇】
国史大辞典
一七四〇―一八一三 一七六二―七〇在位。元文五年(一七四〇)八月三日桜町天皇の第二皇女として誕生。母は関白二条吉忠の女、皇太后舎子(青綺門院)である。諱は智子 ...
6. 後櫻町天皇(ごさくらまちてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 41ページ ...
7. ごさくらまちてんのう【後桜町天皇】
日本人名大辞典
1740−1813 江戸時代中期,第117代天皇。在位1762-71*。元文5年8月3日生まれ。桜町天皇の第2皇女。母は藤原舎子(いえこ)(青綺門院)。桃園天皇 ...
8. 後桜町天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『光格天皇より後桜町上皇への御書に就て』三上参次 ...
9. 後桜町天皇・後桜町上皇
日本史年表
1762年〈宝暦12 壬午④〉 7・27 後桜町天皇 (最後の女帝)践祚(広橋兼胤公武御用日記)。 1770年〈明和7 庚寅⑥〉 11・24 後桜町天皇 譲位( ...
10. 後櫻町天皇葬送 (見出し語:後櫻町天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 70ページ ...
11. 後櫻町天皇葬送御車幷御棺圖 (見出し語:後櫻町天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 364ページ ...
12. 葬後櫻町天皇於泉涌寺 (見出し語:後櫻町天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1008ページ ...
13. 江戸参府随行記 252ページ
東洋文庫
桜町院〔桜町天皇〕:…二七三六-四六年。 桃園院〔桃園天皇〕……一七四七-六一年。 仙洞御所〔後桜町天皇〕……一七六二-六九年。 東山院〔後桃園天皇〕…… ...
14. おざき-なおまさ【尾崎直政】
日本人名大辞典
はじめ後藤家で修業し,のち江戸にうつり独立,尾崎派をおこした。宝暦13年後藤勘兵衛家に協力して後桜町天皇即位式の帯刀に刀装をほどこした。天明2年3月20日死去。 ...
15. かきのもとじんじゃ【柿本神社】
国史大辞典
て、毎年三月十八日例祭を行い、宝祚長久歌道繁栄を祈願する勅命を受けた。その後、桜町・桃園・後桜町天皇の崇敬厚く、数々の奉納品があり、とりわけ後桜町・仁孝天皇の宸 ...
16. かきもとじんじゃ【柿本神社】島根県:益田市/高津村
日本歴史地名大系
古今伝授にあたり当社に祈祷を命ぜられた。のちに宸筆の御製を奉納された。御製は霊元上皇・桜町天皇・桃園天皇・後桜町天皇・光格天皇・仁孝天皇まで、各時代の御製五〇枚 ...
17. きょうらいもんいん【恭礼門院】
国史大辞典
天皇との間には後桃園天皇および貞行親王の二皇子あり、同十二年七月天皇崩御し、皇嗣幼少のため、後桜町天皇の即位を見たが、明和七年(一七七〇)十一月後桃園天皇が即位 ...
18. 近世和歌集 254ページ
日本古典文学全集
よろふは宜きてふに同くて、此山の形の足ととのへるをほめ給ふ也」(万葉考一)と真淵は解する。後桜町天皇の即位は宝暦十二年(一七六二)七月二十七日。よって「宝暦十三 ...
19. このえうちさき【近衛内前】
国史大辞典
宝暦七年(一七五七)三月に関白に補せられ、氏長者、牛車・兵仗・内覧等の宣旨をうけた。同十二年七月後桜町天皇践祚によって摂政となる。明和五年(一七六八)五月太政大 ...
20. ごももぞのてんのう【後桃園天皇】
国史大辞典
しかし同十二年七月父天皇崩御の際にはなお幼少であったので、皇位はしばらく伯母の智子内親王(後桜町天皇)が継承したが、やがて明和五年(一七六八)二月十九日皇太子に ...
21. ごももぞのてんのう【後桃園天皇】
日本人名大辞典
在位1771*-79。宝暦8年7月2日生まれ。桃園天皇の第1皇子。母は藤原富子(恭礼門院)。伯母の後桜町天皇の譲位をうけて13歳で即位。幕府は10代将軍徳川家治 ...
22. しん‐じょう[:ジャウ]【新嘗】
日本国語大辞典
その年に新たにとれた穀物を供えて神をまつり、天皇みずからもそれを食すること。にいなめ。*続史愚抄‐後桜町天皇・宝暦一二年〔1762〕一一月九日「此日於 ...
23. じじゅいん【慈受院】京都市:上京区/西陣学区/百々町地図
日本歴史地名大系
える。以来足利氏の息女、のちに近衛家・花山院家の息女たちが住持となり、明和元年(一七六四)後桜町天皇より薄雲御所の号をもらったという(坊目誌)。朱印寺領七四石八 ...
24. 女帝
世界大百科事典
れる。9世紀以後はながく女帝の即位はなかったが,江戸時代に明正天皇(在位1629-43),後桜町天皇(在位1762-70)の2人の女帝が現れた。明正は父の後水尾 ...
25. じょてい【女帝】
国史大辞典
わが国で正式に即位したとされる女帝は推古・皇極・斉明・持統・元明・元正・孝謙・称徳・明正・後桜町天皇の十例で、斉明は皇極の、称徳は孝謙の重祚であるから、人数は八 ...
26. 女帝(女性天皇)[皇室]
現代用語の基礎知識 2016
第46代・孝謙天皇。第48代・称徳天皇(孝謙天皇の重祚)。第109代・明正天皇。第117代・後桜町天皇。  ...
27. せいきもんいん【青綺門院】
国史大辞典
青綺門院と称された。寛政二年(一七九〇)正月二十九日没。享年七十五。所生の皇女二方(盛子内親王・後桜町天皇)があり、また宝暦事件に際しては、関白近衛内前らの請に ...
28. せいきもんいん【青綺門院】
日本人名大辞典
24日生まれ。二条吉忠(よしただ)の娘。盛子(もりこ)内親王,智子(としこ)内親王(のちの後桜町天皇)を生み,桃園天皇の養母となる。延享4年皇太后。寛延3年院号 ...
29. せんざん‐ごりょう【泉山御陵】
日本国語大辞典
皇・後西天皇・霊元天皇・中宮房子・東山天皇・中宮幸子女王・中御門天皇・桜町天皇・桃園天皇・後桜町天皇・後桃園天皇などの陵墓を含む。天皇陵は九重石塔、他は無縫塔ま ...
30. たかはしむねなお【高橋宗直】
国史大辞典
与え、典故の範例とする『宝石類書』は高く評価された。宝暦十三年(一七六三)十一月二十七日、後桜町天皇即位の日に白鳥一羽紫宸殿の棟の上に飛来した瑞祥を祝して、同年 ...
31. てらまち【寺町】兵庫県:明石市/明石城下
日本歴史地名大系
「正一位柿本大明神」の神位神号が宣下されて女房奉書を賜り、以後人々の尊崇を集めたといわれ、後桜町天皇宸翰短籍(四五葉)・仁孝天皇宸翰及一座短籍(四九葉)は国指定 ...
32. 天皇 系譜2[図版]
国史大辞典
(後亀山天皇皇太子) 明正天皇 後光明天皇 後西天皇 幸仁親王 (高松宮を継承 有栖川宮と改称) 後桜町天皇 正親町天皇 誠仁親王 (陽光院) 後陽成天皇 後水 ...
33. としこないしんのう【智子内親王】
日本人名大辞典
後桜町天皇(ごさくらまちてんのう) ...
34. なかむら-そうてつ【中村宗哲(3代)】
日本人名大辞典
元禄(げんろく)12年生まれ。歴代のうち漆桶(しつよう)宗哲の名でもっとも著名。宝暦13年後桜町天皇の即位の調度に蒔絵(まきえ)をほどこした。70歳のとき,70 ...
35. 二条家 系図[図版]
国史大辞典
昭実 康道 光平 綱平 吉忠 宗煕 宗基 重良 治孝 治孝 舎子 (青綺門院 桜町天皇女御 後桜町天皇母) 斉通 斉信 斉敬 基弘 (公爵) 斉信 (c)Yos ...
36. 日東壮遊歌 ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 253ページ
東洋文庫
山陽道八州、 南海道六州、西海道九州、よって六十六州の誤り。 (5)女王 第百十七代後桜町天皇(在位一七六二~七〇)。名は智子。 (6)平安 京都 ...
37. 日本教育史 2 142ページ
東洋文庫
貨幣の益ζ多きに由り、商業は、益≧振へり。又桜町天皇の元文四年に、吉宗、鉄銭を鋳て、銅銭と並用せしめ、後桜町天皇の明和五年に、家治、黄銅を以て寛永の四文銭を鋳、 ...
38. 日本年号一覧
日本大百科全書
1764~72(江戸時代)〔天皇〕後桜町(ごさくらまち)、後桃園(ごももぞの)〔改元理由〕後桜町天皇の即位による〔改元年月日〕宝暦(ほうれき)14年(1764) ...
39. はたこうざん【畑黄山】
国史大辞典
古医方を行なったが吉益(よします)東洞の万病一毒論には反対の立場をとった。明和四年(一七六七)後桜町天皇の侍医となり、安永五年(一七七六)はじめて後桜町上皇の脈 ...
40. はた-こうざん【畑黄山】
日本人名大辞典
江戸時代中期-後期の医師。享保(きょうほう)6年2月1日生まれ。畑柳景の養子。古医方をおこない,後桜町天皇の侍医となり,法印にすすむ。私財を投じて医学院をたて, ...
41. ひがしやまごぶんこ【東山御文庫】
国史大辞典
された。「明暦」(二種、後西天皇)、「元禄」(東山天皇)、「延享」(桜町天皇)、「明和」(後桜町天皇)、「統仁」「此華」「天淵」(孝明天皇)、「皇統文庫」(後西 ...
42. ふくぞういん【福蔵院】京都市:北区/出谷村地図
日本歴史地名大系
て山城石清水八幡宮豊蔵坊にあったが、天正年間(一五七三―九二)勧請したと伝える。境内には、後桜町天皇が禁裏の左近の桜の種子を寄進したと伝える老桜がある。〈京都・ ...
43. ほうかん【宝冠】
国史大辞典
)」とあるが、女帝の御料なので類例は僅少である。宝暦十三年(一七六三)即位の女帝、後桜町天皇の宝冠は、よく伝統を示して古様である。 (鈴木 敬三)  ...
44. ほうれき【宝暦】
デジタル大辞泉
江戸中期、桃園天皇・後桜町天皇の時の年号。1751年10月27日〜1764年6月2日。ほうりゃく。  ...
45. めいわ【明和】
デジタル大辞泉
江戸中期、後桜町天皇・後桃園天皇の時の年号。1764年6月2日〜1772年11月16日。  ...
46. ももぞのてんのう【桃園天皇】
国史大辞典
二日崩御。享年二十二。時に儲君英仁親王(後桃園天皇)が幼少のため、代わって皇姉智子内親王(後桜町天皇)の践祚を治定の上、同月二十一日発喪あり、桃園院と追号し、京 ...
47. よりひとしんのう【職仁親王】
日本人名大辞典
すがわのみや)家5代をつぎ,11年親王となる。学問をこのみ,とくに書道,和歌にすぐれ桃園・後桜町天皇の師範をつとめた。書の有栖川流は親王からはじまる。明和6年1 ...
48. れっせいぜんしゅう【列聖全集】
国史大辞典
首和歌・(桜町天皇)御著到百首・桜町院御集拾遺・桃園天皇御製・(桃園天皇)御著到百首 11後桜町天皇御製・後桃園天皇御製・光格天皇御製・光格天皇御集拾遺・(光格 ...
49. 1762年〈宝暦12 壬午④〉
日本史年表
)。 6・‐ 幕府、国役普請費用を年額7000両に制限(御触書天明集成)。 7・27 後桜町天皇 (最後の女帝)践祚(広橋兼胤公武御用日記)。 この年 徳 ...
50. 1770年〈明和7 庚寅⑥〉
日本史年表
定める(御触書天明集成・実紀)。 10・‐ 幕府、江戸の質屋株を定める(江戸町触集成)。 11・24 後桜町天皇 譲位(続史愚抄)。 【社会・文化】 閏6&nbsnbsp;...
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