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  11. ラファエロ

ジャパンナレッジで閲覧できる『ラファエロ』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

世界大百科事典・日本大百科全書

改訂新版 世界大百科事典
ラファエロ
Raffaello Santi(Sanzio)
1483-1520

イタリア・ルネサンス期の画家,建築家。英語ではラファエルRaphael。ウルビノに生まれ,ローマで没。古典主義絵画の大成者であり,その後西欧絵画の歴史のうえで,最高の範例と仰がれた。

 父ジョバンニも画家で,少年時代に最初父から絵画の手ほどきを受けたとされる。次いでペルジーノのもとに学び,おそらくはペルージアのカンビオの壁画装飾に協力,またペルジーノの影響の強い《聖母の結婚》(ブレラ美術館)を描いた。他に初期の作品として,《騎士の夢》(ロンドン・ナショナル・ギャラリー),《三美神》(シャンティイ,コンデ美術館)などがある。1504年秋ごろからフィレンツェに移り,フィレンツェ派,とくにレオナルド・ダ・ビンチの作品を学んで,静謐で安定した様式を完成した。この時期の代表的作品として,《聖母の埋葬》(ボルゲーゼ美術館),《アニョロおよびマッダレーナ・ドーニの肖像》(ピッティ美術館)のほか,《大公の聖母》(ピッティ美術館),《ひわの聖母》(ウフィツィ美術館),《牧場の聖母》(ウィーン美術史美術館),《美しき女庭師》(ルーブル美術館)など,多くの聖母子像が挙げられる。08年,教皇ユリウス2世に招かれてローマに赴き,ユリウス2世,レオ10世の下でバチカン宮殿の〈署名(セニャトゥーラ)の間〉(1508-11),〈エリオドーロの間〉(1511-14),〈ボルゴの火災(インチェンディオ)の間〉(1514-17),〈ロッジア〉(1517-19)などの装飾活動に従事した。とくに,〈署名の間〉の壁画《アテネの学園》《聖体の論議》は,変化に富んだ人物表現と完璧な全体構成によって,ルネサンス期の最高の傑作に数えられる。この〈署名の間〉は,四周の壁や天井の装飾にいたるまでラファエロの構想になり,制作もほとんど彼自身の手になると考えられるが,それ以後の装飾活動においては,しだいに多くの協力者の手を借りるようになり,〈ボルゴの火災の間〉や〈ロッジア〉の装飾などは,ラファエロの基本構想と下絵に基づいて,ジュリオ・ロマーノら多くの弟子たちが制作に参加した。また,システィナ礼拝堂を飾るタピスリーのための原寸大下絵〈使徒行伝〉のシリーズ(ビクトリア・アンド・アルバート美術館)を制作したり,14年,同郷の先輩建築家ブラマンテが世を去った後はサン・ピエトロ大聖堂造営の総指揮を任されるなど,教皇庁のためにデザイナー,建築家としても活躍した。さらに15年には,教皇レオ10世より古代遺物監督官に任命されて,多くの古代遺品の調査にあたった。

 ローマでのラファエロの活動は,教皇庁のためだけにかぎらず,多くの富裕な保護者(パトロン)にも捧げられた。とくに銀行家アゴスティノ・キージのためには,その別荘ファルネジーナ宮殿の装飾(《ガラテイアの勝利》の壁画ほか)や,サンタ・マリア・デル・ポポロ教会のキージ礼拝堂の設計と天井装飾および彫像のデザインを引き受けた。それとともに,タブローにおいても休みなく制作を続け,天上の音楽に魅せられる美しい《聖カエキリア》(ボローニャ絵画館)をはじめ,彼が最も得意とした聖母子像において,《フォリニョの聖母》(バチカン絵画館),《アルバ家の聖母》(ワシントン・ナショナル・ギャラリー),《システィナの聖母》(ドレスデン国立絵画館),《小椅子の聖母》(ピッティ美術館)などの卓越した名品をつぎつぎに生み出した。また肖像画においても,《ユリウス2世の肖像》(ロンドン・ナショナル・ギャラリー),《レオ10世と2人の枢機卿》などの高位聖職者をはじめ,ラファエロと親しかった人文主義者《バルタザーレ・カスティリオーネの肖像》(ルーブル美術館)や,彼の恋人を描いたとされる《ベールの女》(ピッティ美術館)などの絶品がある。

 これらの優れた作品や,残された多くのデッサン,あるいは版画複製などによって,ラファエロの作品はヨーロッパ中に知られ,最も完成された美の規準として,19世紀の新古典主義にいたるまで,西欧の絵画理念に最も大きな影響を与えた。
[高階 秀爾]

[索引語]
Raffaello Santi(Sanzio) ラファエル(画家) Raphael 聖母子 バチカン宮殿 アテネの学園


日本大百科全書(ニッポニカ)
ラファエッロ
らふぁえっろ
Raffaello Sanzio (Santi)
[1483―1520]

イタリアの画家、建築家。英語でラファエルRaphael。レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロとともに盛期ルネサンスの三大巨匠の一人であり、ルネサンス古典様式のもっとも純粋で優美な体現者、イタリア的明晰(めいせき)と調和の結晶、西欧アカデミズム=古典主義絵画の祖とみなされる。画家としてのラファエッロは、驚くべき早熟な天才として、ウンブリアの地方画家からバチカンの教皇庁宮廷画家にまたたくまに登り詰め、最高の社会的栄誉と世俗的成功をほしいままにし、幸福で洗練されたエリート芸術家として、早くから伝説的存在となった。

[森田義之]

生涯と絵画作品

修業期

ラファエッロは1483年3月28日にウルビーノで画家・宮廷詩人のジョバンニ・サンティ(1494没)の子として生まれた。少年期の修業については不明だが、画家としての修業を父のもとで始め、ついで同郷の画家ティモテオ・ビーティに学んだらしい。99年前後(16歳ころ)にペルージアの人気画家ペルジーノの工房に入門し、その柔和で明快甘美な前古典的様式を急速に吸収。ペルージアのカンビオ(両替組合本部)の壁画装飾(1500)では師の助手として参加したものと推測される。最初の大作である同市サン・フランチェスコ聖堂のための『聖母の戴冠(たいかん)』(バチカン絵画館)や『マリアの結婚』(ミラノ、ブレラ美術館)では、ペルジーノの様式への完璧(かんぺき)な同化がみられるが、同時に、彼独自の音楽的な線のリズムや軽快な優雅さの感覚が認められる。こうした天性の絵画的資質は、この時期の『三美神』(シャンティイ、コンデ美術館)、『騎士の夢』(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)、『聖ゲオルギウス』(パリ、ルーブル美術館)などの小品にもいっそう夢幻的なトーンを帯びて表れている。

[森田義之]

フィレンツェ時代

1504年の秋ごろ、ラファエッロはあこがれの芸術中心地フィレンツェに移り、08年までの4年間(この間たびたびペルージアに仕事のため戻っているが)、レオナルド、フラ・バルトロメオ、ミケランジェロなどのフィレンツェ派の芸術を旺盛(おうせい)に研究して、従来の内気な地方的様式を一新した。とくに、『聖アンナ』画稿を発表して話題をよび、『モナ・リザ』を制作中であったと推測されるレオナルドから深い影響を受け、その有機的なピラミッド型群像構成や霊妙な明暗表現を吸収して、静謐(せいひつ)典雅で豊麗な生命感にあふれる古典様式を確立する。この時期の代表作には、『大公の聖母』(フィレンツェ、ピッティ美術館)、『鶸(ひわ)の聖母』(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)、『牧場の聖母』(ウィーン美術史博物館)、『美しき女庭師』(ルーブル)などの一連の優雅な聖母子画や聖家族図、肖像画『ドーニ夫妻』(ピッティ)、またミケランジェロの影響を示す劇的な『キリストの埋葬』(ローマ、ボルゲーゼ美術館)があげられる。

[森田義之]

ローマ時代

1508年の末に、同郷のブラマンテの推薦で教皇ユリウス2世に招かれてローマに移ったラファエッロは、20年4月6日に37歳の若さで世を去るまでの12年間、バチカン宮廷画家としてユリウス2世とレオ10世の2代の教皇に仕え、時代の寵児(ちょうじ)として画業の頂点を極めた。

 バチカン宮では、システィナ礼拝堂の天井画を制作中のミケランジェロから深い影響を受けて、第三様式ともいえる堂々たる大様式(グランド・マナー)で、「署名の間」(1508~11)をはじめ、「エリドーロの間」(1511~14)、「ボルゴの火災(インチェンディオ)の間」(1514~17)などの諸室を次々に壁画で装飾する。またシスティナ礼拝堂を飾るためのタペストリーの原寸大下絵(カルトン)「使徒行伝」(ロンドン、ビクトリア・アルバート美術館)やロッジア(開廊)の壁画装飾にも携わった。「署名の間」の諸壁画、とくにルネサンス人文主義の象徴的絵画というべき『アテネの学堂』は、壮大な建築空間と多数の人物群像の完璧な統一と調和を実現して古典様式の規範とされるが、「エリドーロの間」以後の装飾活動においては、しだいに助手や弟子(ジュリオ・ロマーノ、G・F・ペンニ、ペリン・デル・バーガら)の参加が多くなり、作風も劇的で錯綜(さくそう)したマニエリスムの傾向を強める。ロッジアの装飾では、古代の室内装飾を再生させたグロテスク装飾(唐草文(からくさもん)と古代的な人物・動物モチーフを組み合わせた幻想的な装飾様式)を生み出し、「ラファエレスコ」文様ともよばれて大きな流行をみた。

 そのほかローマでは、バチカン宮のための仕事と並行して、多くの貴族や聖職者などのパトロンのために休むことのない旺盛な制作活動を展開する。なかでもシエナ出身の大銀行家アゴスティーノ・キージのためには、ファルネジーナ邸の壁画装飾(『ガラティアの勝利』〈1511〉、および大部分が弟子の手になる「プシュケのロッジア」の天井装飾〈1517〉)のほか、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂の壁画装飾(『シビュラたち』1514)、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のキージ家礼拝堂の設計と円天井のモザイク装飾などを手がけている。

 祭壇画や宗教画の分野でも引き続き多くの傑作を生み出した。『フォリーニョの聖母』(1511~12、バチカン絵画館)、『サン・シストの聖母』(1513~14、ドレスデン絵画館)、『聖チェチーリア』(1514、ボローニャ国立絵画館)、『小椅子(いす)の聖母』(ピッティ)などである。とりわけ弟子のジュリオ・ロマーノによって完成された未完の絶作『キリストの変容』(1517~20、バチカン絵画館)は、前バロック的ともいえる新しい局面――激しい劇的葛藤(かっとう)と明暗対比、深い内面的宗教性――を示している。

 肖像画家としての活動も重要で、『ユリウス2世』(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)や『レオ10世と二人の枢機卿(すうききょう)』(1518~19、ウフィツィ)をはじめ、『宮廷人の書』の著者である人文主義者『バルダッサール・カスティリオーネの肖像』(1515ころ、ルーブル)、『ベールの女(ラ・ベラータ)』(1516、ピッティ)や伝説の恋人『ラ・フォルナリーナ』(1518~19、ローマ国立美術館)などが知られる。

[森田義之]

建築家としての活動

建築家としては、1514年に没したブラマンテの後を継いで、レオ10世よりサン・ピエトロ大聖堂の建築主任に任命され、その造営事業を指導した。また翌年には古代遺物監督官に任ぜられて、古代モニュメントの調査と遺跡地図の作製(未完)にあたった。彼の設計として知られる建築作品には、前記のキージ家礼拝堂のほか、ビドーニ‐カファレッリ邸、ローマ郊外のビラ・マダマなどがある。その作風はフランチェスコ・ラウラーナやブラマンテを継承した優雅で厳格な古典主義といえるが、今日ではその作品の多くが大幅な改修を受けているために、正確な評価はむずかしい。

[森田義之]

ラファエッロ神話と後世への影響

ラファエッロは存命中から芸術家として最高の栄誉に包まれ(年少のときには希有(けう)な神童画家として、ローマ時代には教皇庁付きの芸術家として)、莫大(ばくだい)な財産を築き(ブラマンテ設計のカプリーニ邸ほか多くの不動産を所有)、多くの賛美者やパトロン、弟子たちに囲まれ、短命だが華やかで幸福な「王侯貴族のごとき」(バザーリ)生活を送った。美しい容姿に恵まれ、性格は明朗快活で温雅、宮廷人としての洗練された物腰を備え、偏屈な奇人ミケランジェロとは対照的に、あらゆる人々から愛されたといわれ、欠けるもののない完全な芸術家として早くから神話化された。

 ラファエッロの芸術は、明晰と調和、静謐と典雅といった古典様式の要件を完璧に備えると同時に、感性豊かな自然主義と理知的抽象化、繊細優美な詩情と荘重で劇的なモニュメンタリティなどの多様な要素をみごとに融合して、絵画芸術の完全さの典型(「神のごときラファエッロ」)とまでみなされる。その作品は、各国の王侯貴族や収集家にこぞって求められ、またマルカントニオ・ライモンディの銅版画や数多くの模写を通じてヨーロッパ中に広まり、マニエリスムからバロック、新古典主義までの近世の西欧絵画において、権威ある美的規範、アカデミズムの源泉として圧倒的な影響力を及ぼし続けた。

[森田義之]



ラファエッロ『玉座の聖母子と五聖人』[百科マルチメディア]
ラファエッロ『玉座の聖母子と五聖人』[百科マルチメディア]

祭壇画。1504年ころ 油彩 メトロポリタン美術館所蔵
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検索コンテンツ
1. ラファエロ(Raffaello Santi(Sanzio))
世界大百科事典
ルネサンス期の最高の傑作に数えられる。この〈署名の間〉は,四周の壁や天井の装飾にいたるまでラファエロの構想になり,制作もほとんど彼自身の手になると考えられるが,
2. ラファエロ
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(Raffaello Santi《Sanzio》─サンティ(サンツィオ))《ラファエル》イタリアの画家、建築家。ルネサンスの巨匠の一人。父ジョバンニ=サンティや
3. ラファエロ
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→ラファエッロ
4. アスモデ
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サラに取り付き新婚の夜ごとに,彼女の7人の夫を殺すこと7度に及んだ。トビトの子トビアは天使ラファエロの助けでサラからアスモデを退散させる。トビアの旅の道連れとな
5. アッチラとフン族 2ページ
文庫クセジュ
敗作でも、ドイツ人ヴェルナーのロマンチック悲劇(一八〇八)は評判だったという。ヴァチカンのラファエロの壁画、パンテオンのピュヴィス=ド=シャヴァンヌの壁画も思い
6. アッチラとフン族 114ページ
文庫クセジュ
四五〇年コンスル〕、いま一人はローマ教皇レオ〔大教皇レオ一世(在位四三〇 ― 四六一)。ヴァチカンにあるラファエロの壁画「アッチラを制する聖レオ」は有名〕であっ
7. アラベスク画像
世界大百科事典
の絵画,彫刻,工芸,庭園のデザインへと展開した。特にラファエロによるバチカンのロッジアのグロテスク装飾は,のちにラファエリスク(ラファエロ風)とも呼ばれた。一般
8. アレクサンデル[6世](Alexander Ⅵ)
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1500年の聖年,対ムーア人十字軍(1499-1500),サンタンジェロ城再建がある。またラファエロ,ミケランジェロらの庇護者としても知られる。今野 國雄 Al
9. アングル(Jean Auguste Dominique Ingres)
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勉強し,21歳の若さでローマ大賞を獲得(1801)。政情不安の折から,ローマには遅れて1806年に赴き,ラファエロやシスティーナ礼拝堂,ローマ時代の遺跡などに心
10. アングル
日本国語大辞典
Dominique Ingres ジャン=オーギュスト=ドミニク─)フランスの古典派を代表する画家。ラファエロの影響を受け、歴史画、肖像画、裸体画などを典雅な形
11. アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto)
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,フランチャビジョFranciabigioに学ぶ。レオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロ,ラファエロの美点を総合し,バザーリによって〈欠点なき画家〉と呼ばれた技
12. 医学
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進めようとする芸術家たちも,人体解剖に関心をもった。ミケランジェロ,レオナルド・ダ・ビンチ,ラファエロらがそうである。このような芸術家たちよりややおくれて,ベル
13. イギリス美術
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クス・ブラウン,バーン・ジョーンズら)である。彼らは当時のこうした絵画の状況にあきたりず,ラファエロ以前のプリミティブな絵画を志向し,様式的には同時代のフランス
14. イタリア美術
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成就した。しかし,16世紀に入るとこの均衡は再び崩れ,芸術は,より新しい主観主義へと傾く。ラファエロは,教皇ユリウス2世の古代ローマ再建の壮大な意志を表現する大
15. 色画像
世界大百科事典
例えば,ラファエロの数多くの聖母子像において,聖母マリアはほとんどつねに赤い上衣に青いマントをはおっているが,これは,赤は天の愛情を表し,青は天の真実を表すとい
16. 新版 印象派 23ページ
文庫クセジュ
男たちは現代の衣服を身につけ、女たちは全裸もしくは半裸である。これらの人物たちの配置もまた、ラファエロの《パリスの審判》に基づくマルカントーニオ・ライモンディの
17. 新版 印象派 73ページ
文庫クセジュ
ルノワールは、敬愛するドラクロワに倣って、アルジェリアに旅立ち、その帰途、イタリアに立ち寄り、ラファエロのフレスコ画にすっかり心を奪われる(「その単純さと偉大さ
18. 新版 印象派 132ページ
文庫クセジュ
J・B 25, 27 ラ行 ライモンディ, M 29 ラヴァル, Ch 113, 122 ラファエロ 29, 88 ラモート 21 ランソン, P 115, 1
19. インターポール 100ページ
文庫クセジュ
日にかけて、ブダペスト美術館で総額三五〇〇万ドル以上の価値がある七枚の絵画が盗難にあった。ラファエロが二枚(《エステルハージーのマドンナ》および《ある若者の肖像
20. ウィーン美術史美術館
世界大百科事典
る〈ブリューゲルの間〉はもっとも有名。絵画部門はほかに,ヤン・ファン・アイク,デューラー,ラファエロ,ルーベンス,フェルメールなど,1000点以上に及び,ルネサ
21. 歌麿 114ページ
東洋文庫
だけに、その膨大な作画の中で自由奔放な作品、つまりジュリオ・ロマーノ[一四九九-一五四六。ラファエロの愛弟子であったイタリアの画家。ポルノグラフィックな素描集が
22. ウルビノ
世界大百科事典
まいを残す家並み,威容を誇る宮殿パラッツォ・ドゥカーレ(マルケ国立美術館が置かれる),画家ラファエロの生家などがあり,ウルビノ大学は1506年に創立された長い伝
23. ウンブリア派
世界大百科事典
続くピントゥリッキョは華やかな色彩による物語描写を,シニョレリは人体の動態表現を発展させた。ラファエロはこのウンブリア派のもとで初期の芸術形成を行った。生田 圓
24. オウィディウス(Publius Ovidius Naso)
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,グリルパルツァーなどの詩人によって応用されただけでなく,ミケランジェロ,ティツィアーノ,ラファエロ,コレッジョ,ルーベンス,ベルニーニ,レンブラントなど無数の
25. オウィディウス・ナソ プブリウス
世界文学大事典
ったところがたちまち想起されるだろう。また画家や彫刻家ではミケランジェロ,ティツィアーノ,ラファエロ,コレッジョ,ルーベンス,ベルニーニ,レンブラントらが即座に
26. 改訳 音楽の歴史 44ページ
文庫クセジュ
仕上げの完璧さなどといった点で、以後二度とみられないほどの芸術を創造していた。  ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロと同時代の人びとは、芸術家であれ、詩人
27. オーバーベック(Johann Friedrich Overbeck)
世界大百科事典
と呼ばれる芸術共同体の中心的存在として〈絵において祈る〉ことを課題に制作した。ペルジーノ,ラファエロに負う画風は端整で抒情的だが晩年に硬化。ローマのバルトルディ
28. 絵画の技法 82ページ
文庫クセジュ
それがデトランプを使った十五世紀に、あのようにも称賛されたものである。ペルジーノ、ベリーニ、ラファエロは盛んにこれを使い、白蠟も少量添加されたであろう。このテン
29. カトリシスムとは何か 96ページ
文庫クセジュ
IV カトリック伝道の新しい展望  ラファエロの没年であり、ルターの破門の年である一五二〇年は、マゼランが自分の名で呼ばれることになる海峡を渡り、エルナン・コル
30. カトリシスムとは何か 101ページ
文庫クセジュ
配慮の行届いた牧者であり辣腕の政治家で、長い在職期間を有効に用いて、ユリウス二世とレオン十世のローマ、ラファエロとミケランジェロのローマを大きなルネサンスの流れ
31. カラッチ一族
世界大百科事典
時の美術の改革をめざした。95年にファルネーゼ宮殿装飾のためローマに招かれたアンニバレは,ラファエロ,ミケランジェロや古代彫刻に学んで理想的形体美と明快で厳しい
32. カール五世 46ページ
文庫クセジュ
ォアから奪いとり、またローマ教皇ユリウス二世〔在位一五〇三 ― 一五一三。ミケランジェロ、ラファエロ等の芸術家のパトロンとして有名〕は彼らに対し破門状を発して、
33. 画商
世界大百科事典
ダ,ストッピらの画商が出現する。聖ルカ組合(画家組合)が毎週金曜日に開く野外展兼市場では,ラファエロをはじめ当時の巨匠たちの作品が,古代美術と同等の値段を呼んだ
34. ガラテイア
世界大百科事典
たという。この話はオウィディウス《転身物語》をはじめ好んで文学化されたほか,後世においてもラファエロ,プッサン,さらにはG.モロー,ルドンなどによって図像化され
35. 客船
世界大百科事典
。レオナルド・ダ・ビンチ号(1960)は3万3000総トン,ミケランジェロ号(1965),ラファエロ号(1965)などは4万5000総トン,26ノットクラスの船
36. 偽作
世界大百科事典
付し地中に埋め,それを再発見したのちサン・ジョルジョ枢機卿に売却している。また,教皇クレメンス7世所蔵のラファエロ作の《レオ10世像》をフェデリコ・ゴンザーガが
37. ギリシア美術画像
世界大百科事典
》や《アポロン像》,1506年ローマで発見された《ラオコオン》群像などが,ミケランジェロ,ラファエロらの美術家の創作やレッシング,ゲーテらの芸術理論に大きな影響
38. ギーシ(Giorgio Ghisi)
世界大百科事典
1520か21-82 イタリアのライモンディ派の銅版画家。G.ロマーノの弟子で,彼およびミケランジェロ,ラファエロらマニエリストの作品を版画化した。1551年に
39. クレサン(Charles Cressent)
世界大百科事典
室やバイエルン選帝侯など諸王侯からの注文が殺到し,彼の工房は60年代まで活気を呈した。彼はラファエロ,ティツィアーノ,ルーベンス,ホルバインの絵画や美術品の収集
40. 芸術哲学入門 62ページ
文庫クセジュ
七〇九頁)。だが、ラファエロのごときひとりの芸術家自身が、知恵の究極の段階、つまりニヒリズムにみずから立ち至ったのではない。ラファエロも屈した美しきフォルナリー
41. 芸術哲学入門 108ページ
文庫クセジュ
可能にしたのである。ホメロスは「素朴な」芸術家である、だがそれは、忘我の幻覚にとりつかれて《変容》を描いたラファエロが素朴であるという意味でのことなのである。デ
42. 芸術哲学入門 121ページ
文庫クセジュ
明瞭に示している。それは、芸術における悲観主義が何を意味するか、という問いである。ある種の作品(ラファエロのそれや悲劇)を、悲観主義と諦念に奉仕するものとしたシ
43. 芸術哲学入門 122ページ
文庫クセジュ
世界への愛と感謝の念から生まれることがある。これがホメロス、ルーベンス〔一五七七~一六四〇年、画家〕、ラファエロ、ゲーテの〈ディテュランボス的〉神格化の芸術であ
44. 芸術哲学入門 123ページ
文庫クセジュ
いた。反対に、ニーチェは、芸術の性的な起源を強調する。「ある種の過熱した性的器官を持たないラファエロなど考えることもできない」〔『権力への意志』、断章八〇〇〕。
45. 芸術哲学入門 183ページ
文庫クセジュ
ヤ行 ユイグ 64, 99 ユゴー 112 ラ行 ラインホルト 35, 36 ラ・コンブ 9 ラファエロ 59, 102, 114-116 ラモー 112 リュ
46. 工房
世界大百科事典
を受け,親方の作品として売買された。親方の死後は,工房は世襲されるか,ジュリオ・ロマーノがラファエロの工房を引き継いだ場合のように,有力な助手により継承された。
47. コック(Hieronymus Cock)
世界大百科事典
ユマニスムの国際主義を反映する版画店〈四方の風Aux Quatre Vents〉を開いた。ラファエロやマニエリストたちのイタリア絵画を版画化し,フランドルや北欧
48. 古典主義
世界大百科事典
画と,ラファエロのバチカン宮殿〈署名の間〉ほかの壁画装飾(《アテネの学園》等)が最も重要であり,建築では,同じころに活躍したブラマンテ(テンピエット等)がその代
49. サルビアーティ(Salviati)
世界大百科事典
年ローマのファルネーゼ宮殿,53年ローマのサッケッティ宮殿と大広間の装飾に才筆をふるった。ラファエロの構成とミケランジェロの動勢とを折衷し,フィレンツェ派とロー
50. サンガロ(Antonio da Sangallo il Giovane)
世界大百科事典
・ピエトロ大聖堂再建工事に仮枠づくりの大工として参加。ブラマンテ,ラファエロのもとで同大聖堂工事の現場監督を務め,ラファエロ没後その主任建築家となり,工事を進め
「ラファエロ」の情報だけではなく、「ラファエロ」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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1027(28)~87.9.9イングランド王 [1066/87].ノルマンディー公ロベール1世(悪魔公)(Robert I le Diable †1035)の庶子.父が没するとノルマンディー公ギヨーム2世(Guillaume II)となり [1035-87],ハロルド2世がイングランド王に即位する [66]と,先王エドワード(証聖王)による
朱熹(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1130.10.18[建炎4.9.15]~1200.4.23[慶元6.3.9]中国南宋の思想家,儒者.一般に朱子と呼ばれる.本籍は徽州の婺源(ぶげん)だが,福建尤渓(ゆうけい)(現,福建三明)で生まれた.科挙に合格,地方官として各地をまわるが,地元の福建で教育と学問に携わる期間が長かった
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コルテス(世界大百科事典・日本大百科全書・世界人名大辞典)
スペインのコンキスタドール。イダルゴ(下級貴族)の子としてスペインのエストレマドゥラ地方に生まれ,一時サラマンカ大学に学ぶ。1504年イスパニオラ島へ渡り,11年ディエゴ・ベラスケスとともにキューバ島征服に参加。18年,キューバ総督ベラスケスより
ラファエロ(世界大百科事典・日本大百科全書)
イタリア・ルネサンス期の画家,建築家。英語ではラファエルRaphael。ウルビノに生まれ,ローマで没。古典主義絵画の大成者であり,その後西欧絵画の歴史のうえで,最高の範例と仰がれた。父ジョバンニも画家で,少年時代に最初父から絵画の手ほどきを受けた
ルター(世界大百科事典・日本大百科全書・世界文学大事典)
ドイツの宗教改革者。農民の出で鉱夫であったハンス・ルターHans Lutherの子として中部ドイツのアイスレーベンに生まれる。のちマンスフェルトに移住し,事業に成功を収めた父の期待を受けて,同地,さらにマクデブルク,アイゼナハの学校を経て
マゼラン(世界大百科事典・日本大百科全書)
最初の世界周航者。マゼランMagellanは英語名で,ポルトガル語ではマガリャンイス。ポルトガルのオポルト付近に生まれたが,その出自などについては不明な点が多い。1505年F.アルメイダの艦隊に参加してインドに向かい,09年にはD.L.セケイラの艦隊
ミケランジェロ(世界大百科事典・日本大百科全書・世界人名大辞典)
イタリアの彫刻家,画家,建築家,詩人。青年時代には彫刻,絵画における盛期ルネサンス様式の完成者として,壮・晩年期には彫刻,絵画,建築におけるマニエリスム様式の形成者として,また生涯を通じて,新プラトン主義の影響を強く受けた宗教上の思索者,詩人として
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