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元明天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『元明天皇』の国史大辞典のサンプルページ

元明天皇
げんめいてんのう
六六一 - 七二一
七〇七―一五在位。天智天皇の第四皇女。諱は阿陪(阿閉)。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘姪娘。斉明天皇七年(六六一)生まれる。草壁皇子の妃となり、文武・元正両天皇と吉備内親王を生む。慶雲四年(七〇七)六月文武天皇崩御し、七月十七日遺詔によって即位。これは不改常典(かわるまじきつねののり)による嫡子相承実現のための中継ぎと解される。和風諡号は日本根子天津御代豊国成姫天皇。翌五年正月武蔵国献上の和銅によって和銅と改元、また和同開珎を鋳造、施行した。和銅二年(七〇九)蝦夷征討の軍を興し、翌三年三月には都を平城京に遷した。同五年正月太安麻呂に命じて『古事記』を撰上させ、翌六年五月に風土記撰進の命を発した。同七年六月文武天皇の嫡子首皇子(聖武天皇)を皇太子に立てたが、翌霊亀元年(七一五)九月二日皇太子がまだ幼少のため氷高内親王(元正天皇)に譲位した。養老五年(七二一)十二月七日崩御。六十一歳。大倭国添上郡椎山陵(奈保山東陵)に葬る。遺詔により喪儀を行わなかった。
[参考文献]
上田正昭『日本の女帝』(『講談社現代新書』三三七)、喜田貞吉「中天皇考」(『喜田貞吉著作集』三所収)、井上光貞「古代の女帝」(『日本古代国家の研究』所収)、岸俊男「元明太上天皇の崩御」(『日本古代政治史研究』所収)
(林 陸朗)

奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)

奈良市奈良阪町にあり、字を養老ヶ峯という。市北郊の丘陵を陵所とする。『続日本紀』によると、天皇は崩御に先立って薄葬の詔を下し、葬所については、大和国添上郡蔵宝山雍良岑(さほやまよらのみね)に火葬し、他に改めることなく棘を刈り場を開いて喪所とし、その地には常葉の樹を植え、「刻字之碑」を立てるべきことを遺命。養老五年(七二一)十二月十三日、遺詔に従い、喪儀を用いず椎(奈良)山陵に葬った。同書には直(奈保)山陵の称もみえるが、いずれも遺詔にいう蔵宝山雍良岑の地を指すものであろう。雍良岑は現字名の養老ヶ峯と相通ずる。『延喜式』諸陵寮の制は、「兆域東西三町、南北五町、守戸五烟」とし、遠陵に班している。のち陵所は所伝を失い、近世には宇和奈辺古墳が陵所に擬せられていたが、幕末の修陵の際に現所に治定された。遺詔にいう「刻字之碑」は、何時のころからか陵下の土中に埋没していたが、奈良坂の春日社の境内に移され、その形状より函石と称し、碑文は磨滅して陵碑であることは忘れられていた。藤貞幹は明和六年(一七六九)にこれを実検して元明天皇陵碑であると断じ、『東大寺要録』に載せられた碑文を参酌して、碑銘を「大倭国添上郡平城之宮馭宇八洲太上天皇之陵是其所也養老五年歳次辛酉冬十二月癸酉朔十三日乙酉葬」と考定した(『奈保山御陵碑考証』)。碑石は幕末修陵の際に陵上に移され、明治三十二年(一八九九)さらに模造の碑を作ってその傍らに立てた。
[参考文献]
谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)、上野竹次郎『山陵』上、福山敏男「元明天皇陵碑」(『史迹と美術』四一ノ七)
(戸原 純一)
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元明天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 418
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検索コンテンツ
1. 阿閇皇女・元明天皇
日本史年表
707年〈慶雲4 丁未〉 7・17 阿閇皇女(元明天皇 )、藤原宮大極殿に即位(続紀)。 715年〈霊亀元(9・2) 乙卯〉 9・2 天皇 譲位. 氷高内親王 ...
2. 元明天皇[文献目録]
日本人物文献目録
『誤られたる万葉歌人 先太上天皇考』田中卓『元明天皇御製歌の成立事情について』福島行一『元明天皇と古事記の誕生』阿部寛子『万葉集女流の短歌 32 元明天皇』落合 ...
3. 元明天皇
日本大百科全書
第43代天皇(在位707~715)。天智(てんじ)天皇第4皇女、母は右大臣蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)の女(むすめ)姪娘(めいのいらつめ) ...
4. 元明天皇
世界大百科事典
661-721(斉明7-養老5) 第43代に数えられる奈良前期の女帝。在位707-715年。天智天皇の第4皇女,母は蘇我倉山田石川麻呂の女姪娘(めいのいらつめ) ...
5. げんめい‐てんのう【元明天皇】
デジタル大辞泉
[661〜721]第43代天皇。在位707〜715。天智天皇の第4皇女。名は阿閇(あべ)。草壁皇子の妃。文武・元正両天皇の母。文武天皇の夭折(ようせつ)後に即位 ...
6. げんめい‐てんのう[:テンワウ]【元明天皇】
日本国語大辞典
第四三代の天皇。天智天皇の第四皇女。草壁皇子の妃。文武・元正天皇の母。名は阿閇(あべ)。日本根子天津御代豊国成姫天皇(やまとねこあまつみしろとよくになりひめのす ...
7. げんめいてんのう【元明天皇】
国史大辞典
、碑文は磨滅して陵碑であることは忘れられていた。藤貞幹は明和六年(一七六九)にこれを実検して元明天皇陵碑であると断じ、『東大寺要録』に載せられた碑文を参酌して、 ...
8. 元明天皇(げんめいてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 13ページ ...
9. げんめいてんのう【元明天皇】
日本人名大辞典
661−721 飛鳥(あすか)-奈良時代,第43代天皇。在位707-715。斉明天皇7年生まれ。天智(てんじ)天皇の第4皇女。母は宗我嬪(そがのひめ)(蘇我姪娘 ...
10. げんみょう‐てんのう[ゲンミャウテンワウ]【元明天皇】
日本国語大辞典
〓げんめいてんのう(元明天皇) ...
11. げんみょうてんのう【元明天皇】
日本人名大辞典
⇒げんめいてんのう ...
12. 元明天皇即位 (見出し語:元明天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 300ページ ...
13. 元明天皇山陵 (見出し語:元明天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 985ページ ...
14. 元明天皇薄葬 (見出し語:元明天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 242ページ ...
15. 元明天皇山陵碑文 (見出し語:碑文)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 986ページ ...
16. あいだぐん【英田郡】
国史大辞典
東は播磨国(兵庫県)宍粟・佐用の二郡、南は備前国(岡山県)和気郡に接するものであった。古くは英多郡と書く。元明天皇和銅六年(七一三)に備前国の北部六郡を割いて美 ...
17. 県犬養氏
世界大百科事典
宿禰(すくね)姓を改賜された。一族の三千代(橘三千代)は天武朝から元正朝までの5朝に歴任し,元明天皇から橘氏を賜った。彼女は夫藤原不比等を助けるかたわら,同族の ...
18. あがたのいぬかいのみちよ【県犬養三千代】
国史大辞典
藤原不比等と結婚、大宝元年(七〇一)には安宿媛(のちの光明皇后)を生んだ。和銅元年(七〇八)元明天皇即位の大嘗会の宴に、天武朝以後の宮廷に歴仕した忠誠を嘉して、 ...
19. あすか【飛鳥・明日香】
日本国語大辞典
八「飛鳥(とぶとり)の明日香(あすか)の里を置きて去(い)なば君があたりは見えずかもあらむ〈元明天皇〉」*ささめごと〔1463〜64頃〕上「などいたづらにつとめ ...
20. あすか【飛鳥】
国史大辞典
顕宗天皇が近飛鳥八釣宮をおいたといい、そののち五九二年の推古天皇の飛鳥豊浦宮から和銅三年(七一〇)の元明天皇による平城遷都まで百十余年間は、孝徳・天智・弘文の三 ...
21. 飛鳥時代
日本大百科全書
まさに律令国家の完成を象徴するものであった。まもなく持統、文武は相次いで世を去り、その後を受けた文武の母元明天皇(げんめいてんのう)(在位707~715)が71 ...
22. あすか‐じだい【飛鳥時代】
日本国語大辞典
奈良盆地の南部、飛鳥の地に都があった時代。推古天皇即位の年(五九二)から元明天皇の平城京遷都の和銅三年(七一〇)まで、あるいは持統天皇の藤原京遷都(六九四)まで ...
23. あすかじだい【飛鳥時代】
国史大辞典
飛鳥時代の範囲には諸説がある。(一)推古天皇が飛鳥豊浦宮に即位した崇峻天皇五年(五九二)から元明天皇が平城京に遷都した和銅三年(七一〇)までの一世紀余り。この間 ...
24. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
)渤海建国701(大宝1)大宝律令施行。遣唐使任命(翌年出発)707(慶雲4)阿閇皇女即位(元明天皇)708(和銅1)和銅開珎をつくる710(和銅3)平城京遷都 ...
25. あすか‐の‐みやこ【飛鳥京】
日本国語大辞典
河内に比定する説もある。その後、推古朝(五九三〜六二九)から孝徳、天智、弘文三天皇の時代を除いて、元明天皇の平城遷都(七一〇)まで置かれた。 ...
26. あなぎりだいじんじゃ【穴切大神社】山梨県:甲府市/甲府城下/穴切
日本歴史地名大系
旧郷社。「延喜式」神名帳記載の山梨郡「黒戸奈神社」を当社に比定する説がある(甲斐国志)。創建は元明天皇の代ともいう。創建と社名の由緒については、かつてこの地一帯 ...
27. あべのおうじょ【阿閉皇女】
日本人名大辞典
元明天皇(げんめいてんのう) ...
28. あらき‐の‐みや【荒城宮・殯宮】
日本国語大辞典
死者の住んでいた所や墓地と定められた所の近くなどに設けた。古くは喪屋(もや)を作ってあてたが、元明天皇以後は別に喪屋を作らないで、正室または寺院などを用いた。あ ...
29. いくらきたはちまんぐう【伊倉北八幡宮】熊本県:玉名市/伊倉北方村
日本歴史地名大系
八幡宮」とみえ、「北者宇佐八幡阿蘇十二社也」とある。創建は「国誌」によると和銅二年(七〇九)元明天皇の勅願により宇佐八幡宮(現大分県宇佐市)から勧請されたとも、 ...
30. いくらみなみはちまんぐう【伊倉南八幡宮】熊本県:玉名市/宮原村
日本歴史地名大系
書)に「南八幡宮 大明神宮」とみえる。創建の時期については「国誌」によると和銅二年(七〇九)元明天皇の勅願により建立されたとも、天平宝字六年(七六二)廃帝が宇佐 ...
31. いじむら【印地村】京都府:亀岡市
日本歴史地名大系
)、明和九年(一七七二)等に修造、屋葺などが行われている。梅田神社由来記(当社蔵)によれば「元明天皇御宇(中略)当地ハ肥土ニシテ五穀豊熟セシカバ当地守護神トシテ ...
32. いずもだいじんぐう【出雲大神宮】京都府:亀岡市/出雲村
日本歴史地名大系
の関東御教書(当社蔵)によれば、当社領は西園寺公経が領家として知行していた。丹波国出雲社者、元明天皇御宇和銅二年被立社檀以来、神領所〓御影山者 ...
33. いずものくにふどき【出雲国風土記】
国史大辞典
和銅六年(七一三)五月二日、元明天皇によって風土記撰進の詔が出され、諸国から奏進された解文の一つとされる。巻首の総記から巻末の署名まで完全に存する唯一の風土記 ...
34. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
祀る最高位の神とする神祇制度が整備されていった。〔制度の整備〕和銅元年(七〇八)平城遷都を決した元明天皇は、まず幣帛を神宮に奉じて、平城宮の造営のことを告げた( ...
35. いそのかみ‐の‐まろ【石上麻呂】
デジタル大辞泉
[640〜717]古代、天武〜元明天皇のころの廷臣。左大臣。石上氏の祖。旧氏姓は物部連(もののべのむらじ)。万葉集に歌1首が残る。  ...
36. 逸文(風土記) 444ページ
日本古典文学全集
「岡田国神社」のクニの地。『続紀』に「山背国相楽郡の岡田離宮に行幸したまふ。…賀茂・久仁の二里の戸ごとに…」(元明天皇、和銅元年九月庚辰日条)とあり、「山背国相 ...
37. 逸文(風土記) 467ページ
日本古典文学全集
『出雲国風土記』に頻出。井上通泰は、ここまでの前半部を『出雲国風土記』に倣った偽作とみる(上代歴史地理新考)。元明天皇の風土記撰進の命に「…山川原野の名号の所由 ...
38. 逸文(風土記) 493ページ
日本古典文学全集
国守記事も当逸文のみ。上申の公文書。文書様式の規定が『養老律令』(公式令)に載っている(解式条)。元明天皇の和銅六年(七一三)四月に「備前国の六郡を割きて始めて ...
39. うさじんぐう【宇佐神宮】
国史大辞典
『扶桑略記』などによると、欽明天皇三十二年、大神比義が誉田天皇広幡八幡麻呂の神託をうけ奉斎し、元明天皇和銅五年(七一二)鷹居社を造り、その後小山田に移り、神亀二 ...
40. うさじんぐう【宇佐神宮】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区/宇佐村
日本歴史地名大系
臨時の祈請・その他のおおよそ四種に分けることができる。「宇佐神宮参向勅使銘抄」によると、八世紀の元明天皇から一九世紀の孝明天皇までの一千一〇〇余年の間に二百数十 ...
41. うわなべこふん【ウワナベ古墳】奈良県:奈良市/佐保・佐紀地区/法華寺村
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古墳のすぐ東側を関西本線が走り、北西には航空自衛隊敷地が、西側にはコナベ古墳が並列している。かつて元明天皇陵に擬されたこともあったが、明治一八年(一八八五)陵墓 ...
42. おうみおおつのみやあと【近江大津宮跡】滋賀県:大津市/中部地域/錦織村
日本歴史地名大系
「日本書紀」持統天皇六年(六九二)閏五月一五日条の「御近江大津宮天皇」、「続日本紀」慶雲四年(七〇七)一月条の元明天皇即位の宣命に「近江大津宮御宇大倭根子天皇」 ...
43. おおうじ【多氏】
国史大辞典
ち)の名がみえる。また同じく天武天皇十三年十一月条にこの氏が朝臣の姓を賜わったことがみえる。元明天皇の詔によって、和銅五年(七一二)正月二十八日、『古事記』を撰 ...
44. 大鏡 61ページ
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八省・百官・左右大臣・内大臣なりはじめたまへらむ。左大臣には阿倍倉橋麿、右大臣には蘇我山田石川麿、これは、元明天皇の御祖父なり。石川麿大臣、孝徳天皇位につきたま ...
45. 大鏡 338ページ
日本古典文学全集
維摩会ははべるなり。一、鎌足の大臣の二郎、左大臣正一位不比等、大臣の位にて十三年。贈太政大臣にならせたまへり。元明天皇・元正天皇の御時二代。一、不比等大臣の二郎 ...
46. 大伴安麻呂
世界大百科事典
708年(和銅1)元明天皇から藤原不比等らとともに子々孫々供奉し各自努むべき勅を賜う。710年都は平城京に移って安麻呂は佐保川畔に邸を営み,714年5月死去。時 ...
47. おお‐の‐やすまろ[おほ:]【太安万侶・太安麻呂】
日本国語大辞典
奈良前期の学者。民部卿。和銅四年(七一一)元明天皇の命により、稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦習(文字資料の読み方に習熟すること)した帝紀や本辞を再編して、「古事記 ...
48. 太安麻呂
世界大百科事典
1)従四位下に叙せられ,翌年氏長となった。没したときには民部卿であった。この間711年9月,元明天皇の詔に従って《古事記》の撰録に着手,翌年1月に献上した。彼の ...
49. おおのやすまろ【太安麻呂】
国史大辞典
う伝えもある。慶雲元年(七〇四)従五位下に叙され、和銅四年(七一一)正五位上となり、同年九月元明天皇の詔によって『古事記』を撰録し、翌年正月に献上した。霊亀元年 ...
50. おおの-やすまろ【太安麻呂】
日本人名大辞典
−723 飛鳥(あすか)-奈良時代の官吏。多品治(おおの-ほむち)の子とつたえられる。和銅4年元明天皇の詔により稗田阿礼(ひえだの-あれ)の口誦(こうしょう)す ...
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