1. ラファエロ(Raffaello Santi(Sanzio))
世界大百科事典
ルネサンス期の最高の傑作に数えられる。この〈署名の間〉は,四周の壁や天井の装飾にいたるまでラファエロの構想になり,制作もほとんど彼自身の手になると考えられるが,
2. ラファエロ
日本国語大辞典
(Raffaello Santi《Sanzio》─サンティ(サンツィオ))《ラファエル》イタリアの画家、建築家。ルネサンスの巨匠の一人。父ジョバンニ=サンティや
4. アスモデ
世界大百科事典
サラに取り付き新婚の夜ごとに,彼女の7人の夫を殺すこと7度に及んだ。トビトの子トビアは天使ラファエロの助けでサラからアスモデを退散させる。トビアの旅の道連れとな
5. アッチラとフン族 2ページ
文庫クセジュ
敗作でも、ドイツ人ヴェルナーのロマンチック悲劇(一八〇八)は評判だったという。ヴァチカンのラファエロの壁画、パンテオンのピュヴィス=ド=シャヴァンヌの壁画も思い
6. アッチラとフン族 114ページ
文庫クセジュ
四五〇年コンスル〕、いま一人はローマ教皇レオ〔大教皇レオ一世(在位四三〇 ― 四六一)。ヴァチカンにあるラファエロの壁画「アッチラを制する聖レオ」は有名〕であっ
7. アラベスク画像
世界大百科事典
の絵画,彫刻,工芸,庭園のデザインへと展開した。特にラファエロによるバチカンのロッジアのグロテスク装飾は,のちにラファエリスク(ラファエロ風)とも呼ばれた。一般
8. アレクサンデル[6世](Alexander Ⅵ)
世界大百科事典
1500年の聖年,対ムーア人十字軍(1499-1500),サンタンジェロ城再建がある。またラファエロ,ミケランジェロらの庇護者としても知られる。今野 國雄 Al
9. アングル(Jean Auguste Dominique Ingres)
世界大百科事典
勉強し,21歳の若さでローマ大賞を獲得(1801)。政情不安の折から,ローマには遅れて1806年に赴き,ラファエロやシスティーナ礼拝堂,ローマ時代の遺跡などに心
10. アングル
日本国語大辞典
Dominique Ingres ジャン=オーギュスト=ドミニク─)フランスの古典派を代表する画家。ラファエロの影響を受け、歴史画、肖像画、裸体画などを典雅な形
11. アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto)
世界大百科事典
,フランチャビジョFranciabigioに学ぶ。レオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロ,ラファエロの美点を総合し,バザーリによって〈欠点なき画家〉と呼ばれた技
12. 医学
世界大百科事典
進めようとする芸術家たちも,人体解剖に関心をもった。ミケランジェロ,レオナルド・ダ・ビンチ,ラファエロらがそうである。このような芸術家たちよりややおくれて,ベル
13. イギリス美術
世界大百科事典
クス・ブラウン,バーン・ジョーンズら)である。彼らは当時のこうした絵画の状況にあきたりず,ラファエロ以前のプリミティブな絵画を志向し,様式的には同時代のフランス
14. イタリア美術
世界大百科事典
成就した。しかし,16世紀に入るとこの均衡は再び崩れ,芸術は,より新しい主観主義へと傾く。ラファエロは,教皇ユリウス2世の古代ローマ再建の壮大な意志を表現する大
15. 色画像
世界大百科事典
例えば,ラファエロの数多くの聖母子像において,聖母マリアはほとんどつねに赤い上衣に青いマントをはおっているが,これは,赤は天の愛情を表し,青は天の真実を表すとい
16. 新版 印象派 23ページ
文庫クセジュ
男たちは現代の衣服を身につけ、女たちは全裸もしくは半裸である。これらの人物たちの配置もまた、ラファエロの《パリスの審判》に基づくマルカントーニオ・ライモンディの
17. 新版 印象派 73ページ
文庫クセジュ
ルノワールは、敬愛するドラクロワに倣って、アルジェリアに旅立ち、その帰途、イタリアに立ち寄り、ラファエロのフレスコ画にすっかり心を奪われる(「その単純さと偉大さ
18. 新版 印象派 132ページ
文庫クセジュ
J・B 25, 27 ラ行 ライモンディ, M 29 ラヴァル, Ch 113, 122 ラファエロ 29, 88 ラモート 21 ランソン, P 115, 1
19. インターポール 100ページ
文庫クセジュ
日にかけて、ブダペスト美術館で総額三五〇〇万ドル以上の価値がある七枚の絵画が盗難にあった。ラファエロが二枚(《エステルハージーのマドンナ》および《ある若者の肖像
20. ウィーン美術史美術館
世界大百科事典
る〈ブリューゲルの間〉はもっとも有名。絵画部門はほかに,ヤン・ファン・アイク,デューラー,ラファエロ,ルーベンス,フェルメールなど,1000点以上に及び,ルネサ
21. 歌麿 114ページ
東洋文庫
だけに、その膨大な作画の中で自由奔放な作品、つまりジュリオ・ロマーノ[一四九九-一五四六。ラファエロの愛弟子であったイタリアの画家。ポルノグラフィックな素描集が
22. ウルビノ
世界大百科事典
まいを残す家並み,威容を誇る宮殿パラッツォ・ドゥカーレ(マルケ国立美術館が置かれる),画家ラファエロの生家などがあり,ウルビノ大学は1506年に創立された長い伝
23. ウンブリア派
世界大百科事典
続くピントゥリッキョは華やかな色彩による物語描写を,シニョレリは人体の動態表現を発展させた。ラファエロはこのウンブリア派のもとで初期の芸術形成を行った。生田 圓
24. オウィディウス(Publius Ovidius Naso)
世界大百科事典
,グリルパルツァーなどの詩人によって応用されただけでなく,ミケランジェロ,ティツィアーノ,ラファエロ,コレッジョ,ルーベンス,ベルニーニ,レンブラントなど無数の
25. オウィディウス・ナソ プブリウス
世界文学大事典
ったところがたちまち想起されるだろう。また画家や彫刻家ではミケランジェロ,ティツィアーノ,ラファエロ,コレッジョ,ルーベンス,ベルニーニ,レンブラントらが即座に
26. 改訳 音楽の歴史 44ページ
文庫クセジュ
仕上げの完璧さなどといった点で、以後二度とみられないほどの芸術を創造していた。 ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロと同時代の人びとは、芸術家であれ、詩人
27. オーバーベック(Johann Friedrich Overbeck)
世界大百科事典
と呼ばれる芸術共同体の中心的存在として〈絵において祈る〉ことを課題に制作した。ペルジーノ,ラファエロに負う画風は端整で抒情的だが晩年に硬化。ローマのバルトルディ
28. 絵画の技法 82ページ
文庫クセジュ
それがデトランプを使った十五世紀に、あのようにも称賛されたものである。ペルジーノ、ベリーニ、ラファエロは盛んにこれを使い、白蠟も少量添加されたであろう。このテン
29. カトリシスムとは何か 96ページ
文庫クセジュ
IV カトリック伝道の新しい展望 ラファエロの没年であり、ルターの破門の年である一五二〇年は、マゼランが自分の名で呼ばれることになる海峡を渡り、エルナン・コル
30. カトリシスムとは何か 101ページ
文庫クセジュ
配慮の行届いた牧者であり辣腕の政治家で、長い在職期間を有効に用いて、ユリウス二世とレオン十世のローマ、ラファエロとミケランジェロのローマを大きなルネサンスの流れ
31. カラッチ一族
世界大百科事典
時の美術の改革をめざした。95年にファルネーゼ宮殿装飾のためローマに招かれたアンニバレは,ラファエロ,ミケランジェロや古代彫刻に学んで理想的形体美と明快で厳しい
32. カール五世 46ページ
文庫クセジュ
ォアから奪いとり、またローマ教皇ユリウス二世〔在位一五〇三 ― 一五一三。ミケランジェロ、ラファエロ等の芸術家のパトロンとして有名〕は彼らに対し破門状を発して、
33. 画商
世界大百科事典
ダ,ストッピらの画商が出現する。聖ルカ組合(画家組合)が毎週金曜日に開く野外展兼市場では,ラファエロをはじめ当時の巨匠たちの作品が,古代美術と同等の値段を呼んだ
34. ガラテイア
世界大百科事典
たという。この話はオウィディウス《転身物語》をはじめ好んで文学化されたほか,後世においてもラファエロ,プッサン,さらにはG.モロー,ルドンなどによって図像化され
35. 客船
世界大百科事典
。レオナルド・ダ・ビンチ号(1960)は3万3000総トン,ミケランジェロ号(1965),ラファエロ号(1965)などは4万5000総トン,26ノットクラスの船
36. 偽作
世界大百科事典
付し地中に埋め,それを再発見したのちサン・ジョルジョ枢機卿に売却している。また,教皇クレメンス7世所蔵のラファエロ作の《レオ10世像》をフェデリコ・ゴンザーガが
37. ギリシア美術画像
世界大百科事典
》や《アポロン像》,1506年ローマで発見された《ラオコオン》群像などが,ミケランジェロ,ラファエロらの美術家の創作やレッシング,ゲーテらの芸術理論に大きな影響
38. ギーシ(Giorgio Ghisi)
世界大百科事典
1520か21-82 イタリアのライモンディ派の銅版画家。G.ロマーノの弟子で,彼およびミケランジェロ,ラファエロらマニエリストの作品を版画化した。1551年に
39. クレサン(Charles Cressent)
世界大百科事典
室やバイエルン選帝侯など諸王侯からの注文が殺到し,彼の工房は60年代まで活気を呈した。彼はラファエロ,ティツィアーノ,ルーベンス,ホルバインの絵画や美術品の収集
40. 芸術哲学入門 62ページ
文庫クセジュ
七〇九頁)。だが、ラファエロのごときひとりの芸術家自身が、知恵の究極の段階、つまりニヒリズムにみずから立ち至ったのではない。ラファエロも屈した美しきフォルナリー
41. 芸術哲学入門 108ページ
文庫クセジュ
可能にしたのである。ホメロスは「素朴な」芸術家である、だがそれは、忘我の幻覚にとりつかれて《変容》を描いたラファエロが素朴であるという意味でのことなのである。デ
42. 芸術哲学入門 121ページ
文庫クセジュ
明瞭に示している。それは、芸術における悲観主義が何を意味するか、という問いである。ある種の作品(ラファエロのそれや悲劇)を、悲観主義と諦念に奉仕するものとしたシ
43. 芸術哲学入門 122ページ
文庫クセジュ
世界への愛と感謝の念から生まれることがある。これがホメロス、ルーベンス〔一五七七~一六四〇年、画家〕、ラファエロ、ゲーテの〈ディテュランボス的〉神格化の芸術であ
44. 芸術哲学入門 123ページ
文庫クセジュ
いた。反対に、ニーチェは、芸術の性的な起源を強調する。「ある種の過熱した性的器官を持たないラファエロなど考えることもできない」〔『権力への意志』、断章八〇〇〕。
45. 芸術哲学入門 183ページ
文庫クセジュ
ヤ行 ユイグ 64, 99 ユゴー 112 ラ行 ラインホルト 35, 36 ラ・コンブ 9 ラファエロ 59, 102, 114-116 ラモー 112 リュ
46. 工房
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を受け,親方の作品として売買された。親方の死後は,工房は世襲されるか,ジュリオ・ロマーノがラファエロの工房を引き継いだ場合のように,有力な助手により継承された。
47. コック(Hieronymus Cock)
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ユマニスムの国際主義を反映する版画店〈四方の風Aux Quatre Vents〉を開いた。ラファエロやマニエリストたちのイタリア絵画を版画化し,フランドルや北欧
48. 古典主義
世界大百科事典
画と,ラファエロのバチカン宮殿〈署名の間〉ほかの壁画装飾(《アテネの学園》等)が最も重要であり,建築では,同じころに活躍したブラマンテ(テンピエット等)がその代
49. サルビアーティ(Salviati)
世界大百科事典
年ローマのファルネーゼ宮殿,53年ローマのサッケッティ宮殿と大広間の装飾に才筆をふるった。ラファエロの構成とミケランジェロの動勢とを折衷し,フィレンツェ派とロー
50. サンガロ(Antonio da Sangallo il Giovane)
世界大百科事典
・ピエトロ大聖堂再建工事に仮枠づくりの大工として参加。ブラマンテ,ラファエロのもとで同大聖堂工事の現場監督を務め,ラファエロ没後その主任建築家となり,工事を進め