1. ほくせいしょ【北斉書】
日本国語大辞典
中国の正史。五〇巻。唐の太宗の時、李百薬奉勅撰。六三六年(貞観一〇)成立。現存本は後人の補ったもの。南北朝時代の北斉の歴史で本紀八巻、列伝四二巻からなる。二十五
2. ほくせいじょ【北斉書】
国史大辞典
中国北朝の北斉の正史。李百薬ら奉勅撰。本紀八巻、列伝四十二巻、計五十巻。貞観十年(六三六)完成奏上。はじめ隋代に李徳林が紀伝体の『斉書』を編し、編年体の王劭『
3. がんしすい【顔之推】(Yán Zhītuī)
世界人名大辞典
化や風俗や学芸についての貴重な情報を伝える.また志怪小説の《還冤志》の著作がある.〖文献〗 北斉書45.北史83.〖参考〗 宇都宮清吉訳:顔氏家訓, 1990.
4. きょじゅん【許遵】(Xǔ Zūn)
世界人名大辞典
555)は彼を開府田曹記室とした.子の暉も術士だが彼には婦人産法しか伝えなかった.〖文献〗 北斉書49.北史89.
5. ぎしゅう【魏収】(Wèi Shōu)
世界人名大辞典
作るその力量は歓迎され,南北の外交の場でも存在感を示し,文化交流に役割を果たした.〖文献〗 北史56.北斉書37.〖参考〗 興膳宏:六朝詩人伝, 2000.
6. けいしょう【邢邵】(Xíng Shào)
世界人名大辞典
子才集, 30巻》が著録されるが散佚し,文29編と詩8首が今日に伝わるだけである.〖文献〗 北斉書36.北史43.
7. こうほぎょく【皇甫玉】(Huángfǔ Yù)
世界人名大辞典
試した.後,孝昭帝(高演 560/61)の時,彼の在位が2年を過ぎずと言って,告発されて斬られた.〖文献〗 北斉書49.北史89.
8. こうよう【高洋】(Gāo Yáng)
世界人名大辞典
むやみに人を殺害し,大規模な宮殿の造営や長城の修築などによっても国力を疲弊させた.〖文献〗 北斉書4.
9. こうりゅうし【高隆之】(Gāo Lóngzhī)
世界人名大辞典
新築.城南郊に南城を増築し,長堤を築いて漳水の氾濫を防ぎ,その水を引き城郭周囲に巡らせた.〖文献〗 北斉書18.北史54.
10. しょうかく【蕭愨】(Xiāo Què)
世界人名大辞典
太子洗馬を務めた.《隋書》(経籍志)に《記室参軍蕭愨集, 9巻》と著録されている.〖文献〗 北斉書45.
11. じょしさい【徐之才】(Xú Zhīcái)
世界人名大辞典
方》《療脚弱雑方》《少小百病雑方》,徐嗣伯に《落年方》《徐嗣伯薬方》の著があった.〖文献〗 北斉書33.
12. ちょうほわ【趙輔和】(Zhào Fǔhé)
世界人名大辞典
中国北斉の術士.清都(現,河南安陽)の人.若い頃から易筮に優れ,後に通直常侍に任ぜられた.《北斉書》(巻49)によると,墓所や病気を《周易》に依拠して占断したり
13. とだいけい【杜台卿】(Dù Táiqīng)
世界人名大辞典
12巻》を著し,奏上して絹200匹を賜った.致仕して[94:開皇14]ほどなく没した.〖文献〗 北斉書24.隋書58.北史55.
14. はんそん【樊遜】(Fán Xùn)
世界人名大辞典
書図〉は,その整理の模様を描いたものであるという.官は員外散騎侍郎にまでのぼった.〖文献〗 北斉書45.北史83.
15. りくほうわ【陸法和】(Lù Fǎhé)
世界人名大辞典
督等.北斉に入り[555:天保6],文宣帝(高洋)に大都督等に任じられ重用された.〖文献〗 北斉書32.北史89.太平広記82.
16. りゅうちゅう【劉昼】(Liú Zhòu)
世界人名大辞典
批判する言葉が《広弘明集》に残る.《劉子》(または《劉子新論》)の著者は劉昼との説が有力.〖文献〗 北斉書44.北史81.
17. りゅうてき【劉逖】(Liú Tì)
世界人名大辞典
や北周との外交の場で文才を発揮した.政権闘争の渦中にあった文林館に召され殺された.〖文献〗 北斉書45.北史42.
18. 堊画像
字通
す。 堊塗 あくと 白く壁を塗る。塗りこむ。〔
北斉書、神武紀上〕其の本

む
19. あ‐しゅく【阿叔】
日本国語大辞典
〔名〕(「阿」は、親しみを表わす接頭語)(1)叔父をいう。また、ひろく年長の男子を呼ぶ語。*
北斉書‐河間王孝

伝「誣対曰、孝
20. 顔之推 【がん・しすい/イエン・ヂートゥイ】
世界文学大事典
たことをいう。『漢書注』の著者の顔師古は孫,また書芸術で名高い顔真卿は五世の孫である。伝は『北斉書』巻45,『北史』巻83。
21. うん‐はつ【


】
日本国語大辞典
生活

」*
北斉書‐文苑伝・祖鴻勲伝「首戴

萌蒲
22. えい‐と【英図】
日本国語大辞典
〔名〕すぐれた計略や意図。英謀。英略。*
北斉書‐文宣帝紀「英図猛

、抑

揚千品
23. 奕画像
字通
ばくち。〔字鏡集〕奕 オホキナリ・カサヌ・ユク・ウレフ 奕奕 えきえき すぐれて立派なさま。〔
北斉書、武成十二王、琅邪王儼伝〕琅

王、眼光奕奕として
24. えき‐えき【奕奕】
日本国語大辞典
披けば中なるは玉手筥とは問はでも著く、霞光万道奕奕(エキエキ)と閃めき出でて屋の内は明るくなりし」*
北斉書‐瑯

王儼伝「眼光奕奕 数歩射
25. 園画像
字通
す。孝宗題して風雲慶會の閣と曰ふ。 園庭 えん(ゑん)てい 庭園。〔
北斉書、李元忠伝〕大

常に
26. 演画像
字通
を發す。 演説 えんぜつ 講説する。〔
北斉書、儒林、権会伝〕貴游の子弟の其の

義
27. 欧(歐)画像
字通
謳歌する。 欧逆 おうぎやく もどす。 欧撃 おうげき うつ。 欧血 おうけつ 血を吐く。吐血。〔
北斉書、楊

伝〕悲感慟哭し、血を歐くこと數升
28. 己(おの)れの長(ちょう)に伐(ほこ)らず
故事俗信ことわざ大辞典
自分の得意とすることについて人に自慢しない。 北斉書‐陸卬伝「不レ説二人短一、不レ伐二
29. 温(

)
画像字通
温酒 おんしゆ 暖め酒。 温濡 おんじゆ 温柔。 温習 おんしゆう(をんしふ) 復習する。〔北斉書、張耀伝〕左氏の書、備さに言事を敍す。~故に己を
30. かい‐こう[‥カウ]【開講】
日本国語大辞典
1949〕〈池田潔〉その生活・一「この学校の数学教師の、年々歳々、型の如き開講の辞である」*
北斉書‐崔暹伝「令

達拏 昇
31. 家学
世界大百科事典
ずかれた家学の成果をとりこみ,また《梁書》《陳書》は姚察(ようさつ)・姚子廉父子によって,《北斉書》は李徳林・李百薬父子によって,《南史》《北史》は李大師・李延
32. 鏡の国の孫悟空 西遊補 245ページ
東洋文庫
乾は最善、坤は次善、屯は困難、蒙は愚鈍を示す。六十四卦一覧表参照。 第五回 (1)紫柏 未詳。『北斉書』孫詢祖伝に「(詢祖)長城を築く賦を作りて曰く、板は則ち紫
33. かてい【嘉禎】
日本国語大辞典
。嘉禎四年一一月二三日、暦仁(りゃくにん)と改元。将軍藤原頼経、執権北条泰時の時代。出典は「
北斉書」の「蘊

千祀
34. かてい【嘉禎】
国史大辞典
三五―三八)。文暦二年九月十九日改元。天変地異による。前権中納言藤原頼資の勘申。その勘文に「
北斉書曰、蘊

千祀
35. かわら と なって全(まった)からんより玉(たま)となって砕(くだ)けよ
日本国語大辞典
(「
北斉書‐元景安伝」の「大丈夫寧可

玉砕

、不
36. 瓦(かわら)となって全(まった)からんより玉(たま)となって砕(くだ)けよ
故事俗信ことわざ大辞典
平々凡々として価値のない存在でありつづけるよりは全能力を出しつくして、いさぎよく死んだ方がいい。「北斉書‐元景安伝」の「大丈夫寧可二玉砕一、不レ
37. 寒(

)
画像字通
冬の

。 寒餒 かんだい うえこごえる。〔
北斉書、文苑、祖鴻勲伝〕位高陽太守に至る。官に在りて

素
38. 幹[

]
画像字通
得ず。~宣王之れを奇とし、之れを辟して掾と爲す。 幹済 かんさい しごとをとりはこぶ才能。〔
北斉書、唐

伝〕書計を善くす。強記默
39. 漢(

)
画像字通
暉を出だす 漢子 かんし 男。〔
北斉書、魏

伝〕
40. 館(

)
画像字通
甚だしと。奏して之れを罷めしむ。 館客 かん(くわん)かく 客を待遇する。また門客、食客。〔
北斉書、儒林、権会伝〕僕射崔暹引いて

客と爲し
41.
画像字通
賞 かんしよう(しやう) 心ゆくまで楽しむ。〔
北斉書、

邵伝〕邵、(袁)
42. 瓦画像
字通
がせん 瓦衣。 瓦全 が(ぐわ)ぜん 無価値に生きる。玉砕に対する語。〔
北斉書、元景安伝〕大

夫
43. 衙画像
字通
五衞と號す。 衙府 がふ 官署。 衙兵 がへい 禁衛兵。 衙門 がもん 兵営・官署の古称。〔
北斉書、循吏、宋世良伝〕世良、才

閑
44. 該(

)
画像字通
驗を加ふ。 該洽 がいこう(かふ) 学術にひろく通じる。〔
北斉書、文苑、顔之推伝〕

談は其の好む
45. 学(學)[

]
画像字通
がくどう 学童。 学堂 がくどう(だう) 学校。〔
北斉書、権会伝〕會、方に學堂に處りて

46. が‐ぜん[グヮ‥]【瓦全】
日本国語大辞典
恥づ」*憲法講話〔1967〕〈宮沢俊義〉一〇「大多数は『玉砕』よりも『瓦全』を選んで、無事に帰ってきた」*
北斉書‐元景安伝「大丈夫寧可

玉砕
47. がんしかくん【顔氏家訓】
国史大辞典
れ、その内容を窺うことができる。江戸時代には『顔氏家訓』の和刻本が開板された。之推の伝は、『北斉書』顔之推伝、『北史』顔之推伝にみえる。 [参考文献]狩谷
48. 顔氏家訓 1 4ページ
東洋文庫
祖挺らが編集した。徐之才は南朝出身の 人だが、博学多才の人で無類のユーモリストだった。『北斉書』に本伝がある。本書でも医術に秀 でた人として、一〇四段の
49. 顔氏家訓 1 7ページ
東洋文庫
彼の生年は梁の中 大通三年(五三一)であり、このことは他の方法によってもほぼ確かめ得る。 三 『北斉書』文苑伝内顔之推伝の記事の主旨に従って訳補する。 四 習
50. 顔氏家訓 1 16ページ
東洋文庫
しかし、後にはやはり、この事件に連坐し、遂に幽閉されて亡くなられた次第である。 一瑛邪王殿下 『北斉書』武成十二王伝の瑛邪王伝。武成帝の第三子、名は撮。母は胡后